第151話:「……領主様……これ……!」と紫檀の魔女が動揺する。
「もうすぐです」
獣道を先行していたゲパルトさんが振り返る。
僕はその言葉に答えるように、調査隊全員にかけた『伝令』の魔法に言葉を乗せた。
「まもなく、『幽霊』現象が確認された地点を結ぶ『円』の外周に接近します。魔法使いは全員、回路を開いて、異変があったらすぐに報告してください」
夜の森は黒い毛並みの狼の群れのように見えた。その中でいくつもの松明が揺れている。
僕もまた、自分が指示を出したとおり、回路を開いた。
回路を開く、というのは一種の慣用句だ。呪文を詠唱することで魔法は発動するけれど、その前段階として、魔法使いは周囲に拡散しているマナを知覚する必要がある。
色つきの眼鏡が喩えとしては分かりやすいかもしれない。意識して眼鏡をかければ魔法使いはマナを感じることができるけれど、逆に、普段はマナを感じることはない。
村人たちが気絶させられた原因――それを僕たちはマナだと考えた。マナの異常だと。
魔法発動のエネルギー源。
僕たちの世界を満たす粒。
精霊様への供物。
今、僕の周囲には7粒ほどのマナが漂っている。
ここまでのところ、何の異常もないけど――
少し進んで。
すぐに――僕は確信に至った。
森が次第に明るくなってきたのだ。
松明の明かり以上に。
夜の底が抜けるみたいに。
僕のマナの感じ方は『光の粒』。そして、僕の目の前にあるこれがマナの光だと、僕は直感する。これほどの密度のマナを見たことがなかった。
「……領主様」
振り返ると、ナイアさんが紫色の瞳をまっすぐに前に向けていた。
「……私の感覚では……20歩先……すさまじい密度……」
「了解です」
領都攻略戦でもそうだったけれど、ナイアさんはマナの存在に敏感だ。僕は周囲のマナの数をなんとなく数えることができるけど、距離までは分からない。ナイアさんの感じ方は、アンテナの精度がいい、ということだろうか。
「――全体、停止」
指示を出した上で、僕は魔法使いではない狩猟団員を数名先行させた。
数分たって、油断なく槍を構える男たちが戻ってくる。ドーベルマンのような犬人族、ゲパルトさんがかぶりを振った。
「領主様……なにもありません。危険な獣も、人の気配も。さっきと同じです」
「分かりました」
僕は狩猟団員たちに頷きを返し、2人の魔女に向き直る。
「進みましょう」
志願してくれた魔法使いたちにバックアップをお願いして、僕と2人の魔女は慎重に歩を進める。
「――――ッ」
獣道を1歩進むたびに、マナを知覚している視界の中央に強烈な光が増してきた。
いつもは僕はマナを光の粒として数えるけれど、僕の正面にあるのはもはや太陽だった。マナの量が多すぎて、次第に僕の視界はハレーションを起こしていく。
居る。
というか、在る。
マナを知覚するための感覚を閉じれば、視界は深い夜の森だ。
だが、第六の感覚を開けば、蛍光灯のような眩しさが目の前にある。
感覚を揺さぶられながら、さらに数歩進む。
僕はその全体像を視界に捉えた。
「……これは……!」
その正体は――――
「…………壁?」と、金髪の魔女が呟く。
メルチータさんの言うとおり。
そこにあったのは『幽霊』ではなく、壁だった。
巨大な透明の板が置かれている、というイメージだろうか。
横幅も、上方向にも、サイズを把握しきれないような大きな壁は、だが、実際にそこにある木の枝や葉っぱを無視して、継ぎ目のないつるりとした一つの面を構築している。
その面にびっしりと、まるで捕らえられた虫のように、マナが張り付いていた。
まるで、マナの牢獄。
なんだこれ……?
なにが起こってる……?
「タカハくん! これ――!」
「曲面に……なってる……!」
「曲面……?」
僕はマナの牢獄に目を凝らす。
左右を見て、上を見上げる。
そうか……!
大きすぎて気付かなかったけれど、本当だ。
この壁はたしかにゆるやかなカーブを描いている。
「巨大な球、ってことか……!」
地図で見れば、村人たちが被害にあった地点は1つの円の上にあった。そして、球の断面は――円になる。
「まとめると……零番採石場を中心とする巨大な球が生み出されていて、その球面には、普段の何倍ものマナが動きを止めて捕らえられているということでいいのかしら?」
「……うん。……適切」
「でも、マナをこんな風に集める単位魔法は存在しないわ。少なくとも、私たちの知るかぎり」
僕はマナの知覚を遮断した。……遮断したはずなのに、本来視えないはずのマナの光が、壁のあたりで揺らいでいるように見える。第六の感覚を無理やりこじ開けるほどの密度を伴ったマナの群れは――たしかに、白っぽい布に見えないこともない。
『幽霊』の正体が、僕たちの目の前にあった。
大量のマナの感覚に揺さぶられたせいか、頭がくらくらする。近づいただけでこれだ。実際にあの膜に触れれば、たぶん、すさまじいショックに襲われるのだろう。……それで『気絶』ってわけか。
「巨大な球面にマナが張り付いているのね」
「……だったら……」
首をかしげたメルチータさんの隣で、ひょいとナイアさんが木の枝を放り投げた。からんと音を立てて、球面の向こうに枝が転がっていく。
「物体は……問題なく、透過……」
「やっぱり魔法的な障壁ね」
「ムーンホークの、魔法では……説明、できない……」
「こうなったら調査あるのみよ。回路を絶対に開かないようにして通り抜けてみましょう」
早口で会話した2人の魔女の瞳は、ちょっと場違いなくらいの好奇心の光に輝いていた。
「メルチータ……先に、私が行く……。この体験、逃せない……」
「だ、ダメよ! そもそも今回の調査は私が先にタカハくんと相談してた案件なんだから。私が先に行くわ!」
……うん。
緊張感が決定的に不足していると思うのは僕だけだろうか。
「……いずれにせよ、この膜……球の表面、もう少し性質を……探る……」
ナイアさんは回路を持たない狩猟団員を呼んできて、あっちとこっちを何度か往復させた。彼はなんとも感じなかった様子で戻ってくる。
その後も、メルチータさんとナイアさんはいくつかの実験を繰り返した。そのたび「きゃー!」「わー!」と大騒ぎする2人組に革命軍の兵士たちも苦笑を隠していない。まさに、芋虫を木の枝でつついている小学生って感じだった。
僕も提案を1つ。
「魔法をぶつけてみましょうか」
「いいわね!」「……ナイス、アイデア……」
2人の魔女の賛同ももらったところで、早速。
回路を開く。圧倒的なマナの密度を前に、意識を集中しながら、詠唱開始。
「”――――火―1の法―2つ―今―眼前に”」
単位魔法は『火の1番』。
発動起点と時間を至近に設定。
その2倍魔法。
「”ゆえに対価は14”」
次の瞬間、僕の体の真正面に2つの小火球が出現した。その熱が、光が、現実の存在感を獲得する。
射出型に分類される単位魔法は術者のイメージによって打ち出される方向が変わる。僕はその2つを、ばらばらな方向に放った。
「――――!」
だん、だん―ッ! と。
球面でその2つが炸裂する。
マナを閉じ込める曲面は僕の魔法を受け止め、かき消していた。
「……領主様……これ……!」
紫色の瞳の魔女はわなわなと唇をふるわせる。
「たぶん……間違いない。……魔法を打ち消す……性質」
「とても巨大な曲面の領域で——」
「発動に必要な単位魔法は不明な、魔法——」
互いに見合った僕たち3人は、同時に、同じ結論を口にした。
「「「――『大魔法防護』」」」
それしか考えられなかった。
ということは、その中心に、零番採石場に、発動のための詠唱をする術者が居るはずだ。
その詠唱を聞き取ることさえできれば、独立領はこの未知の戦略級魔法への対策を手に入れることができるかもしれない。
独立領を強くできるのは、僕だけだ。
領民たちを守る力を手に入れることができるのは、僕だけ。
――そう思ったら、居てもたってもいられなかった。
「――行きます」
「領主様!?」「タカハくん、待って!」
2人の魔女の静止の声は耳に入らない。
僕はその膜に向かって、強く1歩を踏み出した。




