第十八章 それぞれの未来
四十八時間後、ゼニスが予測した通りの複合的な天災が始まった。
沿岸部での地震、それに伴う送電網の瞬断、交通網の麻痺。
しかし、混乱の地獄は訪れなかった。
国家が独占し、極秘裏に処理しようとしていた予測データは、すでに公開データとして全国の自治体、医療機関、そして市民へと開かれていた。
「道路が塞がる前に、こちらの避難ルートへ迂回してください!」
「医療物資は第七埠頭の備蓄倉庫から各病院へ分散搬送されています!」
政府の密室による選択ではなく、情報を与えられた人々が、現場で自らの意思で判断し、助け合った。行政の遅れを待たず、市民同士が声を掛け合い、互いの無事を確認する。
被害は、想定の数千分の一という最小限に抑えられた。
未来戦略室は解体された。
御厨圭介は、非常時における違法な人権侵害と職権乱用の罪で検察に身を委ねた。彼は取り調べに対し、一切の弁明をせず、静かに全責任を受け入れたという。
もちろん、天災はなくならない。停電した地区では救急車が遅れ、海沿いの町では避難をめぐる言い争いも起きた。
それでも被害が抑えられたのは、ゼニスが命じたからではない。公開された情報を読み、現場の人間がそれぞれの事情で判断し、互いの判断を支え合ったからだった。
そして。
どこかの町でも、朝が来ていた。
少年が毎朝置いていた小さな名札を、母親の指がはじめて自分でつかんだ。
「……行ってらっしゃい、じゃなくて」
母は掠れた声で、名札の文字をなぞった。
「お帰り、だね」
少年は声も出せず、ただ何度も頷いた。
海沿いの療養施設。
差し込む朝の光の中で、雨宮颯太はゆっくりと目を開けた。
かたわらには、手首に少し傷跡を残した澪が座っていた。机の上には、コンビニのプリンが二つ並んでいる。
「……遅いよ、お兄ちゃん」
泣き笑いの澪の声に、颯太は眉間をかすかに寄せ、乾いた声で言った。
「……プリン、食べさせてくれないか」
同じ朝。病室の窓辺。
床を横切る光の長方形が、ベッドの上の頬を照らす。
音央は、ずっとその手を握っていた。
骨ばった指先。ぬくもり。
モニターの音が、規則正しく穏やかなリズムを刻んでいる。
やがて、長い睫毛が震えた。
ゆっくりと開かれた瞳が、朝の光を映し、隣に立つ音央の姿を捉える。
「……音央」
「光」
「長い夢を見ていた気がする」
光の唇が、小さく笑みを形作った。
「ただいま」
「おかえり、光」
音央の目から落ちた一滴が、重ねた手に零れ落ちた。
帰還した患者の全員が、以前と同じではなかった。
眠っていた期間の記憶を持つ者も、持たない者もいる。
光は長いリハビリが必要で、颯太は時々、言葉を探すために黙り込む。
それでも彼らには、自分の目覚めで朝を迎える時間が戻ってきた。
彼らの目覚めを一方的に奪うシステムは、もうどこにもなかった。




