5.記憶と雨はいずこ
「うぅ〜む」
翌日。
ジャンヌは朝から再度図書館を訪れ、テローに関する本を漁ったが
「ない、な」
午前を丸々潰し、昼食は5分で済ませて13時に至っても、
『金色の雨』
という文字列を発見することはできなかった。
『雨』や『金』が個別に出てきた場合も必死に周辺を訳してみたが、
「……『金色の雨』なんてものは、存在しないのでは?」
成果は上がらない。
内陸海性気候と東の果てにある黄金の国伝説に詳しくなっただけである。
「“あの人、昨日からずっと金の話だわ”」
「“金採掘の実業家とかか?”」
「“テローで金が採れるなんて話、聞いたことないわよ?”」
「『金』?」
「ノーノーノーノー!」
同じ語ばかり読みすぎて、男女の司書の雑談にも耳敏くなっている。
向こうもジャンヌの独り言か、はたまた訛りで察したらしい。
ジロリとこちらを見た彼女を、王国語で拒絶する。
そこをあえて『金の在り処を吐け!』とガン詰めしてもいいのだが(これでは金採掘の実業家ではなくギャングである)。
「うぅ〜ん……!」
ジャンヌは読んでいた本を閉じ、伸びを一つ。
椅子から立ち上がり、
「“こっ、こっちに来たわ!”」
「“奴隷みたいな労働条件の炭鉱夫にされるっ!?”」
「『返却』」
「“へっ?”」
「“返却?”」
本を司書に渡すと、図書館をあとにする。
玄関を出ると眩しい日光が降り注ぎ、ジャンヌは思わず目を細める。
内陸海は他の海洋性気候と違い、夏は雲が少ないらしい。
先ほど読んだ資料にそう書いてあった。
彼女は手で影を作り、懐中時計の蓋を開ける。
なぜ成果のないまま図書館を出たのか。
それは、
「1時間あれば、迷子になっても間に合うでしょう」
予定があるからである。
「手土産は、途中で買えばいいか」
それも人に会う類いの。
今日はジャケットもスカーフも最初からホテルに置いてきてしまっている。
一瞬取りに帰ろうかと考えたジャンヌだが、
「ま、いいか」
そのまま目的地へ向かって歩き出した。
なんたって手袋はしているし。
ちなみに手土産を現地調達するのは、王国物産が基本
『まずい』
と不評だからである。
紅茶でいいと思うのだが。
ジャンヌが訪れたのは、オレンジの壁が明るい一軒家。
ドアノッカーを叩くとすぐに
『“はーい!”』
女性の声で返事がくる。
そのまま1分と待たされることはなくドアが開く。
現れたのは40代ほどの女性。
「こちら、デ・ルシアさんのお宅で間違いありませんか?」
「えぇ」
「『ケンジントン人材派遣事務所』から参りました。ジャンヌ=ピエール・メッセンジャーと申します」
ジャンヌが軽くお辞儀をして顔を上げると、
「ようこそ、いらっしゃい」
彼女は流暢な王国語で微笑んだ。
彼女はマリア・デ・ルシア。
ティナ・デ・ルシア
フィルの『彼女』の母である。
「話はフィリーくんから聞いています」
ジャンヌを客間へ通した彼女は、コーヒーの入ったマグをテーブルに置く。
「お気遣いなく」
「まぁまぁ、私も飲みますし」
マリアはソファから立ちあがろうとするジャンヌを制し、向かいに座る。
さすが王国に住んでいただけあって、会話に支障がない。
最初から通訳を頼めていればもっとスムーズだったかもしれない。
しかし、
「本日ははるばる、ティナのことでお越しになったんですってね」
「はい。ご家族さまにはお辛い思いをさせてしまうかもしれませんが……」
亡くなった娘の件なのだ。
しかも言ってしまえば
『元カレが結婚に際して踏ん切りを付けたがっているから』
という話。
失礼極まりないし、協力を仰ぐのは必要最小限にするべきである。
だが、
「いいえ、少しでも多くの人がティナのこと覚えていてくださるなら。知ろうと思ってくださるなら。それは幸せなことでしょう」
マリアは優しい。
娘の人柄も想像できるほどに優しい。
「それで、娘の部屋へ案内すればよろしいのよね?」
「はい。そうしていただければ、あとは私が」
「早い方がよろしいかしら。いや、でもコーヒーが冷めてしまうし」
「私は勝手に済ませますので、奥さまはコーヒーを飲んでいらしてください。目を離しても泥棒はしないのでご安心を」
「あらやだ」
一時期王国にいた一家だが、南半島王国にいたころは3世帯住宅だったそうで。
親子がいないあいだも祖父母が住み続けており、家はそのままなのだとか。
よって他人の手に渡ることもなく、
こうしてティナが幼少期を過ごした部屋にも入れるというわけである。
「ではこちらへ」
ジャンヌはマリアの案内で2階へ。
その日当たりのいい南向きの一室が、例の部屋であった。
今はもう物置きと化しており、子ども用ベッドしか面影を残してはいないが。
「それではごゆっくり」
マリアは1階へと戻っていく。
一人になったジャンヌは手袋を外し、
なんとなく、窓辺に手を触れ外を見てみた。
今日は相変わらずよく晴れているが、
きっと少女もこうして、金色の雨を見ていたのではないかと思ったから。
結論からいうと、そんなことなかった。
「……」
ティナらしき少女が金色の雨を眺める姿などはなく、
気付けば現実の空がオレンジ色に。
夏で夕暮れなのだ。時間はそれなりに遅いだろう。
ホテルの門限や夕食の予定はないが、長居は家主に迷惑だろう。
「それではお邪魔しました」
「またいらっしゃいます? フィリーくんの話も聞きたいわ」
「えぇ、おそらくまた来る必要があると思います」
ジャンヌはマリアに玄関まで見送られて、デ・ルシア家をあとにした。
「さて、どうしたものか」
ジャンヌはあごに手を当て、ストリートを歩いている。
世間はもう夕食の時間。
露店が出ていたのとは違う通りだが、ここは飲食店が並んで賑わっている。
彼女もホテルで夕食が出ないプランのため、食べ物を求めてきたわけだが
「やはり、意識が朦朧とした結果のうわ言、と言うのが妥当か?」
別の考え事で頭がいっぱい。
食べたいものが思い付かず、柑橘系のミックスジュースだけを手に持っている。
「うぅ〜む」
この日何度目かの唸りを溢していると、
「おや」
気が付けばジャンヌは広間に来ていた。
なるほど、ここがメインストリートたる所以だろう。
もうすぐ日が暮れそうな時間にも関わらず、人で賑わう空間を眺めつつ、
「……もしかしたら、あるかもね」
ジャンヌはポツリとつぶやいた。




