強さの微笑み
――私は、なんの取り柄も無い人間です。
褒められるところはいつも、我が家が人よりも少しお金持ちなところとか、母が私に買い与えてくれるブランド物だとか、私個人とはまるで関係の無い、つまらないものばかりでした。
そんなお金持ちで知られる我が家・三枝家も、私が幼い頃はごく普通の家でした。父がビジネスで成功したらしく、一気にのし上がったとの事です。
曖昧な表現なのは、私が父の事を嫌っていて、よく知らないからです。お金が手に入った途端、父は私に無関心になりましたから。
……家族間だけで解決する話ならばまだ良かった。でも、私の身分を快く思わない方々も出来ました。イジメや財布変わり……恵まれ過ぎたがゆえに、私は第三者からの様々な仕打ちを味わってきました。
お金は、あると幸せです。でも少しでもそれが『普通』を越えてしまった途端に人もまた変わってしまう事もあるのです。
――そんな私の前に彼女達は現れました。小学五年生になってほんのしばらくしたある日。
その日も、いろんなイジメを受け――もうすっかり慣れていたと思ったのに、こう言うのって、ある日突然爆発してしまうものなのですね。
私はうずくまって、泣いていました。耐えて耐えて、いつかは助かると思っていたのに、結局現実は何も変わらない。
その癖、自分では何も出来ない小心者。私は所詮、金という権力が無ければ何も出来ない。
――存在する価値なんて無い。そんな存在なんだと、悟った瞬間でした。
でも、そこに手を差し伸べてくれた人達がいました。
「ねえ、どうしたのそんな暗い顔して」
「食い過ぎて腹でも降したんじゃねえか?優希みてーによー」
それが優希ちゃんと彩音ちゃんでした。彼女達との出逢いが私にとっての希望となったのです。
当時から喧嘩っ早い彩音ちゃんはイジメっ子達をあっという間に追い払い、そして当時から優しかった優希ちゃんは私に言いました。
「葉月ちゃん笑ってる方が似合ってるよ!ずっとそれで行こう、スマイルスマイル!」
……難しい事が理解できないというのも当時からでして、優希ちゃんは何故私がいじめられていたのかよくわかっていなかったようですがね。
でもその言葉が私を勇気付けてくれた。
それ以来私は笑顔をずっと。を心がけました。辛い時でもそれに負けないくらいの笑顔を。
笑顔があれば負ける気がしなかった。どんなに辛いことでも。
そして私は誰かの笑顔も大好きになった。友達同士が笑い合っているところを見ることが好きになった。
優希ちゃんと鞘乃ちゃんなんて、一緒にいると互いにすっごく幸せそうなんですよ!それを見るのが最近の日課で……あぁ、なんて素晴らしいんでしょうか……!
――だからこそ、私は辛かった。
その鞘乃ちゃんという新しい友達が出来たあの日から、優希ちゃんの様子が少しおかしくなりました。相談されないってことは良い気分ではないですね。でもそれ以上に辛かったのは彩音ちゃんの考えでした。
優希ちゃんが入院することになったあの日の帰りの事。
「なぁ葉月。優希の奴、絶対悪い事に首突っ込んでる」
「悪い事……?」
「……アタシはちょっと用事が、ホラ。……だからちょっと様子見ててやってくんねえかな」
「……それはつまり、優希ちゃんを見張っていろ、と?」
「……そうなるな。あんまり気分が良いもんじゃねーし、こんなことやらせたくもないんだけど」
彩音ちゃんはそれが優希ちゃんを心配しての事だって言うことは、理解出来ます。でも私は辛かった。その事で彩音ちゃんが渋い顔をしていたのが。
優希ちゃんがやっていることを信じてあげられるのは私達だけ。それを良くない事だなんて思ってほしくなかった。
だって優希ちゃんが良くない事をしたことはない。
私は知っています。いつだって誰かの笑顔の為に頑張っている優希ちゃんを。
――そして私の考えは、正しかった。
私はあるキッカケで、謎の異世界へと迷いこんでしまいました。夢だろうと、最初は思いましたがすぐにそれは間違いだと気づきました。
頬をつねると滅茶苦茶痛かったんです!!
……いえ、夢かどうか確かめる為に頬をつねるだなんてベタな行為、憧れるじゃないですか。で、思わず高揚してしまったんです、すいません。
しかしすぐに現実であってほしくないと願いました。恐ろしい怪物が、私を狙って鋭く爪を光らせていたのですから。
逃げようと思ったけれども既に遅かった。腰は抜け、大人しく地獄行き。死というものを体感した気になりました。
(私は……もう……)
終わりだ。そう感じた、その時……あの声が、また私を照らしてくれた。
「葉月ちゃん!!」
(!!今の声は……!?)
そして私は目撃したのです。謎の怪物から私を守ってくれた彼女の勇敢な姿を。
「優希ちゃん……!」
***
剣と爪がぶつかり、辺りに大きな音が鳴り響いた。
エレムは動揺し、後退する。私は無我夢中で、自分自身が何をしたのかよくわからなかった。
エレム以外に、ルシフ、そして鞘乃ちゃんまで驚いている。
『……僕ヨリ離レタ位置ニ居タノニ、僕ノ前ニ周リ込ンデ、僕ノ攻撃ヲ受ケ止メタ……ダト……!?』
「え……?」
私も驚いて、少しフリーズしていた。そこへ鞘乃ちゃんからの通信が入り、ようやく正気を取り戻す。
『優希ちゃん、今、何をしたの?』
「……わかんない」
私が言えることはそれだけだった。
今までそのスピードについていけず、防御に専念してもダメージを受けてしまうほどの素早いエレム。そのスピードを完全に凌駕する速度で私は動いたというの?
……エレム自身スピードに自信があったのだろう。そのプライドを折られ、以前のように怒り狂う。
『フザケヤガッテエエエエエエエッ!!』
そこへルシフが割って入った。
『落チ着ケ!ペースヲ乱セバヤラレルゾ』
『ウルサイ!邪魔ヲスルナ!サッキマデノヨウニ黙ッテ見テロ!!』
八つ当たりとして雷撃をルシフに向けて発射する。それをかわし、後ろのザコギョウマ達が吹き飛んだ。
(……なんかホント、ザコギョウマって可哀想だな)
しかし仲間割れをしてくれたのは非常にありがたい。鞘乃ちゃんは煙幕を投げつけ、奴らの視界を奪った。
その隙に私達は葉月ちゃんを連れ、一先ず岩場の影に隠れる。
『逃ゲタカ……』
『チッ、ルシフガ邪魔サエシナケレバ今頃ハ……』
『フン。ドウダカナ』
標的が消え、興ざめしたエレムはすっかりいつも通りの態度に戻っていた。つまりは冷静に戻ったから、すぐに感ずかれるかとヒヤヒヤしながら状況を伺っているわけだけど……。
『……サテ、核ノ方ヲ破壊シニイクゾ』
『ハハハッ!ルシフ無能スギテ逆ニ憎メナク ナッテ キタヨ。ソンナ余裕無イデショ。『リミット』近ヅイテルンダヨ?モウ無理ダッテ』
『……俺ハ貴様ノ態度ヲ憎メナイト思エル日ハ来ナイダロウナ』
……どうやら撤退するようだ。そして今、戦況を変える決定的発言を耳にした。
リミット。つまりは奴らはこの世界に長くいることは出来ないらしい。
なるほど、鞘乃ちゃんが一人で戦ってこれた理由がわかった気がする。でもまた謎が増えてしまった。元々ギョウマが住んでいたこの世界――何故そのギョウマがこの世界の環境に適応出来ないんだろうか。
……いつものことだけど、考えている暇は無さそうだね。私達にとってもこの世界は有毒なのだから。
「帰ろう……葉月ちゃんも」
今回は……いや、今回もって言った方が良いか。全く入るたびにいろいろありすぎて、退屈しないよ。……もちろん良い意味じゃないけど。
ビヨンドくんに乗り込み、私達は異世界を後にした。
一先ず鞘乃ちゃんの家で状況を整理することにしたんだけど……葉月ちゃんのテンションが高まってそれどころではない。
「鞘乃ちゃんの家……凄いです!まるで武器庫のようです」
「……本来の用途としては正解かもね」
「これは凄い!おや?こちらのスペースは普通の部屋なのですね」
「あの、それどころじゃないでしょう?」
鞘乃ちゃんは少しやりづらそうにしていた。葉月ちゃんはあの世界を見た上で、至って冷静なままでいられるのだから、不思議でしかたがないのだろう。
葉月ちゃん曰く、なにも不思議に思うことはないだそうだ。信じられないような光景の世界も存在する可能性は否定できない。そもそもきちんとあの世界を見てしまった以上、受け入れるしかないのだと。
「あの怪物にはさすがに驚きましたがね」
そう言って、やっぱり葉月ちゃんは笑ってた。そして謝ってきた。つけるような真似をして申し訳ないと。
葉月ちゃんは全部話してくれた。
彩音ちゃんに頼まれて私を見てた事、鞘乃ちゃんの動きにも注意していた事。
全部繋がった。彼女が何故私に付きっきりでお見舞いに来てくれたのか、そして異世界に迷いこんだ事も。
鞘乃ちゃんは私を異世界に巻き込んでしまった事を反省し、まず人が入らないようなポイントで次元移動をする事にしたのだ。
人気の少ない場所に加え、行き止まりの道の前に立ち入り禁止と念強く書いた看板を立てて置くことで、まず人が接触しないであろうエリアを作り出しておく。これでだいぶ人が近づくことは無いだろうと。
だけど葉月ちゃんは、私達をつけていた訳だから、当然行き止まりの道でビヨンドくんがいなくなることに違和感を感じたに違いない。そして看板を越え、探っていたところ巻き込まれ、やって来てしまった。戦いの場へ。
「……ダメだよ、立ち入り禁止は守らないと!危ないよ?」
「危険、という点ではおそらくお二人のほうが該当するのでは?」
返す言葉がない。私はずっと隠れてこんなことをやっていたのだから。
「黙っててごめんね。言いづらい事だったから」
私は頭を下げた。しかしどうも、彼女は怒っているという訳でもないようで……。
「私もこればかりは仕方ないと思いますよ。謝る事でもないと思います。むしろ感謝します、助けてくれて」
笑顔を崩さず、逆にありがとうと、私に一礼した。
葉月ちゃんには概ねの説明を鞘乃ちゃんがやっておいてくれた。その上で周りには秘密にするようにも。
もちろん話す気はない、と葉月ちゃんは心強く返事をしてくれた。
そして私達は病院へ急いだ。なんせ私はまだ入院患者という立場なのだから。
……やっぱり傷が開いて、というか更に傷が増えて痛い。まぁ誤魔化しは効かないだろうし、先生に怒られるだろうな。
そんな事を考えながら病室に戻ると彩音ちゃんが立っていた。きっと電話が切れてから心配して来てくれたんだろう。
「……どこいってたんだ?看護婦さんが心配してたぞ」
「ごめんごめん。ちょっと遊びにいってて」
「それってどんな遊びだよ。そんな格好で飛び出して、しかも誰にも言わないでいくなんてさ、おかしいだろ」
……今気づいた。自分が患者服のまま外へ飛び出してしまっていたことに。はっきり言ってこんな事考えている暇も無かったからね。
まぁそれは、いつもなら笑い話で済ませられそうな話なんだけど……私、どうも疑われてるみたいなんだよね。今回の事で拍車がかかってしまったし。あんな電話の切り方したら、誰だって不自然にも感じるだろう。
どうしたものか悩んでいると、葉月ちゃんが説得してくれた。病院内の庭にある広いスペースでゲームをやっていた、ここでならこの服装でも問題ないし、近場だから伝える必要もないと思い、現状に至ってしまったのだと。
その事は配慮が足りませんでした――そうして頭を下げて、私達のアリバイ証明が完了した。
彩音ちゃんは大人しく食い下がった。……監視役である葉月ちゃんの言ってることは信じざるを得ないって感じかな。
「……悪かった、優希」
「気にしないで。私が悪いんだし。……そうだ、今から話そうよ!四人で集まるのも一週間ぶりなんだしさ!」
「……ごめん、そんな気分になれない。アタシのせいで空気悪くしちゃったしさ」
彩音ちゃんはそう言い残して部屋を立ち去った。逃げるように足早に。
……ちょっと待ってほしい。こんなおかしいよ。私が原因で起こった問題なのに、これじゃ彩音ちゃんが悪者みたいだよ。
「……追いかけないと」
「優希ちゃん、今はそっとしておいた方がいいと思うわ」
「でも……」
「私達のやっていることを無闇に話せない以上、解決には至らない。それどころかもっと傷つけてしまう可能性もあるのよ」
鞘乃ちゃんが告げた悲しい現実に、私は言葉を失った。
だってそれが、私が選んだ道。
誰にも知られる事なく戦い続ける運命。それは同時に繋がりも薄れていくようなもの。鞘乃ちゃんはずっとそうしてきた。それを知った上で選んだのは私のはずだ。
「……そうだけど、やっぱり辛いや」
私は布団に潜り込み、二人も帰した。悲しんでるところ、見られたくないから。私は一人、泣いていた。一番辛いのは彩音ちゃんのはずなのに、私はそうすることしか出来なかった。
――次の日。気だるく目覚めた朝は晴々としていた。
お日様の事をこんなに眩しいと感じたこともない。それは私の気分が影っているからだろう。
それを見るのがなんだか億劫になってきたので、勝手にカーテンを閉めきってやろうかと考えた。でもそこで、眩しいのがまた一つ、増える。
「おはようございます、優希ちゃん」
「……葉月ちゃん、学校は?」
「そんなものよりも大切なものが壊れようとしているので」
サボった、ということか。ダメだなぁ私は。心配させて迷惑をかけてしまったんだ。葉月ちゃんは真面目だし、尚更迷惑をかけてしまうことが嫌だ。
それに正直、今は誰とも話をしたくない気分だ。はやく追い返してしまおう。私は遠回しに訴えかけることにした。
「今からでも間に合うよ?」
「えぇ。そうでしょうね」
「……こういう日に限って小テストがあったりするかもね」
「はぁ。だとしても通常のテストで巻き返せば問題は無いです」
「えっと……おばさん達にきっと怒られちゃうし――」
「行きませんよ。ここにいます」
なんだよ、強情だなぁ。いや、たぶん私の気持ちには気づいていて、それでも敢えてここに残ることを選んでいるに違いない。ここまであからさまに追い出そうとして、気づかないはずがないんだ。葉月ちゃんは、人の気持ちをキチンと理解してあげられる子だから。
……だからこそ、一人で突っ走ってしまったり、誰かを傷つけたりしてしまう私なんかとは違って輝いて見える。なんとかして、この太陽を追っ払う事はできないだろうか。
彩音ちゃんに言われたから?なんて嫌味な風に引っかけてみる。しかしそれすらも意味をなさない。キッパリ否定された。
「私は優希ちゃんの味方ですから。いえ、もちろん彩音ちゃんの味方でもありますけど」
「両方、か。葉月ちゃんの考えは欲張りさんだったね」
「えぇ。贅沢な身分ですから」
そんな冗談を言っては笑っていた。お金は嫌いなんじゃないのかと突っ込むと、『ありすぎると困るだけです。それに使えるものは嫌なものでも使っておかないと』と、返された。……さすが、しっかりしているなぁ。
どうやら諦めて、彼女に付き合うしかないようだ。私は彼女の行動を伺うように黙り込んでいた。
――ふと、彼女に尋ねられる。
「それで、貴女はどうするのです?」
「……と、言うと?」
「セイヴァー……でしたっけ?それを続けて世界を守る代わりに友情を捨てるか、それとも友情を取ってセイヴァーを引退するか」
「……引退なんて出来ないでしょ」
「セイヴァーは誰でもなれるんですよね?でしたら私がやりますよ」
葉月ちゃんは拳を握りしめ、意気込んでいる。でもそれじゃあ葉月ちゃんが辛い思いをするだけじゃん。そんなこと出来るわけないよ。
葉月ちゃんは私の気持ちを理解したという風に笑った。
「どちらも諦めきれない。やっぱり、貴女は私の思っていた通りのお方でした」
その通りだよ。
彩音ちゃんは大切な友達。絶対に失いたくない。だけどセイヴァーを誰かに押し付けるなんてもっと嫌だ。そんな事をすればそれこそ、最低な人間だ。彩音ちゃんに知られたら、絶交なんてレベルじゃ済まされないはずだ。
だけど、私がセイヴァーを続けるってことは、葉月ちゃんにとっても迷惑な事のはずだ。
「……私のせいでみんなの輪が崩れてしまう可能性だってあるんだよ。それって葉月ちゃんからすればいい迷惑だと思うけど。それでも、止めない?」
「止めませんよ」
どうしてそんなデメリットを承知で私にまだ味方が出来るのか、さっぱりだった。しかし彼女は言う。
「私が知っている新庄優希という女の子は、ハッピーエンドしか認めないんですよ。みんなが笑って終われるようなね」
……とんだ無茶ぶりだ。それに私を買いかぶり過ぎている。私にはそんな事出来ないよ。無理ばっかり押し付けないでよ。
投げやり気味にそう返すと、葉月ちゃんは俯きながらも、私の手をしっかり握った。
「無理を言っていることはわかってます、ごめんなさい。でも私も出来ることはやります。ですから諦めないで」
……凄いな。葉月ちゃんは私と違って頭がいいからそれがどんなに辛いことか承知で私と一緒に戦いたいって志願してるんだ。どうしてそこまで強くいられるのか、私は不思議に思った。そして、羨ましく感じた。
「……どうやったら葉月ちゃんみたいに折れずに笑っていられるかな」
こんな事を聞いたのも、そのせいかもしれない。すると彼女は、私が望んだその笑顔を満開に咲かせ、こう言った。
「貴女が信じるものを思えば、自然に出来ますよ」
私がそうですから、とさらに笑顔を足して言う。
(……私が信じるもの、か)
彼女が何を信じれば、それほどの強さを得られたのかはわからない。でも、もし私にもそれだけ大切に想えるものがあるなら……きっと……!