【外伝】心肺蘇生法を広めし仁師王
連載中にボツにした話に手を加えて【外伝】としました。
これは前世、私が後藤茂一だったころの話です。
私は産婦人科のクリニックを経営していましたが、同時に市立病院の救急医でもありました。専門はもちろん産婦人科ですが…私ももういい歳です。自分のクリニックだけに集中したかったのですが、中々後釜が現れず、月水金と週三日、市の夜間産科を担ってきました。
夜間の産科は少なく、よく市外、時に県外からも妊婦が搬送されてくることもあります。
その日は雨、午前二時に産気づいた妊婦が市外から救急搬送されてきました。
私は生来“気功”を体に有していました。これをビームにして敵に撃つことは出来ませんが、人の痛みを軽減、そして治癒のエネルギーであるということは幼いころから分かっていました。私はこの能力を出産補助に使いたいと思い、若いころから産科医を目指して、今では名医と言われるほどになりました。
この日の急な出産も私の“気功”もあって母体に、そう負担なく終わりました。
外国人の妊婦さん、私につたない日本語で『アリガト、カンシャ、アリガト』と生まれた赤ん坊を抱きながら言ってくれました。一番嬉しい時です。
私が出産補助をし終えて間もないころでした。
ピーポー、ピーボー
「あれ、私の携帯には連絡が入っていないが…早乙女さん」
救急病棟入り口に歩いていくナースの早乙女さんに訊ねた。
「私の携帯に新たな急患の知らせは無いが…」
「今度の南救急隊が搬送してくるのは生後11か月の乳児、CPA(心肺停止状態)です」
「なんだって?」
私は小児医療の専門ではなく、他に小児ドクターが詰めている。
そのドクターが救急車へと駆けている。私も専門外だなんて言っていられない。
救急車から乳児の父親と母親、そして救急隊員が出てきた。
乳児は救急隊員に抱かれ病棟に急ぎながら、心臓マッサージをされている。
ドクターが
「最終健在は!?」
「不明です!父親が気づいた時は布団の上でぐったりして反応が無く心肺停止していたと!」
「胸骨圧迫は?」
「未実施です。私たちが到着して開始しました」
「救急隊が出場から現場までは?」
「七分です」
「…………」
七分…。その間に胸骨圧迫無し…。
救急車内でAEDを使ったとしても間に合ったかどうか…。
私と小児ドクターは懸命な救命処置を行ったが助けられなかった。
悔しいが…私の気功とて止まった心臓は動かせないのだ。
泣き叫ぶ母親、放心状態の父親。
あの両親が胸骨圧迫…。心臓マッサージを出来たらどうだったか。
そんな仮定は意味がないし、そんな『もしも』は私が医者だから言える。
生後11か月の乳児に心臓マッサージや人工呼吸など救急隊員でも手が震える。
乳児に対する心臓マッサージは
『指二本で、胸の中心より少し足側を、胸の厚さ三分の一程度沈むまで押す。強く、速く、絶え間なく、これを一分間に百回以上やるつもりで三十回、そして気道を確保し、鼻と口を口で覆い塞ぎ、胸が軽く上がる程度に一秒に二回息を吹き込む』
人工呼吸が難しければ心臓マッサージだけでもいいのだ。だが…素人の両親に我が子にやれというのは、いささか酷だ…。
救急病棟のロビーでは母親が乳児を抱いて『ごめんね、ごめんね、助けられなくてごめんね』と泣き、父親は今も放心状態。若い救急隊員は悔し涙を流していた。鼻水も垂らしっぱなしで。
「…………」
この光景を一生忘れないだろう。そして決めた。私のクリニックで乳児の心臓マッサージを指導しようと。
翌日の朝食後、ナース長であり妻の和美に相談した。先の乳児死亡事案を話し、その後に
「私のクリニックで乳児の心肺蘇生法を親たちに指導する」
渋るかと思った。私のクリニックは無痛分娩を施していないのに、それに劣らないほど痛みが少ない出産が出来ると評判なので市はおろか、県内でもかなり信頼度の高いクリニック、忙しいこと、この上ないのに妊婦と、その夫に心肺蘇生法を指導するという新たな業務を入れようと言うのだから。
しかし、妻の和美はテーブルに置かれた私の両手を両手で握りしめ強く頷いた。
「よく言ったわ。その赤ちゃんの死を無駄にしてはいけない。やりましょう!」
「和美…!」
そういうわけで、私のクリニックで乳児の心肺蘇生法の指導を開始した。
戸惑う妊婦やその夫に自分の見た事案を話し、かつ『いざという時に慌てず、大切な我が子を救うため』と諭すと、みな目の色を変えて、私たちの指導を受けるようになった。
うんうん、訓練用のダミー人形やAEDは高かったが、これで命を落とす赤ん坊が一人でも助かるのなら安いものだ。ちなみに費用は私が今度買おうと思っていた新車の購入代金。コツコツと貯めていたんだ。欲しくない、新車なんか…新車なんか…。和美と娘たちは俺のオンボロ軽が好きだと言ってくれたじゃないか…。
その指導を始めて一年くらい経ったろうか。
子供を抱いた若夫婦がクリニックに訪れて、私と和美に泣きながら礼を言ってくれた。母親が
「先生、看護師さん!ここで教えてもらった心肺蘇生法で、この子が助かりました!ありがとうございますっ!」
「この子を無事に取り上げてくれたばかりか…生まれた後もこの子の命を助けてくれた先生…!御恩は一生忘れません!」
父親も大粒の涙を流していた。私たち夫婦も一緒に泣きました。嬉しさに震えて涙が止まりませんでした。私たち夫婦のしたことは間違いではなかった!
そして……
「馬鹿…早すぎるわよ…!あと何年かしたら子供たちにクリニックを任せて温泉にでも行こうと昨日言ったばかりじゃないの…!」
市井の名医、後藤茂一は心不全で死去。その葬式。愛妻和美は涙を堪えることが出来なかった。
女三四郎と呼ばれた女子柔道家の和美、男など寄り付かない。
そんな中、変わった男がいた。和美に何度投げられても挑戦してくるのだ。
戦歴は和美の十六勝一敗、十七度目の挑戦で女三四郎を投げた男、後藤茂一。
『やっと君に言える。結婚して下さい』
唖然とした和美。後に述懐して『自分でも説明がつかない』と振り返るが和美はその場で
『いいわ、嫁になってあげる』
と、返事している。日本武道館のど真ん中でだ。今なお柔道界で語り草となっている求婚劇だ。
それ以来、夫婦二人三脚で産婦人科クリニックを営んできた。
五十代半ば、そろそろ後進に道を譲る時…そう考えていた矢先に夫が亡くなった。和美の嘆き悲しみは尋常ではなかった。棺桶に横たわる最愛の夫を見つめて涙する。
「目を覚ましてよ…。うっ、うう…」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
クレシェンド王城、俺はテラスに立ち、星空を眺めていた。
前世の妻の夢を見た。
…思えば、和美や子供たちは俺が死んだあと、どうしたのだろう。
子供たちが何とか和美を支えてくれたらいいのだが…。
夢で見る和美はいつも泣いている。レンドルとなった俺は彼女の元に行き、抱きしめてやることも出来ない。もどかしい。
「…こちらの世界で死んでも…天国は一緒だといいのだがな…」
それしか願うことが出来ない。地球とこの世界とでは天国が違うなんてことが無いよう心から願うしかない。
こちらの世界での愛妻ソフィアが可愛い寝息を立てている。
前世の嫁を思い出していた…。なんて言ったら怒るだろうか。
違う世界に転生して金髪美少女JKを嫁にした、なんて知ったら和美怒るだろうな…。
受け身不可の背負い投げ食らうだろうが…いま君に会えて投げてもらうことが出来たら、どんなによいか…。
朝になった。朝食を取るため妻のソフィアと共に食堂へ。ソフィアは何か気だるそうに
「だるい、疲れが取れない」
「それはいけない。朝食をたんと摂らねば」
「誰のせいだと思ってんのよ…。昨夜も激しかったし…」
「ははは」
メイドのケイトが先導し、そして食堂へ。すると
「だっ、誰か助けて!」
「……ん?」
食堂に入ると厨房内で給仕の下女マリーが乳飲み子を抱えて泣き叫んでいた。城に勤める下女の共同宿舎は厨房の勝手口から出てすぐの場所だ。病気の我が子を連れて厨房に飛び込んできたのだろうか。メイドのケイトが
「なにを騒いでおるか!陛下の御前なるぞ!」
「息子が、息子が、息をしていないのです!ああっ、どうして!」
厨房内にいる料理人たちも狼狽えて何も出来ないようだ。俺はその女の元へ歩いていき
「診せよ」
「…え」
「そこでいい。調理台の上を空けるのだ」
「はっ、はいっ」
料理人たちが食材と調理器具を片づけた。俺は乳児を調理台に乗せた。
「陛下!なっ、なにを!」
ケイトとソフィアも驚いている。この世界の人間が知るはずもない、心肺蘇生法をやっている。乳児の胸をはだけ、指二本で胸骨圧迫。そして人工呼吸。鼻と口を俺の口で塞いで息を吹き込む。
…息が入っていかない。もしや
俺は子供を持ち上げ、腹部に若干の圧迫をかけて背中を軽く叩いた。異物が吐き出された。
「ボタン!?」
マリーは驚いていた。どうやら誤飲による窒息だ。改めて人工呼吸と胸骨圧迫を再開する。
マリーも、そして厨房内にいる者すべてが唖然として俺を見ているのが分かる。
令和日本のオーパーツは持ち込まない、そう決めた俺だが救えるかもしれない命が目の前にあって、そんなこと言っていられるか。
心肺蘇生法を続けること数分…。
「かはっ、ごほっ」
「ああああああ……っ!」
「どうやら息を吹き返したようだ…。運の強い子だ」
「へっ、陛下…!なっ、なんてお礼を申せば…!」
「よい、マリーの息子ならば余の家臣である。家臣の命を助けるのは君主として当然だ」
「ありがとうございます…!ありがとうございます…!」
「今日は安静にしておくように。また布団の近くに子供が誤飲しそうなものは置かないようにな」
「はっ、はい!」
「料理長、朝食を頼む」
「はっ、はいっ!ただちに!」
俺は厨房を出て食堂内へと。顔の赤いソフィアがそこに。
「すごい…。今のなに?」
「心肺蘇生法というものだ。別に魔法でも何でもないよ」
ソフィアの肩を抱いて、俺は席へと座った。
しばらくすると料理長自らが料理の乗ったカートを押してきた。いつもマリーの仕事なのだが。
「マリーは今日休みを取らせました。命が助かった息子と共にいたいでしょうし」
「そうか」
「陛下…」
「ん?」
「我ら、料理人一同、陛下にお仕えしていることを心から誇りに思います。マリーの息子の命を助けて下されたこと、心より感謝いたします」
「礼には及ばん。マリーにも言ったが君主として当然のことをしたまでだ。うん、相変わらずそなたの料理は美味いな」
「ありがとうございます、陛下」
朝食中にソフィアがテーブルに身を乗り出して俺に言ってきた。
「レンドル」
「ん?」
「今の、しんぱいナントカ、広めるべきだと思う」
「え?」
「あれ、子供だけ助ける技じゃないよね?」
驚いた。さすが俺の嫁さん、そこまで分かったか。
「胸を押したのは心臓を外部から動かすため。鼻と口に息を吹き込んだのは呼吸を止めないためだ」
「うん」
「前者はともかく、後者の方は感染症を考えると広められない」
「ああ、そっかぁ…」
そうなのだ。もし患者が伝染病だったらハンカチやタオルを間に挟んでも意味がなく、行為者に感染してしまう。そんなリスクの高いものは広められない。
さっき俺が出来たのは体の状態を見て心肺停止の原因は窒息と判断したからだ。伝染病のリスクはないだろうと思ったから出来たこと。いや、待てよ…。要はその窒息状態にならなきゃいいんだから…
「ソフィア、いいこと思いついたよ。君のおかげだな」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
令和の世でも乳幼児の窒息事案は無くならない。
布団にうつ伏せで寝てそのまま、もしくは誤飲…。様々だ。
調べたところ、やはりこの世界でも多い。そして一番いけないのは、その事案を教訓として残していないことだ。
俺は朝議で、乳児の窒息事案を無くすための対処法を家臣たちに指導した。お飾りの王だけど人命最優先の場合は顔を出す!
常日頃から誤飲しかねないものを乳児の近くに置かない、片付けておくこと。
口に入れたら危険なものであると子供に伝えておくこと。
誤飲してしまった時の異物除去方法、そして心臓マッサージのやり方。
心臓マッサージは子供だけではなく、大人にも使えることで、そのやり方も。
家臣たちを始め、国内各地の指導者を集めて、俺より受けた知識と技術を全国民に指導するよう命じた。
最初は戸惑った各指導者たちだが孫が乳幼児の者も多く、その知識と技術を真剣に俺から学び取っていった。そして最後、彼らを送り出す時
「よいか、明日のクレシェンド王国を担う子供たちを救うのは我らの役目だ。母親たちに子を失った涙を流させるな。子供の成長を喜ぶ歓喜の涙を流させよ」
「「ははっ!」」
乳幼児窒息事案の対処法と心臓マッサージのやり方を国内全土に広めた仁師王レンドル、クレシェンド王国中興の祖と呼ばれた彼の黄金治世のなかでも有名な話である。
実際、王国内で乳幼児の窒息死は激減し、もし陥ってしまった場合でも心臓マッサージで蘇生したという話は多かった。
レンドルがどのようにして、この知識と技術を持っていたのかは一切不明で、後の歴史家たちをずいぶんと悩ませることになる。
時は経ち、偉大な仁師王レンドルも召された、その後…。
元聖女アメリアは夫レンドルの墓に手を合わせていた。
「あなた…。そちらでソフィア様と元気でやっていますか?私もそろそろのようです。胸に妙なしこりがあり、呼吸が苦しくなることもしばしば…」
だけど…と前置きしてアメリアは続けた。
「心地よい痛みなのです。もうすぐあなたの元に行けるかと思うと…」
そのアメリアのもとに一人の女性が歩いてきた。
知った顔じゃない。長い旅をしてきた女、そんな感じだ。
「あなたが仁師王の奥方ですか?」
「はい、そうですが」
「すみませんが…仁師王のことを聴かせていただけませんか」
「私との再婚後でいいのなら…」
「十分です」
アメリアはその女に聴かせた。仁師王レンドルの功績、そして人柄を。
少し長い話も終わり
「ありがとうございました…。彼はよく生き、よく死んだのですね」
「ええ、その通りです」
女は墓に改めて手を合わせた。
「間に合わなかった…。一目会いたかった…」
「あなたは?」
「ああ、すいません。私の名前は…」
霊園に心地よい風が吹いたあと、女は名乗った。
「カズミと言います」