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お前は何も悪くないよ

『歩いている時が好きってなんなの!? 何わけわかんないこと言ってんの!? そういう時はお弁当を作ってくれている時のお母さんが好きとか、物語を読んで聞かせてくれる時のお母さんが好きとか言わないとダメでしょ! ああもう絶対変な家の子だと思われたじゃない! 次からお母さんどういう顔で先生に会えばいいの!?』



「人生で、初めて怒鳴られた瞬間でした……その時に思いました。あぁ、自分は母親に悪いことをしてしまったのだと」


 ――最低の親だな。


 どうしてそう言ったのか、理由も聞かず、頭ごなしに自分の理想を押し付け、子供が自分の脚本通りに動かないとヒステリーを起こす。まして、4歳の子供を恫喝するなんて論外だ。


 親への怒りと、真理愛への同情がないまぜになって、頭と胸の間を巡った。

理不尽な事柄が多すぎて、まず何から説明すればいいか俺が悩んでいると、真理愛は衝撃的な言葉を口にした。


「だから、だから普通を学ぶために、両親から言われたことをメモして、その通りに振る舞い、それでも両親の期待に応えられず、今でも恥をかかせてしまっています」


「っっ、まさか真理愛……今までずっと、親に言われるままに行動してきたのか?」

「はい。両親のいない場では他の人の意見を仰ぎ、できる限り、普通に振舞ってきましたが、私はどうにも要領が悪く」


 伏し目がちに自身を恥じる真理愛。


 彼女のいじらしい姿に、俺は合点がいった。


 ――そうか。全部、あの毒親のせいだったんだ。


 伊集院に騙された時に真理愛は、自分は人の言いなりになって騙されてしまうと己を恥じた。


 でも、それも全ては両親に原因があったのだ。


 彼女の両親は、幼い頃から真理愛に自分たちの理想を押し付けた。


 結果、真理愛は自分はダメな子だという先入観に囚われ、無条件で他人の言いなりになってしまう子になった。


 自分の価値観はおかしいから、両親の価値観が正しいから、両親の指示通りに動けば両親に恥をかかせずに済むと考えたからだ。


 なのに、それでもなお両親に恥をかかせてしまう。


 それで、普通を学ぶために両親どころか他人の言う事にいちいち従うようにすらなってしまった。


 それが、有馬真理愛という女の子の抱えた呪いだ。


 今すぐにでも母親を怒鳴りつけたい想いを我慢しながら、俺は目の前の真理愛の手を握った。


「真理愛。両親のことは好きか?」

「……はい」

「そっか。じゃあ、両親と一緒にいて、辛くないか?」

「……っ」


 返答に窮した真理愛は、瞳を震わせてから言い訳のような語調を返した。


「辛い、です。私が一緒に居ると、両親に恥をかかせてしまいます」

「なら、ここで一緒に暮らさないか? 俺のこと、好きでいてくれるんだろ?」


 一瞬、真理愛の唇が照れ笑うように反応したのを、俺は見逃さなかった。


 けれど、その表情はすぐに悲嘆で塗り潰されてしまった。


「いえ。私は両親と一緒でないと、普通がわかりません。両親の目の届かない場所で、きっと多くのを失敗を犯して、両親の名誉を傷つけてしまいます」

「そうか。でも真理愛、俺はお前と一緒に居て、お前の両親を意識したことなんて一度も無いぞ」

「え?」

「伊集院を捕まえたとき、俺が言ったこと覚えているか?」


 あの時の記憶を掘り返しながら、一言一句間違えず、彼女に語り掛けた。


「真理愛は誰のものでもない、真理愛は真理愛だけのものだ。やりたくないことはやらなくていいし、他人の言いなりになることもない。他人の期待に応えたいって気持ちは立派だと思うけど、本当にやりたくないことはしなくていいんだ。真理愛は、真理愛のやりたいように生きていいんだぞ」


「ハニー、さん」


 感極まるように、真理愛は俺の名を読んだ。


 俺の手の中で、彼女の手がぎゅっと硬く握られた。


「もちろん、親のことなんて気にするな。真理愛は親の子育てごっこの配役でも都合のいいお人形さんでもない。親とは独立した別の人格を持った、有馬真理愛っていう他人なんだから」


「ッッ」


 俺の言葉に、真理愛は強く目を閉じてから、うずくまるように背中を丸めた。


 床に視線を落としたまま、だけど俺に両手を委ねたまま、彼女は沈黙を続けた。


 きっと、戦っているんだろう。

 15年間、自分の中で積み上げてきた常識、人生観と。


 毒親を持った子供によくあることだ。

 虐待されているのに、それは自業自得で親は悪くないと思い込み、親の言いなりになりながら親元で親を支え続けようとする。


 究極の自己否定と他人への依存。

 そこから抜け出すのは、並大抵の胆力では成し得ない。


 これだけは真理愛が自分で答えを出さないといけない。


 だけど、それでも、たとえ傲慢と言われても、彼女を救い出したかった俺は、彼女の手を握る指に力を込めた。


 俺の想いが伝わるように、真理愛が一歩を踏み出す勇気を持てるように。


 けれど、ようやく彼女が絞り出した言葉は、俺が望むモノではなかった。


「……ありがとうございます。好きに生きていいと言われて、嬉しかったです。けど、もう遅いんです」


 彼女が顔をあげた途端、その目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「私は、もう自分の意思がないのです。人からものを聞かれると、まず最初に、この人はなんと答えて欲しいのだろうと考えてしまいます。何かを終えると、次は何をすればよいのだろうと、指示を待ってしまいます。もう、私は……」


 それは、まるで廃人の境地だった。

 本当はこうしたいけど、周囲に気遣って我慢するのではない。最初から意思がないのだ。


 だけど、それが嘘であることを、俺は知っている。


「そんなことないさ。だって真理愛は、伊集院からの求愛を断り続けていたじゃないか。それに、麻弥を膝に乗せてほっぺで遊んでいたし。確かに、真理愛はたいていの欲は失ったのかもしれない。だけど、完全になくなったわけじゃないし、どうしても譲れない一線だってあるじゃないか。これからは、それを大事にしていこうぜ」


 俺が歯を見せて笑うと、真理愛は大きく目を見開いた。


 それから、くしゃりと顔を歪ませて、赤く染めた頬に笑みを浮かべながら、大粒の涙をしたたらせた。


「ハニーさん!」


 まるで飛び込むような勢いで、真理愛は胸板に抱き着いてきた。


 涙塗れの顔を俺の胸板に押し付けて、何度も俺の名前を呼びながら、言っちゃわるいが、締め上げるような勢いで抱き寄せられる。


 15年分の寂しさを埋めるように甘えてくる真理愛の姿に、俺は嬉しさがこみあげてくる。


 自分は、真理愛を助けられた。彼女を、幸せにできた。


 その達成感が、強い実感を伴って、胸を満たしてくれた。


 けれどそれは一分も続かず、真理愛ははっと体を話した。


「どうしましょう。でも、きっとお母様とお父様は私を手放しません。同棲なんて、きっと許してくれません」

「うっ……」


 情けなくも、そっちはまだ考えていなかった。


 真理愛の引っ越しを、あの親がすんなりと認めるわけがない。


 ――義務教育を終えている以上、法律的には問題ないと思うけど。


 そう、俺が悩んだ矢先、無敵の笑顔が乱入してきた。


「だいじょうぶだよ真理愛。なんたってボクらのハニーは天下無双のテレポーターなんだから。ハニーのチートぶりを、見せつけてやろうよ」


 真理愛の肩に手を置きながら、自信たっぷりに言い切る桐葉。


 それで俺も合点がいった。


 超能力に目覚めて、まだ四か月のせいだろう。

 俺は、自分が超能力者であることを、よく忘れてしまうのだった。

 真理愛は珍しく、きょとんと不思議そうだった。

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