エレン・ヴァイス伯爵令嬢
山のような招待状の中で、リリアの指が止まった一通。
それは他の令嬢たちの、香り付きで宝石のような装飾が施されたものとは対照的な、控えめながらも温かみを感じさせる封筒だった。
差出人の名前を目にした瞬間、リリアの胸が小さく跳ねた。
「エレン・ヴァイス伯爵令嬢・・・」
それは、リリアがまだ女神の力に目覚める前。
惨めで辛かった時に手を差し伸ばしてくれた、恩人の名前だった。
二人の出会いは、数年前のデビュタントの夜までさかのぼる。
当時リリアは、伯爵令息とのダンスの最中に派手に転倒してしまった。
会場に響く失笑と、ダンスの相手だった令息の蔑んだような視線。
恥ずかしさに耐えきれなくなったリリアは、逃げ出すように王宮の中庭へと向かった。
噴水の陰で一人、擦りむいた膝の痛みと情けなさに涙をこぼしていた時。
「大丈夫ですか?」
と、柔らかい声で話しかけてくれたのが、エレンだった。
彼女はリリアの隣に腰を下ろすと、嫌な顔一つせず自分のハンカチを差し出し、泥と血で汚れたリリアの膝を優しく拭ってくれた。
「誰だって転ぶことはありますよ。ほら、涙を拭いてください。一度きりのデビュタントを楽しみましょう?」
笑顔でそう励ましてくれたエレンに、リリアはどれほど救われたことだろう。
その後、リリアはお礼として新しいハンカチを贈った。
何度か手紙のやり取りは交わしたものの、家格の違いもあり、深く親交を結ぶまでには至らなかった。
それ以来の、突然の誘いだった。
そんな彼女からの「お茶をしませんか」という誘いを、リリアが断るはずもない。
指定されていたのは、明日の日付である。
急な誘いではあったが、場所は王都で人気のカフェだった。
リリアはアルフレッドに相談し、彼の信頼する騎士たちを伴って約束の場所へ向かった。
カフェの周囲には、リリアが未だに知らない影たちが目を光らせ、入り口には屈強な騎士が二人控えている。
あまりの物々しさに、居合わせた客たちが息を呑む中、エレンだけは以前と変わらない人懐っこい笑顔でリリアを迎えてくれた。
「リリア様。お久しぶりですね」
「お久しぶりです、お元気でしたか?今日は誘ってくださりありがとうございます!」
席に着くと、エレンは物怖じすることなく、物々しい騎士たちをちらりと見て話し始めた。
「すごいですわね、本当に王家直属の騎士様たちが守ってくれているのですね! あなたが魔法を使えると聞いたときは本当に驚いたけれど・・・魔法が使えるなんて、羨ましいですわ!」
エレンの言葉には、他の令嬢が向けてくるような嫉妬や媚びは感じられなかった。
深く聞かれるかもと身構えていた魔法のことについても、彼女は深追いせず、話題はすぐに人気のスイーツや恋愛小説の話へと移っていった。
「リリア様は、あのアルフレッド殿下とご結婚なさるんでしょう? おめでとうございます。・・・でもご結婚されたらしばらくこうしてお茶することもできなくなると思うと、少し寂しいですわ。」
エレンは寂しげに目を伏せた。
「・・・そんなこと言わず、またぜひご一緒してくれると嬉しいですわ」
リリアは微笑んで返したが、胸の奥には何とも言えない違和感を感じていた。
(一応まだ正式には発表されていないのだけど・・・それになんだか引っかかるわ)
この時のリリアはまだ知らなかった。
エレンの瞳が捉えているのは、目の前の自分ではなく全く別の誰かであることを。




