59 百人一首をアレンジ64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木
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リゾート地というと、海を思い浮かべる人が多いかもしれない。海がない国では大きな湖の側や、夏の避暑地・冬の雪遊びの場所として高地が開発されていることもある。
アルバンは、気に入った土地を購入し、そこにホテルを建設してリゾート地化させるという仕事をしている。不動産業と観光業、その上その地に観光客を誘導するための道路整備、土産などの掘り起こしなど、様々な分野に携わる仕事だ。
もちろん、簡単な仕事ではない。だが、多面的にリゾート地を開発することが楽しくて、アルバンは天職だと思ってこの仕事にのめりこんでいる。
とはいえ、アルバンは社長ではない。自分でよさそうな土地を探してくることもあれば、社内の他の人間がリストアップした土地を分担してチェックしに行くこともある。若手のアルバンには、自分が中心となって開発した事業はまだない。だからこそ、自分の足で良い土地を探し出し、人と金と物が回るようになり、その土地の人々の生活もうるおう。そんな手助けをしたい、そう考えている。
その日、アルバンはリストアップされた土地から3か所の視察を命じられた。
「その中でもね、レルヒェという村に僕は興味を持っているんだ。ぜひともしっかり調べてきてくれないか?」
オイゲン部長にそう頼まれたら、アルバンはやるしかない。三か所とも、かなりの山奥だ。オイゲン部長が一体どうやって開発候補地を探してくるのか、アルバンは知りたくてたまらない。
一度だけ、周りに人がいない時を狙って尋ねたことはある。だが、そのときオイゲン部長は何も言わず、ただ地図を指さしてにこりと笑うだけだった。おそらく地図から判断しているのだろうが、アルバンにはその秘訣は分からないままだ。
翌日から、アルバンは指示された三か所を順番にめぐることにした。こうやって調査に行くとき、スケッチブックは欠かせない。絵心がないと内勤だけで、現地調査に派遣されることはないのだ。
一ヵ所目は、山間にできた扇状地の裾野にある村だった。氷河が削り出した結果生まれた「カール」を遠望することができ、扇状地ということで傾斜もなだらかであるために老人や子どもでも苦になるような坂道は少なく、傾斜地を利用した放牧がおこなわれており、そこで作られる乳製品は非常に美味であった。少し大きめのホテルを建てられそうな土地もあり、村人も「客が来て乳製品を買ってくれるならありがたい」という考えの者が多く、開発には適しているように感じられた。アルバンはホテル建設の候補地からカールを中心に風景を描いた。高い山並みと青い空、そして白い雲が美しく、時々聞こえるカウベルや牛の鳴き声、そして牛を追う牧羊犬たちの姿も描きこんでいく。
ホテルの建設予定地の所有者とも顔合わせし、二泊三日で鉛筆画を完成させると、アルバンは二か所目に向かった。
二か所目は大きな湖のほとりにある村だった。風光明媚なところではあったが、ここまで来るために整備しなければならない道を考えると、採算が合わないと感じられた。公共事業として、役人にやってもらうべき案件だ。その上、既に他社の手が伸びていた。便利な場所、警官の良い場所には、まだ仮契約とはいえ既に買い手が決まったと言わんばかりの所有者の態度に、アルバンは「そうでしたか」と引くことにした。
「いえ、そちらがもっと高く買ってくださるんでしたら、お売りすることは可能ですよ」
「いえ、所有者様の信頼を損ねるようなことはできませんから」
暗に「乗り換えると後が面倒だぞ」と告げ、アルバンはスケッチのみにとどめてその村を出た。
三か所目が、オイゲン部長が一番気にしていたレルヒェ村だった。近くに観光地も何もない、山の中。湖ではなく、あまり大きくない川が流れているらしい。オイゲン部長がなぜ、それほどにまでレルヒェ村に期待しているのかわからない。
アルバンは川沿いの道を、上流のレルヒェ村に向かって進んだ。馬車はすれ違えないが、一定間隔ですれ違いできるように道幅が広がっている箇所がある。これならよほど大きな馬車でもない限り、進めるだろう。
レルヒェ村は、小さな小さな村だった。渓流沿いに数軒小さな家があり、川沿いの家は全て川魚を取って生活しているのだという。小さいながらも川に網を張って養殖もしているらしく、夏の間に取った魚は塩漬けにして保存食にしているとのことだった。
「では、川魚漁だけで生活しているんですか?」
「いやいや、レルヒェ村は実は広い広い村なんですよ」
アルバンは首を傾げた。
「川沿いには確かに数軒しかありませんが、もう少し奥に入ったところには林業をしている者、猟師をしている者、それから猟以外で食材を集める、食材ハンターたちの集落があります。そちらがレルヒェ村の中心ですね」
村長の話では、この川沿いの人々は、あくまで村の入り口を守りながら漁をしているのだという。普通なら村長は人口が多い奥の集落にいるべきだが、入り口にあたる川沿いに住んでいた方が外部との接触には便利だという理由で、代々の村長はこの川沿いの家に引っ越してくるのだという。
「とにかく山奥ですし、平地もありませんから大きな建物なんて作れやしませんよ。ただ、食材や木材を一定量・定期的に買ってくれる方とつないでいただければ、本当にありがたいと思います」
「山を切り開けば、平らな土地もできますよね?」
「できるかできないかで言えばね。ですが、山を一度切り崩してしまったら、今の自然の中で手に入れられる物が同じように手に入るとは限りませんから」
なぜ、彼らがそこまで今の生活にこだわるのか。アルバンにはわからなかった。
「まあ、今晩は我が家にお泊りください。川魚をいくつかご紹介しますよ。明日、集落にお連れしましょう。料理人がいたら驚くような食材もありますから」
様々な場所に行き、素晴らしい食材や料理と出会っているアルバンは、村長は井の中の蛙でしかないだろうと高を括っていた。期待せず夕食を待つことにして、周辺を歩き始めた。
周辺は秋のはじめであるが、レルヒェ村は山で太陽光が遮られ、渓流の冷たい水で空気が冷やされるためか、夕刻になると肌寒さを感じるほどである。谷筋にそって流れる川の流れる音は、山にはさまれているために反響しあって大きく聞こえる。川の水の音がこの村を包んでいると感じるほどだ。
それは、夜になるとますます強く感じられた。窓を開けると、人の声よりも川の流れの方が大きい。まるで豪雨の中にいるようだ。その音の中に、かすかに調理場で村長の妻が料理をしている音が聞こえる。やがて、村長がいくつかの皿をトレーに乗せてやって来た。
「川魚は、生食しちゃいけないんで、全部火が通っています」
「寄生虫ですか?」
「はい。海の魚にもいるそうですが、川の魚にも寄生虫がいましてね。小さくて見えないこともあって、自殺したけりゃ川魚を生で食え、ってこのあたりでは伝わっています」
「それは恐ろしいものですね」
出てきたのは、ワタを取り出したマスを使った二品だ。一品はレモンを添えたシンプルな塩焼き、もう一品はたっぷりのバター、ローズマリー、アーモンドと一緒に揚げ焼きしたものだ。ポテトは外部から種芋を買って来て集落の畑で作っているらしい。
「ローズマリーなしでもレルヒェ村の川魚は臭みなく食べられるが、それでも気にする人はいるから、来客用にはローズマリーを使うことにしているんだよ」
言われてみれば、村長のさらにはローズマリーではなく、アサツキのようなものが添えられている。
「わしらはこっちの方が馴染みがあるんだ。ちょっとくせがあるんだが、それがいい、なんてな」
アルバンは、まず塩焼きを口にした。
「身が厚い?」
「ああ、ここの魚は他より大きく育つ。その分身も厚くなって、食べ応えがあるだろう?」
「ええ、ほくほくしていますね。それが、岩塩とよく合いますね。レモンもいい」
ぺろりと間食すると、もう一品に手を付けた。バターたっぷり、アーモンドスライスたっぷりのソースは、見た目よりも重い。だが、それがあっさりした味わいの川魚には合っている。
「解し身にして、このバターソースをたっぷり絡めたものにケッパーを添えて、パンにはさんで食べたい気分です」
「それもいいな。だが、解し身だとこぼれないか?」
「その心配はありますね」
「ああ、だが、外で冷えた白ワインを飲みながら食べたら……」
「最高ですね」
男二人がのどをごくりと鳴らした。村長がパンを取りに行く間、アルバンは魚の身をきれいにはがしとると、バターソースに絡めた。
「すまん、ケッパーはなかった。パンと白ワインだ」
「ありがとうございます!」
黙々と解し身をソースに絡め、パンに乗せて挟み込むと、がぶりと食いついた。
「んんっ!」
「……いいな」
「はい!」
きりりと冷えた白ワインで流し込んだ男二人は、互いの顔を見てにやりと笑った。
「今度、ここに来る時は、ケッパーを持ってきてくれ」
「わかりました!」
その夜、アルバンは村長と楽しく飲んだ。奥さんに何か注意された気もするが、覚えていない。気づいた時には、ダイニングテーブルに突っ伏して、二人とも眠っていた。毛布が掛けられているのは、奥さんの愛情だろう。
やっちまったなあ、と頭を掻きながら、村長はアルバンを集落に連れて行ってくれた。猟師はクマやシカ、ウサギなどを狩って食料にしたり、皮を剥いで日常の道具作りに使ったりなめした皮を町に卸したりしている。林業を営む者たちは、レルヒェ村の名の由来となったカラマツをはじめとする木を植林し、育て、伐採している。そんな木を使ってキノコを作ったり、森の中から天然物のキノコや木の実、薬草などを取っているのが食材ハンターだ。ジャガイモなど一部の野菜を集落で育てているのも、彼らだという。
「昨日の猟はどうだった?」
村長が猟師の一人に声をかけると「ああ、山鳥を3羽、シカとイノシシを一頭ずつ仕留めたぞ」という答えが返って来た。
「食べられるものは?」
「ああ、そのお客さん用に、か?」
「そうだよ」
「それなら、ウリ坊の肉があっただろう?」
「いや、あれは買い手が決まっている。赤鹿はなかったか?」
「ああ、あったあった」
「それをもらっていくか」
猟師の一人が赤鹿の肉を持ってきた。大腿骨も持ってきている。
「赤鹿は、200キロ以上になる大型のシカなんだ。骨でスープも取れる。スープをベースにソースも作れる。うまいぞ?」
村長はにやり、とアルバンを見た。
「だが、今晩には間に合わないな」
「……わかった。滞在は延長するよ」
「毎度あり」
村長の家に、無料で宿泊しているわけではない。村の外から来た人間には、お金を落としてもらわねばという、きわめてわかりやすい思考だ。
「取引がもう少し大きくなれば、来た人にたからなくてもよくなる」
村長の言葉に、アルバンは苦笑いするしかない。
「村長は、リゾート開発したいんですか?」
「よくわからないんだ」
困ったような顔をして、村長は山を見上げた。
「このままでいてほしい、お山や川を守りたいという気持ちはある。その一方で、この村で生まれる子供が増えて、寒さに震えず、勉強もさせてやるためにできることはしたいと思う気持ちもある。両立させられないから、どちらか一つ選ぶしかないんだが……判断が難しい」
「そうですよね」
それ以上、二人はリゾート開発の話をしなかった。キノコを譲り受けて一旦川沿いの家に戻ると、村長はアルバンを近くの山に連れ出した。
「今日は、こっちの山で狩りをしないことになっている。もしかしたら食材ハンターたちと出会えるかもしれない」
山は静かな場所だった。今まで出向いたどの山とも違った。時々野兎などの小動物がかけていったが、それが極めて自然なことであるように感じられた。
「向こうを見てごらん」
少し開けたところにたどり着くと、村長が北の方角を指した。既に秋が近づいているのだろうか、カラマツの葉がわずかに黄色味を帯びている。
「松は常緑だが、我々の身近にあるカラマツは落葉樹だ。紅葉もある。川もある。山もある。食料もある。それなのに、どうして我々はそれ以上を求めようとするのだろうな」
アルバンは何も言えなかった。自然の中で生きることを拒否して人が作った街に住んでおきながら、都合のいい時・自分の望む時間だけ自然の中で過ごして「リフレッシュした!」と満足するために、アルバンはリゾート開発をしている。ふと、オイゲン部長から「そんなスタンスでいいのか」と問われているのではないかという気がした。今あるものを守りながら、かつ、その地の人々にとっても、訪れる人にとっても、自然にも、動物にも、全てにとってよい手段を考えろと言われたような気がした。
その日、アルバンは夕食でシカの燻製肉と野菜とキノコがたっぷり入ったスープを食べた。「飲む」ではなく「食べる」感覚のスープも、燻製肉を使ったスープも、これまでに何度もいただいたことがあった。それなのに、レルヒェ村のこのスープは、なぜか心にしみた。近隣の村との取引でしか、バターもチーズも手に入れられない。だから、子どもたちはバターもチーズもぜいたく品であると教えられる。牛乳は、その村に行ったときしか飲めない「ごちそう」なのだと村長は言った。
子どもたちが乳製品を「日常の品」として口にできるようにするには、乳製品を気軽に買えるだけの収入、牛乳の鮮度を保ったまま運ぶ技術、早く運ぶための道路整備といったものが必要だ。景観を損ねず、この豊かな自然を楽しむにはどうしたらいいのか……。
翌朝早く目が覚めたアルバンは、川を見て息をのんだ。まるで蒸気が上がっているかのように霧が発生していたのだ。朝日が昇るごと、空は霧で白く光っていく。やがて霧が少しずつ晴れ、ぼんやりとした中から、川魚の養殖場の網を止めている木の杭も姿を現し始める。
川の水の流れる音が響くなか、刻々と変化する風景に、アルバンは息をするのも忘れるほどだった。そして、思った。
この自然を変えてはならない、と。
「たくさんの人が一度に来るような場所ではなく、隠れ家的な感じがよいと思います。滞在客数を制限して、村の人たちも自分たちの生活を守りつつ、収入増につなげるようにします。観光客は村まで自分の馬車で来るのではなく、近隣の村に馬車をつないで、村の馬車で入ってもらいます。その際、村に入れる食材、村から持ってきた食材を、その馬車でも運べるようにするのです。客数を減らすことで、心のこもったおもてなしができるはずです……」
レルヒェ村開発のプレゼンテーションは、社の上層部には難色を示されたが、「隠れ家」「村人になる経験」「限られた客、特別な客」などのキーワードに、とりあえずやってみろと言ってもらえた。アルバンは何度もレルヒェ村に通い、村にとって無理のない範囲で、かつ富裕層を満足させられそうな空間づくり、おもてなしプランを村長たちと話し合った。
完成したこじんまりとした宿泊施設は、一日一組限定ながら、その内装、食事、含まれたツアーなど、特別で唯一のリゾートとなった。「田舎だからいい」そう評される場所となったのだ。
なかなか予約が取れない宿のはずだが、アルバンはここに月に一度は来ている。この風景を見ると、「その場所を一番輝かせるために、良いところを見る、生かす、そして村の人こそが幸せになれる道を探す」ことの重要性を思い出せる。
いつか、あのバターソースが重すぎて食べられなくなる日が来ても、レルヒェ村に来たい。
アルバンはそう思いながら、今日も川を見下ろすのだった。
朝ぼらけ(名詞)
宇治(名詞)の(格助詞)川霧(名詞)
たえだえに(形容動詞・ナリ活用連用形)
あらはれわたる(動詞・ラ四連体形)
瀬々(名詞)の(格助詞)網代木(名詞)
※~わたる=空間用法(一面に~する)例「霧わたる=一面に霧が立ち込める」
⇔時間用法(~し続ける)
明け方の周辺が少しずつ明るくなってくる時間帯、宇治川の川面に一面に広がる朝霧も気温の上昇と共に少しずつ薄らいできた。その霧が晴れてきた場所から、川瀬に打ち込まれた網代木が姿をみせていることだよ。




