香織エピソード 家事の教訓
『お水はお金と似ているから、水回りはなるべく清潔を保つようにしているんだ』
同棲をし始めた頃、香織がそんなことを言っていた。
香織は家事をしていると、無意識のうちに鼻歌を歌っている。
そんな彼女が最初は面白くて、ちょっかいを出していた僕。
食器洗いを終えてからも、香織は掃除用のスポンジを使って丁寧にシンクを洗っていた。
こういう姿を見るのは2〜3日置きだ。
かなりこまめだと思う。
「ねぇ。 そんなに汚れていないし、毎回掃除しなくてもいいんじゃない?」
お互い仕事をしているにもかかわらず、香織にばかり家事の負担をかけさせたくなかった。
僕の中では「汚れてきたから、掃除しようかな」くらいの軽い気持ちでいてもらいたかったが、
「そんな毎回やってないよ。 それよりも近いよ誠司……」
お得意の眉寄せで僕を威嚇してきた。
僕は彼女をバックハグしていたが、彼女は僕よりもシンクに意識したかったらしい。
そっと離れようとすると、
「ちょっとストップ」
冷静に声を掛けて、掃除に夢中だった彼女を引き戻した。
「……ありがとう」
捲っていた袖が落ちてきたのが気になったので、後ろからそっと袖を改めて捲ってあげたのだ。
香織は照れくさそうにしつつも、口では素直にお礼を言ってくれた。
可愛いなと思っていたが「調子に乗ってはいけない」と言い聞かせ、横から大人しく彼女を見つめることに。
「香織って実は潔癖症だった?」
僕との同棲……本当は嫌だったのではないかと急に心配になった。
予想してなかった僕の質問に、背中を反らして高笑いする香織。
「違うよ! でも、清潔にしたほうが気分いいじゃん。 財布と一緒だよ」
「財布?」
シンクの掃除と財布に何の共通点があるのかさっぱり分からなかった。
「財布の中身にさ、レシートとか期限切れのクーポン券を放置することがたまにあるじゃん? そうするとさ、すぐにお金が出てこなくて、人前で財布を出すのが恥ずかしくなる訳よ。 だからこまめに整理整頓したほうがいいかなって」
水を出し、泡まみれにしたシンクを流していった。
僕の謎が解消されつつあるように、泡も排水口へと流れていく。
「確かに……レシート入れたまま溜まることある……」
酷いときはレシートがいっぱいになり、財布のチャックにレシートが引っかかってしまうこともあった。
「でしょ? 水も同じ。 毎回掃除するのは面倒くさいけど、こうして洗う習慣があれば汚れは溜まらない。 水もお金も流れていくものだし、生きていく上で、どちらも欠かせないでしょ?」
そう言い切った直後「よし! 終わった!」とご満悦の表情を見せてきた。
「パッと見、綺麗になったかどうかは分からないけどね!」
香織は両手を腰に持ってきた姿勢で、息をふっと吐く。
1人暮らしを丸6年間していたというのに、あまり掃除に興味がなかった僕。
彼女の格言に感化され、その後は僕も率先して水回りを清潔に保つことを心掛けた結果……。
いつしか香織からお墨付きをもらえるほど掃除が上手くなった。
香織に褒めてもらえると尚更嬉しい。
キレイが続くと、自分も気分よく使えるし、香織も喜んでくれる。
僕も掃除をすれば、家事の負担が分散できて、香織に優しいことは目に見えて分かるんだけど……。
ふとしたとき、彼女がひたむきに家事をしている姿が美しいなと思ってしまうのだった。
横に並んで手伝ったとしても、真面目に取り組んでいる香織の横顔を見てしまう。
僕の手が止まっていると「ちゃんとやってよ」と笑いながらお叱りがくる。
水垢とにらめっこして、スポンジで擦っているところも、横から見つめていてずっと飽きなかったな。
あぁ、また思い出してしまった……。
そんな香織の姿、もう一生見られないんだって。




