第132話:「遠いよなあ」と犬人族の青年が目を細める。
~メモ~
●リュクス=アルベルト=ディード
種族:犬人族、年齢:17歳
ライモン前公爵の七男。
整った顔立ちに加え、吟遊詩人のように言葉が巧み。端的に言ってしまうと、なかなかの遊び人。
要領がよく、友人思いな一面もある。
タカハとは13歳の従騎士試験以来の付き合いとなる、信頼のおける友人の1人。
間違いなく前公爵の七男だが、奴隷身分だった側室との間に生まれ、純粋な貴族である兄弟たちに蔑まれた過去を持つ。
習得している魔法は火属性。剣術の腕前は騎士団の平均レベルより少し上。
――――――――革命から、4ヶ月後。
「タカハ、1つ言ってもいい?」
がたごとと揺れる馬車の中。
向かい合って座る青年の声はよく通った。
僕を見つめる眼差しも、一瞬たりともぶれない。
ばっちりセットされた黒髪、切れ長の黒い瞳、シャープな顎の輪郭――
思わず『本当にあの前公爵様の息子なの?』と問いかけなたくなるほどのイケメン犬人族が僕の目の前にいた。
「なに? リュクス」
今日のリュクスの出で立ちは、やや控えめだった。
僕が羽織っている深緑色のローブと同色のローブは、僕のものよりより少し裾が短い。
細やかな刺繍が施された黒色のイエルをその下に着ていて、襟元もしっかり閉じている。
よく身につけている飾り紐や指輪などのアクセサリーは皆無だった。
銀縁メガネが似合いそうな、『若手ビジネスマン異世界バージョン』みたいな知的な雰囲気。
仕事用のきっちりとした格好もよく似合うリュクスは、親しみに満ちた爽やかな微笑を浮かべ、僕の肩に右手をぽんっと置いた。
「俺はタカハことをよく知ってる。タカハは責任感があって、行動力がある。魔法の実力を磨く努力も怠らないし、なにより誰に対しても分け隔てなく優しい。だから四大公爵様になれたんだと思うし、領民たちが信頼を寄せてるのは当然だと思う。ちょっと固い、というかマジメすぎるのが玉に瑕だけど、俺は大切な親友だって思ってる」
その自信に満ちた言葉には聞き手を惹きつける魅力があった。こんな口調と表情で口説かれたらほとんどの女の子はあっけなく心の鍵を手渡してしまうだろう。……残念ながら僕は男で、リュクスのこのトーンにも慣れてしまっているのだけれど。
「そんなタカハだから、俺の言いたいことは分かるよね?」
前公爵の七男。
旧緑色騎士団の元正騎士。
今は僕の筆頭補佐官となったリュクスは――その美貌を苦しげにゆがめて、懇願するように言った。
「頼むから……
これ以上、俺を働かせないでくれ」
「うん、無理」
「あああああっ!」
リュクスはがりがりとセットされた髪をかき乱した。そんな仕草にもどこか色気が宿るのだから、イケメンって不思議。
「死ぬ! 本当に死ぬよ! 『公爵よりも遊んでる七男』って言われ続けた俺が、1ヶ月も連続で働かされてるんだよ!?」
そう言われてみれば、リュクスの切れ長の目の下には黒々としたくまがある。寝不足なのは間違いなさそうだった。
「大丈夫。僕もリュクスのことよく知ってるから。――君はこの程度でへこたれるやつじゃない」
「鬼! 悪魔! なんだよこの仕事の量! 毎日文官たちとの会議を5個以上詰め込んで、定時の革命軍の視察もやって、その上で領民たちのもとを回るなんて、1つの身体には無理だってば! 事実、俺たち馬車の中でしか寝てないじゃないか!」
「ううん、それは違う」
「違う? だって――」
「今言ってくれた仕事に加えて、僕たちは君主学、軍事学、地学、農学……その他いろいろな、独立領を運営していく上で重要そうな学問も勉強してるよ。――はい、これは今日のノルマね」
「いやだああああっ!」
僕が手渡した羊皮紙の資料に怯えきっている犬人族の青年に、かつての飄々とした印象は残っていなかった。
リュクスは馬車の椅子に仰向けに倒れ込んで、じたばたする。
「女の子と遊びたいデートしたいゴロゴロしたい美味い物食べたいダラダラしたい……!」
「欲望が直接的だね」
「タカハがおかしいんだよ! なんでそんなに働き続けられるのさ!」
それはもちろん、僕が『領主様』だからだ。
ムーンホーク領の領民16万人を預かった責任が、僕にはある。
……ああそうか、リュクスも領民の1人だった。
部下の体調を管理するのも上司の重要な仕事。
久しぶりに領都に戻ってきたところだし、次の仕事は人手が必要なわけでもない。
「分かった。じゃあ、次は休んでていいよ」
「いいの!? やったータカハ最高! 次は、ええと――」
ぱらぱらと使い込まれた羊皮紙の手帳のページを進めたリュクスの指先が、動きを止める。
「――――」
すぅっとその瞳が細められ、切れ長のその瞳はゆっくりと僕に向けられた。
その仕草の真意が分からなくて僕が首をかしげると、リュクスはため息をついて、物憂げに前髪に触れた。
「逆だよ、タカハ。これはタカハが休めばいい」
「休みたいんじゃなかったの?」
「繰り返すけど、『タカハは責任感があって、なにより誰に対しても分け隔てなく優しい』んだ。これは、そんな領主様がやるような仕事じゃない。雑用だし、そもそも見に行く必要だってない」
リュクスは素早く立ち上がると、おどけた仕草で僕の前にひざまずいた。
「どうかこの筆頭補佐官にお任せください、領主様」
切れ長の瞳に宿った光は真剣だった。
たぶん、いろいろと見透かされてるんだろう。
前世を22年生きた記憶があって、転生した後に同い年となった青年にこうして心配されるとどこか気恥ずかしい。
「リュクスって、きっと、僕より領主に向いてるよ」
「ふふん、カリスマ性ではタカハを圧倒してるからね」
そこじゃないだけど、と思いつつ、いやまあそれも間違いなくあるか、と思い直す。
「そういうの、自分で言うかな?」
「その他の適性が壊滅的だからムリだよ。3日で独立領をめちゃくちゃにする自信があるね」
「リュクスは、玉座に座ってる感じじゃないからね」
「そうだよ。俺はこき使われないと仕事なんてしない」
ぱちりとさり気なくウインクをしたリュクス。ほんとうに何をしてもサマになるやつだと僕は思った。
「そういう意味では……俺は玉座が似合うやつをひとり知ってる。あいつは、俺よりもよっぽど王子様っぽいし、仕事にもマジメだ」
王子様、仕事にマジメ、というキーワードに、僕の脳裏を1つの面影がちらついた。
「……ふんぞり返って命令してそうだね」
「高笑いが似合いそうな」
「冷酷な君主で」
「けどまあ、やることはそんなに間違ってなくて」
「……」
「……」
それっきり、僕たちの間に沈黙が生まれる。
僕は盛大にため息をついた。
リュクスもまた、ため息のような口調で言った。
「…………あいつが居ないと締まらないよね」
本当に同じ内容だったから。
僕は返事をしない。
というか、できない。
返事をしないで、目を閉じた暗闇の中で、僕はある妖精種の青年の皮肉っぽい笑顔を思い出していた。
「プロパ」
口の中で転がしたあいつの名前は、少しだけ苦かった。
――
この地方がまだ『ムーンホーク領』という名前だったころ。
ここには、劣悪な身分制度があった。
公爵の家系を頂点とする数百人の『貴族』と、彼らの力の象徴である『騎士団』、そして、貴族たちに認められた特権を有する『市民』たちによって、残りの十数万の領民たちは支配されていた。『魔法奴隷』あるいは『肉体奴隷』と呼ばれて。
僕とプロパは同じ魔法奴隷の村の出身だ。
一方で、リュクスは貴族たちの頂点――公爵家の七男という生まれ。
そんな僕たちが出会ったのは、地方の全域に入団の募集をかけている騎士団の入団試験だった。
僕、プロパ、そして、リュクスの3人は同じ従騎士試験を受け、見習い騎士団員である『従騎士』になった。
従騎士試験もなかなかに難しい試験だったのだけれど、僕たちの活躍はむしろそこから始まった。従騎士として魔法や武術の鍛錬や勉学を一緒にこなし、3人がそれぞれの持ち味を活かした活躍をして、15歳という異例の若さで僕たち3人は緑色騎士団の『正騎士』に指名されたのだった。
それが――6ヶ月ほど前のこと。
今ここにプロパはいない。
僕たち3人の道は、分かれてしまったのだ。
僕が引き起こした『革命』という名前の反乱によって。
「元気でやってるかな。プロパ……」というリュクスのつぶやきは風に溶けていく。
15歳という異例の若さで正騎士に指名された僕には、密かに抱き続けていたある決意があった。
実力をもって奴隷たちを押さえつける騎士団への反逆。
それは、あの当時の魔法奴隷ならだれもが持っていた感情だったのだと思う。僕には『正騎士』という立場が与えられて、力があって、だから――引き起こした。
革命を。
騎士団が封印していた魔法に関する知識を公開し、魔法奴隷たちを扇動して、僕は革命の首謀者として、ムーンホーク領の騎士団や市民たちと戦った。
それが、4月前の『暁の革命』と呼ばれる戦い。
結果として革命軍が勝利をおさめ、ムーンホーク領は『ムーンホーク独立領』に名前を変えた。僕を呼ぶ言葉は『暁の賢者』という立派すぎる二つ名から、『領主様』という地位を示す単語に変わった。買い換えた椅子みたいに、僕は4月が経った今も『領主様』と呼ばれることに慣れていない。
そして、『領主様』と呼ばれるたびに、僕は革命のあの日の光景を思い出す。
夜明けの光とともに始まった戦闘、
市民たちが放った未知の防御魔法、
肉体奴隷たちが開いてくれた正門、
苛烈な領都攻略戦、
ムーンホーク城の前に整列した騎士団、
騎士団長との決闘、
そして――転移魔法の光とともにどこかへ消えた、プロパ。
『――――タカハ』
僕の革命の日の記憶はいつもそこへ行き着く。
『オレはよく分かったよ』
青い瞳の妖精種の彼が、僕の心に置いていった言葉に。
『オレは、ふつうの魔法使いで、ふつうの騎士なんだ。それ以上でも、それ以下でも、ないんだ』
『お前みたいには、なれない』
『だから、そこには居られない。オレはなにも持ってない、から――――』
淡々とした口調で言ったプロパの青い瞳には、どうしようもないほどに深くて暗い、絶望の影が滲んでいた。
その絶望を植え付けたのは他でもない。
僕だ。
「……」
革命から早くも4月が経つ。
最初は外の問題と中の問題を落ち着かせるためにすさまじい忙しさだったけれど、それが落ち着いた今、独立領は嘘のように平穏だった。
もちろん、毎日、目が回りそうになるほどちたくさんの仕事が、僕とリュクスを待っている。
一度はめちゃくちゃになった領内の行政制度を立て直したり、独立領の正式な戦力となった革命軍の状況を視察したり、領民たちの生活をこの目で見るために馬車で領内を回ったり……。
身体の物理的な移動ももちろんだけれど、僕たちが移動に使っているこの馬車には日々、大量の書類が運び込まれる。意見書、決裁書、調査報告……どれも僕が目を通さなければならないものだ。とても1人では追いつかない量だから、目の前にいるイケメン筆頭補佐官には大いに活躍してもらっているところだった。
17歳の公爵。17歳の領主。
それは、にわかには信じられないフレーズだと自分でも思う。
事実として革命を引き起こしたのは僕だし、ゲルフの遺志を継ぐ『夜明けの軍団』の盟主にも、僕は16歳の時点で指名されていた。理屈で考えて、魔法の実力では僕が国内最強だという自負もある。
けど、やっぱりそれとこれは別物だ。
いろんな称号をこの右肩にぶらさげたところで、『17歳の若造』と言われてしまえばそれまで。
――子どもが精一杯の背伸びをしているだけだ。
数ヶ月前の騎士総長の言葉を思い出す。
そこに込められた侮蔑や皮肉を引き算しても、あの言葉は……うん、的を射ている。
要するに、僕は結果を出すしかないのだ。
この独立領を本当に正しく導けるという結果を。
今は解散した『夜明けの軍団』の元メンバーたち、革命の後に僕の理想に賛同してくれたたくさんの魔法使い、戦い続けてきた肉体奴隷、良心的な文官……たくさんの人々の力を借りて、今日までなんとか独立領を動かしてきた。
そういう意味で、信頼できる優秀な人材は1人でも多くほしいところだ。
「プロパはたぶん赤色騎士団にいるんだろうな。スカウトしに行こっか?」
「……」
僕を現実に引き戻したのは、リュクスの冗談めいた口調だった。
けれど、その切れ長の瞳はぴたりと僕に向けられたまま、ぶれない。
「……僕にその資格はないよ」と素早く答える。それは、なんども考えて、なんどもたどり着いた結論だった。
革命の直前に『教科書』をばらまくことを始めたあのとき。
僕はそのことをプロパやリュクスに相談しなかった。
僕自身が手一杯だったからだけれど、正騎士だった僕の行為が、正騎士だった2人に対する明確な裏切りだったことは間違いない。
「まだそれ言ってるの?」リュクスは眉を少しだけ不機嫌そうに歪めた。「俺は気にしてないって言ったでしょ?」
「でも――」
「それに。『教科書をばらまく』なんて、事前に相談されてたら、プロパだけじゃなくて俺だって確実に止めてた」
「……え?」
「当たり前だろ? だって、俺たちあのまま正騎士としてやってたら安泰だったんだから」
リュクスは人差し指をくるくると回しながら、あったかもしれないもう1つの未来を語る。
「プロパは戦場で活躍する。俺はライモンのおっさんとか村長たちと上手いことやる。で、タカハが要所要所でこっそりいい仕事してれば――な? 俺たち3人でさ、中から緑色騎士団制圧できたと思うんだ。こっちも面白そうでしょ」
「それは…………ありかも」
完全に別の物語が広がっていた。
興味深い。
だが、リュクスは半ば呆れたような表情になった。
「『あり』って、そんな軽く言っちゃう?」
ぱちりとまばたきをして透き通った黒い瞳で僕を見るリュクスは、すぐに言葉を重ねた。
「ちょっとマジで言わせて。これは別に怠け者としての俺の言葉じゃない」
「……ええと?」
「もし、タカハの革命がなければ――俺たちが死ぬくらいまで、騎士団の体制は安定していたはずだ。それは、分かってるよね?」
「――――」
自分の人生を考えるなら、正騎士になれた時点で勝ち組だった。
たぶん、リュクスが言いたいのはそういうことだろう。
僕が選んで、たくさんの領民たちを巻きこんで引き起こしたこの革命は、危険すぎる道だ。
今は一時的に、奇跡みたいな平和と平穏が訪れているけれど、僕のこの立場が、独立領そのものが、綱渡りをしていることに変わりはない。
一方で、正騎士であり続けたのなら、それはきっと楽しい異世界生活だったはずだ。
社交界みたいなイベントがあって、貴族や市民の娘たちに騎士は大人気らしい。
飢えで困ることはないし、魔法や剣術を極めることだってできる。
序列を上り詰めれば、王都に居を構えることだって、十分に可能だ。
この国でもっともやりがいのある仕事が、正騎士と言えるかもしれない。
「…………でも」
そのifルートを生きる僕は1つ、見落としている。
僕と同じ身分に生まれ、虐げられ続けている多くの国民たち――特権階級に搾取される奴隷たち。正騎士タカハの楽しい異世界生活は彼らを踏みにじることでしか成立しなかった。
「……目を背けることは、できなかったから」
リュクスは黒く透き通った瞳でまっすぐに僕を見て、いつもの笑みを浮かべた。
「って言うと思ったよ。マジメもここまで行くと突き抜けてるね」
「……馬鹿にしてる?」
「もちろん尊敬してますよ? 領主様?」
茶目っ気たっぷりの表情に毒気を抜かれ、僕はため息をついた。
「じゃあ、逆にきくけど」
「ん?」
「リュクスがあの日、一緒に戦ってくれたのはなんで?」
リュクスは自分の鼻を人差し指でつついた。
「タカハが動いたんだ。失敗するつもりなんてなかったんだろ?」
僕は肩をすくめた。
そのとき、ふいに、リュクスは目を閉じて、すんすんと鼻を鳴らした。
「それにしても、相変わらず、タカハからはいい匂いがするね」
「いい匂い……?」
僕が間の抜けた表情をしていたのか、にやりと笑うイケメン筆頭補佐官。
……少しだけ嫌な予感がする。
いや、少しじゃない。確信に近いレベルで嫌な予感がしていた。
「自覚あるでしょ? 1、2……。2人」
「な、なにが……?」
「俺が『いい匂い』って言ったんだ。決まってるよ。女の子の匂いの数……て、あれ? なんか減ってない? みんな屋敷から居なくなっちゃったの?」
「んー、『居なくなった』っていうと語弊があるかな」
みんな、独立領のそれぞれの場所に向かった。
だから、あの屋敷には、今は僕と2人。
「で。どうなのさ? 領主様」
「どう……とは?」
「決まってるじゃん?」
「いや。何もないって。本当に」
「…………」
こっちの世界での肉体は現在17歳だけれど、精神的にはもっと成熟しているつもりだ。
だから、だろうか。
本当にそういうことは何もない。
さすがに環境を言い訳にすることはできないだろう。前世の僕が見たら自分を殺そうとするんじゃないかと想像するくらい、この世界で僕は魅力的な女の子たちと知り合いになっている。
もしかして、これは贅沢すぎる悩みというやつなのかもしれない。
「じー……」
「…………ん?」
顔を上げると、リュクスがわざとらしく目をしばたたかせていた。
そして、大げさなため息を1つついてから、まるで決め台詞のように「マジメだねぇ」と言う。
「いや、少なくとも何もない僕より何かありすぎるリュクスの方がひどいと思うよ?」
「俺?」
「いっつも何人も女の子を連れてるじゃないか。女の子に関することで僕を非難する権利はないね」
少なくとも一般的な領民の間では、ムーンホーク地方の恋愛観は前世に似ていた。全体としては恋愛結婚がメインで、重婚はかなり珍しい。男が強い、女が強い、みたいな偏りもほとんど感じない。
とはいえ、成人が17歳なのも含めて、大人になるのがすごく早い。大人の階段の段数が少ないというよりも1段1段の幅が狭い。
そういう意味で、リュクスはかなりの遊び人だった。
どうせ『眩しいな、お前』と星の数ほどの女の子に言っているに違いない。
リュクスは肩をすくめて見せた。
「分かってる。議論は平行線だな」
「僕たちってよく考えたら反対な要素が多いね」
「共通点はプロパをからかいたい欲求が止まらないことと……」
「と?」
「う……」
リュクスは首をすくめて身じろぎをした。
「まあ、なんだ……独立領で、やりたいことっていうか……ああもう!」
「……?」
「俺は『理想』って言おうとしたんだ」
たぶん『魔法の国』でもっとも位の高い社交場でも|堂々としているであろうリュクスが、はっきりと狼狽している。
「勘弁してくれよな」
言うリュクスの視線は恨みがましいものだった。
「俺はなんとなーく上手いこと正騎士になって、そのままイケてる老騎士になるのが夢だったのにさー。ああ、どうして革命なんかに加担しちゃったんだ……?
なあ公爵様。今からでも間に合うから、もうちょっとマイルドな感じに変えていかない? 魔法の国とも、こう、全面的に仲良くしていくっていうか」
「うむ。却下する」
リュクスはしばらく前髪をくるくるといじっていたが、その手をぱたりと止めて、僕を見る。
応えるように僕は言った。
「僕はいつか、すべての奴隷を解放する」
「……それが独立領主のタカハ様の理想で、間違いなんだよな?」
「うん」
「分かってる?」
「もちろん分かってる。これが、びっくりするくらい難しいことだってこともね」
おおっぴらに言うことでもないけれど、隠すつもりもなかった。
僕はこの『魔法の国』のすべてを手中に収めるつもりだ。
不当な人生を押しつけられている奴隷たちを救うためには、こうするしかない。
リュクスは肩をすくめて、僕の向こうに何かを見ながら言った。
「遠いよな」
そう。すごく、遠くにある。少しでも想像すれば分かることだ。
それでも、僕の結論は変わらない。
4月前の僕にも、もちろん現在の僕にも、小指の爪の先ほどの躊躇いだってない。
僕は、許せない。
この世界は、ラフィアから魔法を奪った。
この世界は、マルムから家族を奪った。
この世界は、メルチータさんから時間を奪った。
この世界は、エクレアから過去を奪った。
この世界は、ゲルフの明日を奪った。
そんな理不尽が、目の前で日常にように繰り返されていて、僕は変えたいと思った。
僕なら変えられると確信した。
だから僕は『領主様』を続けているんだと思う。
「……俺も、革命の日、肌で感じた」
リュクスは、はっきりした口調で言った。
「みんな現状を変えたいって思ってた。そのための力を探してた。俺はもともとテキトーな騎士団員だったし、そもそも領主のおっさんの息子で不自由なく暮らしてきただけだけどさ。……でも、そんな俺にも分かったんだ。歪みとか、奴隷って呼ばれてた人たちの見てたものとか」
なあタカハ、とリュクスはまっすぐに僕を見ながら言う。
「まだ始まったばっかり、だよな?」
リュクスはときどき、こういう表情をするようになった。どこか不安げで、むき出しの表情。出会ったときのいつでもお気楽な彼が別人のように思える。
「どうしようもないくらい、序章だよ。僕たちはムーンホークを解放しただけだからね」
――――『魔法の国』は巨大な王都を中心として、4つの地方に分割されている。
南東、穀倉地帯を有する赤の領、サンベアー地方。
南西、海岸線を守る白の領、スターシープ地方。
中央、王都を取り巻く黒の領、ミッドクロウ地方。
そして北方、広大な森林に抱かれた緑の領、ムーンホーク地方。
騎士団を裏切り、夜の森を逃げ延び、たくさんの犠牲を払ってなんとか勝利をもぎ取ったあの大きな戦いは『魔法の国』の全体から見れば、地図の4分の1を塗り替えただけにすぎない。
(…………それどころか)
周囲を山脈に囲まれていたムーンホークの緑色騎士団は、他の3騎士団に比べると明らかに弱かったはずだ。敵国との最前線を担う赤色騎士団と、海岸線を守り続けてきた白色騎士団は、練度でも人数でも緑色騎士団を上回っている。いずれ、僕たちは彼らを相手にしなければならない。
そう考えると、足元の地面が崩れ去るような不安に包まれる。
すさまじい戦いを僕は始めてしまった。
リュクスが『もうちょっとマイルドに』というのも理解できるし、正直言えば――そっちに舵を切りたい気持ちもゼロではない。
怖い。勝てるのか。導いていけるのか。豊かな前世を生きてきた僕に。カミサマに与えられた反則を振りかざす僕に。……僕なんかに。
「――やっぱり独立領を守ってるだけじゃダメだな。食糧の生産とか『革命軍』を強くするのは前提で、俺はもっと王都で人脈を作っていかないと。いざってときに時間稼ぎにも使えるだろうし……やることはいくらでもあるな」
犬人族の友人のぶれない視線と口調に、僕は救われる。
表情を変えないようにして、僕は言った。
「僕たちはどのみち、生き残るためにも、他の領の奴隷たちを救わなくちゃいけない」
リュクスは腕を組み、空を見上げて、切れ長の瞳の目元を緩めた。
「そのさじ加減はタカハに任せるよ。俺のことは上手く、あと、できるだけ上品に使ってくれ。もう船には乗っちゃったわけだし」
「これから先、リュクスには、『魔法の国』の側の情報収集や、表立った交渉をお願いしていくことになると思う。それから……例の件も」
「考えただけで胃が重くなるなあ」
気だるげに返事をしたリュクスは「んーっ」と喉から声を出しつつ、強張っていた身体を伸ばした。窓の外はもうすぐ夕方に差し掛かろうとしている。その夕日が、美しい領都の街並みとその中心に燦然とそびえるムーンホーク城を照らしていた。
「1つ報告」
言いながらリュクスはしなやかな動きで身体を起こした。
「俺の個人的な結論としてだけど、ライモンのおっさんは黒仮面卿について、この前言ってたこと以上のことは知らないと思う」
リュクスが言っているのは、革命の直後、王都を訪れた僕が見た正体不明の男のことだった。
「『数年前から姿を見せた』『国王が騎士総長以上に相談を持ちかけるただ1人の人物』。『いつも黒い装束と仮面の男』で『出自や所属は一切不明』」
「あと、『貴族の出身である可能性が高い』ってことくらいか」
「……」
4月前のあの日――その場の全員が僕を処断しようとしていた雰囲気の中で国王陛下を説得したあの黒い仮面の男。
ミスターXみたいな感じで、僕たちは黒仮面卿と呼んでいた。
あの説得がなければ、今の独立領の平穏は、たぶん、なかった。
僕を公爵にすることは『魔法の国』の側からみた事実上の停戦協定だ。だからこそ、あの男が国王になにを言ったのか、そもそもどういう関係なのか、気になっていた。
その調査をするために別の名目をつけて信頼できる文官を王城に送り込もうとしたけれど、入城は許可されなかった。まあ、当然。
別の手はもちろん打ってあるけれど、それが上手くいくかどうかはまた別の話だ。
馬車は領都の正門を通り過ぎ、大通りを走る。領民たちが賑やかに日々の生活を送っている様子が窓越しに分かる。たくさんの領民たちが馬車に手を振ってくれて、その表情は例外なく明るい。日々の疲れが吹き飛ぶのは、案外こういう瞬間だったりする。
馬車はゆっくりと減速を始め、次の仕事の目的地に到着した。
じわり、と足がすくむような感覚がした。
胸の底に氷を敷き詰められたような、息苦しい感覚。
認めよう。
僕は、この仕事だけは、あまり好きじゃない。
「じゃあ、そういうことだから、次の仕事は休んでていいよ。夕食の時間には城に戻ってきて。文官たちとの打ち合わせがある」
「……」
リュクスは答えなかった。
僕と同じ色のローブをまとった筆頭補佐官は、じっと僕を見つめている。
「リュクス?」
「タカハ、1つ言っておくよ。やっぱり領主はタカハには向いてない」
「……そう、かな?」
言いづらいことををさっぱり言ってくれるのも、この犬人族の友人の良いところだ。
リュクスは無表情のまま肩をすくめた。
「立ち会わなくてもいいじゃん。書面だけ渡せばあとは勝手にやってくれるんだからさ。やりたいことはやりたいやつに任せておけばいい。もしくは、目の前にいるリュクス=アルベルト筆頭補佐官に任せちゃうとかね。……俺の言ってること、なにか間違ってるかな?」
「領主としての、けじめだと思うから」
「マジメなだけだよ。大雨の中で飼い主を待つ犬みたいな顔してる」
リュクスは首を左右に振って、小さな声で、諭すように言った。
「それは、領主様にとって、いちばん要らないものじゃない?」
「……」
僕は返事をすることができなかった。
――
この世界に音楽と呼べるものはあまりに少ない。
異世界にきて驚いたのは、まずそれだった。
前世の僕は、よくイヤホンをして、音楽を聞いていた。世界中の誰もが知っているあの赤いロゴの動画共有サービスで、適当なキーワードによって抽出させたミックスリストをいつも聞き流していたように思う。……僕はまあ、比較的ジャンキーな方だったかもしれないけれど、そうじゃなくても、前世には音楽があふれていた。
だから、だろう。
僕は雰囲気を音楽として感じる。
集まった人々が作り出す雰囲気を、BGMに変換してしまう。
夕日が照らし上げるその空間にぴったりなのは――ゆっくりなテンポで次第に半音ずつ音程を外していくような、不吉な旋律だった。
ムーンホーク城の正門前。
いつもは解放されているその広場には、急ごしらえの柵が設置され、ぐるりと一つの空間を切り取っていた。その周囲を無数の領民たちが取り囲んでいる。
取り囲んでいる、というより、よりいい位置でそれを見ようと押し合っていた。
「押すなよ!」「見えないだろうが!」「さっきのを見たやつは下がれ!」「次はまだか!」「このくらいの男の子が――」「俺は北西域の出身なんだ! 見せてくれ!」
ごった返す領民たちの間に緑のスカーフをした革命軍の兵士たちが立って、なんとか秩序を生み出そうと奮闘している。それがなければもめごとの1つや2つじゃきかないだろう。
僕はその様子を柵の中から見ていた。
柵の中には木製の壇が設置されている。壇の上には木の柱が渡され、端に輪をもつロープが垂らされていた。
その質素な構造物の使い方は誰の目にもはっきりと分かる。
要するに――――絞首台だった。
「静粛に! 次が、本日の最後の1名です!」
僕の隣で大きな声で叫んだのは、まるっとした顔の輪郭と瞳に愛嬌がある中年の人間だった。
『剛弾の大魔法使い』、プナンプさん。
革命の日の戦いに手を貸してくれたプナンプさんには、現在、領民会議の議長という役職を務めてもらっている。この場への立ち会いも、その仕事の一環だった。
「――――氏名、デューク=レイン」
プナンプさんが書状を読み上げ始めると、領民たちのどよめきがゆっくりと静まっていく。
「旧体制での役職は近衛侍史。徴税を担当する財務部についていたが、3-6年から3-8年にかけて、北西域の徴税に関する書類を不当に改ざんし、莫大な税を横領した。また、騎士団に所属していた多数の血縁者たちから各種の便宜を引き出していた事実も確認されている」
淡々としたプナンプさんの声を背景に、うめくような声がどこかから聞こえてくる。
「その傲慢な行為によって北西域にもたらされた混乱を正確に把握することは困難であるが、この期間、多くの村で徴税の負担が増大したという事実と、罪人の家系にもたらされた資産の総量を考えれば、罪の大きさは明白である。
領民会議は全会の一致をもって、――絞首刑を求刑する」
プナンプさんの言葉に応えるように、城側の柵が一部開き、罪人が姿を見せる。
猫人族の老人だった。以前は肥え太っていたのだろう。4ヶ月におよぶ投獄によってやせ細ったその顔や首には、以前の肉体のだらしなさをアピールするように、おぞましく皮が余っている。
粗末なティーガに、両手を結ぶ鉄の鎖、そして、猿ぐつわをかけられたその姿には、栄華の残り香すらない。
と、同時に、周囲を取り囲んでいた領民たちの怒号が爆発した。
「絞首刑だ!」「お前のせいで、妹は――!」「なんで生きてるんだよ!」「あんただけは――!」
デューク=レイン。
この名前を、僕はよく知っていた。
従騎士になりたてのころ――あるいは、メルチータさんがまだ『孤児院の魔女』だったころ、僕は北西域で1つの不正を暴いた。
領都の中枢にいる文官と地方の徴税官が屈託することで、莫大な税を懐に収めるという計画。その首謀者がこの男だった。この男の欲望が領民たちを苦しめ、そして、孤児院を焼いた。北西域が出身の領民にとっては記憶にも新しい事件なのかもしれない。殺されて当然の人だと、僕も思う。
プナンプさんは決然とした口調で言った。
「ご決断をいただけますか、領主様」
――――4月前、僕たちは革命を引き起こした。
『暁の革命』。
奴隷と呼ばれていた民が魔法の知識を手に入れ、数で劣る市民や騎士団を打倒する――そんな壮大な計画は、犠牲を払いながらも、成功した。
でも、それで『ハイおしまい』というわけでは、もちろんない。
積み木の城を崩したのなら、崩れた積み木を片付けなければいけない。
腐った部分を切り落としたのなら、それを燃やさなければ。
貴族と市民。奴隷たちの存在の上にあぐらをかいていた特権階級にあたる彼らを、ムーンホーク独立領は断罪する必要があった。それが、僕たちに突きつけられた中の問題。
完全に清廉潔白な人なんて数えるほどで、数百人規模の人間が不正に手を染めていた。ムーンホーク城に残されていた徴税の記録や人名簿を突き合わせ、多くの文官を動員して、僕たちはできるだけ正しく判断をしたつもりだけど――
「ん……ッ! んん――ッ!!」
罪人が呻く。
猿ぐつわからよだれを垂れ流しにするさまは、無様で、憐れで、醜い。
市民は、例外なく魔法使いだ。言葉を許せば、彼らは魔法を放つ。だから、罪人となった彼らは、その生涯が閉じる瞬間まで、猿ぐつわを噛まされたままだ。
屈強な男が罪人の首に輪をかける。
「ん……ッ! んんッ!!」
ぶるぶると首を振ったデューク=レインは両目から涙を流しながら、僕を見る。
血走ったその瞳がまっすぐに僕に向けられる。
柵の周囲を取り囲む領民たちのボルテージは最高潮に達しつつある。
うわんうわん、と領民たちの声がうねって聞こえた。
頭の中では不気味な旋律のBGMが響いたまま。
夕日がまだらに照らし上げる視界は、血を透かして見たような朱色。
領民たちの声は熱狂的すぎた。
純粋な怒りと復讐。
そこにもう1つ足し算されている感情があるとするなら、――見世物を楽しむ、愉快さだった。
でも、それでも、僕にこの決定を覆すことはできない。
デューク=レインを処刑する。
それは独立領主である僕の重要な仕事の1つだからだ。
僕は立ち上がる。
右手を上げ、ゆっくりと下ろし、声を張った。
「――――執行してください」
床板が開く瞬間のばくんという音と、最高潮に盛り上がった領民たちの歓声が、僕の鼓膜にこびりついた。




