Route:011『深緑の回廊』
特に何事もなく車を走らせていると、次第に景色が変わってきた。アスファルトのグレーが減り、圧倒的な緑が視界を埋め尽くしていく。
「森だね」
「ん。完全な森」
進むたびに木々の密度が増していき、最終的には頭上まで鬱蒼とした枝葉に覆われた「緑のトンネル」になった。
元々は県道か何かだったのだろう。地面にはひび割れたアスファルトや、苔むしたセンターラインが辛うじて残っているけれど、ガードレールは太い木の根にひしゃげられ、道路標識はツタに絡め取られてオブジェと化している。
それでも『ポラリス』の悪路走破性は優秀だ。
ガタン、と車体が揺れるたびにサスペンションが衝撃を吸収し、私たちはコーヒーを零さずに済んでいる。
「凄いねー。ジャングルみたい」
「アマゾンの奥地と言われても信じる」
「流石にそこまでではないんじゃない?」
「そうかな? ……あそこの信号機、木と一体化してる」
ルナが指差した先には、枝の中に埋もれた赤信号の残骸があった。
日本にこんな場所があるなんて。行ったことないけど、ジャングルってこんな感じなのかな。
「でもまあ、自然を感じられるのは悪くないね」
「ん」
雨はいつの間にか止み、木漏れ日が差し込んでいる。
これが雨降りだったら、ぬかるんだ地面や視界の悪さで、運転はずっと難儀していただろう。薄暗い森の中で雨音だけが響くなんて、ちょっとホラーだし。
「ん。自然の匂い」
「そうだねぇ」
私は運転席の窓を、ルナは助手席の窓を半分ほど開けた。
湿った土の香りと、濃密な草いきれが車内に入り込んでくる。少し前までの「雨の匂い」と混ざり合って、深呼吸したくなるような濃い空気だ。
「過ごしやすいね」
「うん」
エアコンを切って外気を入れているけれど、車内は驚くほど快適だ。
夏場とは思えない涼しさ。温暖化が進む以前の夏は、暑くても25度くらいだったと聞くけれど、地球が本来の気候を取り戻しつつあるのかもしれない。
「気候が戻りつつあるのかな」
「そうかも」
「人が消えたから涼しくなったなんて、なんともまあ、皮肉な話だね」
私たちが排熱を撒き散らすのをやめた途端、地球は健康を取り戻した。まるで、私たちがウイルスだったみたいに。
度々思うけれど、どうして私たち二人だけが取り残されたんだろう。
この問いに対する答えは、未だに見つからない。
「……森の中だから、あまりスピード出さないでね?」
「大丈夫、分かってるよ」
ルナが少し不安そうにメーターを見る。
もちろん、こんな悪路で飛ばしたりはしない。
今の運転モードは『悪路対応AIアシスト』。地面の凸凹や障害物をセンサーが感知して、タイヤのトルクを自動調整してくれている。私がハンドルを握っているのは、万が一の時のためだ。
「そういえばさ」
ふと、気になっていたことを口にする。
「虫とか鹿とか、野生動物は見かけるけど……犬とか猫って見ないよね」
「ん……確かに」
「野良犬とか野良猫とか、もっと増えててもおかしくないのに」
町中でも、森の中でも。
鳥は飛んでいるし、さっきも猪の親子が道を横切った。
けれど、人間と暮らしていた動物たち――犬、猫、家畜の牛や豚――の姿は、一度も見ていない。新種のクリーチャーもいないけれど、見知ったペットたちもいない。
「植物が育つには虫が必要だから、生態系は残ってるはずなのに」
「……人間に依存していた種族も、一緒に連れていかれたのかも」
「だとしたら、寂しいね」
人間だけじゃなく、人間の友達も消えてしまった世界。本当に、ピンポイントで「文明側」のものだけが排除されているようだ。
まだそうと決まったわけではないけど……それでもここまでの間では見ていないのだ。
「あ、そろそろ森抜けそう」
前方から、眩しい光が差し込んできた。長かった緑のトンネルの出口だ。
「道路は比較的マシでよかったね」
「そうねえ。行き止まりだったら泣いてたかも」
私はアクセルを少しだけ緩め、光の中へと車を進める。森を抜けた先には、どんな景色が待っているんだろうか。
(続く)




