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6.伝達者

 季節はもう完全に冬である。

 換気のために必要とは分かっていても、窓を開けたくない。


 そんなわけで、タシュが閉め切った部屋で東洋土産の()()()を着込んでいると、


 ダンダンダンダン! と階段を踏み締める音が近付いてくる。

 一分一秒でもこのクソ寒い屋外に身を置くことが許せない、といった様子。


 その勢いは途切れることなく、

 バンッ! と2階のドアが開かれる。


「おはようジャンヌ」

「おはようございます」


 現れた女性はあいさつも反射的。

 タシュには一瞥もしないまま、窓の方へズンズン近付き、開け放つ。


「うわぁ! やめておくれよ!」

「ただでさえ空気が澱んでいる事務所なんですから、我慢なさい。暖炉の一酸化炭素中毒で死にますよ」

「そのまえに公爵夫人のシチーになっちゃう」

「コートでも着込みなさい」

「君が今着ているヤツが僕のなんだよ」

「こんな安物、あってもなくても大差ないですよ」

「僕のなんだぞ!」


 朝から口の悪さだけは温まっているジャンヌだが。

 室内に入ってもそのコートを脱ぐ気配はない。


「そこまで言うなら返しておくれよ」

「今からまた出掛けますので」

「え、そんな早くからの依頼入ってたっけ?」


 タシュはカレンダーを確認するが、ジャンヌは首を左右へ。


「いえ、()()()()と言いますか」

「あー」


 彼は『なるほどね』と小さく頷く。



 ジャンヌがこういうときは大抵、依頼のアフターケアである。


 彼女の仕事は『何か読み取って伝える』で終わることが多い。

 よって『伝えた結果どうなったか』までは含まれないし、知ることも少ない。

 絶大なクレームでもなければ、顧客もわざわざその後を連絡してこない。


 一方で心理を扱うだけあって、『その後』に影響自体はしやすい。

 なので依頼によって、時間があればではあるが


 ジャンヌは『その後』を確認しに行くことがある。

 それがアフターケア。


 別段善意とかではない。

 ただ自分が気になるから、寝るまえに脳内を侵略してこないようにするためである。

 もちろん依頼や契約に含まれていることでもない。


 なので『半分私用』。

 仕事の流れではあるが仕事ではないし、動機も個人的な事情だから。



 それを察したタシュは


「じゃあ僕もついてこうかな」


 どてらを脱ぎつつ、椅子から立ち上がる。


「なぜですか。私は私用だからおまえは仕事をしろ」

「いいじゃないのさ。デートしようよデート。僕もコートを買いたいし」

「返します」

「じゃあ君のコートを買いに行こう。経費で落としてあげるよ? 長くなったらお昼も奢ろう」

「ふん」


 ジャンヌはお金とカロリーの誘惑に弱い。

 これを持ち出せば、屈辱を感じつつも膝を折ることを彼はよく知っている。



 そして、こんな仕事をするには繊細すぎる一面があることも知っている。



 彼女がいかに完璧な始末を着けたとて、『その後』が全てうまく行くとはかぎらない。

 ときには知らなければよかったと思わされる結果もあるだろう。


 そこに一人で直面させないこと。

 それが読心もできない自身にできる、所長としての数少ないサポート。

 そのことも痛いほど知っているから。






 しかしまずはジャンヌの用事から。

 タシュも最初はどの案件のアフターケアか分からない。


 しかし目的地へ近付いていくにつれて

 そこがマシューのアパートであることを理解する。


 ジャンヌはその前まで来ると、建物には入らず街灯に背を預ける。

 それからポケットに手を突っ込み、彼の部屋のベランダあたりを見上げる。


 タシュも


『乗り込まないのかい?」


 とか余計なことは言わない。

 あくまで私的なアフターケア、相手と鉢合わせない方がいいこともある。

 また彼女曰く、


『家を外から見るだけでも、多少住人の深刻度は分かる』


 とのことらしい。


 コートの背中が汚れることに関しては……

 やはり自分用に新しいのを買うことにする。



 確か時間帯によってカーテンが閉まってるとどうとか言ってたな



 彼も暇なのでベランダへ目を向けていると、


「あ」


 不意に、抜けた声が耳に届く。


 それは聴き慣れたジャンヌの声であり、

 覚えがあるようなないような男の声ともハモっていた。


 視線を下ろすと、そこに声の主であろう人物が立っている。


「あんたは、『メッセンジャー』さん」


『その後』を窺いに来た、マシューその人である。


「ご無沙汰しております」


 ジャンヌは軽く会釈をする。

 本来ならこのまま


『いや、たまたま通り掛かりましてね』


 的な態度をとって、そそくさと立ち去るのだが。


「あの節はどうも」

「いえいえ、ご依頼とはいえ差し出がましいことでした」


 わざわざ彼に近寄り、


「どうか、よい選択を」


 相手の手を握る。


 その際、ポケットに手を突っ込んでいるあいだにだろうか

 手袋が外されていることをタシュは見逃さなかった。


 そのやりとりも1分とかからない。

 やがてジャンヌが手を放すと、


「それじゃオレはこれで。またどっかでお会いしましょう」

「いえ。その必要はない方が、お互いのためでしょう」


 マシューは手を振り、ジャンヌたちが来たのとは逆方向へ歩いていった。


「一応爽やかそうではあったけどね?」


 彼が見えなくなってから、ようやくタシュが口を開く。


「えぇ」


 彼女は頷きもせず、短く返すに留めた。











 その翌朝である。


「ジャ、ジャンヌ! 大変だ!」

「どうかしましたか」


『ウォースパイト通り』。

 結局タシュのコートを着ているジャンヌが、事務所の前までやってくると


 そこにはパジャマ姿のまま、新聞片手に往来へ飛び出しているタシュがいた。

 というよりはパジャマのまま郵便を取りに来て、そのまま固まっていたのだろう。


 いつもは室内へ戻ってから新聞を開く男である。

 そんな彼でもなんとなく目に入るのは、一面しかない。


 タシュはそれを彼女へ突き出す。



「『12年まえの少女暴行殺人事件犯人、出所直後に銃撃される』!!



『実行犯の男もその場で自身の頭部を撃ち抜き死亡』!!」



 対するジャンヌの反応は


「そうですか」


 非常に淡白。

 そのまま事務所へ入ろうと、彼の隣を通り過ぎる。


「それだけ!?」

「そんな格好でいたら風邪を引きますよ」

「ジャンヌ!」


 タシュがもう一度大声を上げると、彼女はさすがに足を止める。

 振り返りはしない。


「12年経っても消えることのなかった恨みだ。それを翻意(ほんい)させられなかったのは、そういうもんだろう」


 返事がない背中へ彼は続ける。


「だけど昨日の朝。君は出掛けていく彼に会ったじゃないか。手で触れて、心を読んだじゃないか。



 どうして止めなかったんだ?」



 ジャンヌの肩はピクリとも動かない。

 彼女からすれば、痛いところを突かれたわけでもないのだろう。


「そもそも昨日のだって。警察のツテとかで出所日を知っていたから確認に行ったんだろう? その場で説得が難しくても、君なら通報しておくとかができたんだ。


 責めるわけじゃない。

 でも君なら止められたんだ。


 どうして」


 ジャンヌはなおも振り向かない。

 いつもの、機嫌の悪い馬のような仕草もしない。


 ただ、ポツリと


「確かに、『復讐で人生を棒に振るのはもったいない』とは思っています。


 しかしすでに、『復讐が人生の全て』になっていたとしたら」


 空虚な声を漏らす。

 彼女はようやく、ゆっくり振り返る。


「そんな人から取り上げるのも、ある種かわいそうな話ではありませんか?」

「ジャンヌ」

「遂げたあとには死ぬと決めていたほどの人です。無理に止めて生かしたとして、その後をどうするのでしょう。どうしてあげたらいいのでしょう」


 声も、表情も。

 言葉と裏腹に、自身の判断を正しいとはまったく信じていないものだった。


 ただ無力感に対し、達観や露悪、冷笑でしか向き合えないような。


「私はそれを救うことなどできませんよ」


 それはタシュも同じだった。

 今のジャンヌに、何を言ってやるべきかも分からない。

 同情すればいいのか、正論を示してやるべきなのか。


「それで、二人死んだんだぞ」


 判断できないまま溢れた言葉に彼女は、


「残念ながら『メッセンジャー』は人の心に中立であり、尊重することしかできない。


 運命を変えることはできないのですよ」


 薄く笑った。






       ──『メッセンジャー』は復讐を見届ける 完──

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