土熊③
瑞貴は隅田川から秩父まで、美弦と一緒にとんぼ帰りした。寒月峰神社の納涼祭が翌日に迫っていたからだ。瑞貴は橋姫に拐かされ異層を通って都内に辿り着いたので、着の身着のままの上、スマホしか持っておらず、そのスマホもバッテリーが底をつきそうだったので、美弦がいてくれて助かった。
寒月峰神社の納涼祭では、年に一度、神社の結界が解かれ、暁父山の妖魔神仏が祭りの踊りの輪に加わる。神職以外の参加者は全員顔を隠し、人と人でないモノの区別が曖昧になる一風変わった祭りで、その開始の合図となるのが、瑞貴の舞う剣の舞である。結界が解かれた祭りの間にも祓いの力が生きていることを示し、人と妖魔の調和を保つ重要な儀式だった。
「間に合って良かったよ、瑞貴。短い練習時間でよく頑張ったね」
「はい。ご心配をおかけしてすみませんでした」
昨年と同様に絵元結に花簪を差し、千早を着て舞を終えた瑞貴を、吏が労う。前日に秩父に戻り、早朝から禊をして、最後にもう一度、吏に稽古をつけてもらった。真剣を使って練習した時間はほんのわずかだったが、何とか無事に役割をまっとうした。巫女舞が終わった直後から盆踊りが始まり、境内は熱気を帯びて得も言われぬ高揚感に包まれる。中央に組まれた櫓の周囲を早くも群衆が取り巻いて、魑魅魍魎が入り乱れている。
『瑞貴、無事で何よりだ』
頭巾をかぶったぬらりひょんが、いちかと一緒に祭りに来ており、瑞貴に声を掛けてきた。ぬらりひょんは去年も祭りに参加していて、祭りの主旨もよく解っている。
『へぇ、巫女の恰好も似合うじゃない』
狸のくせに猫の面を着けているいちかは、声だけですぐに分かる。二人とも、瑞貴が橋姫に攫われて、勝鬨橋でひと悶着あったことは聞き及んでいるようだった。
『橋姫は陰陽師に封じられて、橋姫神社に戻されたようだな』
「はい。これで妖怪攫いや傀儡妖怪の件も解決したんじゃないでしょうか」
『結局、橋姫は世界征服でも企んでたわけ?』
「まぁ、天下取りとか、鬼の帝国とか言ってましたけど……」
呆れたようにいちかに訊かれて、瑞貴は答える。ついでに、橋姫が宝珠の力を利用してキメラ妖怪を作り出したことや、突然現れた巨大な漆黒の鬼が、劣勢に陥った橋姫を見限った様子だったことも話した。
『土熊、と言ったのか』
「はい。橋姫はそう呼んでいました」
瑞貴の答えを聞いて、ぬらりひょんは腕組みをして考え込む。
『なるほど。橋姫の後ろにはさらに黒幕がいたということか』
「ぬらりひょんさんは、あの黒い鬼を知ってるんですか」
『土熊は、麻呂子親王が討伐した三上ヶ嶽の三鬼のうちの一人だ。言い伝えでは、三鬼の中で土熊だけが生け捕りにされ、丹後の立岩に封じられたとされている。その土熊が、解放されたというのか……』
『三上ヶ嶽って、大江山の昔の名前でしょう。推古天皇の頃だから、もう千四百年くらい前の伝説ねー。完全に昔話じゃない』
伝説の鬼。二百年以上生きているいちかですら昔話に思える時代の鬼が、現代に蘇ったのだろうか。顔を隠しているので表情は見えないが、頭巾の中でぬらりひょんの声がくぐもる。
『これで済めば良いのだがな……』
「えっ……?」
境内の片隅で小さく呟いたぬらりひょんの不吉な言葉が、祭りのざわめきの中に紛れてかき消された。
『宝珠さん!』
唐突に背後から呼ばれて、瑞貴は振り返る。日没が過ぎ、深夜に向けて混沌を増す暗がりの篝火の下に、すらりとした男性の姿がある。
「刻一さん?」
カブソのくせに、刻一も狐の面を着けている。妖怪のアイデンティティはどうなっているのだろう。
『見間違いかと思って、何度も確認しちゃいました。お綺麗ですね。洋装だけじゃなく和装もされるなんて、宝珠さんにそんな趣味があるとは、驚きです』
「いや、これ、趣味とかじゃないんで」
瑞貴はきっぱりと否定したが、そんなことは刻一の耳にはまったく入っていないようだった。
『ぬらりひょんさんもいらっしゃる。さすがは、寒月峰神社のお祭りですね』
お面をかぶっていても、刻一のはしゃいだ様子は伝わってくる。まるで、遠足の前日の小学生のようだ。
『ね、宝珠さん。そろそろ、いかがでしょう』
おずおずと、刻一は本題を切り出した。狐面に顔を隠した刻一の声音からは、溢れんばかりの期待が伝わってくる。
「人魔相殺ですか」
『はい』
確かに、紫色の中和のオーラを作り出すことはできた。キメラ鵺を作り出した時のことを思えば、体力的にも刻一の妖力の大半を吸い取って相殺することは可能だろう。
『おお。瑞貴が宝珠として初めて人魔相殺をするのか』
ぬらりひょんも、まるで孫の成長を喜ぶように慈しみ深く穏やかな笑い声を上げる。
人魔相殺は、その妖魔の生き様と死に様に深く関わる契約であることを忘れるな――。本殿の地下にある蔵で、人魔相殺した妖怪たちの奉納品を見た後に、晴海に言われた言葉だ。人魔相殺をした後、刻一はどんな人生を送るのだろう。技術的に人魔相殺はできるかもしれないが、瑞貴ももう少しその意味について考えたいと、ちょうど思っているところだった。
「分かりました」
瑞貴は巫女姿のまま、妖艶に微笑した。
『宝珠さん!本当ですか⁉』
「ただし、人魔相殺の日取りは一か月後です。九月の連休に、この寒月峰神社で行います」
『一か月後!』
その期間が、刻一にとって長いのか短いのかは分からない。長く生きている妖怪にとっては、取るに足らない時間かもしれない。しかし、初めての人魔相殺をするのであれば、自分自身がちゃんとそれに向き合わなければいけいないと、瑞貴は分かっていた。
瑞貴にはまだこれから、宝珠として学ばなければならないことがたくさんあるのだろう。宝珠である自分の力が、色々なところに影響を及ぼし、求められ、警戒され、利用され得ることも痛感した。曲がりなりにも寒月峰神社で二年目の納涼祭を迎えられたことで、瑞貴は自分でも驚くほどの充実感に満たされている。宝珠だからという理由で命の危険に晒されることもあるが、一方で使命感のようなものも自覚してきた。ようやく、自分に宝珠の力が顕現したことを、前向きに受け止められるようになってきた、瑞貴、十七歳の夏だった。
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