1-22 仇討ち
翌日。
三人は車両で恵比寿駅方面へ向かう途中、明治通りの渋滞にはまっていた。
この時期はまだ日差しも強くなく、風もほどよく流れている。
長袖で心地よい気温だった。
桜の花びらはすでになく、代わりに青々とした緑が風になびいている。
上空には、空間母艦がビルとビルの間を悠然と浮かんでいた。
「まさか、こんなに早く街で車を運転することになるなんてね」
錠はハンドルに両手をかけ、その上に顎を乗せて言った。
「でも、さっそく運転できるのはいいんじゃないか?」
「うーん。僕はスサの国で運転したことあるし」
「それもそうか」
錠と赤松は、渋滞にうなだれながら話していた。
運転席には錠。
助手席に赤松。
後部座席には武が座っている。
席は一時間ごとに交代するローテーションだ。
後部座席は待機扱いだが、実質は休憩になる。
「全然進まないな」
渋滞の中、じりじりとタイヤを回しながら、錠はため息をついた。
「左、良し」
助手席での注意喚起は、渋滞となってはほとんど意味がない。
それでも赤松は口にした。
「別に言わなくてもいいよ……」
「……うん」
三人の間に、沈黙が流れ始める。
「あー、こんな渋滞ならさ。
探知装置を持って歩いた方が効率いいんじゃない?」
錠がハンドルにうなだれたまま言った。
「……まあな」
赤松の返事にも覇気はなかった。
運転席と助手席の間に設置された、
境界線空間発生探知装置は、依然として反応を示さない。
武は、助手席の窓の向こうに並ぶ店の景色を眺めていた。
だがやがて視界は、大きなビルの工事現場へと変わる。
フェンスシートに描かれた、にやけ顔の三等身の工事員。
目を逸らしても、次の工事員とまた目が合う。
──早く終わってくれ、この景色。
「あー、なんとかならないかな、この渋滞」
錠の声には、緊張感の切れかけた退屈さが滲んでいた。
武が、五秒ほど見つめ合った工事員から視線を移し、
次の工事員と目が合った瞬間。
その目から、鋭く、強い殺気が飛んできた。
──この目は……!!!
武は鬼と目が合った瞬間を思い出した。
同時に、探知装置が発音し、光を放つ。
その瞬間、三人の視界は一変した。
先ほどまであった渋滞の車も、人影も、消えている。
「え?! まさか、境界線空間に?!」
「俺たちが、引き込まれたのか?!」
そこは、渋滞も人も存在しない、静まり返った明治通りだった。
三人の視界に鬼の姿は現れていない。
だが空気が、張り詰めたものに変わった気がした。
「1号車から区隊本部へ!
1号車乗車中の三名が、境界線空間に引き込まれた!」
赤松が即座に無線を飛ばす。
ヤマト機関の無線装置は、
境界線空間を越えての通信を可能にしていた。
無線を飛ばした矢先。
三人の乗る車両に、物体が突っ込んできた。
車は瞬く間に爆発した。
常人なら脱出が間に合わず即死する速度だったが、
三人はすでに車外へ脱出していた。
「防御空間を展開しよう!」
武が呼びかけ、三人は追撃に備える。
続く攻撃は、防御空間がすべて防いだ。
「武! ジョー! 大丈夫か?」
「大丈夫だ!」
「あともう少しで直撃するところだった!」
「1号車から区隊本部へ!
境界線空間内で攻撃を受けています!
現在、三名に異状なし。
車両は大破」
赤松が学生隊の区隊本部へ無線を送った。
━━区隊本部から1号車へ
了解!
部隊が救援に向かう!
各員は身を守る行動を取れ!
本部の返答は、救援に時間を要することを示していた。
━━間違いない。
ここは、鬼が創った境界線空間だ。
道路の向こうから、怒号が響いた。
「物部武━━!!!!!」
声の主である鬼が姿を現す。
「よくも篭鬼を殺してくれたな!」
そのおどろおどろしい声に、三人は身構えた。
「篭鬼?」
「俺を襲った鬼の名前だ」
武が答える。
「俺の名は、魔鬼!
人狩八十八鬼衆の盟友の仇だ!
ここで死ね!」
その言葉を合図に、ビルの上から数名の鬼が降下してきた。
三人は即座に、外衣の収納空間から武器を取り出し、
道路の中央へ身を避ける。
鬼たちは着地と同時に地面を蹴り、
一直線に武と錠へ襲いかかってきた。
武は、襲いかかる二鬼を前に、自身の能力を使う。
視界が研ぎ澄まされ、動きがはっきりと見える。
──隙がある。
左腕から、一直線に電撃を放った。
「ぎあああ!!!」
一鬼目が倒れる。
間を置かず、槍を持った二鬼目へと向き直り、武は刀を抜いた。
飛び込んできた槍の穂先を刀で払い、
頭上で円を描くように剣先を回し、鬼の首筋へ刃を走らせる。
首筋を斬られた鬼は、そのまま倒れた。
そして錠も、二鬼から素手の格闘で襲われていた。
最初の一撃が放たれるより早く、
錠の左手のカウンターが打ち込まれていた。
続く攻撃。
一撃、二撃、三撃。
すべてをかわし、顎へ左の前拳を打ち込む。
動きが止まった瞬間。
鬼の目の前で爆炎が起き、
その体は一瞬で焦がされ、崩れ落ちた。
二人に襲いかかった鬼たちは全滅した。
だが、間髪入れず、
さらに数名の鬼が横一線の隊形を組み、突進してくる。
その横列へ向かって、ビルの壁を突き破るように巨大な鉄拳が飛び出した。
赤松が作り出した鉄拳だった。
鬼たちはまとめて吹き飛ばされ、道路へ転がる。
起き上がる鬼はいない。
三人の実力は、一兵卒の鬼たちを完全に圧倒していた。
「どうやら、なかなか俺たちでも通用するようだな」
「そのようだね。訓練の賜物だよ、賜物。
……だけど、向こうにいる魔鬼とかいう奴は、なかなか怖そうだよ」
威力偵察の役目だった手下たちが倒されたのを見て、魔鬼は刀を抜いた。
魔鬼に急ぐような仕草は無い。
三人は、迫り来る敵に対して構えた。
「来るぞ!」
魔鬼の体の両側に、二つのカゴーが浮かび上がる。
ククリの力によって形成される飛行用の空間術━━飛行空間。
それが身体を挟むように展開された状態、
飛行状態へ移行した瞬間、魔鬼の身体はふわりと浮いた。
次の瞬間、魔鬼は一気に高度をとり、
道路の上を滑空するように、武たちへ突っ込んできた。
その時だった。
岩を砕くような、重く鈍い衝撃音。
低く、腹に響く音が、別方向から近づいてくる。
「おい……なんか、凄い音がしないか?」
「え?」
赤松が反射的にビルの方を見た、その瞬間。
赤松の左側のビルの壁が、爆ぜるように崩れた。
「なっ……!」
瓦礫を突き破り、白い物体が飛び出してくる。
「赤松、危ない!!」
背丈二・五メートルを優に超える、白い巨体。
その質量が着地した瞬間、アスファルトが沈み、ひび割れた。
白い巨体は赤松へ向かって、右脚を唸りを上げるように振り上げる。
━━当たったら、ヤバい。
赤松は直感的にそう悟り、間一髪で横へ跳んだ。
風圧だけで、身体が持っていかれそうになる。
鬼はすぐさま体勢を立て直し、
凄まじい速さで二撃目に移ろうとした。
その左顔面に、ロケット弾が直撃する。
錠の攻撃だった。
爆炎が白い巨体を包み込む。
だが、
煙が晴れても、装甲肉弾兵は一歩も退いていなかった。
透明なフルフェイスの面の内側には、強面の鬼の顔が見える。
「こいつ……!」
錠が歯を食いしばる。
「装甲肉弾兵だ……!」
ククリの力で編まれた、厚みと柔軟性を併せ持つ麻の白衣。
その上から、肘から前腕にかけて、胴まわり、腰、膝から脛、足甲までを覆う装甲。
透明な顔面装甲と、後頭部まで隙なく守る構造。
全身を盾にして肉弾戦を主戦法とする兵士。
それが、装甲肉弾兵だった。
「赤松! 気を付けろ!」
武が叫ぶ。
「掴まれたら終わりだ!」
「わかってる!」
この乱入によって、
武と、錠・赤松の位置は完全に分断された。
「魔鬼!」
装甲肉弾兵━━猪幡が、低く吠える。
「この二人のガキは俺が殺す!
お前は、篭鬼の仇を取れ!」
「おおおう!」
魔鬼が獰猛に笑う。
「猪幡! 任せたぞ!」
意図的な分断だった。
魔鬼に、篭鬼の仇を取らせるための配置。
その武の位置に向かって、魔鬼が突っ込んでくる。
武は外衣の収納空間から拳銃を抜いた。
両手で構え、照準。
引き金を引く。
弾丸は真っ直ぐ魔鬼へ向かう。
だが、その前に防御空間が展開され、弾かれた。
勢いを止められないことは分かっている。
武は即座に銃をしまい、刀を抜く。
抜いて間もなく、魔鬼の斬撃が飛んできた。
刃と刃がぶつかる。
魔鬼が薄ら笑う。
「目がいいな?
そういう能力か?」
武は答えない。
魔鬼の斬撃が繰り返される中、
武は自分から攻撃に転じることができなかった。
──速いんじゃない。
……同じ軌道が、戻ってくる?!
魔鬼の刃を受け止めた直後。
同じ軌道、同じ角度。
再び刃が飛び込んでくる。
武は後方へ跳ぶ。
着地と同時に、さらに宙返り。
不可思議な攻撃を繰り出す相手から距離を取った。
「ふはははは!」
魔鬼が、愉快そうに笑う。
「お前の目の良さで、よく見たらどうだ?」
魔鬼はそう言うと、一挙に武との距離を詰めた。
刀を上段へ振り上げる。
武も上段に構える。
互いの刃が激突し、離れた瞬間。
武は自身の能力を使った。
刃がぶつかって離れながら、
魔鬼の両腕と刀が、分身した。
──分離した?!
魔鬼の体を離れてもう一度、
同じ軌道で武の右こめかみへ斬り込んでくる。
武は咄嗟に受け止めた。
受け止めた直後。
分身した腕と刀は、風に溶けるように消えた。
━━奴の攻撃は速いんじゃない。
━━攻撃を、もう一度“再現”している。
武の理解が、確信へ変わる。
「お前の能力は、繰り出した攻撃を
もう一度再現する能力か!」
「わかったか、小僧!」
魔鬼が吠える。
「いくら良く見えていようが!
俺の攻撃を、ただ見るしかないのだ!」
「仕留められない攻撃を、何度繰り返そうが意味はない!」
武は踏み込んだ。
右斜め前方へ。
入身。
魔鬼の刀が振り下ろされる、その懐へ。
この距離なら、再現攻撃は意味を持ちにくい。
武が斬り込む。
だが魔鬼は、下ろした刀を振り上げ、武の刀を弾いた。
「そこだ!!!」
武は脇に構え、突きを放つ。
直後。
先ほど弾かれた“魔鬼の刃の軌道”が、再現される。
「ぐっ!」
真横から弾かれた衝撃で、武の刀は手を離れ、飛ばされた。
「馬鹿め!
勝ちを焦ったな!」
魔鬼が喉元へ突きを放つ。
だが、武の体勢は半身になっていた。
左手刀で魔鬼の手を抑え、
右脚を踏み込む。
━━しまった! この小僧、体術を……!
魔鬼の腰が武の右大腿部に乗る。
武の右腕が、魔鬼の体を巻き込むように振り下ろされた。
魔鬼の身体が宙を舞う。
「ぐはっ!」
背中から地面へ叩きつけられる。
武は体重を乗せた左拳を振り下ろす。
拳が顔面を捉えようとした寸前、
魔鬼は転がって回避した。
拳はコンクリートを砕く。
「この小僧!
許さん!!!」
武の即応力。
判断速度。
それは魔鬼の想定を超えていた。
一方。
錠と赤松は、装甲肉弾兵・猪幡に距離を取りつつ応戦していた。
白い巨体が、地面を砕きながら踏み込む。
「ははっ!
お前らの顔面も、ミンチにしてやる!」
「この野郎!」
赤松が道路のアスファルトを変化させ、鉄拳を繰り出す。
だが、猪幡の装甲に弾かれた。
何度打ち込んでも、致命打にならない。
「くそ……!」
顔面を狙う。
だが猪幡は速い。
あの巨体からは信じられない機動だ。
攻撃が当たらない。
先ほどまで一兵卒の鬼を蹴散らしていた二人は、
猪幡を相手に戦いの厳しさを突き付けられていた。
「ぼうぅ!」
猪幡が息を吐き出すように声を上げる。
赤松が宙へ跳んだ瞬間。
長い脚が横薙ぎに振るわれた。
左回し蹴り。
速い。
異様なまでに。
「赤松!」
回避は間に合わない。
赤松は咄嗟に、収納空間から装甲を展開し、盾にした。
堅固に見えたその盾も、いとも簡単に叩き割られた。
「おりゃあ!!!」
赤松へのさらなる追撃を阻止しようと、錠が動く。
回し蹴りの軸足になっている右脚へ、斬りかかった。
刃が当たり、高い音がして折れた。
「折れるの?!
ウソだろ!」
「ジョー!
叩きつけるな!
斬りつけるんだ!」
そのやり取りの中、
ガラスが割れる音が響いた。
錠と赤松の視界の端で、
人影が喫茶店へ吹き飛んでいく。
「……武!」
錠の刀が折れた、その直後。
魔鬼の突き蹴りが武を捉えていた。
寸前で武は防御空間を展開し、受け止める。
だが、再現された二撃目。
防御空間ごと、吹き飛ばされた。
「武!!!」
錠と赤松が叫ぶ。
「お前たちに仲間の心配をしている暇はないぞ!」
猪幡が嘲笑った。
錠と赤松は距離を取りながらも武の方へ向かおうとするが、
猪幡が立ちはだかる。
吹き飛ばされた武は、喫茶店の中へ突っ込んでいた。
カウンターに背中をつけ、崩れ落ちる。
腹部に激痛。
口から出血することはなかったが、衝撃は確実に効いていた。
荒れ果てた店内。
そこへ魔鬼が、ゆっくりと踏み込んでくる。
「さあ……これまでだな」
魔鬼が刀を構える。
「死んでもらうぞ」
武はうなだれたまま、グッと魔鬼を見た。
「……勝ちに焦ってんのは、アンタの方だ」
「この死に体がぁ!」
その瞬間。
武の右手の指先が、カウンター脇のコンセントに触れていた。
魔鬼が立っているのは、電灯の真下。
店内に稲光が走った。
武の身体からコンセントへ。
配線を伝い、電灯へ。
そこから魔鬼へ向かって、電撃が落ちる。
店内が真っ白に染まった。
「がぁ──────!!」
魔鬼の歯がガタガタと鳴る。
それ以上に、身体が激しく震えていた。
高天原での修行中、
教室での経験から武が編み出した室内の配線を使った攻撃方法──雷導線。
武は左手の掌を向け、魔鬼へ構える。
「吹き飛べ!!!」
その気合と同時に、左肩から電撃が走った。
腕を伝い、掌から。
腕と同じ太さの、青く輝く電撃が放たれる。
直撃。
魔鬼の身体が宙を舞った。
道路の反対側。
ビルの壁へ叩きつけられる。
これは高天原で康彦から教わった技──雷電だった。
壁にめり込んだ魔鬼は、
手足を伸ばしたまま、動かない。
「……魔鬼!」
意外な結末に、猪幡は思わず声を漏らした。
「赤松!
敵が!」
「おお……武が、やったんだ!」
猪幡は黒目をぎょろりと動かす。
その視線の先。
新たな鬼の増援が、姿を現した。
錠と赤松が、武の元へ駆け寄る。
「武、大丈夫か!」
「よく……あいつを倒したな」
武はゆっくりと喫茶店から出てきて、二人と合流した。
ダメージは受けていたが、戦いから意識を離していない。
「二人とも、敵の増援だ……!!」
武の示す方向。
猪幡の背景には、向かってくる鬼たちの姿があった。




