2.『メッセンジャー』はトレーナーをする その2
「悩み」
ジャンヌが相槌を打つも。
自身が話題に上がってもガイモンは特に何も言わない。
なるほど悩みがありそうである。
なのでまだまだ、トムソンが話を進める。
「お嬢ちゃんはさっきのコイツを見てどう思った?」
「いや、大きいなぁ、と」
「……」
「……」
「……明らかに、動きにキレがなかった」
「あ、そうなんですね」
彼は一度視線をガイモンへ向ける。
「ウエイトも安定してるし肌ツヤもいい。調整失敗じゃあねぇ。年齢も34、ベテランの域だがまだやれる。
スバリ、集中できてねぇのよ」
「なるほど」
「だからなんか気掛かりとかがあるんだろうが」
トムソンは俯き加減の彼の背中をポンポン叩く。
「『そんなもんはない』っつって、何も話しちゃくれねぇ。んなわけねぇのはバレバレだってのによ」
「む」
対するガイモンのリアクションは、否定とも肯定とも取れないうめきだけだった。
「な、頼むよ」
「それはよろしいのですが」
ジャンヌはここでガイモンの方へ目を向け、顔を覗き込む。
最初は視線が合わなかったが、様子に気付いた彼の方も顔を上げる。
そこでようやく彼女は続きを話す。
「まずガイモンさん。あなた、悩みは話さないけれど、『メッセンジャー』が来ることには同意した。そういう認識でかまいませんね?」
「あぁ」
「信じていないから安請け合いなさったのかもしれません。しかし今ミスタートムソンでご覧になったように、読心は事実です」
「わざわざ目の前でペテンする必要はねぇわな」
「そのうえで、『ならやっぱり帰ってくれ』とおっしゃるのであれば。私は人権的観点からここで引き上げることも可能です」
優しい配慮なのか事務的なミランダ警告なのかは分からない。
だがジャンヌが言い含めるようゆっくり話すと、彼は素直に首を左右へ。
「いや、それはかまわない」
「じゃあ話してくれよぉ〜。そしたらお嬢ちゃんにご足労願うこともなかったんだぜ?」
またもトムソンが背中を叩くが、ジャンヌは右手を挙げて制する。
「いえミスター。『何が心にのし掛かっているのか本人も分からない』これは存外よくあることなのです」
「あら、そうなの」
「そうなの」
彼女は軽く頷くと、素肌の右手をガイモンへ差し出す。
「無自覚でも言語化しにくいものでも、私がリストアップします。こういうのは意外と、書き出してみるだけでスッとしたりするものですよ」
それから優しく微笑みかけると、
「そうだな。ボクシングも課題の具体化と分析が成長のカギだ。よろしく頼む」
彼も素直に笑ってその手を取った。
「うわ大きい」
「1億円の手だぜ」
「私の周りはモヤシ男ばかりでして」
と、和やかに始まった読心だったが。
「むぅぅ〜〜〜んん」
今ジャンヌの眉間にはシワが寄っている。
彼女は5分ほど握っていた手を放すと、目を閉じたまま腕を組む。
「お嬢ちゃん?」
「なんか、そんなにマズいのか?」
「ちょっとお待ちください」
不安になる二人を、右手を挙げて落ち着かせるも、
シワはそのまま口は真一文字、目は閉じたまま。
数秒そうしていたかと思うと、おもむろにメモ帳を取り出しペンを走らせる。
それにまた数分掛けると、
「っ、すぅー」
なんだかよく分からない呼吸を挟み、背筋を伸ばす。
最後にメモ帳をひっくり返し、対面側が読めるようにしてテーブルに置くと
「悩みが……」
「えっ」
「悩みが多すぎます!!」
「「ええーっ!?」」
それを相手の方へスライドさせる。
思わず二人が覗き込むと、そこに列挙されているのは
「よろしいですか?
・娘が通うスクールでイジメが発生しているらしく、巻き込まれないか不安
・故郷の母が『腰が痛い』と言っており体調も不安
・実は近く、羊牧場を始めたいと思っている。目を付けている土地があるのだが、
多忙で現地に行けていない。
向こうのオーナーからは『早く決めないと他に買い手が付く』と急かされている
・妻が『引っ越したい』と言っているが、候補が全部地味にジムから遠い
・治療した虫歯が気になる
・最近卵高くない?
などなど! チャンピオン、意外に所帯染みてる……じゃなくて!
なんか細かい悩みが多いんです! 繊細か!」
「繊細だぜ……オレたち黒人のブルースのように……」
「オーマガー!」
これにはトムソンも目元を抑え、天を仰ぐ。
「オーマガーサンディ! おまえは朝の目玉焼きをいくつ食いたいかで世界を手放すのか!? しっかりしろ!」
「そうですよ! あなたの稼ぎならクモの顔面みたいなのが焼き放題でしょうが! 今回の対戦相手だってタンパク質補給にゆで卵6つくらい丸呑みしてきますよ!」
「でもウチのが家計簿付けるときに機嫌悪くなるんだよ!」
ジャンヌまでヒートアップするも、世界チャンピオンだろうが男は妻に勝てない。
「なんてこったい! どうするんだお嬢ちゃん!?」
椅子から立ち上がり、両手を広げるトムソンに対し
「こうなったらもう!」
ジャンヌも勢いよく立ち上がる。
ボクサーたちの熱気と勢いに当てられたか。
彼女はらしくもなく、握り拳を作って声を張り上げる。
「ひとつひとつしらみ潰しに解決します!!」
それからジャンヌの凄まじい戦いが始まった。
まずガイモンの母と連絡を取り、
「ぜひ息子さんの防衛戦を見に来てください! あなたが元気な姿を見せるのです! 『電話口で声を聞かせる』!? ダメです! 来られることが元気の証明! 姿を見るまでは安心できない!」
次にツテを悪用しスクールにも乗り込み、
「行けっ! ボロー警部!」
「イジメっ子どもは暴行恐喝窃盗侮辱その他諸々で逮捕だぁ!」
それから農場予定地も見に行った。
「どうですか伯爵」
「どうですか私が呼んだ羊農家歴40年ベルナールさん」
「これは実によろしい。私に農場拡大の予定があれば、横取りしたいくらいですな」
「イエスッ!」
ガイモン家にお伺いしたし、
「奥さま! こちらの物件ですと、他の候補よりジムにも娘さんのスクールにも近い! 実はまだ売りに出されていないのですが、近くに空く予定がありまして! 今なら私のツテで予約できます!」
「でもぉ」
「日当たり良好! 近所のスーパーが卵安い!」
「乗ったわ!」
凧糸も用意した。
「もう気になるなら虫歯抜きましょう!」
「ま、待ってくれ! そしたらマウスピースも新調しねぇと!」
こうした彼女の活躍により……
依頼が始まって1週間後。
「ジャーンヌ。それでどうしてチャンピオンが電撃引退になるんだい」
「あらゆるノイズを取り除いたら、
『単純にモチベが限界』と気付いてしまったそうです」
「まさかそこから目を逸らすために作った悩みとはねぇ」
引退後は羊農場を経営するとのことである。




