第五十六話 桔梗
「やってくれたなあんたら。私の邪魔をしやがって。営業妨害で訴えるぞ、こらあっ!」
ゲイランに邪魔されている間に、獲物に逃げられた蘇芳。彼女は凄まじい怒りを、臙脂達に向けた。一方の臙脂も、血管が切れそうな程の怒号をぶつける。
「それはこっちの言葉だ! 貴様、自分が何をしたか判っているのか! 対話中に攻撃を仕掛けただけでなく、任務に関係ないものに襲い掛かった殺人未遂。その上、土地神の熊千代様に斬りかかるなど、これも前代未聞の大犯罪だ! 貴様をよこした鉄士協会に、どのような訴えを起こしてやろうか!?」
この言葉に反応し、蘇芳は少し冷静になった。
「ああ~そうだな。確かにそれは面倒だな。協会に何て報告しようか? 軍に命令されて、仕方なくやっちまったと言っておくか? あんたらに脅迫されたことにすれば、十分言い訳は立つな♪」
「貴様!?」
あまりに勝手な言い分に、臙脂だけでなく、兵たち全員が武器に手をかけた。
「お~お~怖いね~。それで私を逮捕するか? でもそうなると悪人になるのは、ますますあんたらになるぜ♪」
「「!!??」」
余裕綽々で、相手を侮蔑した目線を向ける蘇芳。
「私は鋼級鉄士だぜ? いわば民衆の英雄だぜ? それを逮捕するってのが、どういうことか判るよな? 今まで沢山の人に尽くしてきたのに、それを気に入らない傲慢な権力者にあらぬ罪を着せられた可哀想な英雄……。ううん、まるで物語の主人公みたいだ♪ ずっと前にも同じ手をアホな霊素材屋にやったなあ。あの時と同じできっと民衆は、みんな私に同情してくれるだろうな。あんたら全員、あっとうまに民からの裁きを受けて御終いだぜ~。ギャハハハハハハハハッ!」
「「…………」」
何も言い返せない一同。蘇芳の言っていることは、紛れもない
事実なのだ。民衆の間では、権力を疑い楯突くことが良い行いだとするような風潮がある。そしてそれがこの蘇芳のような輩を、平然とのさばらせているのだ。
臙脂が画像通信機(テレビ電話)で誰かと話している。画面に映っているのは、豪華な着物を着た三十歳前後の鬼人の女性だ。
この人物こそ、今回の命令を下した張本人である、猪神王国現国王・桔梗である。
「紺の捕獲が完了しました。こちらの行き過ぎた行為で、死に至らしめてしまいましたが、伝承通りならばあと数時間で蘇るかと……」
『よくやったわ! すぐにこっちに連行しなさい! しかし蘇ってから暴れられても面倒ね。死んでるうちに、魔導鎖なりなんなりで拘束しておきなさい。それからこっちに必要な量の血液を抜き取っておいて!』
この言葉に臙脂は眉をひそめた。
「お待ちください! 相手は女神ですよ! そんな罪人のような扱いは……」
『“ような”だあ? 実際罪人なんだから、当然でしょうが! この私の命令に従わなかった屑女だ! 生き返ったら、私のほうからそいつに相応の報いを与えてあげるわ!』
「なっ!?」
ここまでいくと、今度こそ臙脂も激昂した。
「いい加減にしてください! あなたは自分が何をしようとしているか……」
『うっさいわね! 私を誰だと思っているの!? 私の命令に従わないなら、貴様らも犯罪者だ! そうなりたくなかったら、つべこべ言わずに働きなさい!』
そこまで言われたところで、向こうから強制的に通信を切られる。臙脂の心は絶望に染まっていた。
(もう御終いだ……)
先代の頃から猪神王家に仕えていた臙脂。常にこの国の平和のために働き続けてきた。女神を連れて来るという命令は、この国の将来にとって良いことだと思った。
だがあの女王は、明らかにそれ以外の目的で動いている。これはもはや、大衆が書いた三流英雄譚に出てくる愚王そのものである。
かつて女神レイコが三賢者に与えた不老不死の力。それは己の血を分け与えることでなしたことだという。これはかつて先代が王位にいた頃に、ある精霊から聞き出したことだ。
その精霊は先代のことを、とても信頼していた。だからレイコに関する詳しい情報を、王家に提供したのだ。一部の鉄士達の横暴は、相当深刻なものになっていた。それは神々の領域を平然と荒らすほどに。
その精霊もその被害者だった。霊素材ほしさで、神地を鉄士に荒らされ、御神体を奪ってどこかに売り飛ばそうとしたのだ。
この行為すら、鉄士協会によって情報をもみ消された。このようなことが鉄士達の間で、着実に拡大していっている。いずれこの国は、民から信頼されている鉄士達の手によって、どんな最悪の未来を迎えるか判らない。
これを防ぐためにも、女神の協力が必要だと思った。だから精霊は新しい女神=緑人のことを教えてくれたのだ。
だが先代が退役し、跡を継いだ桔梗はとてもそんなことを望んでいるようには見えない。彼女の命令に従った結果、女神に刃を向けることになってしまった。
こんな無礼を働いておいて、あの紺という女性が、こちらに慈悲をかけて協力してくれるだろうか? いや、あの時の彼女の反応を見る限り、まずないだろう……
(もう私にできることは一つしかない。これ以上王家の名誉を傷つけることが起きないようにすることだけ……)
それはあの女王をどうにかするということである。手段は簡単である。彼女の望み通りに、紺の血を与えればいい。その結果、何が起こるか臙脂は判っていた。
本当なら全力で止めなければならないこと。だがそれは王の命令に背く反逆行為でもある。
ならば素直に渡してしまうのが、順当な手段だ。子供の頃から面倒を見ていた、あの主君に深い悲しみを抱えながら、臙脂は命令を実行した。
紺の死体から抜き取った血液をパックに詰める。そして袋に詰めた紺の死体を、部下たちに輸送させる。臙脂は一足先に、列車を使って猪神京に帰り、この血液を献上するつもりだ。
残された兵士達は、軍自動車を使って王都に帰る予定だ。紺の死体も彼らが運ぶ。時間的に考えて、彼らが王都に帰還する前に、紺は生き返るはずだ。後のことは、全て運に任せるのみ……
猪神王国の王都・猪神京。その中心部に、王国政府で最も偉大な権威を持つ者がクラス場所=王宮がある。その王宮に一人の女性が、ある物がこちらに到着する時を心待ちにしていた。
(もうすぐよ……もうすぐ私は永遠の若さと偉大な力を得る!)
その女性=桔梗が待ち望んでいるのは、新しい女神=紺の血液である。
猪神 桔梗、三十歳。彼女は王家の第二子として、この世に生を受けた。
先代国王の父は、とても真面目で仕事熱心だった。己の私欲など二の次にして、常に国民のために働き続けた。
世界の安定のための、各地の神々の保護を徹底した。また魔物被害や災害等で、家や財産を失った人々に、多額の支援をして彼らの命を救った。親を亡くした子供のための育児施設も発展させた。
そんな父の背中を見て育った桔梗は、常に思っていた。
(つまんないことするなあ、本当に・・・・・・)
彼女にとってはこの国の信頼も、民の平和も別にどうでもいいことだった。権力や威光にも興味はないし、王位は兄が継承することになる。このまま国の金を少し抜いて、一生ダラダラ暮らしてやろうと考えていた。
だが思わぬことが起きる。本来王位を継承するはずだった兄が失踪したのだ。
十年ほど前、兄=猪神 朽葉がこう言いだしたのだ。
『レイコ様がおられる場所を見つけたのかもしれない!』
それがどこなのかは、朽葉は言おうとはしなかった。まだ確証がないからと。だがもしそれが正解だった場合、こちらは最大限の礼儀を持って迎えなければならないと。
そう言って自らレイコを迎えに行くと言い出して、朽葉は猪神京を飛び出した。それが朽葉の姿を見た最後だった。
あれから十年、朽葉は一向に帰ってこない。どこに向かったのかも分からず、足取りもつかめなかった。恐らく道中で魔物に殺されたのだろうという説が有力視された。
やがて朽葉は死亡したことになった。そして父が長年の務めで体調を崩し、王位を退いた。結果、残された桔梗がその跡を継ぐことになった。
それが決まった辺りから、急に桔梗は体調を崩す。全身に熱と苦痛を帯びる原因不明の病気に彼女は苦しんだ。この病気は王宮の医師でも、まったく手がつけられず、政府内は混乱した。
やがて駄目元と、犬猿の仲である鉄士協会に治療依頼を出された。
するとどうだろう。誰にも手がつけられなかった病気は、鉄士協会から提供された薬で、いともたやすく完治してしまった。
あの病気は何だったのかと政府は問いつめたが、協会は機密事項と一切明かそうとしなかった。元々良い関係とは言えない組織であるため、それ以上追及されることはなく、この件は解決と言うことになった。
一件落着したと他の者は皆思ったが、桔梗の精神は病気前と大分変わっていた。不思議な話だが、あの薬を飲んだ辺りから、彼女の心は大きく様変わりした。
以前は全く興味がなかった国の権威や財力に、とてつもない魅力を感じるようになった。それだけではない。
彼女は元々民衆の存在には無関心で、彼らの生活やこちらへの信頼性など、本当にどうでもいいと思っていた。だが病が治ってから、唐突に彼らに強い嫌悪感を持ち始めた。
民衆に強い差別心を抱くようになり、彼らをその辺の虫と同じぐらいの価値しか感じ取れなくなる。
そして自分が王になったときは、父のような虫けらにいちいち構うような頭のおかしい王には絶対にならないと心に強く誓った。
王だけが正義、王こそが全ての、素晴らしい国を造ろうと強く心に誓った。
なお桔梗には元々性格の悪い部分があったため、彼女の周りの者は、この変調に全く気付かなかった。
やがて失踪した兄に代わって、正式に彼女は王位に継ぐ日が来た。
王になった桔梗は、早速自分が夢想していた世界を実現しようとした。まず最初に、国民への税を大幅に増大させようとした。だがそれは実現できなかった。臣下達が猛反対したからだ。
『そんなことをしたら国民の反発を多大に買います! 国民に見捨てられた王室など、野盗と大して変わりませんぞ!』
臣下達の剣幕は物凄いもので、下手をすれば反乱を引き起こしかねないものだった。そのため桔梗は、ただ黙って引き下がるしかなかった。
(何故私があんな下の奴らの言う通りにしなければならないの? 私は王様だよ? 王様は一番偉いはずだよね?)
桔梗は屈辱とともに、そう自問自答した。答えは最初から判っていた。自分には力がないからだと……
(私に力があれば、あんな奴らの言うことを聞くこともない。でもどうすれば……)
やがて時が流れ、彼女に驚くべき情報が届けられた。かつてレイコが予言したという、新しい女神らしき人物が現れたというのだ。
その人物は女性で、鉄士をしていた。九十九神化した巨大建造物を一刀両断する圧倒的な力。そして胴体を切断されても、生き返ってしまう不死身ぶり。彼女は葉人のような姿をしていたが、その戦闘能力のタイプは葉人とは一線を画していた。
ある情報ではその紺という女性は、辺境の六王国で石化病を解決させた純人と、容姿や服装がよく似ていた。
六王国に使いを送り、当時報道されていた記事から写真を入手してみると、それは九十九神事件の時の鉄士と瓜二つだった。 どこの文化のものか不明な、あの変わった白い服も全く同じだった。
彼女の正体は、葉人を装った純人。最初の女神であるレイコ自身が純人であったことを考えると、彼女が女神であるということは十分信憑性がある。
そして幽霊事件を監視して、ほぼ女神に間違いないという報告が届く。
これに桔梗は歓喜した。三賢者の力の正体は、父と親交があった土地神の精霊から、既に聞き知っている。ようするにそいつから血を奪えばいいのだ。
(いける! これでは私は簡単に三賢者と同じ力が得られる! これでもあんな馬鹿共の言うことを聞く必要もない!)
桔梗はすぐに、紺の捕獲を命じた。軍の者たちから多くの反発が出て、色々面倒があったが、ついにそれは成功した。
もうすぐ臙脂が女神の血を持ってくる。この待ち時間は、桔梗にとって人生最大最高潮の時間だった。




