有賀一家の感謝は異世界に広がっていく
本日二話目の更新です。
くるりくるくる。
ひとしきり回ったシルベはチエを下ろして足取り軽く、メーラとイタテのそばに立つ。
「シルベさんが優秀なのは皆さまご存知! 優秀な道の神なので〜」
もったいつけてから、シルベは薄い胸を張る。
「国じゅうの村や町に行って『感謝すると神さまが光るんだぜ!』って教えてまわっちゃったのさっ」
「感謝すると光る、なるほど。感謝の意味を後回しに行為を浸透させるというわけか」
「そんなのありかよ」
十蔵が感心したように頷く横で、トオルはやや呆れぎみだ。
「感謝が神力に変わるという原理がわからないから、なんとも言えないが。形だけでも感謝の言葉を口にすることで、あなたがたの神力に影響があるのだろうか?」
「結論から言えばねえ、あった。ありました。増えたよ、神力。けどねぇ」
肩をすくめたシルベが、やれやれと首を振る。
「増えたのはほんのちょーっぴり! いちばん効果があったのは、ミクマリのとこの子だったね。あの村のひとの言葉は効いたね。君たち一家ほどじゃあないけどさ」
「あらあら、ミクマンさんのところのあの子ねえ!」
「チィちゃんが教えてあげたんだよ」
チエがえっへんと胸を張る。
湖の神、ミクマリのいる村でチエは言葉に心を込めるのだと教えてあげた。
あのときの少年がチエの教えのとおり、心を込めた感謝を続けているのだとわかって一家は笑顔になる。
「やっぱりねえ。そうだよねえ。君たちを送った村だもの、わかっちゃいたけどあまりにも予想通りっていうか予想以上っていうか? まあね、そもそも意味もなく感謝を口にする子が少なかったわけよ。ほかの村や街じゃ」
「あらあ。今までゼロだったものがいくつかに増えたのなら、それは良いことだわあ」
「えへへ、そうかなあ。やっぱりそう思う? これからはね、ミクマリの村の子をお供にして色んなとこ歩きまわろうかと思ってるんだあ!」
キヨラに褒められてシルべは態度を一変。
そんなシルベを他の神々も頼もしげに見る。
「何か企んでいるようだとは思っていたが、やる時はやるのだな、シルベ」
「お、褒めちゃう? そんな褒めちゃう?」
メーラに褒められたシルベは、満更でもなさそうにふふんと鼻を鳴らす。
「ああ、素晴らしいよシルベ!」
感激した様子のイタテが両腕を広げてシルベを抱きしめた。「うわあ、やめろよ!」とシルベが騒ぐけれど、樹の神は案外と力が強い。
ぎゅうぎゅうしめつけられたシルベは逃げられない。
「君たちとシルベのおかげでこの国は変わるだろう」
ほがらかに言ったイタテは、顔を曇らせて続けた。
「けれど君たちが望む世界をまたぐ方法というのが、実はネノ国。地の底の国の神に頼まなくちゃいけなくってね。そこは死者の国なものだから……」
言葉を濁したイタテに対して、一家もメーラもほっと安堵の笑みを見せる。
「ネノ国ならもう行ってきたぞ」
「えっ」
さらっというトオルにイタテが驚きの声をあげた。驚きついでに緩んだ腕からシルベ逃げ出し、メーラの背後に隠れる。
「くらいとこでしょ。チィちゃんも行ったよ!」
「そこでチエは小鳥の神さまに助けてもらったのよねえ」
「うん!」
「我々は小花の神に助けられたな」
「チィちゃん、ユウナお姉さんにもたすけてもらったよ!」
「そうだったわねえ」
「ネノ国に、行って……? え、君たち生身だよね? こう見えて死者なの? そんなことないよね、生気に満ちてるもの。いや、それよりもユウナって……」
「ユウナどのは死者の国の王の母君、だったか。王本人とはあまり似ていなかったが」
混乱するイタテに十蔵は容赦なく思考の逃げ道を塞いできた。
「お姉さん、とってもやさしかったよ」
チエの笑顔がとどめを刺す。
頭が痛そうな彼はうめくように言った。
「君たちはなにを言ってるんだ……なぜ生身で死者の国の王に会ったりしてるの? なんでそんなところに行ってるのさ」
「みんなでチィちゃんを探しにきてくれたんだよ」
「そうそう。チエがトトリとかいう鳥の神さまにさらわれてさ」
「それだよ!」
不意にイタテが声をあげた。
きょとんとする兄妹を見下ろしてイタテは続ける。
「トトリ。ひとの魂を運ぶ神だ。君たちが元いた世界に帰るには、生者の国と死者の国を行き来する力を持つその神の力が必要なんだけど。そのトトリに、さらわれた?」
何を言っているのかわからないと言わんばかりの顔をするイタテに、一家はあっさり頷いた。
「そうなのよう。驚いたわよねえ、チエちゃんが急に連れて行かれてしまって」
「我々も後を追い、シルベどのの加護はそのときにいただいたのだったな。迷わず進めるように、と」
「まあねえ。とはいえ僕は地上の道の神だから、どれだけ効果があったやら」
シルベが口をとがらせたのは照れ隠しか。
ネノ国と有賀一家とのつながりが今ひとつ見えないイタテは「ふむ」と考え込む。
「じゃあ、ネノ国の神となんとかして連絡を取れれば可能性はあるわけか」
「はいはーい。だったらこのシルベさんにお任せ!」
元気に手をあげたシルベがかかとで地面をとんとん、ととん。
瞬く間にその場に黒い光りがにじみだし、地面の下から姿を現したのは賽の神。
「やほやほ、サイくーん!」
手を振りながら近づいてくるシルベをわずかにのぞく目でちろりと見た彼は、仮面のしたでぼそりとつぶやく。
「用件は」
「あっはあ! せっかちさんめ。まあいいや、あのね。トトリ呼んできてよ!」
「なぜ」
「おやおやぁ?」
口元をにんまり歪めたシルベが、サイのわき腹をうりうりと突いた。
サイは変わらず無表情を保っているけれど、あれぜってえめちゃくちゃうざいと思ってるだろうな、とトオルは胸のうちで同情する。
「きみきみぃ、いいのか〜い? この一家は、あれだよ? 軽率に感謝しまくって神力あふれさせる常習犯よ? サイさんてば神力で満たされた瞬間の心地、また味わいたくな〜い?」
「…………」
長い沈黙のあと。
「……あれを御するのは俺には無理だ」
「だったらネノ国のユウナさんにお伝えしてくださらなあい?」
「トトリという神の力を貸してはいただけないか、と」
「俺たち、帰りたいんだ」
「サイお兄さん、おねがい!」
「………」
真剣な瞳をした一家に囲まれたサイは、しばしの沈黙のあとにはと姿を消した。
そうしてさほど間を置かず帰ってくる。
その手には、トトリの首元の羽毛が鷲掴まれていた。
首根っこをつかまれたトトリがじたばたと手足を振り回す。
「やだよ、いやだよ! まぶしいよ! はなせ、はなせよう! トトリの目がぎゅってなるよ!」
「……」
トトリの耳元でこそりこそり。
サイが何事かをつぶやくと、トトリはぴたりと動きを止めた。
そして有賀一家を見つめて、キラキラと目を輝かせる。
「ひと、また増える。増えたらトトリの仕事も増える。それってお前たちのおかげ!」
言うが早いか、トトリはばさりばさりと羽ばたいて一家の周りをぐるり。
途端に、一家の体は渦巻く風に乗ってふわんと空へ。
「それじゃあね、気をつけて」
「十蔵、迷うなよ。このシルベちゃんの加護があるんだ。道はおのずとつながるさ」
イタテとシルベの言葉で、一家は別れの時が来たのだと知った。
「サイお兄さん、トトリ呼んできてくれてありがと!」
チエが元気な声で告げて手を振る。
地上に灯るのは黒い光り。
「イタテどの、あなたの知識とやさしさに感謝する!」
十蔵のメガネを光らせたのは、柔らかな緑の光り。
「シルベさん、あなたにはたくさんたくさん助けてもらったわあ。ありがとうねえ!」
道を思わせる光りに包まれたシルベは、キヨラの笑顔に「へへへ」と照れくさそうに笑った。
「メーラ!」
遠ざかる地上に向けてトオルは叫ぶ。
ぽつり、残されたメーラは片方だけの目を細め、一家の姿を見上げている。
「いっぱい助けてくれてありがとう! いっしょに旅してくれてありがとう! 俺、メーラに会えて良かった。メーラ、消えないようにちゃんと感謝されろよ! ひとが好きなら、メーラもちゃんとひとに愛されろ!」
きょとり、細めていた目を瞬いたメーラはくしゃりと笑った。
「ああ、俺もお前たちに会えて幸せだ。ありがとう、元気で」
神からの感謝にトオルの胸が熱くなった。
一家はそろって神々に、後にする国に感謝を降らす。
はるか眼下にきらきらと輝くのは、感謝を送った神々がそこにいるのだろう。
地上は遠ざかり、風の音ばかりが渦巻く宙空ではもはや声も届かず、まだらに白抜きになった世界すらおぼろげだ。
このままでは酸素が薄くなるのでは。
心配しかけた十蔵が「いいや、シルベどのを信じねば。必ず、帰れるのだと」と心を決めたとき、トトリが「ん~、こっち!」と大きく羽ばたいた。
途端に、空の色が変わる。
昼下がりの淡い水色から鮮やかな夕暮れへ。
それと同時に、体を包む空気の温度がぐっと下がった。
「ついた、ついたよ! ここがお前たちの国だろう?」
問いかけの間にも高度はぐんぐん下がっていく。
そうして間近に迫った場所を見て、一家は歓声をあげた。
「ここ、山じゃん!」
「ハイキングのやま!」
「あらあ、帰ってきたのねえ」
「ああ。全員無事で、元の場所に」
ふわん、と下ろされたのは確かに、空に放り出される寸前までいた山の休憩所。
日暮れが近づいた今は誰もいないが、確かに見覚えのある場所だった。
「トトリ、サンキュ!」
トオルがここまで連れて来てくれた神をねぎらうと、トトリは黒い光をまとう。
一家が口々に礼を伝えて、トトリの身体はあふれんばかりの神力でちらりきらきらと輝きだした。
「トトリ、うれし!」
破顔したトトリは宙でくるりと一回転。
「トトリはうれしい! だからトトリはお前たちに加護をあげる!」
回った勢いのまま有賀一家の頬にキスしてまわる。
ふわん、ふわわんとそれぞれの胸に加護の黒い光が染みていく。
「じゃあな! じゃあまた、トトリは帰る!」
言うだけ言ってトトリは羽ばたき、姿を消した。
後に残されたのは、ハイキングに来た恰好のままの有賀一家。
「……時間の経過は変わっていないようだな」
「あら! じゃあ土曜日の朝からお山に来てるってことは、今は日曜日の夕方かしらあ?」
「明日の学校、間に合うじゃん」
「チィちゃん、お友だちにあえるのうれしい!」
迫る日没に背中を押されるように、一家はそろって山を下りていく。
ほんの二日間の異世界旅だったけれど、歩きながら話は尽きない。
ふと、トオルは脚を止めて空を振り仰いだ。
藍色が迫る山の端に、ちらちらと星の光が瞬きはじめている。それはまるで異世界で見た神さまたちがまとう光のようで。
「……メーラ、ちゃんと元気でやれよ」
ちいさくつぶやいたトオルを「お兄ちゃんと手つなぐー」とチエの声が呼んだ。
「ああ、今行くよ」
トオルはまた前を向いて、両親と妹の背を追って走り出した。
たくさんの思い出とちょっぴりの感傷を抱えた一家はまだ知らない。
メーラに送られた道具たちが今もそれぞれの手元にあること。神々に与えられた加護がそれぞれのなかで息づいていること。
そして、魂を運ぶ神であるトトリの加護が『界を渡る力』を持つことを。
知らないままで、トオルはチエと手をつなぐ。
「えへへへへ。お兄ちゃん、ありがと」
「どういたしまして」
つないだ互いの手をぎゅっと握る兄妹に続いて、母と父も山を下りていく。
「キヨラさん、荷物は重くないか」
「ええ、大丈夫よう。ありがとう、十蔵さん」
四人は影を長く伸ばしながら、いつもの日常へと帰って行った。
有賀一家は異世界に行っても感謝を忘れない≪完≫