第131話:新たなる公爵。
~前回までのあらすじ~
「――――『暁の革命軍』。
それが、僕たちの新しい名前です」
老魔法使いゲルフの意思を継ぎ、『魔法の国』の身分制度に革命を起こす反抗勢力『暁の革命軍』の盟主となった僕は、ついに革命のための行動を開始する。
騎士団が分断して管理していた魔法に関する知識を魔法使いたちに拡散し、彼らの総意をもってこのムーンホーク領を転覆させる――そんな壮大な計画は、僕の騎士団への反逆から幕を開けた。
数多の犠牲を払い、長く苦しい夜を越えて、僕たち『革命軍』はついに、ムーンホーク領都の門前に集結する。
「だが! 貴様らの負けだぁぁ! 愚かで下賤な奴隷ぃぃぃッ!!」
迎え撃つのは、強力な防御魔法と堅牢な城壁の向こうから僕たちを見下ろす市民たちの代表。
難攻不落の城塞と化した領都から、男は傲然と僕たちを笑い飛ばす。
『革命軍』の全開の魔法を束ねても突破できない防御魔法の前に、僕たちの歩みは完全に阻まれた――かに見えた。
「ここに集う魔法使いが『革命軍』だけだと、いつから錯覚していたんですか?」
革命の名の下に集ったのは『革命軍』だけではなかった。虐げられ、軽んじられていた無数の魔法使いたちと肉体奴隷たちもまた、この戦いに参戦。
彼らの協力の下、ついに『革命軍』は領都の正門を突破することに成功する。
進む先は、ムーンホーク領の絶対支配者だったライモン公爵の居城、ムーンホーク城。
美しいその城を取り囲み、奴隷たちによる革命は成った――
「いいだろう! 君たちの提案を、呑む! 全面的に受け入れよう! ムーンホーク領は魔法奴隷の望む場所へ姿を変える! この領の支配者たるおれが、そのすべてに全力で協力しよう! 王族のこの血を、君たちは好きに使うがいい! おれの血は、君たちの自由だ!」
「――――ただし、条件がある」
公爵の提示した条件。
それは、ムーンホーク領最強の騎士である騎士団長を、革命の盟主である僕自身が倒すこと。
『暁』の称号を継承した僕の力の証明。
言葉もなく、僕と騎士団長は杖と剣を交差させ――
死闘の末、僕は騎士団長を撃破することに成功する。
だが、戦いはまだ終わらない。
「騎士団総員! 抜剣――ッ!!」
「緑色騎士団、最後の任務だ! 騎士団長を奪還し、オレたちは戦域を離脱する!」
同じ村で生まれ育ち、ともにこのムーンホーク領のために尽くすと誓い会った騎士プロパ。
誰よりも優れた騎士となることを願う少年が僕の敵になるのは必然だった。
軍団同士の衝突の中、プロパは巧みな戦術で気絶した騎士団長を回収し、転移座でムーンホーク領から去る。
たったひとつの言葉を残して。
「だから、そこには居られない。オレはなにも持ってない、から」
進み始めた時間の中で、公爵がムーンホーク領の解放を明言。
新たなる公爵に指名された僕は、ともに杖を掲げてくれた領民たちに宣言をする。
「『革命軍』の代表として、新しい公爵として、1人の魔法使いとして――――」
「僕は、今日、ここに『ムーンホーク独立領』の建国を宣言します」
――――――
――――
――
その、数日後。
――『魔法の国編』・第1部――
――――王都。
王城、『謁見の間』。
広い床には磨き上げられた石材が敷きつめられ、絢爛な絵画が壁を飾っている。
小さな体育館くらいの広さの空間だった。天井が低めなのに閉塞感がないのは、右手に壁がなくて、庭園に向かって開かれているからだろう。
まるで一つの芸術品のように美しい広間だった。
そしてそこは、僕にとっては、ひどく寒々しい場所だった。
「――――それで?」
かけられた言葉の力強さに、僕は、ひざまずいている姿勢をさらに深くする。
「よもやそのような戯言を言うために来たのではあるまいな? 大罪人よ」
一音一音を積み重ねるように放たれるその言葉は、これ以上ないほど明確に僕を拒絶している。
僕は顔を上げることなく、だが、決して弱々しい声にならないように意識して、息を吸いこんだ。
「国王陛下。これは戯言などでは決してありません。正しい手続きに基づく、正しい要請です」
僕は頭を垂れた姿勢のまま、周囲に視線を走らせる。
すぐ右隣。僕の後見人である一人の貴族が、僕と同じように陛下に向かってひざまずいていた。
ライモン=ディード前公爵。
僕たちが成した革命によって追い詰められたかつてのムーンホーク領の支配者は、丸々と太った身体を僕と同じように屈めている。その表情を、僕の位置から確かめることはできない。
僕の後ろには、僕が連れてきた魔法使いたち。統一された緑色の布――『革命軍』の証である腕章を腕に巻いている。総勢は50名ほど。
そんな僕たちを、剣に手をかけた騎士たちが取り囲んでいた。
赤いコートが半分、残りは白いコートと黒いコート。今すぐにでも斬りかかれるという雰囲気を全身から発散させつつも、彼らは秩序を保って整列していた。
「正しい?」
国王は苛立ちを隠そうともせずに言い放った。
「余の血族を盾として王城に踏み入っておきながら、『正しい』と言ったのか? 貴様は」
武装した騎士が僕たちに襲いかからない理由は、隣りにいるライモン前公爵の存在に尽きる。
この人は国王の血を引く、貴族の中の貴族だ。ライモン前公爵がいなければ、反乱者である僕たちが王城に踏み入ることなどできるはずもない。実際、今回の謁見を要請したのもライモン前公爵、ということになっている。
だれがどう見ても、前公爵は人質だった。
この人が僕たちの中にいる限り――騎士団は手を出せない。
目の前に反乱分子がいるのに、斬りかかれない。魔法を放てない。そのもどかしさは、想像を絶するもののはず。
周囲の騎士たちの放つ殺気は濃厚にすぎて、寒気すら覚える。
キリキリという音が聞こえそうな緊張感を僕たちは交換していた。
「ですが、正当な手続きです」
僕は顔を伏せたまま言葉を重ねた。
「陛下の血族であらせられるライモン前公爵が謁見を要請し、そして、こう願い出ました。
『特例ではあるが、将来の可能性にあふれたこの者を養子として迎え入れ、爵位を継承したい』
この言葉は、先ほど、公爵自身の口から語られたばかりです」
「……ああそうだ。たしかに手続きは正しい。手続きは」
ため息と失笑の中間みたいな呼吸をしながら、国王陛下は言った。
「だが、『奴隷身分の出身であり』『騎士団に反逆した17歳の若造』に爵位の継承を認める王が、どこに居るというのだ?」
「……歴史とは、そういった固定観念を打ち破ることで前に進んでゆくのではないでしょうか」
「――――貴様ッ!!」
瞬間、僕の鼓膜に突き刺さった声は国王とは別人のものだった。
声の方向へ顔を向ける。すぐに見つかった。
赤いコートを身にまとった禿頭の妖精種が、こめかみのあたりをぴくぴくと痙攣させて僕を睨み付けている。
赤色騎士団、エグレム団長。
『――緑色の正騎士となった後でも、お前が望むのならば、われらの正騎士として迎えよう』
いつか穏やかな表情で僕にそう言った豪胆な騎士は、その両肩に怒りをたぎらせていた。
「次にそのような口をきいてみろ!? 貴様を八つ裂きにしてくれるッ!」
僕はじっと赤の騎士団長の瞳を見つめたまま、答えない。
言葉を返す必要性すらない。
だって、八つ裂きになんてできないからだ。
王様の命令がなければこの場で騎士に行動することはできない。貴族であるライモン公爵ごと僕を斬る覚悟もないのだから、言わない方がマシだと思う。
「そもそもが奇妙な話だったのだ! 従騎士としての活躍にもなにか裏があったのだろう!? 怪しげな魔法を使うという報告もある! 奴隷による身分革命などこの『魔法の国』のどこにも存在しない! 間違ってもライモン様は――」
「――――控えろ、エグレム」
差し込まれたさらに別の声に、赤色騎士団長は身動きを止めた。
「し、しかし、騎士総長、この者は――!」
「状況を考えてみろ。子どもが精一杯の背伸びをしているだけだ。そうだろう?」
ははは、と鷹揚に笑ったのは、人間の大男だった。
大男は視線をぴたりと僕に向けたまま、ゆっくりとした仕草で赤色騎士団の肩に手を置く。
刈り込まれた茶色の髪とぎょろりとした瞳が、群れを率いる雄虎を連想させる。その背に負うのは――巨大な十字架のようなミスリル特大剣。
ボウエン騎士総長。
4つの騎士団を総べる長の表情は穏やかで、奇妙なほどに柔らかかった。殺気だった騎士たちの中にあって、総長ただ1人が自然体であるように見える。
そこで僕はふと気付いた。
……ええと。
『子ども』って僕のこと?
「当然だろう?」
僕の怪訝な表情をみとめたのか、騎士総長は片方の眉だけを上げた。
「自分の行動に責任を持てない人間――それが子どもの定義だ」
うん。
その言葉には納得してもいい。
……で、それがなんで僕に向ける言葉になる?
「自分の歩んできた道を振り返るといい。
君がしたのは『革命』などというものではない。
騎士団を裏切り、奴隷たちを無闇に焚きつけ、暴徒と成し、『魔法の国』の一領を無用な混乱に陥れた。あまつさえライモン様の命を手のひらの上で弄び、本意ではない言葉を語らせ、神聖なるこの王城に踏み入った。
理解はできただろう?
今の君は――子ども以外の、何ものでも、ない」
淡々と言い切った騎士総長の言葉の端は、少しだけ震えていた。
(…………そっか)
僕は気付く。
騎士総長の茶色の瞳の底では、青い炎のような怒りが燃えている。鷹揚とした笑い声も、自然体の雰囲気も、全部、作りものなのだ。
「……」
だが、その怒りに僕が怯えることはなかった。
僕はたしかに奴隷たちを焚きつけた。国王や騎士団から見れば、『奴隷を暴徒にした』『大罪人』だろう。
でも、裏を返せば――たった1月の僕の行動だけで、ムーンホークの4分の1の奴隷たちが騎士団を相手に立ち上がることを決めたのだ。どうしようもないほどに、彼らの間には貴族や騎士、市民への不満と怒りが蓄積していた。
ゲルフの意志が、それを継いだ僕の行動が、束ねられた奴隷たちの祈りと決意の結果が、幼稚と切り捨てられていいはずはない。
というわけで。
僕はやっぱり騎士たちを無視することにした。
だってこの人たち、状況には関係なさそうだし。
「国王陛下。どうか爵位の継承をお認めいただけないでしょうか」
騎士たちから怒号がいくつか飛び、ライモン前公爵が僕の隣で肩を強ばらせる。
陛下の返答はない。
たたみかける。
「ご覧ください」
僕はマントの内側から、表紙がぼろぼろになった羊皮紙の本を取り出した。
「これはムーンホークの奴隷たちの結束を高めた1冊の本です。……中身はなんのこともありません。騎士団であれば全員が知っているような単位魔法と修飾節の知識を、分かりやすくまとめなおしたものです。僕はこれを手に持ち、言葉を使って、奴隷たちを説得しました」
「……」
「現在、ムーンホーク地方には、奴隷と呼ばれる人間はいません。すべての民が新たな身分階級である『領民』として、それまでと何ら変わらない生活を送っています。もちろん、焚きつけられた暴徒としてではなく。
そんな彼らに代表として選ばれ、僕はここに居ます。
その事実をもって、ライモン前公爵は僕に爵位の継承を決断されたのです」
「『領民』などというものの存在を余は認めたつもりはない。そうだな? 騎士総長?」
「……は。貴族、市民、騎士の人数は王法によって厳密に定められております。それ以外の者は例外なく奴隷身分にある」
「……」
僕が言葉を収めたのは怒りと呆れのせいだった。
ここまで言って――ここまで僕が説明をしてあげて、まだ自分たちの身に迫っている危機が理解できないのだろうか。
僕は自分の呼吸を2つ数えて、淡々とした口調で続けた。
「では、僕の爵位継承と同様、その王法も変えていただかなければなりません」
「……貴様は何を言っている?」
「これから申し上げるのは仮定の話です。
同時に、とても可能性の高い一つの未来の話」
少し想像力を働かせれば、分かりそうなものだけれど。
「もし仮に、僕への爵位継承が認められなかった場合――おそらく、領民たちは行動を起こすでしょう」
「――――!」
「領民たちはこの本の複製を量産するかもしれません。
それどころか、この本を手に持ち、隣の各領へ忍びこむかもしれません。
彼らは騎士団と戦うことを決して恐れず、命をかけて他の奴隷たちに伝えるでしょう。
『ムーンホークの奴隷は革命を成した』と。
『奴隷と蔑まれてきた我々には本来、貴族や騎士と変わらない魔法という大いなる力があるのだ』と」
ムーンホーク地方は深い森や険しい山が多く、決して豊かな土地ではない。人口だって、少ない。
だから、彼らは『本気なればムーンホークを鎮圧するのは容易い』と思い込んでいる。
事実、騎士団が総力を上げて侵攻してくれば……今の独立領に勝算は少ない。
けど、僕たちの武器は、成功した革命そのものじゃない。
僕たちの武器は、他のどの領でも、他のどの奴隷たちに対しても、革命を引き起こせるという方法論だ。
こっちがその気になれば、国中で革命を引き起こして差し上げますよ?
そう、僕は言ったつもりだった。
「……その言葉を余に向ける意味は分かっているのだろうな?」
そう。これはだれの目にも明らかな脅迫だ。意味も当然よく分かっている。独立領を立ち上げた代表者として、テーブルの上の戦争をするつもりで僕はここに来たのだから。
謁見の間の空気は、先ほどまでとは明らかに変わっていた。貴族も騎士団も、自分たちの足場が盤石なものではないという単純な事実にようやく――本当にようやく――気付いたらしい。
「僕に爵位を継承していただいたのならば、そのような事態にはならないことをお約束します。ムーンホーク独立領はこれまで通りムーンホークのままであり続ける。そのために、陛下のご威光である爵位を頂戴したいのです」
これは取引だ。
国王が僕に爵位を与えることで、僕は騎士団を裏切った大罪人ではなく、あくまで正当なムーンホーク領の領主となる。
一方の国王は、革命の波及をムーンホーク地方の中で留めることができる。
「――――」
首筋を冷たい汗がひやりと伝って、さすがに僕の心臓もテンポを上げた。
国王が僕を四大公爵として認めるのなら、独立領は『魔法の国』に承認されることになる。
事実上の停戦協定が結ばれるというわけだ。
一方で、もしこの説得に失敗すれば――
僕たちはふたたび前に進まなければならない。
身分の解放のために立ち上がった僕たちの末路は、前進か死かの2つしかないのだから。
「…………」
国王の沈黙は長く続く。
いくらでも悩めばいい、と僕は思った。悩めば悩むほど、僕たちの革命の価値が理解できるだろう。僕はその返答を何日でも待つつもりだった。
が。
わずか数秒のうちに、一つの解答が提示された。
「――――陛下。迷うことはありません」
僕は顔を騎士団の方へ向けた。
ははは、という笑い声が聞こえそうな自然体の口調で言ったのは――騎士総長だった。
他の騎士たちがどこかぎょっとした瞳を向ける中で、騎士総長だけは不敵な笑みを浮かべている。その笑みを顔面に貼り付けたまま、騎士総長は僕を見て言った。
「その大罪人の首、今すぐに刎ねましょう」
――どっ、と鈍い音が聞こえて、
――僕は意識を刈り取られた。
そう錯覚するくらいの衝撃。
視界が白く抜け落ちて、自分の姿勢が分からなくなるような、感覚の混乱。
「――――!?」
だが、僕はすぐに意識を取り戻す。そして、自分の身体が何一つ物理的なダメージを負っていないことを確認する。
(……今の……)
なにが起こったのか、すぐに理解するのは難しかった。
(殺気だけで……?)
ローブの下に着ているティーガが全身から吹き出した冷や汗で湿っている。首筋の毛穴は開きっぱなしで、呼吸を整えるので精一杯になる。
騎士総長との距離は20メートルほど。すぐに手を出せない距離にいることは分かっている。分かっているのに、首に手をかけられているような恐怖感が今もなお続いているかのような――
(……くそっ……化け物だな……)
僕の視線の先で、大騎士の瞳が刃のような妖しい光を宿す。
「どんな言葉を尽くそうとも、この者が騎士団を裏切った大罪人であることには変わりません」
がごん、と重苦しい金属音が響き、騎士総長は背負っていた巨大なミスリル剣を抜剣した。
冬の太陽の光に照らされたそれは、巨躯をほこる騎士総長の身長ほどもある巨大な両手剣。騎士総長にしか振るうことができないミスリルの特大剣。
それをこの場で抜く意味はあまりに明白だった。
「そのような口約束、反故にされるに決まっています。この者に爵位をお与えになれば、『大罪人に恐れをなし、その反逆に手を貸した暗愚の王』と後生の歴史家に笑われるのは必然」
獲物を見定めた雄虎のように、騎士総長の両肩に戦いの気配がみなぎっていく。
「それに、先ほどのこの大罪人の言葉に関して、重大な疑問が1つあります」と騎士総長。
大剣を大上段に構えた騎士総長の瞳が、まっすぐに僕を貫く。
「ムーンホークの『領民』とやらが国中で反逆を引き起こせるというのなら――なぜ今すぐに実行しないのか?」
「――――」
騎士総長の言葉は的確な反論だった。
本気になれば、僕たちは革命のための火種を国中にばらまくことができる。そもそもが電撃的な反攻だったわけだし、できることなら僕もそうすべきだと思う。
けれど――僕たちは疲弊しきっていた。
騎士団をムーンホークから追放した領都攻略戦の後にも戦いは続いた。市民の残党勢力の抵抗は激しく、その戦いを一手に引き受けてくれた『革命軍』は少なくない被害を受けていたのだ。
僕がこうして命がけで国王陛下との謁見をしてまで欲しいのは――――
「この反逆の徒が欲しているのは時間です、陛下」
「……ッ」
「新しい秩序をムーンホークに構築し、我らに対抗できる戦力を確保するまでの時間稼ぎをしようとしている。
この大罪人に公爵の地位を授け、停戦の合意を結ぶことは、毒花に水と肥料を与えるような行為だ」
開かれた壁から差し込む光が、騎士総長のミスリル特大剣を照らし上げる。騎士たちですら息を殺して見守る雰囲気の中で、騎士総長のそれはまばゆい光の剣に見えた。
「この者の手のうちは知れています。緑色騎士団は油断のために失敗しましたが、2度目はありません。この剣にかけて、ムーンホークの反乱を鎮圧してご覧に入れましょう。
陛下、ご命令を。
『斬れ』とこのボウエンにお命じください。
その過程でライモン公爵閣下に万一のことあれば、この私の命をもって償いとさせていただく所存です」
(…………ここまで、か)
僕は自分が読み間違えていたことを知った。
騎士総長は、ライモン前公爵ごと僕を斬るつもりだ。
貴族の血統を崇拝する騎士としては考えられないような行動だけれど、騎士総長が躊躇うことはもうなさそうだ。
僕が連れてきた魔法使いたちの間に緊張感が広がっていく。僕もまたマナを知覚し、頭のなかで最初の呪文を決める。
騎士総長は現在の『魔法の国』を形作ったと歌われる騎士だ。現在のサンベアー領を併合できたのは若き騎士ボウエンの活躍によるところが大きいと記録は語る。
歴戦の大騎士の言葉には僕の目論見を叩き折るだけの強さがあった。
(説得の材料は他にもいくつか用意していたけれど……)
この雰囲気では焼け石に水だろう。国王陛下は命じ、騎士総長はあの剣を振り下ろす。その未来は数秒以内に訪れるはずだ。僕たちはなんとか生き延びなければならない。
王城を出ることさえできれば、王都の中の協力者をたよって逃げ延びることができる手はずになっていた。問題は、王城を出るまで。壮絶な魔法戦になる。なんとしてもライモン前公爵と僕は生還しなければならない。
僕の心を占めるのは送り出してくれた領民たちへの申し訳なさだった。
僕が上手く立ち回って四大公爵の肩書きを手に入れることができれば、今は混乱している領内の状況を立て直す余裕ができたのに――――
と。
そんなふうに決意を固めていたから。
「――――待て」
国王陛下の言葉を、僕は聞き間違えたかと思った。
「…………陛下?」
それは騎士総長も同じだったらしい。光の剣が揺らぐ。それ以上に、大騎士の瞳は揺れていた。
呆然と向けられた騎士総長の視線につられて、僕は思わず玉座を仰ぎ見てしまった。
『4つの領と1つの湖』をモチーフにした星座のようなステンドグラスを背に、老人が玉座についている。
17歳をもうすぐ4回過ぎるという国王は、そんな年齢を感じさせないたくましい体つきの妖精種だった。ゆったりしたローブと整えられた豊かな髭が絶対の老王という印象を与える。
弓のように細めた瞳を騎士総長に向けたまま、国王陛下は右手を上げた。
「陛下――!?」と騎士総長が叫ぶが、国王は右手を上げた姿勢のまま動じない。
(なんだ……?)
「……また? あの男か……?」とライモン前公爵がささやいて、僕はすぐにその言葉の意味を知った。
(……あれは……人?)
はじめ、玉座のすぐそばで影が動いたかのように見えた。
だから、それが黒い装束をまとった人間であると気付いたとき、僕は思わず目を数度しばたたかせてしまった。
まるで影がしみ出したかのように、国王の右隣に男が姿を見せる。
上等な灰色のイエルの上から黒いマントを羽織ったその歩き方は、どこか貴族に通じる育ちのよさを連想させる。白い髪は加齢のせいか生まれ持ったものか。中肉中背の身体はあまり印象に残らない。
だが、何よりも目を引くのは――顔の全体をすっぽりと隠す、黒い仮面だった。
目元だけ切れ込みが入っているその仮面には金属の飾りが施されていて、地味でも派手でもない。髪だけは白いけれど、全身を黒い装いで包んだその立ち姿は異様で、どこか不気味でさえあった。
「陛下ッ!」と絞り出すように騎士総長が声を放つが、その呼びかけを国王は再度無視した。
黒い仮面の男は国王の耳元に口を寄せると、なにかを囁き始めた。国王陛下が数度、頷きを返す。
(腹心の部下、なのか……?)
すぐに、その疑問を僕は否定する。
(いや、だとしたらライモン前公爵と騎士総長の反応が変だ。少なくとも2人はあの男を歓迎していない――)
そんな時間が十数秒続いて、黒い仮面の男はすっと玉座の影に引いていく。
――その直前。
「――――」
影の中から青い瞳がまっすぐに僕に向けられた。
黒い仮面の男はまるで値踏みをするように僕をしばし見つめる。
その目元がかすかに動いて――僕の全身の肌が粟立った。
笑った。
あの男は、僕に笑顔を向けた。
僕が戦慄したのは、それが本当に面白くてしかたがないという笑顔だったからだ。
僕が国王に向ける形式上の笑顔でもなく、騎士総長が余裕を演出するために貼り付けた微笑でもなく、あの男は仮面の下でたしかに、この状況を笑った。国王も、騎士総長も、僕も、いや、今の『魔法の国』そのものを面白がって笑ったかのような――――
「…………儀式は省略とする。正しい手続きに則り、国中に触れは出そう」
国王の重苦しい言葉に僕は現実に引き戻される。
「…………陛下?」
「爵位の継承を許すと言っている」
その瞬間、王族や騎士や文官たちのざわめきが謁見の間に広がった。ざわめきは次第に濁流のように勢いを増して謁見の間を埋め尽くしていく。
「陛下、お言葉ですが――!」
「この場で騎士団からの言葉は不要だ。赤色騎士団長」
「……ッ、しかしッ」
「ムーンホーク領の領主が変わった。それだけのこと」
「どうか! どうかご再思を……! それだけでは……ッ!!」
言いかけて、赤色騎士団長は口をつぐむ。国王陛下に表立って反論することなど騎士に許されるはずもない。
その隣で、剣を掲げた姿勢のままの騎士総長が彫像のように凍りついていた。瞳は国王に向けられて、硬直している。
「……ははっ、冗談でしょ?」
ライモン前公爵が僕にしか聞こえない声量で囁いた。
「すごいよ、タカハ……こうなること、読み切ってたのか……?」
僕は答えず、立ち上がった。
数歩進み出て、そこでもう1度玉座に向けてひざまずく。
「陛下の一領、必ずや正しく導いてご覧に入れます」
返事は無かった。
それもそのはずだった。
陛下が謁見の間を出ていく硬質な扉の音が、僕に突き返される。
それっきり、謁見の間は重苦しい沈黙に包まれた。貴族たちも、騎士団も、文官たちも、誰1人として身動きをしない。
『――――なぜ?』
なぜ国王は爵位の継承を認めたのか?
先ほどの一瞬、騎士総長の言葉はたしかにこの空間を埋め尽くした。それどころか、僕は騎士総長にほとんど言いくるめられていた。雰囲気は完全に騎士総長に流れつつあった。
なのに陛下の選んだ行動は逆だった。
たぶん、納得できる理由を、僕も、騎士総長も、持ち合わせていない。
ただ1つだけはっきりしているのは――あの黒い仮面の男が何かを言って、陛下の心を動かしたということだけだ。
どこか不気味な感覚。
違和感が喉の底に溜まっているかのような、不快感。
同時に、ライモン前公爵が立ち上がる気配がした。
「じゃ、決めること決めてさっさと帰ろっか。公爵様?」
その声は明るい。それもそのはずだ。独立領からしてみれば大戦果だし、僕たちは王城からなんの危険もなく退出することができる。きっと、生きてムーンホークに帰ることができるだろう。
続けて、がごん、という重い金属音が響く。
騎士総長が巨大すぎるミスリル剣を背負いの鞘に収めた音だった。
「――――新公爵閣下」
そのままの立ち位置で、騎士総長は宮廷風の優美な一礼を僕に向けた。
「爵位のご継承、おめでとうございます。騎士団一同、心よりお慶びを申し上げます」
(……うわ)という表情が思わず顔に出てしまったのか、顔を上げた騎士総長は表情をかすかに緩めた。
「むろん冗談ですが」
「安心しました。……以後、騎士団にはお世話になると思います。どうぞ、お手柔らかに」
「ははっ。新公爵閣下も、冗談がお好きのようだ」
ふたたび、騎士総長が深く頭を垂れる。
舌打ちと奥歯を噛みつぶす音と剣を鞘に収める音がいくつも続いた。無数の騎士が次々と僕に向かって敬礼を向ける。頭を下げる。その行為が騎士たちにとってどれほど屈辱なのか、僕には想像することもできない。『魔法の国』の権威の象徴である4騎士団のうち1つを壊滅させた裏切りの元騎士に、公爵としての敬意を向けなければならないなんて。
そのとき――「いい気分だろ?」とライモン前公爵が僕の耳元で囁いた。
「……」
僕は振り返る。
まるんとしたライモン前公爵の顔が近くにあって、その瞳はキラキラと輝いていた。
大人になりそびれた子どものような、どこまでも透き通った瞳は、僕の心の動きを探ろうとするかのように、じっと僕に向けられている。
僕は肩をすくめた。
「この程度が、ですか?」
「はははっ! そうだよ! お前はそうでなくちゃな! タカハ!」
僕は緑色のローブを翻して立ち上がる。
玉座に背を向け、謁見の間を退出する。
見つめているであろう騎士たちの表情を振り返ることはしなかった。
こうして。
『魔法の国』の4大領の1つ、16万の人口を有するムーンホーク地方の公爵の地位は、正当なる手続きを経て、僕に継承されたのだった。
お久しぶりです。
魔法の国編を書き上げられる目処が立ちましたので、更新を再開したいと思います。
私事ながら4月より社会人となり、いろいろの準備が遅くなってしまいました。仕事ってツライですね……。
更新は3日に最低1話のペースをイメージしています。
3度目の正直、どうか気長にお付き合いいただけますと幸いです。
ちなみに……
魔法の国編・第1部のヒロインは金髪エルフのあのお姉さまです。
登場までしばしお待ちを!
さらに宣伝をさせてください。
TOブックス様より「算数で読み解く異世界魔法」書籍版が発売中です。
2巻が8月10日発売予定となっていますので、お手にとっていただければ幸いです。
1巻の電子書籍が各ショップでセール中となっているようです。ポイントなどで定価の半額以下でお求めいただけますので(7月22日現在)、もしよろしければぜひ。
また、活動報告の方にえいひ先生の素敵なイラストを掲載しています。
後書きはまだまだ続きます……!(笑)
更新再開後しばらくはこんな感じ↓で世界観やキャラクターの設定を補足していく予定です。
ご参考までにどうぞ。
それでは、改めまして、よろしくお願いします!
~メモ~
●魔法の国
この世界に6つある国の1つ。大陸北西で脈々と魔法を継承する小国。
王族に連なる貴族、および、彼らの実行部隊である騎士団によって国民の大部分は奴隷と呼ばれ統治されてきた。
国王の居城がある王都を首都とし、残りの国土はサンベアー、ミッドクロウ、スターシープ、ムーンホークの4大領として分割されている。4大領で最高位の貴族は公爵の爵位を持ち、国王に指名される。四大公爵とも呼ばれる。
現在、ムーンホーク地方にて奴隷身分による反乱が発生している。
●ライモン=ファレン=ディード前公爵
種族:妖精種、年齢:38歳
一代前のムーンホーク領の公爵。
第一印象はちゃらんぽらんな雰囲気の貴族……だが、その腹の底ではいろいろな計算を回している様子。
奴隷身分による『暁の革命』に際して、『魔法の国』の歴史上初となる奴隷の身分を解放する宣言を発した。
●騎士団
貴族の実行部隊として4大領それぞれに4つの騎士団が存在する。サンベアー領の赤色騎士団、ミッドクロウ領の黒色騎士団、スターシープ領の白色騎士団、ムーンホーク領の緑色騎士団――という体制だったが、『暁の革命』によって緑色騎士団は壊滅した。
4人の騎士団長は戦闘力、統率力に優れる騎士が選抜される。意外にも実力主義の組織。
4つの騎士団を束ねる形で、騎士総長が王都に常駐している。そのため、騎士総長には国内で最強の騎士が指名されるのが慣例。
また、4騎士団の他に、王都を守護する王盾騎士団や国王の直轄部隊である近衛騎士団などの組織も存在する。




