第74話:「ボクとタカハの仲だろ?」と少女は不敵に笑む。
僕は肉体奴隷たちの住む建物の入口に立っていた。
エクレアと死闘を繰り広げた広場は、木材や石材が運び込まれ、大勢の肉体奴隷たちが汗をかきながら作業している。僕がエクレアに騙されたあの日は、イベントのためだけに片付けたのだろう。娯楽は大事だ。
数日前に別れたばかりのエクレアに、僕は会いに来た。
とはいえ、どうやって会えばいいのかわからないから、手紙を出してみたところ、半日もしないうちに『いいぜっ』とだけ書かれた手紙が返ってきて――――
従騎士の証である緑のコートは着ていない。ふつうの魔法奴隷に見えるはずだ。門のあたりでじっとこちらを見ている肉体奴隷に声をかけ、エクレアの名前を告げる。
ぎょっとした顔をされて、「エクレア様のご友人の方ですかぁッ! お声もかけず失礼しましたぁッ!」と怒声を浴びせられた。びっくりした。ひどい仕打ちだと思う。
「お名前は?」
「タカハ、ですけど……」
「承っております。……それでは、失礼して」
肉体奴隷は言って、僕に布の目隠しをした。
「待てコラ」僕はものすごいスピードで言った。
肉体奴隷は一瞬、目隠しの布を結ぶ手を止める。
「ご友人と言えども、エクレア様の工房までの順路はお教えできません」
「…………」
エクレア様は僕が予測していた以上に肉体奴隷のみなさんに慕われているようだ。
しゅるしゅる、と僕は目隠しをされる。エクレアはことあるごとに抜け出していたような気がするけれど……というツッコミはやめておこう。失神してしまうかもしれない。
と、思っているうちに、僕は数人の男たちに担ぎあげられた。
右に10歩、左に5歩……直進して……下へ?
風がひんやりとしてくる。
左に7歩……あ、しまった、分からなくなった。
まあいいか。
僕は脳内マッピング機能をオフにして、しばらく揺られるのに任せた。
目的地はすぐ。
僕は椅子に座らされて、目隠しを解かれた。
まぶしさに僕は少し目を細める。
そこは、やや広い空間だった。
予想通り、地下のスペース。
金属や木で作られた物体が壁際に置かれ、そのパーツらしきものが床に散乱していた。明かりは天井からの光と、ランプが2つ。
円錐形のガラスは今まで見たどのランプよりも透き通っている。これもエクレアの『アート』の1つ、なのかな……。
「ありがとう、みんな。下がっていいよ。またベルを鳴らすから」
「「「うっす!」」」
男たちが退場していく音が聞こえる。
ツナギのような服を来た小さな背中が、部屋の奥のほうにいた。
手元でカチャカチャと何かを作っている。
「わるい。ちょっと待っててくれ」
エクレアは一瞬だけこちらを見てそう言う。
「とりあえず、茶でも飲んでてよ。テーブルにあるから」
いびつな金属のやかんから、いい香りがしていた。僕はすぐそばにあったデコボコの金属コップにそれを注ぐ。一口。鉄分を豊富に含んだ味がした。
……うん。
香りだけでも身体に良さそうだと思い、僕はコップをそっと遠ざけた。
「よしっと。できた」
がちゃんと、エクレアは出来上がったなにかを床に置く。けっこう大きくてトゲトゲしていたけれど、この位置からは、よく見えない。
「タカハの方から訪ねてきてくれるなんて珍しいな。というかハジメテだろ? ったく、この前会ったばかりだってのにもうボクが恋しくなっちゃったか。うんうん、分かるぜその気持ち。こんな頼れる相棒そうはいないからな」
相変わらずのマシンガントークだ。
相槌を差し込む隙間がない……。
「とりあえず何する? 相談? 雑談? 猥談?」
「女の子がそういうことを言うんじゃありません」
「ほんとにハナシのわかんないやつだな。ボクはオトコなんだってば」
その設定は。
ムリがあるのでは。
「仕方ない。ボクがオトコだってこと、タカハに証明してやるぜ」
「ど、どうやって……?」
「決まってんだろ。オトコの器を決めるたった1つの方法――」
腕相撲、とか……?
いや、エクレアが両手で頑張ったって負けない。
にぃっと笑ったエクレアは、勝利を確信した戦士のように堂々と言い放った。
「猥談でショーブだっ!」
「帰る!」
…………あ。
帰れないじゃん。
「気付いちゃったか、タカハ。オマエはここから逃げることもできないんだぜ? ――そう。ボクをオトコだって認めるまで、な」
「……実際エクレアもイイヤツだよね。ほんとそう思う」
「そーだぜ。ボクもきっと、ハンブンくらいはイイヤツだ」
近づいてきたエクレアは僕のすぐ隣の椅子に座って、デコボコのコップに紅茶を注ぐと、ぐいっと一杯あおった。「うめー……」と一息。お疲れさまだ。
そのとき、僕はようやく気付いた。
「エクレア」
「ん? どうした?」
「髪、縛ってるんだ?」
今日のエクレアは、珍しい薄青の髪を1つに束ねていたのだった。もともとのボーイッシュな髪型から少し伸びたそれを、頭の後ろのあたりで尻尾にしている。
つやつやと輝くそのスカイブルーは前世の僕の基準でいえばファンキーでパンクな色合いに見える……はずなのに、エクレアの雰囲気のせいか、暗がりのせいか、とても神秘的で、綺麗に見えた。
おまけに、柔らかそうな頬とか、産毛の生えた白いうなじとか、意外と長いまつ毛とか、そういうのがランプの光に照らされていて、この見た目ならさすがにオトコだと言いはるのは厳しいと僕は思う。男らしい要素は、悪ガキっぽい表情と口調くらいのものだ。
「作業のジャマだったんだよ。……あ。長すぎるって言うのはナシで。ボクは忙しすぎて切ることすらできないんだからな」
「いや。もったいないよ。綺麗な髪なんだから、切らないほうがいい。伸ばしたら?」
「…………」
「ん?」
「……………………か」
最初は、本当に蚊の鳴くような声だった。
「か、からかってんじゃねーよ!」
すぐに大声になったけれど、顔は真っ赤で威圧感はない。
まさかこれ……照れてるのか?
「からかってないってば。ほんとうにそう思うだけ」
「お、オトコ相手にタカハはそういうこと言うのか……?」
「エクレアはオトコだ。でも、エクレアはかわいい」
「バカにしてんだろ! それ!」
「――とまあ、ほどよく場が温まったところで」
「流すな! このっ!」
エクレアは僕を小突いてくる。そこは設定どおりに男同士の距離感だから、僕は少しとまどう。こんな無防備な感じで大丈夫なんだろうか。エクレアを応援していた肉体奴隷の多くは筋骨隆々な男性諸君だった。
……まあ大丈夫なんだろう。
エクレア、戦闘力はかなり高いし。
「ここが前に言ってたエクレアの工房?」
「ああ。コロッセオの地下にあたるのかな。ムーンホーク領都ができたとき、このあたりに大きなタテモノを作ろうとしてたらしくて、その名残だ。で、そっちにあるのがボクのアート。買ってくか? ヤスくしとくぜ?」
欲しいかも。
「……てことは、カネで買えないものがほしいのか。なんだなんだー? ボクのココロとか言うなよー?」
相変わらず話が早い。
僕は息を吸って、意を決して、言った。
「エクレア、聞いて欲しい話がある」
「おお。ドンと言えよ」
「革命を起こそうと思ってるんだ」
「カクメイって……あのなぁ、ボクだって仕事中なんだぜ? からかうのもたいがいにしろってば。うりうり」
しばらく僕の肩を小突いていたエクレアは、僕がその顔をじっと見つめていることに気付いて、その意味を推察して、目を見開いた。
「え? ウソ? マジで言ってんの?」
――
最初は冗談っぽさが半分くらいあったエクレアの表情がどんどん険しくなっていく。まるで登山をしているような気分だった。僕の話を聞き終えたエクレアはやかんからお茶をカップに注ぐと、小さな両手で抱えながら、それをちびりと一口飲んだ。
「どうしてそれをボクに話した?」
「協力してほしいんだ。エクレアに」
「……」
ちびり、ともう一口。
ランプの光を反射する薄青の瞳はどこにも焦点を結んでいない。
のめり込むように、深く、エクレアは考えている。
「……タカハの話は分かった。ぼかしてたけど、誰が中心人物かってのも想像できる。どのくらいでっかいケーカクなのかってのも」
やっぱり、エクレアの思考は素早く、要点を外さない。
「ボクが本気になれば――ムーンホークの全域に居る、たぶん、17倍した17人よりも多い肉体奴隷に声をかけられる。貸し借りをゼンブ清算する気で動かせば、サイテーでもその半分はボクの言いなりにできる」
冗談を言っているようには思えなかった。
実際、この工房の周りの警護にしたって、肉体奴隷たちの協力が不可欠だ。エクレアのやるコロッセオとエクレアの作る武器は――そのくらい、肉体奴隷たちにとって価値があることなのだろう。
「でも、タカハの話への返答は――――ノーだ」
……やっぱり、そうか。
「……理由を、教えてほしい」
「タカハのこと、ボクは信頼してるし、恩もある。カンタンなことならもちろん手を貸してやるつもりだった。けど、それはカンタンなことじゃない。しかも、それは――魔法使いの、魔法使いによる革命だろ?」
オマエの革命で、ボクたちは救われるのか、と。
エクレアはそう問いかけている。
「違う。奴隷の、奴隷による革命だ」
「そうかな? ホントに、そうか?」
「……」
「ボクたちには魔法がない。だから肉体奴隷だ。ボクはそもそも、魔法使いたちをぶっ倒すための力を探してるんだ。そこらへんを歩いてる魔法使いとボクが隣に並んだとき、ボクは魔法がないから無条件に見下される。なにもこれは貴族や市民だけの話じゃないぜ? 魔法奴隷たちの中にも肉体奴隷を見下すヤツらは一定数居る。ボクが変えたいのはそこだ。
だから、――タカハの革命とボクの理想は近いようで、けど、かなり、ズレてる」
「……」
「てことは、ボクの結論は、最後までじっと戦況を見極めて、勝ちそうな方につくってことだけだ」
…………エクレアはぶれていない。
だから、その指摘はもっともだ。
魔法をもたない彼らにとって、ゲルフの意思に賛同する必要性はない。
となると……『なんとか敵にならないでくれ』と説得しなければならないだろう。
「――――ていうのを、この工房のオーナーで、肉体奴隷たちの一部をまとめてるエクレアの意見として、とりあえず伝えた」
「え?」
「こっからさきは、単なる美少女の個人的な見解」
エクレアは、にぃっというあの獣じみた笑みを浮かべた。
「貴族を追い出して、市民をやっつけて、騎士団をぶっ飛ばして、奴隷たちがムーンホーク領をとる。それさ、かなりオモシロそーじゃん!」
「エクレア……?」
「当たり前だぜ。ボクとタカハの仲だろ?」
いつしか。
エクレアの不敵な笑みは僕の口元に伝染していた。
「個人的にはモチロン手を貸すよ。タカハには2つの恩がある。決闘したのに命を奪われなかった恩、北西域に連れて行ってもらった恩――それはまだ、返してないしさ。大人数を動かすかどうかは色んなヤツらに相談しないと決められないけど、ボク個人は手を貸せる。……そうだな。とりあえず、騎士団の動きに関する情報とか、使えるか?」
思わず、僕は立ち上がって片手を差し出していた。
ぱしっと乾いた音が響く。
勢いを受け止めるように握った少女の手のひらは、小さく、そして、熱かった。
その後、エクレアの親衛隊(?)が羊皮紙の書類を何枚か複写して分けてくれた。騎士団の招集や徴税に関する動きをまとめた書類で、従騎士である僕でさえ知らないものも含まれていた。
「そういえばさ」
「ん?」
工房を去る直前、僕は訊き忘れていたことを思い出した。
「さっき、エクレア、自分のことを美少女って言ってなかった?」
「エクレア様、お時間です! お客人をお送りします!」
まさにそのタイミングで狼人族の青年が工房に飛びこんできた。
「僕の聞き間違いじゃないよね?」
「んー、そーだな。じゃあ、最後はナゾナゾだ。次に会うときまでの宿題ってことで。――どーしてタカハには言ったと思う?」
…………。
……。
待て。
ちょっと待って。
それって――――
「エクレア――」
「じゃあ、またなっ。タカハ」
「では失礼して」
「うわ――っ!」
なにかを言いかけた僕の視界を、布が暗転させた。




