第150話:「僭越ながら申し上げます」と使用人はためらいがちに言う。
「領主様、報告します」
僕のすぐそばに控えたのは、1番採石場で僕たちに『幽霊事件』を説明してくれたゲパルトさんだった。狩猟団員の中でも重要なポジションにいる中年の犬人族は、今は狩猟用の軽鎧の姿で、苦々しげな表情を浮かべていた。
「革命軍のみなさんが最後に『円』をくぐった地点を確認しました。とくに争った形跡などはなし。『円』の向こうに進んだ足跡が残されていただけです。……おそらく、彼らは今も『円』の向こう側に」
「……分かりました」
吐き出した声の端が震える。
かがり火が僕たちの影をまだら状に引き伸ばしていく。
アルド隊長は職務に忠実で、優秀な指揮官だ。34名の兵士たちが危険な状況に陥っていることは、もう、疑いようもない。
『幽霊』というどこかオカルトめいた言葉と、その真相に近づくことができた高揚感で、この事件の危険度を僕は甘く見てしまった。
あとに引くことはできない。
迷いを振り切るように、僕は息を吸い込んだ。
「予定通り、夜間の調査を開始します」
僕はメンバーに順繰りの視線を送る。
中心的な人物は、僕、メルチータさん、ナイアさんの3人。
武術に通じる狩猟団員のうち、回路を持たない――つまり魔法使いではない人を選抜してもらって、彼らが10人。ゲパルトさんがそのまとめ役だ。
さらに、『幽霊』事件を解決しようと名乗りを上げた腕自慢の魔法使いがさらに10名ほど加わり、調査隊は総勢23名となった。
全員がかすかな緊張に表情をこわばらせつつ、動き始める。
「タカハ様」
出発の直前、白いエプロンを揺らしながら僕のそばに駆け寄ってきたのは――ティルさんだった。
「……その……私は…………」
だが、ティルさんは僕に声をかけたきりなにも言わなかった。
普段の歯切れのいいティルさんとは真逆の態度。
「このままだと気になって出発できない、かな」
「…………はい、申し訳ありません」
しばらく、待って。
「僭越ながら申し上げます」
ティルさんは小さな声で言った。
「私は――タカハ様やメルチータ様、ナイア様が調査隊に加わる必要はないと考えます」
「……」
「皆さまは魔法使いです。回路の無い狩猟団員を同行しているとはいえ、『幽霊』の被害を受ける可能性が高い。革命軍の増援を領都に要請するべきではないでしょうか」
ティルさんの言葉は、僕が最後まで検討していた選択肢のもう一方を的確に指摘していた。
「……ティルさんの指摘は間違ってない。僕も、さっきまでは、僕たちだけで行くか、増援を待つべきか、迷ってた」
「では……っ!」
「でも。話は単純なんだ。――その危険とつりあうだけの見返りがあるって、僕は判断したんだよ」
ティルさんの黒曜石の瞳が揺れた。「見返り、ですか……?」
「そう。今回の事件に魔法的な現象が関与している。それはまず間違いないよね? そして、ムーンホークに伝わる魔法ではたぶん説明できない。犯人は僕たちの知らない魔法を使ってる可能性が高い。だったら――その詠唱を、僕は聞き取りたい」
「タカハ様の、力……」
『対訳』。
すべての言語の意味を例外なく読み解く、僕だけの異能。
「うん。僕には精霊の祝福がある。1度でも詠唱を聞き取れば、僕はその呪文を手に入れることができる」
「……」
「それに、アルド隊長たちの状況は、これから先、悪くなっても、よくなることはない。現状の戦力でできることはやり尽くしておきたいんだ」
ティルさんは、俯いた。
俯いて、ふたたび沈黙してしまう。
犬耳も心なしかくたりとしていた。
「――大丈夫だよ、ティルさん」
しょんぼりとした使用人の肩に手を置いたのは――メルチータさんだった。
緑の魔女は、生徒たちを安心させる先生のように、穏やかに微笑んでいた。
「お屋敷にいるときはあまり分からないかもしれないけど、私だって、ナイアだって、言うまでもなくタカハくんだって、魔法使いとしてはかなり強いんだよ?」
僕は7系統、メルチータさんは5系統、ナイアさんも4系統の多重属性使いだ。
それだけではない、単位魔法と修飾節の知識、状況判断能力も――僕たちは互いに競い合うほどの自信がある。実は3人とも負けず嫌いで、そういう性格は魔法使い向けだ。
「だから、心配しないで待ってて。ティルさんの生まれ故郷に好き勝手はさせないんだから」
「メルチータ様」
「村長さんたちと昔話でもしているといいよ。今日のティルさんは僕の友人だからね」
「タカハ様……」
黒く透き通った瞳を少しだけ充血させて、ティルさんは言う。
「心配です。不安です。おふたりには行かないでほしい。これが、私の今の率直な思いです。先ほどお話ししたことは全部こじつけです。はっきりとはわかりませんが、嫌な予感がするのです」
自分の胸に強く手を押し当てたティルさんは、それでもなお流麗な仕草で一礼した。
「ですが、お待ちしております。
……どうか、どうかお気をつけて」




