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第14話 踏み込む勇気

 冬の足音が近づいていた。


 冷たい風が窓を揺らし、夜が長くなっていく。

 カイルさんと過ごすこの家も、少しずつ寒さが染みるようになった。


 でも、私の心はもっと冷たくなりそうだった。

 あの夜、カイルさんが言った言葉が、頭から離れなかった。


「お前、そろそろ売り時かもしれねぇな」


 いつもの冗談交じりの口調。飄々とした態度。

 だけど――本当に冗談だったの?


 私は、もうただの奴隷ではいられなかった。




 その日から、カイルさんとの会話はどこかぎこちなくなった。


 彼は相変わらずの態度で、冗談ばかり言っていたけれど、私はその仮面の奥にあるものを見逃せなかった。


 食事中、ふと目が合うと、カイルさんはいつもの調子で言う。


「おい、ちゃんと食えよ。高く売るためには健康が一番だからな」


 私は微笑んで頷く。でも、心の奥がチクリと痛む。


 ――本当に、それだけのため?


 その疑問が、私の中で膨らんでいった。




 ある夜、私は意を決してカイルさんの前に立った。

 彼は椅子に座り、グラスを傾けていた。


「カイルさん」


「ん?」


「……私、知りたいことがあります」


 カイルさんはグラスを机に置き、俺をじっと見つめた。

 その瞳には、飄々とした余裕があった。でも、私は知っている。


「……昔、大切な人がいたんですよね?」


 その瞬間、カイルさんの目がわずかに揺れた。

 でも、すぐに軽い笑みを浮かべた。


「またその話か。そんなのいるわけねぇだろ。俺はお前を高く売ることしか考えてねぇんだよ」


 いつもの返事。

 でも、私はもうその仮面の裏にあるものを無視できなかった。




「……嘘です」


 私の声は、静かだけどはっきりしていた。


「お前、何が嘘だってんだ?」


 カイルさんは笑っている。でも、その声はどこか硬い。


「カイルさん、あの部屋で写真を見ました」


 その瞬間、彼の笑顔が一瞬だけ消えた。

 でも、すぐにまた軽い口調で返してきた。


「お前、勝手に部屋を漁ったのか? いや、別に気にしねぇけどな。どうせ昔のガラクタだ」


 ――ガラクタ?


 私は拳を握りしめた。


「……ガラクタなんかじゃない。大切な人だったんでしょう?」


 カイルさんは沈黙したまま、グラスを持ち上げた。

 そして、一気に酒を飲み干した後、静かに答えた。


「……昔の話だ」


 それだけだった。

 でも、私はもう引き下がれなかった。




 私は思わず叫んでいた。


「……私は、売られたくない!」


 その言葉が、部屋の中に響いた。

 カイルさんは驚いたように私を見た。


「……お前、何言って――」


「私は、ただの奴隷じゃない!」


 胸の奥から溢れる感情を、もう抑えることができなかった。


「私は、カイルさんのそばにいたいんです!」


 その瞬間、カイルさんは目を逸らした。


「……バカ言うなよ。お前は俺が育てた商品だ。高く売るために買ったんだよ」


 そう言いながら、彼の声はかすかに震えていた。


 私はゆっくりと歩み寄り、カイルさんの前に立った。


「……本当にそれだけですか?」


 彼は何も答えなかった。

 ただ、静かに目を閉じていた。




 長い沈黙の後、カイルさんは小さな声で呟いた。


「……お前を売ることで、俺は過去と決別できると思ってたんだ」


 その言葉に、私は胸が締め付けられるような思いがした。


「……でも、無理だった」


 彼の声は、まるで壊れそうなガラスのように脆かった。


 私はそっとカイルさんの手を握った。


「カイルさん、私はここにいます」


 彼は驚いた顔で私を見つめた。


「お前……」


「私は、あなたの過去に勝ちたい」


 その言葉を口にした瞬間、私の中で何かが変わった気がした。


 カイルさんは何も言わなかった。

 でも、私にはその瞳はもう飄々とした余裕さが無いように見えた。



 その夜、私たちは何も話さなかった。

 ただ、静かに同じ空間に座っていた。


 でも、それだけで十分だった。


 私はもう、カイルさんにとってただの奴隷ではない。

 そして、彼もまた私にとってただの主人ではなかった。


 私たちは、少しずつ変わっていく。

 過去に縛られながらも、新しい未来へと進んでいく。


 たとえその先に何が待っていても、私はもう逃げない。


 ――私は、あなたと共に生きていきたい。


 だが忘れていた。現実は常に残酷であるということに。

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