最終話
「いつか必ずメイアウト王国には訪問したいと思っていましたけど、ジェラール様とご一緒できるなんて本当に嬉しいです」
「それは僕もだよ。前回の訪問ではこうしてリュシールの隣にいることができるなんて思ってもいなかったからね」
思うままに気持ちを言葉にしたわたしに、微笑んで答えてくれるジェラール様を見ていると、やっぱりこれは夢じゃないのかと思ってしまう。
だってこれが新婚旅行だなんて信じられないんだもの。
あれから――サマーパーティーの日からはめまぐるしい日々で気が付けば結婚していた、なんていうのは少し大げさかもしれないけれど。
わたしたちは今、世界一の薬草園と言われるメイアウト王国のコネサツ山の麓の町に到着したところ。
「生徒に恋をするなんて、教師にあるまじき行為だと思ってた。しかもリュシールには婚約者がいる。だからこれはきっと気のせいだと、リュシールの考えに興味があるだけなんだと、自分に必死に言い聞かせてた。それで離れたほうがいいと思ってこの国に来たんだ」
しばらく滞在するためにお屋敷を借りて、ついてきてくれた使用人たちが荷ほどきをする間、わたしたちは居間でお茶を飲みながらこれからの計画を話すつもりだった。
それなのに気が付けば過去のことを話している。
わたしもあの頃はシャルとまだ婚約していたから、この気持ちはただの憧れだって言い聞かせて蓋をしていた。
同じようにジェラール様が感じていらっしゃったのは嬉しいような申し訳ないような。
でもこうして今一緒にいられるんだもの。
「幸せってこういうことを言うんですね」
「うん?」
「わたしも本当はジェラール様にずっと惹かれていました。だけどダメだって。それなのに会えなくなってますます気持ちは募って……だから、シャルと婚約を解消したときはほっとしたんです。別の人を好きなのにシャルと結婚するのは不誠実だから。でももう身分違いの恋も結婚もこりごりだと思っていました。それがこうしてジェラール様と結婚してここにいるなんて、本当に不思議な気分です」
あの日、まさかプロポーズされるとは思ってもいなかった。
だから一緒に研究できることが嬉しくて快諾したのに。
プロポーズだと気付いたときには悲鳴のような声を上げてしまって、警備の人がかけつけてきて説明している間に無理だと伝える機会を逃してしまったのよね。
本当はとても嬉しかった。
でもこのときにはどんなにジェラール様が本気でも、周囲が――アンドール侯爵が許されるわけがないと思っていたから。
ただただ純粋にジェラール様のお気持ちが嬉しかった。
ところがジェラール様は本当にそのままわたしの両親に挨拶に行き、たまたま自宅にいたお父様に〝プロポーズをする許可〟を得てしまった。
要するに、結婚するかどうかはわたし次第ってこと。
それから翌々日、ジェラール様に説得されてお邪魔したお屋敷では、アンドール侯爵ににこやかに迎えられたばかりか、その場で結婚のお許しまでいただいてしまったのだからびっくり。
それどころか侯爵夫人も長兄のデュリオ様――オリヴィアさんの旦那様も、次兄のレオンス様も大歓迎してくださって。
逆に何かの罠かと思うくらいだったのよね。
でもしがない準男爵の娘を騙してもアンドール侯爵家には何の利もなくて。
ジェラール様にとってはわたしが唯一なのだと、オリヴィアさんが微笑みながら教えてくれた。
極めつけはいきなりエリカ妃殿下がいらっしゃったこと。
ご実家に戻っていらっしゃるなんて思いもしなかったから心の準備もできないまま。
エリカ様はわたしの手を握って「どうかジェラールお兄様を捨てないで」とおっしゃったものだから、わたしは馬鹿みたいにカクカクと首を縦に振って正式に婚約成立。
自宅に戻ったときには先に知らせが届いていたらしく両親にお祝いの言葉をもらってしまった。
本当にあっという間に全てが決まって、気が付けば結婚式だったのだから誓いの言葉のときでさえ夢じゃないかと思っていたくらい。
侯爵夫人が――お義母様が「主人に一番似ているのはレオンスかと思っていたけれど、実はジェラールだったのねえ」とおっしゃったのは、ジェラール様の結婚式に至るまでの行動力のことらしい。
結婚式には皇太子ご夫妻もご出席くださったから、社交界ではかなりの話題になったみたい。
まあ、お母様と侯爵夫人が張り切って豪華なお式になってしまったのも理由の一つだとは思うけど。
だから招待客も大勢。
ただ残念だったのはシャルとステファニーさんが欠席されたこと。
「本当にあれでよかったのかしら……」
「何のことだい?」
「シャルの――ベルトラム卿のことです」
「ああ、彼らね。僕たちは招待した。出席しなかったのは彼らの判断だよ。それがこれからの社交界でどう影響してくるか、わからないほど愚かじゃないだろう?」
「……たぶん」
前婚約者のことを口にするなんて失敗だった。
いつもより少し冷たい口調のジェラール様を見て後悔してしまう。
もちろん私はシャルのことはもう何とも思っていないけれど、やっぱり情はあるのよね。
だけどもしジェラール様が昔の恋人のことを口にしたとしたら、わたしだっていい気分はしないもの。
「……ごめんなさい」
「いや、謝る必要はないよ」
そう言って、ジェラール様はわたしの隣に席を移動した。
そして優しく抱き寄せてくれる。
まだ少し恥ずかしいけれど、でもジェラール様の腕の中は安心できて幸せ。
「ベルトラム子爵とレゼルー伯爵は出席されていたから、まだどうにかなるよ」
「そう、ですね」
ジェラール様にシャルのことで励まされるなんて花嫁失格だわ。
だけど、こうしてシャルのことを心配するのには理由がある。
一つはベルトラム子爵家の仕事がうまくいっていないこと。
これはわたしとシャルの婚約解消がきっかけ。
もともと子爵のほうから強引に婚約を持ちかけて融資を得たのに、いくら利子をつけて返したからといっても、最初の約束を反故にしてしまうのは商売人としては信用できない。
そう判断されて、ベルトラム子爵と取引する相手が減ってしまったらしいのよね。
そもそもお父様は本当はわたしたちに婚約などさせなくても、学生時代の同級生である子爵の頼みに融資はするつもりだったとか。
だけど子爵の顔を立てるために仕方なく受け入れ、わたしが嫌がるならすぐに解消するつもりだったらしい。
だからわたしとシャルがあんなに仲良くしていなかったら、正等科に入学するまでには解消していたかもしれない。
それならそうと早く言ってくれたらよかったのにね。
二つ目はサマーパーティーでのステファニーさんの言動。
やっぱり噂は大きく広まっているらしい。
なかにはステファニーさんがわたしを叩いたなんてものまで。
本来なら学院内のことは大人社会には関係ないとされているけれど、わたしがジェラール様と結婚したことで関心を集めてしまっているみたい。
だからもうすぐデビューする社交界では、ステファニーさんにとってはきっと厳しいものになると思う。
せめて結婚式に出席してくれていたら、和解したと思われたかもしれなかったけれど。
世間ではそれももう噂になっているらしい。
合わせる顔がなくて欠席したとか、プライドの問題だとか、礼儀知らずだとか。
移動中のわたしの耳にまで聞こえてくるんだからびっくり。
噂って本当に怖い。
「さてと。では、明日はどこに行きたい?」
「コネサツ植物園に行きたいです!」
「だよね」
わたしの返答にジェラール様は笑って頷いた。
植物園はコネサツ山の植物だけでなく、世界中の珍しい植物が集められているのよね。
ここはジェラール様の——ジェイ先生の授業を初めて受けたときから来たかった場所。
いったいどんな植物があるのかと思うとわくわくするわ。
「それでね、この屋敷なんだけど、実は借りたんじゃなくて買ったんだ。結婚の贈り物に」
「……買った?」
「幸いメイアウト王国と我らがケインスタイン王国は良好な関係にある。しかもメイアウト王国の第二王子であるルシアーノ殿下とアンドール家とは特別に親しくさせていただいているから、コネサツ山での植物採取も好きなようにしていいと許可をいただいたよ」
「好きなように……」
結婚の贈り物にこんなお屋敷を買ってくださったことに驚いてお礼の言葉も出てこない。
しかもジェラール様はさらに植物採取の許可まで取ってくださったなんて。
「生態系を壊さないよう細心の注意は必要だけれど、これで好きに実験もできる。だからここをしばらく拠点にして研究を続けたらいいと思うんだ。煩わしい社交界に顔を出さなくてもすむし……って、勝手に決めたけれど、大丈夫かな?」
「は、はい! すごく嬉しいです! ありがとうございます! 本当に嬉しいです!」
ジェラール様の声がだんだん自信なさげになっていく。
それがわたしの反応がないせいだと気付いて、慌ててお礼を口にした。
すると喜びがいっぱい湧いてきて、ちょっと力みすぎたかもしれない。
だけどジェラール様はほっとしたようで、次いで満面の笑みになった。
「それなら、よかった」
ああ、どうしよう。
ジェラール様が素敵すぎてつらい。
ああ、しかも本当にどうしよう。
「あの……実はわたしも結婚の贈り物を用意したのですが、こんなに素晴らしいものではなくて……」
こんなに素敵な贈り物をいただいてしまっては、わたしの贈り物はかなり見劣りしてしまう。
もっとこう……せめて乙女らしいものを用意すればよかったと思いながら、ソファの横に置いた鞄をちらりと見た。
「僕にとっては、リュシールがくれるなら道端の石ころでも嬉しいよ。だからできれば早くほしいな」
今度は期待に顔を輝かせるジェラール様が可愛すぎてつらい。
どうしよう。
わたしってこんな人間だった?
好きの気持ちが溢れて胸がいっぱい。
どきどきしながら鞄からジェラール様への結婚の贈り物を取り出す。
「これは……ジェラール様が送ってくださった植物と魔法石との相互作用の結果をまとめたレポートです。療魔石や光魔法だけでなく、ある種の薬草を炎魔石で燃焼させることによって発生する灰から精製した軟膏の効能などをまとめました」
「炎魔石で軟膏を……?」
「はい。打撲や捻挫などに効果のあるものや、皮膚疾患などに効果のあるものなどです。もちろんまだまだ臨床実験は必要ですが――」
「すごいよ、リュシール! 炎魔石と薬草なんて組み合わせは考えもしなかったよ! しかも精製量がこれなら、意外と安価で流通させられる! 世界中で一番素敵な贈り物だよ!」
「きゃっ!?」
ジェラール様はわたしの説明を聞きながらも、一応はリボンで留めていたレポートを開いてざっと中身に目を通した。
それから感嘆されたような声を上げて、いきなりわたしを抱きしめた。
普段は穏やかなジェラール様の行動にびっくり。
でも喜んでくれているようでよかった。
結婚式までのこのひと月あまり、頑張ってよかったと思える。
「ここで、ジェラール様と一緒なら、もっともっとたくさんの研究ができますね」
「うん、そうだね」
今まで一人で行き詰まっていたことも、すぐにジェラール様に相談できる。
きっと二人で悩むこともたくさんあるはず。
それでもこれからのことを考えるとすごく楽しみ。
ジェラール様も少年のような笑顔で答えてくれる。
子供の頃に思っていた未来のわたしとはまったく違う人生だけれど、それはたくさんの選択の中の成功と失敗の結果。
だけどこの先はたくさんの予想外の出来事は起こっても、ジェラール様と一緒に幸せになれる道を選んでいくわ。
これにて『悪役令嬢と、婚約破棄と、その後の小さな恋の物語。』は完結です。
感想、誤字報告など、ありがとうございました。とても助かりました。
またシリーズの別の作品や他作品もお読みいただければと思います。
※『屋根裏部屋の公爵夫人』はコミカライズ連載中です!
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
もり