Route:010『雨粒と衛星軌道』
「また雨が降ってきたねー」
「ん。やっぱり梅雨の時期?」
「さあ?」
灰色の空から、パラパラと再び水滴が落ちてきた。
大雨というほどでもなく、かといって傘なしで歩けるほど弱くもない。
ワイパーを動かすか迷うくらいの、何とも言えない微妙な雨だ。
「こういうのって小雨って言うんだっけ? 霧雨だっけ?」
「分からない。どっちでもいいんじゃない? 濡れることに変わりはない」
「それもそうか」
誰もいないこの世界。言葉の定義が間違っていたって、テストでバツをつける先生はいない。
そう、今の私とルナこそが、この世界のルールであり、支配者なのだ!
我々の前にひれ伏せ……なんて冗談は置いておいて。
「……ぺち」
「痛っ!? ……というかルナ、それ口で言う必要ある?」
運転席で悦に入っていたら、隣からルナの手が伸びてきて、私の頬を軽く叩いた。
擬音まで声に出すなんて、可愛いけど解せぬ。
「ユキがまた、変なこと考えていそうな顔をしてたから」
「えー……」
声にも出していないのに、なぜバレたし。
いやまあ、客観的に見ればニヤニヤしていたのかもしれないけれど。
「顔に出る。すごく分かりやすい」
「まじかー」
「ん。どこの魔王?」
よく見てらっしゃる。
やっぱり、長年の付き合いがある相棒には敵わない。
「話を戻すけど……分からないけど、やっぱり夏っぽいよね。このスマホは正しかったのだ……」
「それは分からないけど。湿気とか、空気の匂いは夏っぽい」
「そこはすまし顔でスルー、というか否定するのね」
私たちだけでは何が正しくて、何が良いのかなんて分からない。
ここまで結構な距離を旅してきたけれど、結局私たち以外の「人間」は見当たらなかった。
野生動物や、飛び交う鳥、そして活発な植物たちはたくさん見たけれど、霊長類ヒト科だけが綺麗さっぱり消えている。
何度も思うけど……どうして私たちだけなのかな。
選ばれたのか、忘れられたのか。
「……」
私はシートに背中を預け、フロントガラス越しに外を見る。
パラパラと降る雨はガラスを濡らし、重力に従ってツーっと透明な線を描いて落ちていく。
何処か遠くの海から蒸発した水が、雲になって、ここでまた大地に還る。
そんな当たり前の循環が、今は少しだけドラマチックに見えた。
「……そういえば、海外はどうなってるんだろうね」
ふと、疑問が口をついて出た。
「海外?」
「うん。私たちが今走っているのは、間違いなく日本でしょ?」
確信を持てるようなランドマークは少ないけれど、錆びついた道路標識には見知った漢字やひらがなが残っている。ここは間違いなく日本だ。
じゃあ、海の向こうは?
「海外も、同じ状態なのかな」
「ん……多分、同じ」
「だよねえ」
もし仮に日本だけが滅んで、海外が無事なのだとしたら、とっくに調査隊や軍隊が上陸しているはずだ。
資源の回収なり、領土の確保なり、かつての人類はそういうことに余念がなかったから。
この静寂が世界中を覆っているのなら、きっとパリもニューヨークも、同じように森に沈んでいるんだろう。
「行ってみたい気もするけど、海は広いからなあ」
「船を使えば行ける」
「水上モードかあ。でも道に迷いそう」
海の上には道路標識がない。
そう呟くと、ルナが手元のタブレットを操作しながら言った。
「衛星システム、生きてるから大丈夫」
「……え?」
「常にわたしが最新のデータを取得してる」
「え、そうだったの? じゃあ現在地も分かってた?」
「ん。GPS測位は狂ってない」
ルナがタブレットの画面を私に見せる。
そこには詳細な地形図と、私たちが進んできたルートを示す青いラインが表示されていた。
「ただ、衛星からの地図データ自体はだいぶ古い。道が崩れてたり、森になってたりするから」
「ああ、だからナビと実際の道が違ってたのか」
「ん。だから、実際に走った情報をわたしが修正して、衛星経由でサーバーにアップロードしてる」
「……はい?」
「私たちが通った場所が、新しい地図になる」
事もなげに言うルナに、私は目を丸くした。
つまり彼女は、ただ助手席に座っていたわけじゃなくて、リアルタイムで世界地図を書き換えていたってこと?
「……相棒が強すぎる件について」
「ん。こういうのは得意分野」
ルナが少しだけ胸を張った気がした。
なんともまあ、心強い相棒だこと。この「ハッカーの地図」がある限り、私たちは世界の果てまでだって迷わずにいけそうだ。
(続く)




