俺のヒロインが有能過ぎる
一時間後。
外もすっかり暗くなった夜の七時。
リビングの食卓テーブルと、ソファで囲んだテーブルには9人分の料理が並んでいた。
桐葉の蜂蜜を大匙一杯混ぜて炊いた、ふっくら米に、国産品のみを使用した味噌汁。ブラックバスの揚げ物、猪肉の生姜焼き、デザートにフルーツポンチ。
随分と風変りだけれど、今の日本では、それほどおかしなものではない。
「ほお、これはおいしいな。貴君らは女子力が高い」
早百合部長が褒めると、桐葉たちはちょっと得意げになった。
「美人で爆乳で料理が上手くてエロ可愛くて甘えん坊な彼女をゲッツしたハニーちゃん、どんな気分すか? ぶっちゃけこの世の全てを手にいれた気分じゃないすか?」
「お前は自重しろ」
「冷たくしちゃいやっす」
「食事中に抱き着くな胸を押し付けるな。それよりも早百合部長」
俺は冷たくあしらいつつ、早百合部長に尋ねた。
「金田総裁への時間稼ぎ工作はどうなっているんですか? 最近の国営放送を見ると、外国資本や在日外国人の人たちが日本から撤退しているニュースばかり流れていますけど」
早百合部長は、声を硬くした。
「そちらは問題ない。美稲の狙い通りだ。金田総裁は欧米諸国にアプローチをしているが、どこも日本の国債は買わないとしている」
「さっすがミイナちゃんっす♪」
「美稲、すごいなぁ」
詩冴と舞恋は賞賛するも、肝心の美稲には表情がなかった。
それはきっと、早百合の部長の声が硬かったせいだろう。
「早百合部長。【そちらは問題ない】、ということは、他に問題が起きた、ということですか?」
「うむ」
短く答えて首肯した。
「確かに、時間稼ぎには成功した。だが、肝心の総裁下ろしが上手くいかないのだ」
俺は尋ねた。
「どうしてですか? だって、今の与党は議席の過半数を取っていますよね?」
「弱味を握られている」
嫌な単語に、俺は言葉を飲み込んだ。
「金田康則は、別名金田法皇と呼ばれるほどの権力の持ち主だ。日銀はおろか、日本中の銀行に、奴の息のかかった連中が蔓延っている。日本の金融業界は奴が取り仕切っていると言ってもよい。それだけに、金に困った政治家の多くは、金田康則の世話になっている。それは、現与党議員も例外ではない」
「つまり、今、国会に金田の不信任案を出しても、通らないということですね」
「そうだ。それに、与党は衆議院では議席の過半数を取っているが、参議院では過半数を取ってはいない。いわゆる、ねじれ国会だ」
「っ、そういえば、総裁人事は衆参両方で過半数を取る必要があるんでしたっけ?」
「あの、総裁人事は【衆議院の優越】は適応されないんですか?」
美稲が口にした単語を聞いて、俺は桐葉に助けを求めた。
「確か前に習ったけど、どういうのだっけ?」
「日本国憲法第61条だね。衆議院を通過すれば、参議院で否決されても30日後には衆議院の議決が国会の議決になるんだよ。けど……」
桐葉が、ビジネスマンのように冷徹な視線を向けると、早百合部長も緊張感のある声を返した。
「それは政策や法案の話だ。日銀人事は含まれん。仮に含まれても、議決が通るのは30日後。その間に、金田康則が国債を売る相手を見つけないとも限らん」
「こうなったら、シサエが空気中の全細菌を操って死なせないまでも病院送りに」
詩冴が、暗殺を企む悪の参謀のように重い口調で言った。
「いや、そうなれば金田康則の息がかかった奴が新総裁に就くだけだ」
――暗殺を止めろよ!
「ならあのボンレスメガネ一派全員を病院送りにするまでっす!」
「流石に警察が動く。今、貴君を失うわけにはいかない」
――バレなきゃいいのか!?
この人についていっていいのか、一抹の不安が頭をよぎった。
「ていうか、今更だけどそんなことできるなら、詩冴って患者のウィルスを操って治療したりできないのか?」
「へ? ウィルスは生き物じゃないから操れないっすよ?」
「え?」
「へ?」
俺と詩冴は、互いに見つめ合ったまま、まばたきをした。
「ハニー、ウィルスは遺伝子は持っているけど細胞を持っていないから、生物じゃないんだ。似たようなので、タンパク質で構成されているけど遺伝子を持っていないプリオンてのもいるよ」
「そうなのか……なんか最近、桐葉に教えてもらってばかりだな……」
彼氏として、ちょっと恥ずかしい。
将来、俺らの間に子供が生まれたとき、バカだったら100パーセント俺のせいだろう。
「ハニーって自分より車に詳しい彼女は嫌いなタイプ?」
「いや、そんなことないけど……」
「じゃあ、問題ないよね?」
言って、桐葉は冷たい表情のまま、だけど少しだけ緊張感の抜けた声で俺の肩を抱いてきた。
本当に、出来過ぎた彼女である。
「あの、早百合部長」
新たに声を上げたのは、舞恋だった。
「確認なんですけど、美稲が作った金塊を、欧米に売って外貨を稼ぐことはできないんですよね?」
「そうだ。国内の都市鉱山から全ての黄金を回収しても1600兆円には遠く及ばないし、国内で工業用に使う分がなくなる」
「なら、日銀で換金とかは……」
「それでも同じだ。それに、数千トン分の黄金を手にすれば、日銀はさらに影響力を高めることになってしまう」
「そうですか……」
舞恋は、残念そうに肩を落とした。
「いや、貴君らが気にすることではない。これは、完全に政治家たちの仕事だ。貴君らはいつも通り、仕事に邁進してくれれば十分だ。気遣わせてしまって悪かったな。私は大人失格だ」
「そんなことありませんよ。少なくとも、うちの小中の教師たちよりも早百合部長のほうが遥かに人徳がありますから」
「比較対象が教師では褒められている気がしないな」
と、口では言いつつ、早百合部長は嬉しそうに笑ってくれた。
それからの食事は和やかに進んだ。
そうして、これ以上一緒に居ると話が進んで宿題ができないからと、今日は勉強会をせず、みんなは帰ることになった。
真理愛、麻弥、舞恋、茉美をテレポートで家に帰してから、俺は早百合部長も家にテレポートさせようとする。
「じゃあ早百合部長も」
「いや、私はこのマンションに住んでいるからな、歩いて帰れる」
「え!? ここに住んでいたんですか!?」
今更知った事実に、俺は素っ頓狂な声を上げた。
「貴君は私が高級官僚であることを忘れていないか? とは言っても、引っ越してきたのは異能部の部長に就任してからだがな。では、今日の宿題は今日中に――」
早百合部長がそこまで話した時、壁に展開していたMRテレビがニュースを流した。
『先程、日銀総裁、金田康則氏と、PAU中央銀行総裁によるリモート協議が終了致しました。PAU東南アジア連合の新通貨単位はアージに決まり、1アージ、10円の交換レートとなりました』
「これってどうなんですか?」
「妥当、ではあるな。財政破綻前の日本の為替レートは、1円が1セントだった。1ドル1ユーロが100円だ。今は財政破綻して日本円の価値が10分の1になったため、10倍の10円払わないと1セントと交換して貰えない」
「10円で1アージってことは、PAUの通貨はアメリカドルやEUユーロ並の価値ってことですか?」
早百合部長は頷いた。
「そうだ。東南アジアはいずれも発展途上国だが、1つになれば、人口は5億人、GDPもイギリスやフランス並だからな。PAUは将来、新たな先進国となるやもしれん」
「けどサユリちゃん、東南アジア連合だから通貨がアージってまんまじゃないっすか♪」
「ヨーロッパ連合の通貨がユーロだから同レベルだと思うけどな……」
お腹を抱えて笑う詩冴に、俺はげんなりとツッコんだ。
「「ん?」」
不意に、桐葉と美稲が空中に指を走らせた。
MRウィンドウを展開して、何かを検索する。
桐葉が、愉悦を含んだ声を上げた。
「ビンゴ。金相場は1グラム1万アージ」
「1アージ10円だから、1万アージは10万円だよ」
二人の視線がかち合った。
「超能力者の管理がずさんな東南アジアなら、美稲の金塊を大量に輸出しても、サイコメトリーされるまで時間がかかる!」
「それに、都市鉱山の埋蔵量金1万トンまでは疑われない。金1万トンは100兆アージで日本円なら1000兆円! 黄金を日銀じゃなくてPAUに渡せば、日銀が力をつけることもない」
「それでも1600兆円には足りないけど、早百合部長、このことをニュースに訴えて、1000兆円分返すから残り600兆円は高額医療で稼ぐから、国債を海外に売るのを待ってくれって言ったら、総裁も待たざるを得ないんじゃない?」
「東南アジアにも、病気の大富豪はいるからね。それに、都市鉱山全部売って1000兆円作るって言っているのに断ったら、金田法皇だって外聞が悪いんじゃない?」
桐葉と美稲が一気にまくしたてると、早百合部長は喉を唸らせた。
「貴君ら、私の秘書にならないか?」
早百合部長の口元には、勝利の笑みが浮かんでいた。
俺も、二人の頼もしさに舌を巻いてしまった。




