第二十一話 黄
その日の夕方、紺達は西鬼町に帰ってきた。だがすぐに店には戻らなかった。彼女たちはまっすぐ町の住宅街の方へと向かっていく。
紺の後ろに二人の仮面の人物がついていた。一人の牛仮面は緑天丸だが、もう一人は海松である。何故か彼までついてきたのだ。
出発時にあらかじめ持ってきた山羊の仮面を、町に入るなり被ったのだ。
何故揃いに揃って顔を隠すのか? それを質問したら「趣味」という簡潔な答えが返ってきた。
(確かこいつら昔の同僚だとか言ってたな? もしかしてかなりやばい悪の組織に所属していたんじゃ?)
頑固として他人に素顔を明かそうとしない二人に、紺はさらに不信感を募らせていった。
二人の挙動とは別に、外見的な意味でも一行は怪しかった。ただでさえ純人という珍しい人種がいるのに、更に輪をかけて怪しい二人組が、その後ろについて行っている。
行きゆく道で降りかかる、珍妙な視線に、紺は自分が魔物使いにでもなったような気分になった。
やがて三人は長屋が立ち並んでいる区画に到着した。“長屋”といっても、江戸時代にあるようなちっぽけな集合住宅ではない。一棟二階建て、大きさは日本のアパート以上にある。建物の素材も、しっかりしたものが使われており、かなり頑丈そうだ。
そんな10棟の横に長い建物が、縦に10戸以上立ち並んでいる。それぞれの棟の扉には、それぞれの借主の名前が描かれた札と、呼び鈴のスイッチが取り付けられている。
紺は医者から聞いた、黄とその家族が住んでいる部屋へと向かった。そしてそこで呼び鈴を押した。
ビビビビーーー!
日本の一般的な呼び鈴とは、また異なった音声の呼び音が鳴る。しばらくして家の者が出てきた。
「じゅっ、純人様!?」
訪問者が純人と知って、大層な慌てようだ。
30半ばぐらいの鬼人の男性だ。黄の父親だろうか? 時間帯からして仕事を終えて帰宅したばかりかもしれない。
「今ここに黄がいるか?」
「おっ黄ですか? いえ、一昨日に家を出てからまだ……」
まだ帰ってきていないらしい。まあ本当の意味で用があるのは別人なので構わない。
「じゃあ、あの子の母親はいますよね」
「ええ、しかし今は病気でして……」
「知ってる。石化病だろ? それを治しに来たんだ」
「ええ!?」
主人が動転している間に、紺は彼を押しのけて、ズカズカと家へ入っていく。お世辞でも礼儀正しい行動ではないが、今回は自分が恩をかけてやる立場だということで、全く遠慮がない。
家の寝室の一つに、黄の母親と思われる人物がいた。だが彼女は客が来ても、何の反応も返さない。いやそれどころか呼吸すらしていない。
「これが石化病か……」
目に映るのは等身大の一体の石像だった。主人と同じ、30半ばぐらいと思われる、和服の女性の石像だ。
それはあまりに精巧にできていた。服の歪みや、髪の毛の一本一本まで、実に細かく形作られている。
もしこれが本物の石像だったら、相当立派な芸術品だろう。だがあいにくこれはそんなものではない。これは元は本物の人間だった。しかもまだ死んだわけではないのだ。
驚き恐怖に歪んだ表情で固まっている、黄の母親。彼女は最後に何を見たのだろうか? 石にされた時、バランスが悪かったようで、彼女は立った姿勢のまま、横に寝かされている。
「ちょっと純人様! 治すっていったい!? ていうか何ですか、この人たち!?」
紺と一緒に屋内に入った、明らかに不審な連れに、今更ながら驚いている主人。紺の言葉に動転していたにしろ、気づくのが遅すぎでは?
紺はそんな主人のことなど気にとめず、さっさと仕事に入った。
右手の掌を広げ、彼女の胸もとにペタリと貼り付ける。そして何やら念をおくるような仕草をすると、紺は最近得た新しいタイプの魔法力を、その石の身体に注ぎ込んだ。
「はぁあああああああっ!」
かっこつけに言ってみた掛け声とともに、彼女の身体に密着させた手が、白く光り始めた。これに主人は今日三度目の驚愕の表情を浮かべた。
しばらくその掌は、ただ光を発しているだけであったが、やがて石の彼女の方にも変化が訪れた。
今まで鈍い石の色で染まっていた全身が、各部それぞれ別の色に変色していく。いや、戻っているのだ。彼女の本来の色へ。
今まで一つのポーズに固定されていた彼女の手が、下の畳に落ちた。今まで硬直して動かなかったからだが、初めて生身の人間にあるべき動きをしたのだ。
鼠色一色だった石の身体は、もう面影もない。鬼人独特の褐色の肌・銀髪・青い和服、それら全てが彼女の本来の色となっている。肌色もよく、呼吸もしっかりしており、確かに生きているのがわかる。
「おっお前!? 治ったのか!? うわぁああああああああ」
「ぐごっ?」
床に眠った姿勢の彼女に、主人が感激して抱きつく、あまりに強い抱擁だったのか、本人はかなり苦しそうだ。
緑天丸と海松は、ただ呆然と眺めていた。仮面のせいで他人には全く分からないが、本人たちはかなり驚いている。
「まさか本当に僕の力を自分のものにするなんて……。こんな力、あの人にもなかったぞ?」
海松が何かぼそぼそと言っていたが、その場で気に止める者はいなかった。
泣きじゃくる主人の後に、紺はもう用が済んだと言わんばかりに、さっさと家の外に出た。
「もう行くのか? 黄には会わないのか?」
「ああ、別に必要ない」
「今日会わなくても、いずれ向こうから来ると思うけど……。それと明日からウチの店が騒がしくなると思うから、覚悟しときなさいね」
少し咎める口調で、緑店丸がそう言う。それを聞いた紺は、ますます疲れた顔を見せた。
「ああ、やっぱそうなるか?」
「当然だ。責任取らずに逃げようなんて考えるなよ?」
「へ~~い」
気の抜けた返事をしながら、一行は長屋を後にした。
(どうすっかな? 石化病のことは、海松の力を頂く口実のつもりだったんだけど。今日のうちに逃げるか? それとも・・・・・・)
紺が西鬼町に帰ってきたら二日後の早朝。
六王国内の森の中にある大木の木陰、野宿中の一人の鬼人が眠っていてた。
年若い少年で、長旅でもしていたのか、彼の着物は汚れてボロボロである。だが朝日の日差しに気づいたのか、さっそく目覚めた。
「……朝か。ふわぁああああああっ!」
大きくあくびをする少年。彼の名前は黄、西鬼町出身の少年だ。彼は人を探していた。海松という名前の医者である。
彼の母は病にかかっていた。ある日買い物に出ていってから、大分時間が経っても、母は帰ってこなかった。不審に思った父が探しに行ったところ、町の中で人だかりが出来ている。
彼らが注目していたのは、道の真ん中に突然出現した一体の石像。それを見ると、それは黄の母とそっくりだった。
その場にいたものはほとんどが判っていた。これは数年前からこの国で続出する、原因不明の奇病・石化病の犠牲者だと。
そして彼の父がそれに気づいたとき、初めてその犠牲者の身元が判明した。
この病を唯一治せる医者が海松だった。彼は石化病患者が最も多く出た、北鬼町を中心にして懸命に治療活動をしていた。だがその救ってきた町民から迫害を受け、海松は姿をくらましてしまった。
彼はその海松を探すため、そして母を助けてもらうために、現在六王国の町や村をあちこち訪ね、彼の行方を追っている。
彼は何故迫害を受けたのか? 原因は、一人の鉄士が民衆に語った話である。その鉄士はこの病気を治すために、遠方の猪神王国から、鉄士協会に依頼されて、この国にやってきた。
この鉄士は魔導医師として優れた能力を持っており、この依頼を受けたときも、大層な自信だったそうだ。だが結果は惨敗、この強力すぎる呪いに彼は全く太刀打ちできなかった。
多額の報酬につられて、わざわざ遠征してきたのに、全くの無駄に終わったことに、彼は相当腹を立てたようだ。
その上、自分に手出しできなかったその病気を、鉄士でもない変な男が、いともたやすく治してしまった。
これに彼は、随分とプライドを傷つけられたようで、その海松という男を深く怨んだ。そして“この病気は、名声欲しさに海松が起こした自作自演”という根も葉もない話を、尤もらしい理屈をつけて人々に流布したのだ。
だがそれを真に受ける者が続出した。鉄士という存在は、実態をほとんど世間に知らされず、民衆から信頼されている存在だっただけに。そして海松に対して様々な非道い行いがされた。
彼の即席診療所に、多くの誹謗中傷の手紙が送られた。診療所に投石や落書きも何度も行われた。
遂には診療所が放火され、武器を手に持った町民たちが、彼を殺そうと一斉に襲い掛かったのだ。多くの患者を救った恩人に対して、あまりもの仕打ちである。
黄は、報道でこれを知った時、北鬼町の町民全員、石化病で全員死ねばいいと思った。
現に事件後にこの町は、国中から非難された。新聞の見出しも北鬼町を責める文面ばかりだ。今では物資流通を制限するなどの、経済的な仕打ちも受けている。
そもそも何故北鬼町の住人たちは、いくら鉄士が言ったとはいえ、たかが話一つでこれほどの暴挙に出たのか?
海松を探すため、黄は最初にその北鬼町を訪れている。すっかり寂れてしまった町の住人に、話を聞いてみたところ“見た目や素性が、あの話が本当でも納得できるくらい怪しかったから”だそうだ。
石化病の被害が続出した時、海松は突然その町に現れた。
彼は馬型の仮面を被り、黒い外套で全身をすっぽり覆い、その姿を完全に隠していたのである。喋る時も、裏声のようなおかしな声音で喋っており、作り声だとすぐ判るものだった。
素性を聞いても一切答えようとせず、外見も顔も声も謎。名前も本名かどうか判らない。正真正銘の不審人物だったのだ。
確かにそれならば何か企んでいるのでは?という疑いを持っても不思議ではない。
その上で誰かがこんなことを言いだしたのだ。「海松が町の組合に、多額の礼金を脅迫して要求している場面を見た」と。これが町民たちの暴走の引き金の一つとなった。
実際のところ、彼がそのようなことをした事実は一切ない。町の有力者たちも、今でもはっきりと、その事実を否定している。
いったい誰がどのようなつもりで、そのような証言をしたのか? それはいまだに謎である。
噂を綿密に調査したところ、最初に言いだしたのは、若い女性らしい。だがその人物の身元は不明である。
どのみち彼らはやりすぎで、しかも間違っていた。実際彼がいなくなった後も、石化病の被害は続出しているのだ。
ちなみに町民に嘘を吹き込んだ鉄士のことだが、彼は騒動が起きると逃げるように猪神王国の方へと帰っていった。
町民たちは彼の所業に関して、鉄士協会に抗議した。だが協会の返答は……
『この事件に関して彼に一切責任はない。あの程度の嘘も見破れない、馬鹿共の方に全ての責任がある。それと我々は、貴様らのような田舎の野蛮人に付き合ってやるほど暇じゃない。今度抗議を仕掛けてきたら、貴様ら全員を協会への襲撃者として即抹殺する』
これが答えだった。結局その鉄士には、何のお咎めも与えられなかった。
鉄士協会は猪神王国内でも絶大な勢力を持つ。下手をすれば六王国そのものが、協会に戦争を仕掛けたなどと、あらぬ罪を着せられかねない。
町民たちは、何もできずに泣き寝入りするしかなかった。
黄は石化治療を受けた人がいるという町村を、しらみつぶしに探していた。だが一向に見つかる気配がない。
ここで説明しておかなければならないのだが、黄の医者探しの旅に、彼の身内は誰も賛成していない。だが黄は多くの反対を押しのけて、西鬼町を出た。
黄を止められる者は誰もいなかった。……主に物理的な意味で。
旅費はほとんどないので、宿はとらずにすべて野宿である。食糧も自力で採った。どうやって採ったのかというと……
「あっ、雉だ」
ふと動くものが見え注視すると、そこには森の中を歩く一羽の雄の雉がいた。
紺が最初に遭遇した動物の大兎などと違って、こちらは普通の雉だ。大きさも日本の野鳥の雉と同じぐらいである。
(よし、あれを朝飯にしよう)
そう言って黄は立ち上がる。これに気づいた雉は、身の危険を感じて即座に逃げ出した。黄もすぐにその後を追う。
雉という鳥は、飛ぶのは下手だが、走るのはとても速い。黄と雉との距離は200メートル近くあり、雉の方が先行して逃げたのだ。普通ならば、捕まえるのはまず不可能だ。
雉は全速力で逃げていく。その速度は日本の雉よりも確実に速い。身体能力の優れた鬼人でも、これは追いつけないだろう。
だが黄は並みの鬼人ではなかった。地球のトップランナーも顔向けの速度で走り抜け、あっというま逃げる雉に追いつき、後ろから首を右手で掴んだ。
雉は悲鳴すら上げられずに、首を締め上げられ窒息した。
「おしっ!」
彼は捕らえた雉を使って、早速食事にうつった。何という逞しさと身体能力だろう。あの足の速さ、いったいどれだけの修練を重ねたのだろうか?
否、彼は修練など何一つしていない。
実は彼は、つい最近まではこんな屈強な少年ではなかった。鬼人の中ではかなり貧弱なほうで、とても弱い子供だったのだ。自力で狩りなど到底できるはずがない。
彼が変わった原因は、はっきりとは判らない。転機は彼がある経緯から、どこぞのチンピラに銃で撃たれた後だ。黄は重傷を負ったものの、どうにか一命を取り留めた。
だが回復した後で、明確な変化が起こった。全身の感覚に違和感を覚えた黄は、河原にあった大きな石を持ってみた。重さ数十kgはありそうな岩である。
病み上がりの身体に無茶な行為であるが、今回に限っては何の問題もなかった。石は軽々と持ち上がったのだ。
本人はあまり重いという感覚はなかった。もっと大きな石を持ってみたり、試しに走ってみたりして、ようやく気がついた。自身の身体能力が大幅に増強していると。
色々試してみて、最大で一トンぐらいの重量は持ち上げられた。身長百五十cm程度の体格で、である。プロの重量挙げ選手も驚愕である。
この変化に町民は一斉に驚き、黄は力を持て余して、あちらこちらを走り回った。ただ持久力は無限というわけではなく、動きすぎると当然疲れてしまうのだが。
何故このような変異が起こったのか? 黄は銃で撃たれた自分を病院に運んでくれた、紺という純人が何かしたのでは?と考えたが、彼女はこの時町を出ており、事実を確かめることができなかった。
実際のところ、黄は彼女から血液を提供されているのだが、その事実は伝えられていない。何故だか紅月医師が、その話をするのを躊躇したのだ。
ともかく力を得た黄は、かなりの自信がついて、海松という医者を単独で探しに行くと言い出した。
今なら何でも出来そうな気がしたからだ。そうやって町を出て、現在に至っている。
(やっぱりもうこの国にはいないのかな?)
あまり考えたくない話だったが、十分あり得る話である。
もしそうなったら旅は、最初の想定以上に長くなる。石化病は時間がかかっても、死に至る病気ではないので大丈夫だろう。
(国を出るとしたら、やっぱり一度父さんに話しておこう)
一度実家に帰って、国外への旅を伝えておくべきと考えた。あまり長く帰ってこないと、知らぬ間に自分の死亡届が出されるかもしれない。
食事を終えた後、黄は西鬼町への道へ引き返した。
もし彼が途中どこかの村に寄っていたら、そしてその新聞に載っているものを見たならば、この時点で国外遠征は不要であることに気づいただろう。




