第76話:「すべてを、伝えたつもりです」と狼人族の村長が言った。
駐屯任務に戻った僕はさらにもう1月をニン村で過ごした。
簡単な農業の導入と、勉強を教えられそうな若い大人が子どもたちを指導する体制を作り上げ、ニン村での任務に区切りをつけたのは、第4月、『雪解けの月』だった。
さらに僕は、これまで任務についてきた4つの村の村長のお墨付きをもらって、第4月から第7月まで、北西域のありとあらゆる村で駐屯任務をこなした。
村長たち直筆の書状はかなり強力で、ほとんどの場合すんなりと受け入れてもらえたから、仕事の効率はどんどんあがっていった。狩猟団の改善、簡単な農業の導入、大人たちへの実戦指導、子どもたちへの教育……これらのうち、足りない部分を補ってあげることで、各村には驚くほどの活力が生まれた。
招集での損害率に影響してくるのはまだまだ先だろうけれど、僕は駐屯任務の価値を肌で感じている。
いつしか、僕はゲルフの二つ名からとって『暁の従騎士』様と呼ばれるようになった。
夜明けの従騎士って、正直よく分からない。『暁』っていう単語は15の若造が名乗るにはコテコテで重すぎる。
とはいえ、称号ってのも悪くない。名前よりもはるかにインパクトがあるし、名刺がわりにもなる。
称号は、『すごいやつだ』と他人に思わせる装置なのだ。
そんな僕の高揚感をさらに加速させた事実がある。
この不気味とも思えるような僕の裏の活躍に、正騎士たちはほとんど目をつけなかったのだ。
市民出身の騎士なんて『魔法奴隷は魔法奴隷の気持ちが分かるのだろうな』なんてバカにしてくる始末だった。言わせておこう。
――
第8月。別名は『青葉の月』。
夏のエネルギーを受け、植物たちが緑の手を伸ばす、そんな月。
従騎士たちの夏休みは第9月だから、その直前だった。
僕は1年間の『実習』を終え、領都へ帰還する準備を進めていた。
「―――では、従騎士様。ラフィアを頼みますぞ。わしらのすべてを、伝えたつもりです」
隻眼の狼人族、オウロウ村村長のガフロウさんが、僕の手をがっしりと握って言った。僕も握り返す。
僕はオウロウ村の正門にいる。
オウロウ村はピータ村よりもさらに深い森の中にある。群れをなして暮らす狼たちのように、凛とした雰囲気の村だった。
「うおおッ! お嬢ぉぉぉぉッ!」「おおおおおッ!」「お達者でぇぇぇ!」「お嬢ぉぉぉぉッ!」
正門の向こうでは、なぜか涙をこらえきれない狼人族の男たちが兎人族の少女を取り囲んでいる。
「う、うん。……みんな、ありがとうございました」
ラフィアが言って、ペコリと頭を下げた。
「うおおおッ!」「いつでも遊びに来てくださいッ!」「お嬢ぉぉぉぉッ!」「おおおおおッ!」
「え、えっと……」
完全に、狼に囲まれて怯える兎の図だった。
ラフィアの腰にある黒塗りの双剣は、前見たときより少しだけ長いものになっている。指先が見えるグローブは使い込まれていて、グリップの部分の黒色が手のひらの部分に移ってしまっている。
強そうだ。
才能にあふれる若手、みたいな雰囲気。
ただ…………大きな問題があった。
それはラフィアの格好だ。
今日のラフィアはスリットの入ったティーガではなく、さらに軽装といえるような格好をしている。それ防具だよね? 防具といえば全身をきっちり覆うものと思っている僕からすると、腕やお腹が見えることはやっぱり認められない。矢が当たったらどうするんだ。腕の露出はまだ……まだ認めてもいいけれど、どうしてお腹を出す必要がある……?
「ガフロウさん、この防具は?」
「ああ。これは、我が村の女戦士の伝統的な軽装です。動きをまったく妨げないという空気のような鎧でしてな。しかし、双剣士にとって致命的な関節と足回りの防御はなされております」
なるほど。
たしかに、肉食系でワイルドでセクシーな狼人族のお姉さまなら、防具という概念への挑戦的なアプローチとも思えるこれを、鮮やかに着こなしてしまうのだろう。
「……ですが、ラフィアは兎人族です」
「はい。なので、茶色のなめし皮で仕立て上げましてな。ふつうは黒なのですが」
「……」
『いい仕事したぜ。そう思うだろ、旦那?』とでも言いたげなガフロウさんの視線に、僕はなにも言い返すことができない。
ま、まあ、ラフィアが喜んで着てるんならいいのか。
「村長。防具まで、ありがとうございます」
ラフィアはガフロウさんに深く頭を下げた。僕も続く。狼人族でも北西域の出身でもないラフィアに、これほど手厚いサポートをくれたのだ。
「剣の手入れだけは怠るな。我が村の誇る名工が打ちだした業物だ。手入れさえすれば粘り強く鋭い切れ味は長く続くだろう。その防具も皮膚のように身体に馴染んでくる。いずれも必ずお前の役に立つものだ。優れた剣士として名を挙げ、我が村の名誉となってほしい」
「はいッ!」
うをおおおおんッ! と複数人(匹とは言えない)の遠吠えに背をおされ、僕とラフィアはオウロウ村の正門をくぐった。
その正門が見えなくなって、少し進んだところで、ラフィアはなにを思い出したのか、くすくすと笑った。
「みんな、顔は怖いのに、いい人たちで……この1年間、ずっと楽しかったなあ」
狼と兎。
「ほんとに……ラフィアが食べられなくてよかった」
「当然だよ。わたしを食べたら、狩猟団のみんなはおやつが無くなってもっと大変だったと思う」
ばっちりオウロウ村狩猟団の胃袋は押さえていたらしい。
結局、駐屯任務もそういうものだよな。
「あー、でも、喧嘩の仲裁は大変だったよ。すぐに流血騒ぎになるから」
「流血騒ぎになるような喧嘩を止めるんだね!?」
「みんな血の気が多いっていうか……すぐにどっちかについてどんどん戦いが大きくなって……」
いや。
それを止められるのがすごい。
「た、たぶん、わたしが女の子だから言うことを聞いてくれてるだけじゃないかな?」
「あ。分かった。どうせ模擬戦で村長以外全員倒しちゃったんでしょ?」
「……ええと、それもたぶん手加減してくれたんだよ」
「……」
マジか。
双剣使いの村で、たった1年で村長さん以外ぶっ倒したの?
とんだ道場破りだ。しかも、達成したのは素早さだけが取り柄の兎人族の女の子。14歳。
脳裏に、気絶した大量の狼人族たちの上に腰掛け、にっこり笑いながら手を振っているラフィアのイメージビジュアルが展開された。ああ……これ、すごく絵になってる……。僕とゲルフの喧嘩なんてそれこそ赤子の手をひねるように止められるんじゃないだろうか。そのまま成長して戦争も止めてほしい。
いや。
それは僕の仕事。
「――そんなことよりね」
たたっ、と僕の前に回り込んで、器用に後ろ向きに歩き始めたラフィア。足取りは軽く、表情も明るい。なにかいいことでもあったのだろうか。
「タカハ、すごいね!」
少し反応が遅れた。
「……ん? 僕?」
「うん! 駐屯任務、みんなすごく感謝してたよ!」
「感謝されるようなことじゃないよ。これは……」
あ、言ってみたいセリフを思いついた。
僕は渾身のドヤ顔とともにそれを放った。
「――――仕事ですから」
「……ぐすっ……あのタカハが……おおきく、なって……」
「お母さん――ッ!?」
幼いころは僕の方がパパって感じだったんだけど。
「ほら、前にわたしがやりたいことを話したの、覚えてる?」
「『奴隷の人たちが飢えないように、狩猟術や武術を広めたい』」
「うん。……それ、タカハに先を越されちゃったなあって思って。タカハが駐屯任務でがんばってたことって、本当にわたしがやりたかったこと、そのままだから。村の人たちに知らないことを教えて、生活を少しでもよくしてあげる。口で言うほど簡単なことじゃないと思うよ」
ラフィアに褒められることはあまりないから、くすぐったい。
「……そんなタカハを見てて、いろいろ考えたんだけど」
ラフィアは言葉を区切ると、ふたたび僕のとなりに並んで歩き始めた。
透き通る青の瞳は――まっすぐに前に向けられている。
「タカハがあんなに上手にやっても、1年間をかけても、たった十数個の村しか、変えることができなかった」
「そう、だね」
「わたしが同じことをしても、たぶん、もっと少ない」
「……ラフィアの方が村人たちと上手くやれると思うけど」
「ううん」
きっぱりと。
少女は首を横に振った。
「いろいろ、考えたんだ。エクレアと話したこと、パルム村の孤児院のこと、ニンセン徴税官のこと。貧しい辺境地帯と、正反対な領都。太った騎士様と、やせっぽっちの奴隷たち。……わたしやマルムにはタカハがくれたチャンスがある。でも、普通の人はそうじゃないんだなあ、とか……。そういうことを、1年間ずっと、考えたの」
ラフィアはもう1度、僕の前に立った。
今度は足を止めて。
僕をまっすぐに見て。
「タカハは、おとーさんと、なにをしようとしているの?」
「…………」
ラフィアはいろんな人のことをよく見ている。
だから、気付くなという方が無理な話だ。
瞬時に、誤魔化す言葉を3パターンくらい思いついた。
不審を抱かれないまま封じることができる話題の広げ方も。
でも、それをラフィアは望むだろうか。後で知ったとき、隠していたという事実を笑顔で飲みこんでくれるその裏で、ラフィアはきっと傷つくだろう。
それは嫌だと思う。
「駐屯任務と変わらないよ」
「変わらない……?」
「ただ――ムーンホーク領の全部を相手にしようと思ってる。それだけ」




