1-30 解放
天を突くはずの高層ビルが互いに向かい合う異様な景色が広がっている。
頭上には大空を征く巨大な軍艦たち。
数日前の日常へ後戻りのできなくなった世界の景色を人々は呆然と見上げていた。
向かい合うビルの狭間を白く小柄な人影が一直線に飛んでいく。
それは一郎が創った世界から来た者ではない。
高天原から遣わされた神使、影康だった。
影康は空間母艦タケミカヅチに降り立って迎え入れられると艦上作戦室へと急いだ。
扉を開けるなり影康は高い声を張り上げた。
「富樫! ついにこの時が来たにゃ!」
飛び込んできた影康に松岡が即座に応じる。
「影康様……!」
「見ろ赤松! あの猫様は!」
「武が来る前に現れた神使の方だな」
艦橋から冨樫が降りてくる。
「影康様。わざわざこちらまで」
「それで武殿はあのもう一つの葦原の国──世界の中におるんかにゃ?」
「はい」
冨樫はそう答えると瑛美と瑛理子へと視線を向けた。
「橘、来栖。こちらへ」
松岡に呼ばれ二人は影康の前へ進み出る。
「お主らが武殿のことがわかる子たちかにゃ?」
「はい。私たちは一度認識した相手を感知でき心の中へ話しかけることができます」
瑛理子が答え続いて瑛美が補足する。
「感知は瑛理子の方が得意で私は呼びかける方が得意です」
「そんな能力だったんだ……」
早奈美が思わず声を漏らした。
冨樫は状況を整理するように報告する。
「影康様。ご報告したようにやはり九鬼神は復活を果たしています。
鬼塚一郎には複製されたイザナミノミコトの魂が宿されております。
そして葦原の国と同一構造の世界が創られています」
冨樫はこの状況を改めて影康に報告した。
武の消失に伴って動向してきた学生たちはその事態に驚く。
この現象がイザナミが創ったという事実が衝撃であった。
「その情報はお前らの頭領のノアからかにゃ?」
「いいえ、私ですよ」
冨樫の返事の前に野澤が言った。
影康は「ふん」っと鼻を鳴らしてから瑛美と瑛理子の方に歩み寄った。
「君たちから武殿に伝えてほしいにゃ。
康彦殿が授けた勾玉の力を、解放するようにと」
言葉が出すのに難儀する影康に瑛理子が聞く。
「そのためには幼馴染の鬼塚一郎さんも一緒に倒さなくてはならないのですか……?」
「うむ……。
信じられないかもしれないがそれも鬼塚一郎本人の希望なのにゃ。
ただ、それを武殿ができるか」
「鬼塚一郎さんの希望ですか……?」
「それは嘘偽りのない事なのにゃ。
……どうかそれを伝えてほしいにゃ!」
「武君は今ひとりで大きな存在と向き合っています」
瑛理子が武にのしかかる重圧を思って言った。
影康は眉をひそめた。
「本当はまだ年端もいかぬ武殿にこんな重荷を背負わせるべきではないにゃ……。
ただ、康彦さまが直々動けば黄泉の神との均衡が崩れるかもしれないのにゃ」
影康の言葉に冨樫と野澤は黙って聞いていた。
瑛美は神使の影康が同じく武の事を考えていること悟りさらに影康に歩み寄っていった。
「武君がどうするかはわかりませんが、お気持ちは届けさせていただきます」
「頼むにゃ……!
この葦原の国の命運は武殿にかかっているにゃ!」
二人は深く頷き目を閉じた。
武の視界は闇に包まれていた。
一郎が次に武を飲み込んだ空間は先ほどとは明らかに異なっていた。
目を閉じている感覚でも開いている感覚でもない。
ただ、視界という概念そのものが失われている。
飲み込まれてからどれほどの時間が経ったのか分からない。
時間が止まっているようでありながら思考だけは動き続けていた。
闇の奥行きの先にかすかな光が見える気がした。
ずっと向こうにあるその光の先から聞こえる声は聞き覚えのある声だった。
ずっと前から知っている声ではないのにずっと前から知っている気がする懐かしい声だった。
錠、赤松、瑛美と瑛理子、早奈美たちクラスメイトの姿のことを思い出した。
まだ出会って一月も経っていないはずなのにずっと昔から一緒にいたような気がする。
それは転校をする前に学校のクラスメイトの三上や伊藤もそうだった。
武にとって大切な存在で出会えたことを幸福だと思える友人だった。
思考だけが動き続けていくと思い起こした記憶が視界のように浮かび上がる。
やがて、その奥にはあのバス事故で亡くなったクラスメイトたちが現れた。
そしてさらに奥にはその中には一郎の姿もあった。
やがて記憶の奥底に押し込めていたものを思い出す。
鉄が焼ける匂いと肌を焼き尽くすような熱。
地殻変動の日のバス事故の記憶だった。
さっきまで一緒にいたクラスメイトたちと教師たちはもう死んでいて誰の声もしない。
裂けて露出した天井の向こうでは十字に輝く星が光輝いている。
忘れたかった記憶。
目の前で仲間を失った無力さ。
迫り来る死に抗えない無力さ。
耐え難い絶望。
その負の感情が武の心を支配しようとしていた記憶。
爆炎が武を包み込む光景が鮮明によみがえった。
全身を焼き尽くすような炎が武を覆ったが、その時、武の身体に電気が迸り爆炎からその身を守っていた。
思い出すことを拒絶していた情景。
思い出すことを拒絶し閉ざしていた記憶だった。
━━そうか……。
武は悟った。
━━俺はこの時から超人だったのか。
超人として覚醒したあの瞬間の記憶。
武は心の中で涙を流した。
その記憶の情景を押し出すように武の心の中に瑛美の声がした。
━━瑛美さん?!
「武君。
今、あなたの心に話しかけているわ」
━━そんなことが……。
「これが私たちの能力なの」
続いて瑛理子の声も届く。
━━これが。……二人の能力。
「影康様が言っていたわ。
康彦様から授かった力を解放し一郎さんの身体を乗っ取るイザナミノミコトを倒してほしい、と」
瑛美に続き瑛理子が言葉を継ぐ。
「そしてそれは……鬼塚一郎さん自身の希望。だと言っているわ。
……とても信じられないことだけど」
「……一郎が。
でも一郎がそう言うのも分かる気がする」
武は静かに言った。
「原始超人……?」
瑛理子が思わず口にする。
心を通じている今、武の思考は言葉にしなくても伝わってしまっていた。
━━どうかこれは、他の人には言わないで。
一郎は自分が生まれ変わり続ける仲間のいる原始超人だから体を乗っ取られるその前にその意思を伝えてきたんだと思う。
「……なら武君は戦うの?」
瑛美の声は不安に揺れていた。
━━さっき思ったんだ。
━━もうみんなを知っているみんなを失いたくないって。
「……武君。どうか無理はしないで。
そして必ず私たちのところに帰ってきて」
瑛理子がしっかりと言った。
「武君……。みんなで待っているね」
瑛美が優しく言った。
━━ありがとう、二人とも。
必ず戻るよ。
武は意識の中で康彦から授かった勾玉をしまった収納空間を取り出す意識をした。
━━今助けるぞ。一郎!!!
武は思いを込めてその勾玉を強く握りしめた。




