第1話 浮気
真夜中の冬の公園のベンチに腰掛けて、俯いている若い男の上に、音も無く白いものが降ってきた。
彼の隣には深紅の薔薇の花束が置かれている。
「ここにいたのか、キール」
雪が降っていたからだろうか。
それとも男が長いこと泣きじゃくっていたからだろうか。
分厚いコートに磨かれた革靴を履いた、すらりとした長身。
いかにも貴族らしい青年が近づいた事も気付かぬ内に、キールの目の前に立って傘を差しだしていた。
青年は穏やかな声で、ハンカチを出してやりながら訊ねた。
「何があった?」
「……割と良くある話さ」
そのハンカチで顔を拭って、キールは顔を上げた。
ウサギのように赤い目をしていた。
「彼女に浮気された。 もうお腹には子供もいるんだってさ。 今日こそプロポーズしようと思っていたんだけどな」
それを聞いた青年は顔を若干しかめたが、びゅう、と冷たい雪風が吹いて思わずコートの襟を立てた。
「……ここは冷える。 私のおごりだ、酒場へ行こう」
「助かるよ、セイ」
キールは立ち上がって、相合い傘で歩きながら――もう一度涙が溢れてきたので、下を向いた。
それを手で乱暴に拭った時、視界の端に何かが映った。
思わず振り返ると雪の積もったベンチに、ポツンと薔薇の花束が残されている。
咄嗟にキールは駆け寄ってそれをゴミ箱に捨てた。
そのゴミ箱を背中側に回して、彼は喧しいくらいに大きくて明るい声を出した。
「なあセイ! 俺、犬でも飼おうかな。 狼みたいに大きな犬。 仕事もクビになるだろうし、田舎でさ、うんと大きな犬を飼ってスローライフを――!」
今度こそ、セイははっきりと顔をしかめた。
「寝取った男も貴族だったのか」
「そりゃあもう!」
キールはヘラヘラと笑う。
道化のように笑わないと、一切に耐えられなかった。
「ほら、サルトゥ公爵家の跡取り息子! 俺みたいな平民上がりなんかと比べちゃいけない、実に由緒正しい――」
ボタボタと涙が止まらなくなったので、キールは思わず両手で顔を押さえた。
「もう良いや、女はこりごりだよ。 もう充分だ、犬が欲しい。 田舎で、大きな大きな犬とのんびり――」
セイは黙ってキールに近づくと、冷え切ったその肩を叩いた。
積もっていた雪がほろりと崩れて落ちた。
「……今のお前が求めるべきなのは酒だ。 意識が飛ぶくらいのな」




