第19話 禁じられた選択
カイルが工房の灯りを消し、静寂が落ちた。
リィナはその場に立ち尽くしていた。
涙を流すだけでは、何も変わらない。
──なら、どうすればいい?
答えは、もう出ていた。
カイルはいつも、飄々としている。
「クズだ」と言いながら、妙なところで真面目だ。
そして──彼はリィナに決して手を出さなかった。
それが何を意味するのか、リィナは知っていた。
この世界において、奴隷──特に女性の奴隷の多くは、ある用途のために売られる。
小さな子どもも、大人の女性も関係ない。
金で売買される「商品」としての価値を持つ以上、それは避けられない運命だった。
しかし──カイルは違った。
彼がそうしなかった理由は、ただの倫理観や情ではない。
「価値が下がるから」
──それが、カイルの判断だった。
だからこそ、リィナは確信していた。
「カイルさんは、私を”売り物”として見ている」
ならば、逆に考えればいい。
売り物ではなく、“女”として見てもらえばいい。
「高く売る価値」がなくなれば、カイルは売る理由を失うかもしれない。
それは、彼女にとって「最も確実な選択肢」だった。
──女の武器を使う。
リィナは震える指先で、自分の服の裾を握りしめた。
そして、意を決して──
⸻
工房の奥で、カイルは煙草をくゆらせていた。
今日一日で、無駄に神経を使った気がする。
売ると決めたのに、リィナの涙が脳裏に焼き付いて離れない。
(……クソが。)
煙を吐き出し、思考を無理やり断ち切ろうとした、その時。
──カタン。
小さな足音が聞こえた。
扉の向こうに、リィナの影が揺れる。
「……なんだ、寝れねぇのか?」
適当に声をかけると、リィナはゆっくりと中に入ってきた。
そして──彼女は、いつもと違った。
わずかに乱れた衣服。
揺れる髪。
普段よりも、ほんの少しだけ、意識的に作られた動き。
「……カイルさん」
甘く滲んだ声が、夜の静寂を切り裂く。
カイルは、一瞬、言葉を失った。
リィナの瞳は、まっすぐこちらを見据えている。
揺らぎがなく、まるで獲物を狙う猫のような目をしていた。
「……なんだよ」
カイルはあえて軽く言ったが、内心で警戒していた。
──こいつ、何を考えている?
リィナは数歩近づき、カイルの目の前に立つ。
そして、ゆっくりと、彼の膝の上に腰を下ろした。
「……おい」
カイルの声が、わずかに引きつる。
すぐに立たせようとしたが、リィナは逃げなかった。
それどころか、両手をカイルの肩に添え、そっと顔を近づける。
「……売られる前に、“価値”をなくしたら、どうなりますか?」
その言葉が、カイルの思考を止めた。
「……お前、何を言って──」
言い終わる前に、リィナの指がカイルの唇を塞ぐ。
「カイルさんが、私を売ろうとするのは……価値があるから、ですよね?」
「……」
「だったら、なくせばいいんですよ。私が、売り物じゃなくなればいい。」
静寂が落ちた。
カイルは、リィナの言葉の意味を完全に理解した。
そして──その圧倒的な覚悟の重さに、思わず喉を鳴らす。
(……こいつ、正気かよ。)
リィナの体は小さく震えている。
でも、その瞳は、決して怯えていなかった。
カイルの肩に触れる指先は、かすかに熱を帯びている。
「……それとも、カイルさんはクズだから……」
「売り物じゃなくなった私は、もういらないですか?」
耳元で囁かれた瞬間、カイルは目を見開いた。
こいつ──
本気で、俺を試してやがる。
煙草が、指の間から落ちた。
リィナは、さらに距離を詰める。
「……カイルさん?」
挑発するような甘い声が、狭い工房の中に響く。
カイルは、目を細めた。
そして、次の瞬間──
──ドンッ!
カイルは、リィナの肩を強引に掴み、そのまま押し倒した。
リィナは息を飲む。
しかし、怖がる素振りはない。
カイルは、じっとリィナの顔を見下ろした。
その目は、冷たく、しかしどこか揺れている。
「……お前、馬鹿か?」
低く、静かな声。
「そんなことして、俺が本気になったらどうする?」
リィナは微かに笑った。
「……カイルさんは、そんなことしませんよ」
その言葉に、カイルは舌打ちした。
こいつは、俺を信じてやがる。
──クズだけど、そういうクズにはなりきれないってことを。
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