2 リリアナの憂鬱
「私との婚約は白紙として、ホワイト子爵令……息とご結婚なさる、と?」
令嬢と言う言葉を飲み込んで、令息と言い直した。
リリアナは頭が少々、いやかなり混乱していたのだ。
「そうだ」
マーク王子はウットリと、恋人のルースを見つめていた。
「ソウデスカ」
リリアナは怒る気も起きなかった。
普通、浮気されたら憤慨もするだろうし、今までの教育とか頑張りとか色々で、時間と労力を返せ!! ってぶん殴ってもイイ案件だと思う。
だが、余りの衝撃に怒気を抜かれてしまっていた。
大体 "婚約を破棄する" って連れて来るのは女性じゃないの?
私の普通がオカシイの?
別に同性愛を否定するつもりはない。
人がいる数だけの想いがある。だから、人それぞれだろう。
しかし、お前はダメなのでは? とリリアナは親でもないのに頭を抱えたい気分だった。
王妃が生きていたら、なんと言うのか。
ご病気で不在の国王陛下がコレを聞いたら、もう床から二度と起き上がれなくなるのでは?
病人に鞭打ちまくりじゃないかな?
「兄上」
リリアナがここにいない、国王陛下の気持ちまで考えていたら、右肩にポンと優しく手が乗った。
気持ちは分かるよ、と同意された様で涙が出る。
「おぉ、セルヴィか」
金髪碧眼で長い髪を1つに結んだ、美貌の持ち主が登場した途端に、マーク王子の声が明るくなった。
そう、5歳年下の実弟セルヴィ王子のご登場である。
皆も少し安堵の溜め息が漏れていた。
「兄上。ここは婚約を解消する場ではありませんよ?」
優しく柔らかい口調だが、目は笑っていない。
そんな弟セルヴィ王子が、兄王子を優しく諫めた。
「分かってはいるが、皆に伝えるには丁度良かったのだ」
何が丁度良いモノなのか。
だが、反省の欠片もないマーク王子。
そんな返答をした処でやっと、弟が不穏な空気を纏っているのを察したのか、ルースを後ろ手に守る。
「先程、国王になったらとおっしゃっていましたよね?」
「あ、あぁ」
「ならば、その方は "愛人" としてリリアナは正妃として迎えれば宜しかったのでは?」
リリアナは全然宜しくはないんですけど? と内心ツッコミながら横で聞いていた。
しかし、王族の立場から考えたら定石か。
どう考えても男であるルースは後継ぎを産めない。王妃としての公務は無理。ならば、表向きはリリアナを正妃にし、愛人かよくて妾として迎えれば良かったのだ。
「愛しているルーシーを愛人にだなんて考えられない。それに、愛してもいないリリアナを妃に迎えるなど、リリアナにも失礼だ」
この場で婚約解消を申し出る方が失礼だろう?
当事者ではないリリアナ以外の人達さえも、そう叫びたかった。
「では、後継ぎは如何様に?」
セルヴィ王子の微笑みがより一層深く深くなっていた。
「お前がいるから問題はない」
マーク王子はサラリと言った。
後継ぎはお前の妻が産めと、のたまった……いやホザいたのだ。
「ほぉ?」
セルヴィ王子の周りの空気が冷たくなった。
リリアナは身の危険を感じ、一歩下がった。コレ、絶対に怒っているヤツだ。
「私がいれば問題ない? ならば、この私が次期国王と云う事で宜しいですね?」
「いや、国王は私が継ぐ」
――ピシッ。
その瞬間――何かがキレる様な音がした。
「あ゛?」
リリアナの耳にだけ、小さく小さく不機嫌そうで不穏しかない声が聞こえた。
「お前は妃を娶り、私とルースをサポートして――」
「ふざけた事をぬかしますね? 我が兄上」
超絶不機嫌なセルヴィ王子の冷淡な声が、静まり返っていた会場に響いた。
その声に異様な恐怖を感じ、皆は身震いも出来ず凍りついていた。
「ふ、ふざけてなど――」
「本気なのだとしたら、実弟である私を虚仮にし愚弄していると?」
セルヴィ王子の声はとても低く、まるで地響きの様だった。
それもそうである。マーク王子は国王の座は譲らない。しかし、後継ぎ問題や諸々の重責を、弟の肩に熨斗をつけ乗せた。結果、良い所取りで我が道を行こうとしているのだ。
そんな調子の良い話を何処の誰が許すというのか。
「そ、そういう訳では」
弟が本気で怒るとどうなるのかを、1番知っている兄マーク王子は冷や汗を掻き始めていた。
「ならば、どういう訳だと?」
「…………」
マーク王子は、愛するルースと結婚がしたい。
だが、それには、法の改正が必要だ。
ルースと結婚するためには、国王にならねばならないと本気で思い、周りが見えていなかったのだ。
弟なら、或いは婚約者として傍にいたリリアナなら、理解して賛同してくれるのではと思い違いをしていたのだった。
「私はただ、愛する者と一緒になりたいだけだ」
恋人ルースを守る様に、マーク王子は弟に理解して欲しいと想いをぶつけた。
「その男を本気で愛している……と?」
「あ、あぁ」
相手が女性だったのなら、まだ救いはあったのかもしれない。だが、現実は男性だ。
会場の皆もどうして良いのか分からない。
ルースの両親は早々に、失神して退場している。リリアナの両親は、怒る気も失せ失笑していた。
「ならば、国王代理を与ってきた私セルヴィ=モルツブルズが病床の国王に代わり、ここに宣言し決定する。兄マーク=モルツブルズ、今を以って貴方の王籍を剥奪し廃嫡すると」
「なっ!」
「その代わり次期国王になる私からの恩情として、故マークとそこにいるルース=ホワイトの結婚を許す」
セルヴィ王子はさえざえとした表情のまま、兄マークの処分を決めた。
もはや "故" と言い切ったセルヴィ王子の中で、兄マークは死んだとみなし切り捨てたのであろう。
「王籍を剥奪……せ、生活はどうすれば良いのだ!?」
結婚はイイが生活の補償は? と実弟に詰め寄る。
無一文で放り出されたら、どうすれば良いのかと。
「そちらの実家ホワイト家に世話になるなり、市井で職を探すなり御自分でお考え下さい」
そんな事はセルヴィ王子からしたら、知った事ではない。お前の起こした火の始末に、これから追われるのだから。
念願の結婚の許可をやったのだ、感謝してくれ。
帯剣で斬り捨てなかっただけ、ありがたいと思って欲しい。
「む、無責任ではないか!!」
「黙れ、愚兄。次期国王の責任を放棄した者と、どちらが無責任か良く良く考えるといい」
「…………っ!」
「【真実の愛】だか【偽りの愛】だか、もはやどちらでもイイ。だが、その【愛】とやらを貫き通したかったら、最低でも婚約者のリリアナには【誠意】を見せるのが人としての責務。それさえも放棄した者に恩情など、本来なら微塵もないのが分からないのか?」
「…………」
「最低限の日銭は持たせる。しかし、次期国王として過ごした日々の支給品などは、一切持ち出す事を禁ずる」
セルヴィ王子はそう言い切ると、近衛兵を数名呼んだ。
マーク王子とルース2人は事の重大さと、皆の冷たい視線に耐えられず押し黙り、近衛兵に大人しく付いて行くのであった。
「さて、愚兄だった者が戯けた事を "呟き" 大変失礼致しました」
2人が会場から消え去ると、セルヴィ王子は爽やかな笑顔を見せて、皆に謝罪した。
「い、いえ」
「はい」
「気に……しておりませんわ」
蚊のなく様な声でボソボソと、皆は応えるしかなかった。
セルヴィ王子は爽やかな笑顔を見せているけれど、内心ドス黒い何かを含んでいるのは明らかだ。
いらぬ返答をして、何が逆鱗にふれるか定かではない。応えたくもなかったのだ。
セルヴィ王子が否と言うなら、皆 "否" である。
マーク王子が国王陛下になった方が、どんなに心の安寧が保たれた事か。男性を愛したマーク王子に、複雑な思いを寄せる皆だった。
「建国150周年のパーティーでしたが、今ここで私セルヴィ=モルツブルズとリリアナ=ランドールとの婚約を祝いたいと存じます」
そう言って、愕然としているリリアナの身体を自身に引き寄せた。
――は?
リリアナは心の声が漏れてしまった。
「私との結婚は嫌だと?」
ニコリと微笑むセルヴィ王子。
顔は笑っているのに、目が笑っていない気がする。
リリアナは心が読めなくても空気は読める。
断るなよ? と言う空気がリリアナを羽交い締めにしていた。
誰か助け船を……と、皆を見渡したら皆が一斉に視線を逸らせた。両親を見つけ縋ってみたが、壊れた様に首を小刻みに横に振っていた。
助けはない様だ。
そして、逃げ道もない様だ。
「私と結婚してくれますよね? 愛しのリリアナ」
膝を床に落とし、リリアナの右手を優しく優しく掴み、その手にキスを落としたセルヴィ王子。
え? してくれますね? って決定事項なの?
優しく掴まれただけなのに、心〈心臓〉を鷲掴みにされた気分になるのは何故だろうか?
プロポーズの筈なのに、地獄の片道切符を手渡されている気分になるのは何故だろうか?
口からプロポーズの言葉、目から逃がさないと縛り付けられている気がするは何故だろうか?
胸が痛いくらいにドキドキするのは、プロポーズに感動しているの?
絶対に違うよね? 恐怖と絶望感だと思う。
だって、身体中冷や汗が止まらないのだもの。
『断るなよ?』
という、会場全体の威圧に堪えられなかったリリアナは――
「お、お時間を……下さい」
と言うのがやっとだった。
セルヴィ王子が仕方がないと、小さく笑って立ち上がった事で、リリアナも会場の皆も安堵の溜め息が漏れた。
婚約を白紙に戻された直後だし、セルヴィ王子も一旦引いてくれた、と安堵したのだ。
「では、代わりに私の次期国王の祝いをしてくれる者は、グラスをお取り下さい」
セルヴィ王子が切り替えそう言えば、皆、胸を撫で下ろし給仕の配るグラスを、慌てた様に次々と手に取った。
「私の国王継承と、この国の更なる発展を――乾杯」
「「「カンパーイ!!」」」
皆は心の平穏が戻ったとばかりに、グラスを掲げて盛大に乾杯するのであった。
――助かった。
リリアナはとりあえず、助かったと両親の元に行こうと足を踏み出した。
――だが、その瞬間。
スレ違い様にセルヴィ王子の柔らかく優しい声が耳に掛かったのであった。
『――――よ』
「え?」
リリアナが思わず振り返えれば、セルヴィ王子は給仕に空のグラスを手渡していて、声の真相は分からなかった。
だが、リリアナの耳の奥には、声の残滓がいつまでもいつまでも響いていた。
『逃さないよ』