12 『落窪物語』をアレンジ⑥
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「あなた、大事なお話があります」
翌日エンゲルベルトが帰宅すると、イフォンネはさも困った、という顔をして話しかけた。
「どうかしたのか」
「フーク(隅っこ)のことなんです」
「あれがどうかしたのか」
「実は、男がいるようなんです」
「は? あれはまだ成人させてもいないのに? だいたいどこで男と知り合うんだよ」
「それが……」
イフォンネ劇場の開演である。
「フークの侍女に、アレッタというのがいるでしょう? そのアレッタとお付き合いしていたデレクとか言う男を、フークがどうやら奪ったようなんです」
「どうしてそんあことが分かったんだ?」
「偶然ラブレターを手に入れたんです」
もちろん、そのラブレターが入っていた箱はリーセロットの所から強奪した物だとは言わない。
「あの子の筆跡で間違いありません。ただでさえ母親のいない子だからと目を掛けてやったというのに、侍女の男を奪ってしまうなんて、そんな心根の娘になってしまって……私、どうしたらいいのかもう分からなくて」
よよと泣き崩れるイフォンネを、エンゲルベルトは抱きしめた。
「すまない。前の陛下に頼まれて断り切れずにマルハレータ王女と結婚したことが全ての間違いだったんだ。イフォンネがあの子のことを気に掛けてくれていることはよく分かっている。それにしても、物は壊す、捨てる、かんしゃくを起こす、人の男を奪う。まったくとんでもない娘だ。そこそこに育ってくれたらどこかの地方領主か官僚あたりにでも嫁がせようと思っていたが、もうそんなきも失せたよ」
エンゲルベルトに抱きしめられ、嗚咽の声を漏らしながら、イフォンネが言う。
「私だって、あの子に恋を経験させてやりたかったわ。でも、もうだめなのね」
「ああ、すぐにどうでもいい奴に嫁がせよう」
「あなた、私に任せてくださる? 悪いようにはしないわ」
「イフォンネ、すぐにフークをここに呼べ。仕置きを言い渡さねば」
イフォンネは顔をハンカチで覆ったまま、エンゲルベルトの部屋から出た。ハンカチから上げた顔は、醜悪な笑みを浮かべている。
「フークをここへ。旦那様がお呼びよ」
「かしこまりました」
使用人たちに命じると、イフォンネは再びハンカチで顔を隠し、うっうっと嗚咽の声をあげながらエンゲルベルトの部屋に入った。
まもなく、リーセロットが引きずられるようにして連れてこられた。アレッタが丁寧に扱えと怒っている声が聞こえるが、使用人たちは容赦ない。
「お連れしました」
「ご苦労」
エンゲルベルトの部屋に放り込まれたリーセロットは、何事かと父の顔を見た。
「フーク。お前がここまでどうしようもない阿婆擦れだとは思わなかった。残念だ」
「あの、お父様、何のことでしょうか?」
「しらばっくれるな! 男がいるのだろう?」
レオポルドのことが露見したのかと青くなったリーセロットを見て、エンゲルベルトはイフォンネの言葉だ正しかったのだと信じ込んだ。
「お前は王族の血を引く貴族の娘なのだぞ? それなのに、どうでもいい男を部屋に引き入れているそうだな」
どうでもいい男?
リーセロットは、エンゲルベルトがリーセロットの相手をレオポルドではない男と思い込んでいると気づいた。レオポルドはそんな人ではないと言いたかったが、相手が四女の嫁ぎ先候補として上がっているレオポルドだということは憚られた。
「お前はすぐに嫁がせる。部屋では男が入り込む可能性があるから、相手が決まるまでは別棟に異動させる。監視を付けるから、逃げられはしないぞ」
「そんな!」
「自分の愚かさを呪うがいい」
リーセロットは有無を言わさずに別棟に放り込まれた。別棟などと呼ばれているが、ここは流行病にかかった時や懲罰の時に監禁するために建てられた、窓のない平屋の小さな小屋だ。出入り口1カ所だけが外界との接点ということになる。リーセロットはその小屋に閉じ込められ、外から鍵を掛けられた。父の帰宅後ということもあって、時間は既に夕刻だ。明かりもない中、リーセロットはただ呆然と床の上にへたり込んだ。
これからどうなるのだろう。父はすぐに嫁がせると言った。父かイフォンネにはその心当たりがあると言うことだ。もしそれがイフォンネの心当たりの人物だとすれば、相手はろくな人物ではない。
あのとき、レオポルドにつれて逃げて欲しいと言えば良かったと一瞬思ったが、それではレオポルドがリーセロットを誘拐したことになってしまう。アレッタがなんとかしてレオポルドに連絡を取ってくれているはずだ。手遅れにならないうちになんとかしなければと、リーセロットは立ち上がった。扉の外にいると思われる見張りに向かって、ドアをノックした。
「すみません。暗くて中の様子が全く分からないんです。明かりだけでいいので、いただけませんか?」
「知らん」
けんもほろろに拒否されたリーセロットは、仕方なく暗がりの中をゆっくりと壁伝いに歩いた。奥の方に扉が1つあるのが手に触れた。もう1部屋あるということだろう。
トントン、というノックの音に、リーセロットははい、と答えた。
「アレッタです」
明かりを持って入ってきたアレッタの目は赤く腫れていた。
「泣いたの?」
「当たり前じゃありませんか」
アレッタは食料、水、そして衣類を抱えていた。
「私は明かりだけお届けするようにと言われましたが、風邪などお召しになっては困りますので衣類もお持ちしました」
「ありがとう」
アレッタの声が小さくなった。
「助けを呼びました。あの方が必ず助けに来てくださいます。だから、気を強く持ってくださいませ」
「ええ、私はこんなところで、イフォンネの思い通りになんてならないわ」
アレッタが持ってきた明かりのおかげで、奥の部屋が寝室だということもわかった。寝具は整えられている。リーセロットの部屋の物よりも、むしろいいものだ。自分が使用人以下の扱いなのだということを再認識させられたリーセロットは悲しくなったが、今は泣いている場合ではない。
再び扉をノックする音が聞こえた。
「時間のようです。行きますね」
「アレッタ、あなたも気を付けて」
「何か分かれば、参ります」
アレッタが出て行くと、小屋の中がひっそりとした。冬の寒さがしんしんと足下から伝わってくる。アレッタが持ってきた衣類の中には、リーセロットが持っていないコートもあった。おそらくアレッタの私物なのだろう。リーセロットはコートを着込んでから、ベッドに入った。リーセロットの部屋のベッドより、よほど温かい。疲れ果てたリーセロットは、泥のように眠った。
・・・・・・・・・・
翌朝、イフォンネは別棟に行って意気消沈しているリーセロットに縫い物を命じた。そしてその足で修道院で製薬研究をしている、遠い親戚の男に逢いに行った。
「久しぶりだな、イフォンネ。元気にしていたか?」
未婚だが40才を超えたベンは、仕事は有能だが人格的に多少問題があった。端的に言えば、女性を追いかけ回してばかりいたのだ。ただ1人に定めるわけでもなく、女性とみればふらふらと寄っていって声を掛けていく、どうしようもない男だ。だから誰もが避けたし、娘を持つ親は絶対にベンを家に近づけなかった。たとえベンが調合する薬がどんなにいい物か知っていても、必ず父親や兄弟や男性使用人などが薬を受け取り、女性と接触させないようにした。
「イフォンネから会いに来るなんて、何かあったのか?」
今もじろじろと体をなめ回すように見るその視線に吐き気を催しつつ、だが、これであの娘の自尊心は再起不能になるだろうと思えばいい仕事だと割り切る。
「まだ奥様はいないの?」
「いるわけないだろう? 女性と話をしたのももう5年ぶりくらいさ」
「そうなの。実はね、ベンの奥さんになる娘を見つけたから、ベンを呼びに来たのよ」
「何だって! うれしいねえ、やはり持つべきものは、いい親戚だ」
にやりと笑うベンに、イフォンネは告げた。
「継子なんだけど、顔は悪くないわ。未確認だけど、もしかしたら他人の手がついているかも知れないけれど、それでもいい?」
「構わないよ。奥さんかあ、ああ、ついにこの日が来たんだなあ」
「でね、今晩、うちに来ることはできる?」
「もちろんさ!」
「夕方来てちょうだい。あの子は別棟に1人で閉じ込めてあるの」
「誰もいないのか。そうか、そうか」
ただただいやらしい顔つきをしているベンに、イフォンネは告げた。
「じゃ、頼んだわよ」
「おう、待っていてくれ」
イフォンネは馬車に乗ってから、香水を吹きかけまくった。薬草臭さがどうしてもとれない。きっと今晩、リーセロットもあの臭さに閉口することになるだろうと思うと、笑いがこみ上げてきた。
「ご機嫌ですね」
護衛に声を掛けられたイフォンネはふふ、と意味ありげに笑うだけだった。
・・・・・・・・・・
その夜、ベンはイフォンネとの約束通りに夕方やってきた。
「あそこの小屋よ。入り口の男たちには伝えてあるから、私が言ったとおりに言えば中に入れるわ」
「ありがとうイフォンネ」
ベンは小屋に近づくと、入り口で見張りをしている男たちに声を掛けた。
「イフォンネに言われて、中の娘の治療に来た」
「聞いています。どうぞ」
その時リーセロットは寝室に内側から鍵を掛けて考え事をしていた。突然、寝室のドアをノックする音が聞こえて、リーセロットは身を固くした。
「どなた?」
「薬師です。あなたの健康チェックをするようにと奥様に言われてきました。開けてもらえませんか?」
明らかに若くはないその声に、リーセロットは本能的に身の危険を感じた。鍵が閉まっていることを確認すると、なんとか声を絞り出した。
「健康状態に問題はありません。どうぞお帰りください」
「いや、そういうわけにはいかないのですよ。奥様からは、隅々まで健康チェックをするようにと仰せつかっていますのでね。それにしても、かわいらしい声だ。きっとあなたは美人なんだろうな。早く顔を見せてくれないか」
リーセロットは確信した。この男はイフォンネが送り込んできた男だ。部屋に踏み込まれたから間違いなくリーセロットはいいようにされてしまう。
「お断りします。お帰りください」
「だめだよ、ちゃんと奥様の言うことを聞かないと、ね?」
リーセロットの体中の肌が粟立った。レオポルドの顔が思い浮かんだ。扉を叩いたり、体当たりしているようで、ガンガンと大きな音が響く。このままではもうだめかも知れない、そう思った時。
「だめだ、この小屋は寒すぎる!」
突然男が訳の分からないことを叫びだした。
「トイレ! トイレはどこだよ!」
実はトイレはこの寝室の中にある。とにかくこの部屋から病人を出さないことだけを考えて作った部屋なのだということがよく分かる。男は「漏れる!」と騒ぎながら外に出て行ったようだ。
リーセロットは放心した。そしてまたあの男がやってくるのではと不安で、一睡もできなかった。何時間経っただろうか。窓のない部屋にいるので、朝になったかどうかも分からない。
「お嬢様、大丈夫ですか」
アレッタの声に、リーセロットの緊張の糸が切れた。リーセロットはアレッタの名を呼びながら寝室から飛び出した。
「怖かった! 誰か知らない人が来たの。あの人の指図だって……」
しゃくり上げるリーセロットの背をさすりながら、アレッタは昨晩えた情報をリーセロットに伝えた。
「あの男は修道院で薬剤師をしているベンという男だそうです。夫人の遠縁ですが、女性問題で未だに未婚であることに目を付けたようです」
「やはりあの男が……」
「はい。今日一日、耐えられますか? 夜の闇に紛れて助けに来るという連絡がありました」
「本当に?」
リーセロットの目がアレッタを見た。
「はい。ただ、ベンというあの男が今晩も来るかも知れませんし、昼間から来るかも知れません。ですから、寝室から出ず、鍵を掛けて、できるだけ扉の前に物を置きましょう」
アレッタは鍵を閉めてから椅子や机を寄せてくれた。
「私が出たら、ドアにくっつけるように。そう、押せばお嬢様でも動かせますから」
アレッタ、時間だ、と呼びかける声がした。
「夜、必ずお迎えに参ります」
「待っているわ」
大丈夫、レオポルドが夜、助けに来てくれる。
リーセロットは扉の鍵を閉めると、アレッタに言われたとおりに家具を動かした。そして、ベッドの中で息を殺して、時間が経つのを待った。
読んでくださってありがとうございました。
次回救出されますよ。
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