第149話:「直接の調査に向かいます」と僕は告げる。
夕方、僕たちは村の集会場に集合した。
「まさか、こんなことになっているなんてね……」
村長が眉間に縦しわを刻みながら、日中をかけて情報収集を重ねた測量地図をのぞき込んだ。測量地図にはいくつもの木の葉や細枝が貼り付けられている。その全てが『幽霊』に関連する事件や目撃情報を示していた。
採石場を巡り、村人たちの聞きこみを続けること数時間——最初は無秩序に見えたその印が、はっきりとある形を形成したのは、4人目くらいのときだった。
さらに狩猟団に対する聞き込みを終えて、その図形はさらにはっきりと浮かび上がった。
村人たちが気絶した場所に打たれた印。
その印は――――完璧な円を描いていたのだ。
僕の印象では半径で1キロほどの円になるだろうか。地図が見切れているから半円になってしまうけれど、すべての目撃地点は同じ円の上に並んでいる。
「やっぱりこれは何らかの現象です。地図がそれを裏付けています」
「ええい! もっと早くに気付いていれば……!」
これまで冷静だった村長がついに感情を表に出した。一般の村人たちの間にも被害は拡大している。こういう現象だと最初に分かっていれば、その被害を減らすことができたかもしれない。
その小さな肩にのしかかる責任の重圧は、痛いほどによく分かる。僕もまた、独立領を今の形にするまでにいくつもの失敗を繰り返してきた。その時点では最良の手だと思っていたことが裏目に出るのは、未来予知の力でも無いかぎりどうしようもできないことだ。
だから、今は悔やんでいる時間ではない。
問題は――――
「……問題は……その、次……」
ナイアさんはひんやりとした視線を村長に向けた。
「この、中心点には……なにが、あるの……?」
ファオル村長はすぐに動揺を消して、ベルさんと同じ赤色の瞳をまっすぐに地図の一点に向けた。
「閉鎖した最初の採石場。無番採石場です」
「……無番採石場?」
「ええ。――――」
ファオル村長は語った。
無番採石場。
それは、このアーム村にある全ての採石場の中で、一番最初に見つかった地形だ。
森の中でもとくに深いところにあり、騎士団の採石場建設計画には含まれていたものの、石材の搬出路が確保できなかったため放棄されたのだという。
森の奥にあるそこには、近づく村人もいない。
「最初の数年は実際に採掘も行われておりました。しかし、放棄されたのは17年より前になります。年数が経って、崩落も始まっているから、村人たちには近づかないように言い含めておりましたが……」
「そこが――異変の中心点」
「位置を考えれば、間違いないでしょうな」
村長は首を横に振り、ゆっくりと続けた。
「だが、それは円の中にある」
「……」「……」
幽霊が出現する円。
それを何らかの方法でくぐり抜けなければ、僕たちは異変の中心点にたどり着くことはできない。
そのとき、ティルさんが1枚の羊皮紙を僕たちの前に差し出した。
「こちらがすべての被害者のリストです。被害の順に並べてあります」
――ガルム=ラノン。
狩猟団所属、人間。17と14歳、男性。
1月と15日前、獣を追って森の奥深くへ。
無番採石場に近づくことになるが近道を通って帰ろうとした。その道中、白っぽい影のようなものに襲われて気絶――
そんな感じの報告が全部で12人分ある。
「この報告書でも、共通点は……ない……」
「種族、性別、年齢……うーん、日時も時間帯もバラバラみたいね。『白っぽい布のような、人間の大きさの影』っていう見た目の情報くらいが共通点だけれど、それを見てない人もいるみたいだし……」
「……やっぱり、危険を覚悟で……直接、調査をするしかない……?」
「……」
2人の魔女は沈黙した。
「…………」
村長もじっとリストに視線を落としている。
革命軍の兵士たちも、だれも口を開かない。
……仕方ない。僕の出番か。
こういう雰囲気をなんとかしてこその『領主様』だろう。
「ティルさん、じゃあ、もう1つの報告を」
沈黙していた全員が顔を上げて僕を見た。
ティルさんが白黒の髪を耳にかけながら言う。
「タカハ様のご指示で追加で確認した事実があります。――こちら、すべてタカハ様の予想通りでした」
僕は内心で拳を固めた。
同時に、場を押し包んでいた沈黙の質が変容する。
諦めが入り混じった無言から、別のものへと。
僕の視線を受けたティルさんがリストを指差した。
「1点目。こちらの一覧への記載は間に合いませんでしたが――被害者は全員、魔法使いでした」
2人の魔女が驚いた顔をした。
「さらに、2点目。――近くで『幽霊』による被害が発生していた日時に、何の問題もなくこの円の中を移動していた人物を40名程度確認することができました」
「え?」
「それは……たしかなの……?」
「はい。間違いありません。採石場の勤務簿などと照らし合わせて、日時にずれがないことを確認してあります」
きっかけは単なる直感だったけれど。
いい線いってたみたいだ。
アーム村の人口は約1000人。最初の被害が出現した2月前から考えると、リアンとディゼットのように、採石場まで近道をする村人はもっと多かったはずなのだ。
でも、1番採石場で被害にあったのは2人だけだった。
僕の印象では、たったの、2人。
だから、僕は『幽霊』の被害を受けなかった人がいると考え、どうやら、その推測は当たっていたらしい。
『幽霊』の被害を受けた全員が魔法使い。そして、『幽霊』の被害を受けなかった彼らに、別の共通点があれば、この現象の正体がくっきりと浮かびあがる……はず。
果たして。
ティルさんは淡々とした無表情で、最大の戦果を言葉にした。
「幽霊の被害を受けなかった彼らの全員が、回路を持たない方々でした」
「あっ!」「まさか……!」
メルチータさんが息を呑み、ナイアさんの目の色が変わった。
「つまり――『幽霊』は、回路がない人には見えないし、被害を及ぼすこともない。……次に重要な情報は、『幽霊』に接触した村人たちの証言です」
「『幽霊』の見た目は『白っぽい布のような人間の大きさの影』。近づけば、まぶしい光を見せつけられ、気絶してしまう。これしか、一覧に共通している点はないと思いますが……?」
困惑した表情の村長に僕は言葉を返す。
「それは『幽霊』被害のすべてではありません」
「……すべてでは、ない?」
「はい。1番採石場のリアンは、光に加えて『ものすごい音』を聞いたと証言しています。ディゼットは、光に加えて『異臭がした』、とも言っていました。また、他には『口の中に苦いものをつっこまれた』ような気がしたという証言もあった。
意識を失う前に彼らが感じたのは光だけではなかったんです。
つまり、こうも言い換えられますよね?
幽霊の正体は『魔法使いにしか見えなくて、光であり、音であり、匂いである感覚』、つまり――――」
「……もしや」
村長が目を見開いて、言った。
「魔力、ということですか」
魔力。
魔法の発動の際に消費される、この世界に満ちるエネルギー。
それを知覚する感覚は、魔法使いだけに備わる第六の感覚とでもいうべきものだ。感じ方は、人によって違う。光る粒、甘い匂い、かすかな音、母親の温もり、雲の味――
僕はマナを光の粒として感じる。これはわりと一般的な感じ方らしい。でも、中にはマナを『鈴の音』と感じる人もいたり、『甘そうな匂い』だとか、『空気に肌を押される感覚』という人もいたり――それは様々だ。
「全員の見たものを説明できるのは、これしかないように思います。また、回路をもたない人が問題なくこの円を横切ったという事実にも説明がつく」
「マナを感じることすらできなければ、幽霊に気付きようもない、というわけですな」
「タカハくんすごいよっ!」
メルチータさんが両目をキラキラと輝かせる。
続けて、ナイアさんが黒いとんがり帽子を脱いだ。紫の髪を揺らしながら、こくりと首をかしげ、「脱帽」と言う。……うん。こっちはなんだかバカにされている気がする。
だが、2人の魔女はすぐに表情を引き締めた。
「意識していない魔法使いをショック状態に陥らせるほどの密度のマナが、この円に沿って集まっている、っていうことになるのかな」
「……行ってみれば、分かる……。マナを知覚しながら……進めば、急に気絶してしまう……ことは、ないはず……」
2人の魔女と頷きあい、僕は村長に向き直る。
「村長、狩猟団をお借りしたい。僕たちは直接の調査に向かいます。そして、その円を越えられる可能性があるのなら――無番採石場に潜む何者かを確保します」
「おお……。なんと……なんと心強い」
村長は震える両手を組み合わせ、『星の祈り』を額に刻んだ。
そして、きっぱりとした表情で顔をあげる。
「どうかお願いします。領主様」
「おまかせください。……では、アルド隊長」
僕はそばに控えていた革命軍の小隊長に視線を向けた。
「僕はさらに追加の情報収集に。革命軍には日中の追加調査をお願いします。幽霊事件は夜間にしか認められていません。日没までの撤退を厳守してください」
「はっ! ただちに出立します!」
素早く敬礼を向けた隊長は集会場の外に集合している兵士たちに指示を出した。
隊列を組みなおした兵士たちが無番採石場に進軍していく気配を感じながら、僕はテーブルの羊皮紙に視線を落とす。
今夜、まずは『幽霊』が出現する地点を実際に調査。
その地点を突破できるなら、無番採石場に踏み込む。
そして――今回の騒動の中心にいる犯人を捕縛する。
「メルチータさん、ナイアさん、さらに聞き込みをしよう」
「情報は……多ければ多いほど……いい」
「そうね。行きましょう!」
――――その時点の僕にとって。
最良の手は間違いなくこれだった。
夜に直接の調査に乗り出す僕たちが情報収集。
革命軍の兵士たちには零番採石場の先行偵察をしてもらう。
選択肢は他にもいくつかあったのかもしれない。でも、アーム村の異変を迅速に解決するための方策としては、何度考えても、それがベストだったのだ。――その時点では。
夕日の残照がゆっくりとかき消え、アーム村にかがり火が焚かれる夜になった。
そのときになって、僕はようやく、自分の選択の結果を知る。
――――アルド隊長率いる34名の兵士たちは、無番採石場から戻ってこなかった。




