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薫野みるく式小説の書き方  作者: 薫野みるく
物書き編(仮)
30/31

つまらない人間になるな。たくましく生きろ。

 いつか、ママが古い詩集を見せてくれました。

 自分からは絶対に出て来ないような単語、独特のリズム、総じてその詩人の世界観を羨んだわたくしですが、何より圧倒されたのは、その人の壮絶な生い立ちの方でした。

 貧しい母子家庭で幼少期を過ごし、やがて住む家を転々とします。そこには、とても正気とは思えない大人が巣食っており、その人は、人間の卑しさや醜さを間近で見ながら育っていったのです。


 そして私は気づきました。詩や短歌に始まり、小説、絵画、音楽……人の心を打つ作品を生み出すクリエイターは、生育環境に必ず何かあるのだと。

 私がこれまでに出会った何人かのクリエイターも、父親や母親からの愛情に飢え、そのさみしさを紛らわそうと、創作に打ち込んでいたのでしょう。彼女たちの言葉の端々から感じる「愛されたい」という想いは、作品を通じて私に届き、でも私は、その才能を認めることは出来ても、彼女たちが本当に欲しているものには気づかないふりをしていました。

 あの人も、あの人も、私が深入りを怖れていることを、知っていただろうと思います。でもきっと、いや絶対に、私の選択は間違っていなかった。そう言い切れるのは、創作者は孤独であるべきだからです。




 私の作品に価値があるかはわかりませんが、私もそこそこに語れる生い立ち、人生を送ってきました。それを敢えてここに書く気はないので、興味があれば情報は他所から得てほしいのと、結局何が言いたいかと言うと、どんな家に生まれるかは、運なんですよ、運。たまたま母体に宿った命が、誕生しただけ。

 生まれたことに理由はあれど、生きる意味なんてのは、ないんです。意味は、求めようとすればするほど、輪郭がぼやけていきます。それが「生きる意味」ならなおさら、人は考えて、推理して、仮定して、自分という存在を肯定しようとします。

 無意味のままでいられたら、きっとラクだったろうに、意識を持ってしまったために、「自分」に期待してしまう。

 そういう思考パターンを、いわゆる「厨二病」と呼ぶのでしょうが、悩む必要もないような、ごく一般的なところに生まれたあなたは、単に運が悪かった。その一言に尽きます。だから、諦めてください。良好な生育環境という、創作者にとっては恵まれない思春期だったとしても、家族に愛され、大人になれたのは、とても幸せなことです。



 よく「子は親を選べない」と言いますが、私は私のママを選んで生まれてきたのだと思っています。

 だって、私という個体が、別の母体から生まれるはずがないじゃないですか。

 ママの中に私が芽生え、生まれたのもたまたま。たまたま今日まで生き長らえ、きっとしぶとく死なずにいる。たまたま命をもらえ、いつか必ず死ぬのだから、私は命があるうちに良い行いをしたいのです。


 たとえば、道で困ってる人を助けたり、被災地に寄付をしたり、そしてもし私の能力が追い付くのなら、私が書いたもので誰かが救われたら嬉しいです。

 自分に意味を求めるより、死ねない理由を作ること、これが迷える書き手に必要な手順ではないでしょうか。

 もしもありきたりな家庭に生まれ、それを自覚してしまった人も、その後の人生はいくらでも補正がききます。

 自分勝手だったり、暴力的だったり、または他人に関心を持たない生き方はやめて、やさしく丁寧な毎日を心掛ければ、見える世界も変わるでしょう。




 なにをもって「つまらない人間」か。

 それは一概には言えないながらも、「自分を顧みもせず、他者を笑う人」だと、私は認識しています。

 うまく現実と向き合えず、ネットでだけ人格が変わり、匿名だから強気になれる人っていますよね。などとのたまう私も、顔や本名を晒しているわけではないのですが、この先ずっと、同じ名前で文章を発表していくという信念はあります。カヲルちゃんと永遠に一緒にいるためにも。


 人を思いやる気持ちを持てず、ただただ自分がかわいい、年齢だけは成人しているグロテスクな大人の書いた小説が、きっとネット上にはたくさんあるのでしょうね。

 掲載されている作品だけでは、作者の心理までは読み取れませんが、少なくとも「ざまぁ系」を書いている人の人間性が素晴らしいということはないでしょう。


 それを例に挙げると、つまり話をどんな展開に持っていくか、登場人物にどんな経験をさせるか、会話のやりとりは不自然でないか。

 作者を計り知るためのデータは、本文中に山ほど転がっていることになります。作品を通じて、作者本人の「つまらなさ」を全世界に公開してはいないか、現代の書き手は一人で考える時間をもっと持つことで、スキルアップするのではないかと、私は思います。



 小説を書いたら、誰かに読んでほしいと思うのは、ごく自然な欲求です。

 ですが、この「読まれたい」という気持ちが度を超えてしまうと、すべてがおかしくなってしまいます。

 読まれるために、流行りのジャンルを書く。一時的な快楽か、それとも先を見据えるかは、作者の自由で、長く大事にされなくても、いま「読まれたい」気持ちを抑えられないなら、仕方がないのかもしれません。

 でも、もっと気楽に、とか、楽しく、とか、そううたう創作論でなく、わざわざ私なんかの「小説の書き方」を読みに来ているあなたの作品が消費されるのを、私が気持ちよく思うはずがないだろう。



 前回も書きましたが、楽しいだけの小説なんか、あり得ません。長編を書くのは大変だし、読者がいないと励みにならないのは、誰だって同じ。

 なら、PVではなく、その一人に感謝してほしいというのが、私の願いです。PVとは画面に表示された数なので、それは読まれた数とは等しくはない。何百、何千PVという「数」の奴隷にならず、そこにいる「人間」のあたたかさを忘れないでほしい。と、読まれない小説を投稿しているみるくが言ってます。


 だって、死ぬ時に後悔したくないもの。私は、読者の先導すら出来なかったんだって。



 小説が書きたい、うまくなりたい、だからとりあえずネットにある創作論を読んでみようと、いまここにいるあなた。まず、その人の小説を読みましょう。それがもし、あなたの気に入る文体やストーリーであれば、お手本にして損はないでしょうが、違った場合。え、エッセイは読みやすかったのに、小説になるとガクンとレベルが落ちるんだ……と、あとから知って悔しい思いをしないように、先に確認することをお勧めします。


 まぁ、あれこれ読んでも、すぐに答えは出ませんし、だったら鍛錬を重ねるのが一番いいのです。私の場合は、漫画やネット記事を読んだり、仲間と話したり、それによって頭に浮かんだ感情を整理するために文章を書いたりと、それくらいです。

 小説は読まなくても、誰にでも書けます。ですが、その質を高めるためには、思ったことをぜんぶネットに吐き出してはだめです。



 知らない誰かが、無料の投稿サイトにアップした小説など、読まれなくて当たり前。まずそこから現実を見ます。

 「読まれない」と嘆き、いかにしてPVを増やすか、その行動に出る前に、自分の作品を読み返しましょう。

 誤字はほとんどゼロの状態に。難しい漢字は極力使わず、中学生までに習うものにしておく。

 会話が続くだけでは、読者にはあなたと同じ景色は見えません。地の文で補い、説明し、それが不自然でないよう、調整する。


 校正をしているうちに、自分の作品に愛情が沸いてきて、「読まれる」ことが二の次になってきます。そう、鍛錬とは、メンタル面のことでもあります。

優先順位を見失わないように、生み出すという行為を愛せるように、恥ずかしくない人間であってください。

 

 この連載を読んでくれた、あなたの創作活動を応援しています。

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