軽井沢で起きた奇跡 3
朝食を終えると、再び涼しい外に出てきた。
片瀬に「少し歩こうか」と言われ、他のお店を見ながら歩みを進める。
コーヒー専門のお店、ハンドメイドの雑貨屋、地元で採れた果物を使ってスイーツを提供するお店。
どのお店も魅力的で、温かみのある雰囲気に心が癒される。
ゆったりとした足取りで歩いていると、無数の木々が目の前に映った。
「いい空気だな」
「うん、ほんと」
片瀬がこの周辺で休日を過ごしたくなるのがよく分かる。
体を伸ばしたり、深呼吸をしたり。
空気を吸い込むだけで、自然と笑顔になる。
「何か飲み物でも買ってこようか。 またコーヒーでいい? それとも別の飲み物にする?」
「ありがと。 うん、コーヒーで」
「オッケー」
片瀬は敷地内の喫茶店へと向かっていき、僕は近くの椅子に腰を掛ける。
もう少しこの感じを味わいたいし、飲み物1つ欲しいと思っていた。
後ろを振り返ると、さっきの小川があった。
距離が近く、水が流れる音も途切れることなく聞こえる。
森林のどこからか、鳥の鳴き声と、風に揺られて木々が擦れあう。
自然の音に耳を傾けていると、
「誠司」
僕を呼ぶ声がどこからか聞こえてきた。
片瀬しか知っている人はいないのに……。
誰の声だろうかと、座ったまま体が固まっていた。
「?」
不思議そうな顔をしていた僕は、あることをふと思い出した。
『行ったことのない、静かな別荘みたいなところ……』
『喫茶店やパン屋とか、お店がいくつかあって……僕の他にもお客さんらしき人がいたんだ』
『小川が近くに流れたところにテラス席があって、自然豊かな良い場所だった……』
誰かが僕に話していたこと。
別荘みたいで、人やお店がいて、小川もあって、テラス席があって……僕が今ここにいる風景と一致している。
『香織が来たんだ』
『香織』という名前を聞いて、とっさに顔を上げて周囲を見渡す。
『香織が僕に言ったんだ。 『お父さん、今からみんなに挨拶してくるからね』って。 笑顔でそう言って、走り去っていったんだ』
四十九日の帰りに言っていた香織のお父さんが見た夢。
もしかして、お父さんの夢に出てきた場所はここだったのか。
そうだとしたら、さっき僕を呼んだ声は……。
「香織……?」
僕の言葉に応えてくれるかのように、またしても風が吹く。
目を閉じて、全部を抱きしめるような想いで風を肌で感じていた。
長くゆっくりと吹く風は、髪と洋服、皮膚からまつ毛まで軽やかに揺らしてくれる。
でも不思議……まったく寒くない。
むしろ人肌に触れてるように温かい。
「ありがとう……ずっと傍にいてくれたんだ」
そんな奇跡、起きるはずないのに。
今は本当に香織が傍にいてくれたことを信じたかった。
「野上?」
目を開けると、両手にコーヒーを持って僕を心配そうに見つめる片瀬が立っていた。
またしても涙がこぼれてしまう。
「コーヒーありがとう……いくらだった?」
手で涙を拭きつつ、ポケットから財布を出そうとした。
片瀬はコーヒーを静かに机に置いて、僕の動きを止める。
「どうかした?」
真っ直ぐに僕を見つめてくれる片瀬。
今までのことがフラッシュバックする。
感情が一瞬で巻き戻されて、それに反応するよう再び涙が流れてきた。
「香織の……声が……」
何も言わず、片瀬は優しく僕の肩を抱く。
「そんな訳ないだろう」という言葉は一切言わず、背中を優しくさすってくれた。
「そっか……香織ちゃん、野上と一緒に来てくれたのか」
片瀬の呟きに僕は何度も頷く。
僕の話を肯定してくれて、心が救われた。
「声が聞こえたときのこと、俺に話せる?」
右目から一粒、涙を流した片瀬が優しく尋ねてきた。
僕は涙に消されて言葉が切れないよう、ゆっくり話し始める。
香織のお父さんが見た夢のこと。
その夢が今の光景と合っていて、一瞬だけ香織に呼ばれる声がしたこと。
片瀬がここに戻ってくるまでの出来事を余すことなく伝える。
片瀬は最後まで話を聞いてくれた。
「香織ちゃん、きっとここが気に入ったのかな……だから野上を呼んだじゃないかな」
片瀬にそう言われ、香織の姿を想像してみる。
アイスクリームを幸せそうに頬張る香織。
売っている雑貨にひたすら「かわいい」を連呼する香織。
お店にいた子供に懐かれて、同じ目線になって笑顔を振りまく香織。
テラス席で大きく伸びをする香織。
どんなシチュエーションでも、香織の姿が簡単にイメージできた。
なんだか嬉しいのと恋しいのが混ざって……。
「うん……絶対そうだ」
涙声でそう答えると、片瀬にグーパンチで肩を叩かれた。
「軽井沢に来て正解だったな」
片瀬の目元は赤くなっていた。
「来て良かった……ありがとう片瀬」
片瀬は照れ臭そうに「おう!」と笑っていた。
「もう少しここにいるか。 時間はまだたっぷりあるし」
「うん、そうしたい」
僕は本日二度目のコーヒーを飲んだ。
「え、美味しい!」
「だろ? ここのやつ、コーヒー専門店のやつだから本格的なんだよ」
濃密な苦味と甘みが合わさった、とても美味しいコーヒーだった。
この景色に囲まれながら飲んでいるのも、コーヒーの美味しさが引き立っているかもしれない。
「あとさ、あそこ行く? 薬局長おすすめのパン屋」
「え、片瀬行ったことあるの?」
片瀬の異動が決まったとき、薬局長がしつこくパン屋の話をしていたのを思い出した。
「いや、場所だけ知っている。 パン屋を見かけるたびに薬局長の顔が浮かぶから、入る気にならなかった」
「えぇ、そうだったの?」
遠回しに薬局長の悪口を言う片瀬。
そんな片瀬の言動に、笑いを堪えることができなかった。
「せっかくだし行こうよ! 行ってみたい!」
今日は香織も一緒に来てくれたんだ。
片瀬と香織と……軽井沢で過ごす時間を大いに楽しもうと心に決めたのだった。




