1-4 高天原へ
鬼に襲われてからどれほど時間が経ったのか分からない。
腕にはめていた時計は鬼に鎖を巻きつけられたときに基盤が潰れ止まっていた。
あれほどの圧がかかったはずなのに手首には痛みも痣も残っていない。
武と狼が歩いているのは空に浮かぶ道だった。
石畳は神社の参道と同じ造りで幅は二車線道路ほどあった。
踏みしめると厚みのある感触が返ってくる。
「ここは……空の上ですか?」
武が尋ねると狼は前を向いたまま答えた。
「違う、ここは高天原だ」
少し間を置いて付け加える。
「この下にある大地はお前が住んでいた葦原の国とは別のものだ」
空に浮かぶ道には坂があり交差点があり階段もあった。
四差路をまっすぐ進むと道は階段へと変わる。
段の隙間から下の大地が見えた。
木々や川が見えるが、どれも見覚えがない。
自分の知っている世界ではない。
武はそう理解した。
振り返ると歩いてきた道以外にも空には無数の道と建物が浮かんでいた。
日の出に照らされた雲がオレンジ色に輝きそれらをゆっくりと飲み込み吐き出している。
その下にはのっぺりとした緑の大地が広がっていた。
「気を付けろ。
落ちたら面倒だからな」
狼の言葉に武は前を向いてその背中を追った。
階段を登り終えたころ狼は唐突に口を開いた。
「イザナギとイザナミの神話は知っているな?」
「はい。国生みと神生みの話ですよね」
「ああ。人間が死ぬようになってそのために鬼が生まれた」
武は思わず足を緩めた。
「……そのために、鬼が?」
「そう、鬼が人を殺す。
魔が差す、って言葉もそこから来てる」
武は神話を知っていたが鬼の役割までは知らなかったが、そもそも鬼が実在などいうことを知らなかった。
「都合が悪い話だからな」
狼は振り返らず歩き続ける。
「お前が生きてきた世界には均衡がある。
その均衡のせいでお前は狙われた」
「……僕を?」
「理由はそれだけじゃない。
その話はお前に縁と縁もある奴がする」
「誰ですか?」
「行けば分かる」
武は息を飲み込み別の疑問をぶつけた。
「……あなたはなぜ僕を助けてくれたんですか?」
少し間があった。
「俺もお前と縁と縁がある」
それだけだった。
武は自分の常識が通じない世界に来てしまったことをようやく受け入れ始めていた。
道は緩やかな坂になりやがて右手に階段が現れた。
「ここだ」
階段を上ると高さ四メートルはあろうかという大きな門が現れた。
門をくぐるとその先には本殿があった。
「神社……ですか?」
「いや、屋敷だ」
本殿の奥から人影が現れる。
「お出ましだ。
新人の雷様だぜ」
光に照らされ姿が浮かび上がる。
武と同じくらいの背丈の男だった。
白を基調とした和装。
腰には刀。
顔が見えると武は息を呑んだ。
━━似ている。
額、眉、目元、口元。
自分と同じ造りをしている。
「手間をかけたな、白狼。礼を言う」
男は狼に一言告げ武を見た。
「待っていたぞ。武よ」
「あなたは……?」
「我が名は物部 康彦。
お前の先祖だ」
その言葉を武はすぐには理解できなかった。
「ご先祖……様?」
頭皮が引きつるような感覚が走る。
そして男が名乗るその名は父から教わっている武道書に記されていた。
「安心しろ。
お前は死んでいない」
その言葉はますます武を困惑させた。
背後では白い狼が面白そうにその様子を笑っていた。




