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算数で読み解く異世界魔法!  作者: 扇屋悠
騎士団編・第3部
76/164

第75話:「ここにいたのか。探したよ」と大魔法使いは言った。




「……」


 エクレアの工房を去って地上に出ると、日はとっぷりと落ちていた。


 領都の端の方に作られた肉体奴隷たちの仕事場の近くはひどく暗い。かがり火が焚かれていないからだ。鉄格子が使われた建物にも、圧迫感がある。重苦しい暗闇の中で、たくさんの奴隷たちが眠りにつこうとする気配を僕は感じている。


 遠くの方に、翼を広げた優美な鷹のようなムーンホーク城が見えた。

 あの周囲には貴族や市民たちの豪邸が並んでいて――一帯はまるで前世の都会と一続きであるように明るい。

 僕は動揺していた。


『どーしてタカハには言ったと思う?』


 エクレア。

 魔法使いと戦うことで、自分を証明する肉体奴隷。

 オトコだと偽って生きる、小柄な少女。

 彼女は、僕にだけ、少女であることを認めた。


「これは……そういうことで、いいのか?」


 心拍数が上がっている。

 僕は、どうしたいのだろう……?

 僕は大通りに向かって適当に足を進めた。考えはまとまらなくて、ぼんやりとしている。

 だから。

 僕は、肩に手をかけられるまで、気付かなかった。


「――――やはりそうだ」


 声。

 落ち着いた低音なのに、どこか粘っこい、声。


「え?」


 肩に触れたと思った手は、しかし、触れているという程度ではなかった。まるで岩でできたゴーレムがのしかかっているかのように、すさまじい力で僕の歩みを止めている。進もうとしていた僕とその手のひらの間で押しつぶされた肩の筋肉に鋭い痛みが走って、僕は足を止めざるを得なかった。


 首を回して、声の主を認めて、僕は息を呑みこむ。


「――――騎士、エリデ」

「やあ、こんばんは。従騎士タカハ」


 剛毛のペルシャ猫。

 愛嬌のある顔に埋めこまれた瞳は、笑っていない。

 なぜ、こんなところに副団長が――――?


「残念だが、2点、減点だ」


 騎士エリデは万力のように圧迫していた右手の握力をあっさり緩めると、穏やかで諭すような口調に切り替えた。


「1点。隊舎の外にいるときは必ず緑色のハーフコートを身に着けるか、携帯すること。これは目の前で緊急に対応しなければならない事案が発生した場合、騎士団の権能を間違いなく発揮するためだ。――今の君は、コートを持ち歩いていない」


 胸の底に氷を押し詰められたような感覚。

 心臓が走り、背筋から嫌な汗が吹き出していく。


「2点。このあたりは肉体奴隷たちの暮らしている区域だ。騎士が単独で立ち寄ることは推奨されていない。聡明そうめいな君なら理解できるだろう?」


 肉体奴隷の騎士への恨みは、深い。

 よって騎士が肉体奴隷に接触するときは部隊の単位での行動するように推奨されている。


「だから、私は問わなければならない。

 ここで、いったい、なにをしていたのかな?」


 騎士エリデは、僕が肉体奴隷エクレアと接触した事実を、たぶん、掴んでいる。


 しらを切りとおせ――――ない・・


 やばい!

 これは本当にやばい……!

 だって、僕のティーガの内ポケットには、肉体奴隷たちから受け取った騎士団の行動に関する資料がある。

 それを従騎士が持ち歩いていることの正当な理由なんて、どこにもない。


 全身の皮膚が裏返るような感覚。

 喉が一瞬でからからになり、僕は必死に唾を飲み下す。

 騎士エリデは目を細めた。

 ――その様すら愉しむように。


「……騎士エリデ、自分は、探索を、しておりました」

「探索」

「自分は領都の内情に詳しくありません。歩き回ることで知ることも多いと考えました。それは、肉体奴隷たちの件もそうです」

「肉体奴隷たちの件」

「……自分は、肉体奴隷たちの生活ぶりを知りません。それを知りたかったのです。そのためには、騎士として尋ねるよりも、このティーガを身に着け、魔法奴隷であるかのように行動することが有益と考えました。申し訳ありません、副団長」

「ふむ。好奇心が先行した結果だったのか。理解した」


 あっさりと。

 騎士エリデは言った。


「だが――上官としてはその身をあらためなければならない」

「――――」


 騎士の唇が、薄い三日月のように、歪む。


「さあ。そのティーガを脱ぎなさい」


 騎士の大きな手のひらが、伸びてくる。

 ここで僕と肉体奴隷の接触がバレてしまえば。

 ゲルフにも疑念は及ぶ。

 そうすれば、『軍団』は終わりだ。

 一撃で本丸を落とされるようなもの。

 いや。

 もう、終わって――――


「――――ここにいたのか。探したよ」


 声。

 厳格な老人の声だった。


 騎士エリデの動きが止まる。


 僕と副団長は、同時に、大通りの方を見た。


 かがり火が焚かれた大通りを背景に、黒いローブに包まれた魔法使いのシルエットが浮かび上がる。白い髪と白い髭、――ここまではゲルフと共通だけれど、細かく見れば全然違っていた。

 頭髪と髭はきっちりとした長さに切りそろえられ、ローブだってかなり上等な生地を使っている。

 そして、夜空で煌々と輝く星のような瞳は青色で、耳の先が尖がっていた。妖精種エルフ


 誰、だ?


「これは――……!」


 騎士エリデはまるで僕の存在を忘れたかのように息を呑んだ。


「まさか、ゼイエル様ではありませんか……!」

「おお。その声はもしや、騎士エリデか」


 つか、つか、と足音を響かせながら、老魔法使いがまっすぐにこちらへ近づいてくる。

 ゼイエル様……?

 その名前は、プロパとゲルフによって僕は何度も聞かされていた。『瀑布の大魔法使い』。プロパのおじさま。『魔法の国』の全土を見渡しても、5本の指に入るほどの有名な魔法奴隷。

 王都で仕事をしている、と聞いていたけれど。


「何年ぶりだろうな。副団長にまで上り詰めたと聞いたが」

「私など、まだまだ未熟者です。副団長の職ですら身に余る栄誉。……それよりも、ご活躍の噂はこちらまで届いておりますよ。ゼイエル様はムーンホークの誇りです」

「いつ引退しようかと、最近はそればかりを考えている」


 ぴくり、と騎士エリデの肩が揺れた気がした。


「……ゼイエル様が引退される日は王都中が騒ぎとなります。その損失はあまりに大きい。いつでも、何なりと、我がレインの家にお命じください」


 老魔法使いは、かすかに目を細めた。

 『瀑布の大魔法使い』が王都を去るとき、なにかが動くのだろう。

 そして、市民出身の騎士たちは虎視眈々とそれを狙っているようだ。


 老魔法使いは穏やかな微笑みを浮かべた。


「その日はいずれ必ずやってくる。ムーンホーク出身の頼れる人材を私は常に探しているのだ。……そのときは、頼りにさせてもらおう」

「はっ」

「代わり、と言ってはなんだが――その従騎士を貸してもらえないだろうか」


 騎士エリデはものすごい勢いで僕を見た。

 そして、その大きな顔をすぐに老魔法使いに戻した。


「彼と私の甥のプロパが同輩なのだ。そして、彼はかつての戦友であった『暁の大魔法使い』ゲルフの弟子でもある。……今日、領都に着くことが決まっていて、内密に迎えに来てほしいと依頼していたのだよ。姿を見せてくれないから、探していた」


 ゼイエルさんの青い瞳は僕に向けられる。

 『話をあわせろ』と顔に書いてあった。


「し、しかし、この従騎士は、肉体奴隷たちの仕事場に潜りこんでいたようなのです……!」

「ほう。私も若いころはよく肉体奴隷たちと酒をかわしたものだ。どうかな、騎士エリデ、今から彼らの所在地へ向かうというのは。なかなかスリルがあって、その上に興味深い話を聞ける。私も右下の奥歯を無くしたのはこの北東区の仕事場だった」

「い、いえ、この後、任務がありまして……」

「そうか。それは残念だ。……タカハくん、明日にでも騎士エリデに報告書を差し上げるといい。君が肉体奴隷たちの仕事場で何を見、何を感じたのかをな」

「……分かりました」


「では、――――よいかな?」


「もちろんです! ゼイエル様!」


「ゆこう」


 老魔法使いは堂に入った仕草で上等なローブを翻した。

 僕はわけもわからないままその後に続く。

 1度振り返った。

 騎士エリデはいつまでも頭を下げ続けていた。


「……身の振る舞いには気をつけなさい」


 ゼイエルさんは一瞬、流星のように鋭い視線を僕に向けて、歩を進めた。


「君が加担している計画は、とても多くの人間の悲願と、そして、犠牲のもとに成り立っている。砂粒をゆっくりと積み上げて城を作るような、途方もない計画だ。だれか1人がわずかな隙間風でも許せば、その城は瞬く間に崩壊する」

「……」


 返す言葉なんて、どこにもなかった。


「……ゼイエルさんは」

「ああ。私もゲルフが率いる『軍団』の一員だよ。……あまりやりたくはないのだがね。明日、公爵閣下にお会いすることになっているから、一足先に戻ってきた。それが、功を奏したようだ」

「……これを預かっていただけないでしょうか?」


 僕はエクレアからもらった羊皮紙をゼイエルさんに手渡した。

 もう1度騎士に遭遇したとしても、ゼイエルさんの身が検められることはないだろう。


「――――」

「ゲルフに渡してください」

「すぐに反省ができる、か……。たしかに、ゲルフの子どもには見えないな」

「……ええと」

「字面通り褒めているんだ。むしろゲルフに教えてあげてほしい」


 微笑を僕に向けた老魔法使いはローブのボタンを外し、その下に来ていたイエルのさらに中に書類を押しこんだ。イエルの襟元を正し、ローブを整えれば、外からではこれっぽっちも分からない。


 僕は猛烈に反省した。


 ゼイエルさんの言う通りだ。

 ゲルフたちだけじゃない。

 もっとたくさんの人の命が、僕の行動にかかっている。


「申し遅れました。緑色騎士団、従騎士第2階、タカハといいます」

「ああ」


 ゼイエルさんは足を止めてほんのかすかに微笑んだ。


「私はゼイエル。王都で専任文官という便利屋のような仕事をしている。『瀑布の大魔法使い』と呼ばれることもある」


 息を呑む。

 二つの月明かりに老魔法使いの姿が映し出される。

 髪形も、髭も、青い瞳も、表情も仕草も、――その全てに品があって、とても魅力的な老魔法使いだった。


「いつもプロパがお世話になっているね、タカハくん」



――



 ゼイエルさんがあそこを通りかかったのは本当に偶然だったのだという。騎士エリデが肩を怒らせながら大通りを折れていくのを見つけ、興味が湧いたゼイエルさんは裏路地に踏み込んだ。そこで、僕の状況を知った。


 タカハという名前。

 僕がティーガを着ていたこと。

 騎士エリデの立ち位置。


 たったそれだけの情報で、あの状況から僕を救ってくれた。


 本当に頭が上がらない。


 王都のど真ん中にある王城の文官たちと太すぎるつながりをもつゼイエルさんは、ゲルフの計画の重要な側面を占めている。

 ――革命を引き起こしたその後。

 状況がどう動くにせよ、王城の文官に介入できるゼイエルさんは大きすぎる戦力になる。


「よく来てくれたな、ゼイエル」


 ゲルフはゼイエルさんの訪問に合わせて、領都に滞在していたようだ。その表情は見たこともないほどに明るい。てか、10歳くらい若返ったように見える。表情って大事だな……。


「ふん、君の顔など、こんなことでもなければ見るつもりはなかったのだがね」


 ゼイエルさんはうるさい虫につきまとわれているかのように、手を軽く振った。

 並んでみると対照的な2人だった。ゼイエルさんは服も髪形も相当にカッコいいけれど、ゲルフはローブもとんがり帽子もボロボロだし、髪もひげも眉毛も伸び放題――。

 多少は見た目に気を遣おう、と僕は改めて決意した。


「まあそう言うな。今宵は泊まってゆくのじゃろう?」


 だが、ゲルフはそんなことをこれっぽっちも意に介さない。笑顔のまま、食い下がる。


「そのつもりだが。……いや待て、酒は飲まないぞ。君と飲んでロクなことになった試しがない」

「飲まねばいずれ殴り合いの喧嘩となるのは目に見えておる」

「馬鹿だな君は。飲んでもそうなるだろうに」

「ならば、酔い崩れた拳の方が明日に響かないのではないかな」

「……よし。飲むか」

「応とも。我らの身の安全のためにな」


「ヴィヴィさん」


 そんな2人をにこやかに見守っていたヴィヴィさんに、僕は声をかける。


「しばらく、僕は騎士エリデに目をつけられると思います」

「……ええ」

「ですので、状況が動き出すまでは、僕は騎士団のために振る舞うことにします」

「では、本当に緊急のこと以外ではお手紙もお送りしないようにしましょう。その他のことはゲルフ様か私から直接お話しする形に」

「すみません」

「いいえ。お気になさらないで」


 ヴィヴィさんは安心させるように僕の二の腕のあたりに手を置いた。


「あくまで私の印象なのですけれど――それほど問題とはならないと思います」

「…………え?」

「準備は、ほとんど終わりつつありますから」


 穏やかに微笑む老魔女。


「この1年間で、ムーンホーク領のいたるところに協力者を広げることに成功しました。タカハさんが北西域で名前を広めてくれたことも、大いに役立っています。

 遅くとも、来年には、私たちは旗を上げます」


 ――――革命の旗を。

 ゼイエルさんと肩を組み、廊下を進んでいくゲルフの背中を見る。


 ゲルフとヴィヴィさんはなにを考え、どんな手でそれを引き起こそうというのだろう。

 それは今のところ、2人の間だけで議論が進められている話だった。

 僕には想像がつかない。


「肉体奴隷のみなさんの動きを探ること、ゼイエル様の協力を取り付けること、この2つはほとんど最終段階の行程だったのね。そして、それは達成されました。肉体奴隷のみなさんも、最低限、中立であることを選ぶという確信が持てた」


 ヴィヴィさんの茶色がかった赤い瞳の底に、ぶれない芯が見えた。


「その最後に、タカハさんには大きな仕事をしてもらうことになるでしょう。――それはタカハさんにしかできないお仕事です」


 僕は唾を飲みこむ。

 あと1年。

 僕はただ、優秀な従騎士として振る舞えばいい。

 そのとき、『軍団』は動き出す。ゲルフの理想がこのムーンホーク地方に刻みつけられる――――


「……なにを言うか……!」


 居間の方から聞こえてきた大声に僕の思考は中断された。


「……あの日はわしが先に前に出たじゃろうが! そもそも……」

「……記憶の改ざんだけは一級品だな。だとしたら論理的につじつまがあわないだろうに……」


「あの人たちはいくつになっても……」


 くすくすとヴィヴィさんが笑って、僕はようやく肩の力を抜いたのだった。




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