第十一章 研究室
翌朝。
朝食を終えたフィオナは、食器を片付けていた。
「フィオナ。」
振り返ると、エルが立っていた。
「旦那様がお呼びよ。」
「……はい。」
昨日、旦那様に言われた言葉を思い出す。
『明日、時間が空いたら研究室へ来なさい。』
何をする場所なのか。
何をさせられるのか。
胸の奥に小さな緊張を抱えながら、フィオナは研究室へ向かった。
◇
扉の前で足を止める。
一度だけ深呼吸をし、小さく扉を叩いた。
「失礼します。」
「入れ。」
静かな声が返ってくる。
フィオナは扉を開いた。
壁一面を埋め尽くす本棚。
机の上には幾重にも積まれた書類。
棚には色とりどりの液体が入った瓶や、見たこともない道具が整然と並べられている。
部屋全体から、独特の静けさが漂っていた。
部屋の奥では、一人の少年が本を読んでいた。
年は十六歳ほど。
茶色い短髪の、人間の少年だった。
フィオナが部屋へ入ると、少年は本を閉じ、静かに立ち上がる。
一方、部屋の中央ではアクロが机に向かい、何枚もの書類へ目を通していた。
やがてアクロが顔を上げる。
「来たか。」
「はい。」
短く返事をすると、アクロは少年へ視線を向けた。
「アレフ。」
「はい。」
少年は一歩前へ出る。
「今日から、この子に魔法の基礎を教えなさい。」
「分かりました。」
アクロは今度はフィオナを見る。
「期間は一週間。」
「その間に、一般魔法と属性魔法を扱えるようになってもらう。」
「それ以降は、私の研究にも付き合ってもらう。」
「分からないことはアレフに聞け。」
「以上だ。」
「……はい。」
アクロはペンを置き、フィオナを一瞥した。
「励みなさい。」
短く、それだけ告げると、再び書類へ視線を落とした。
部屋には、紙をめくる音だけが静かに響く。
少し気まずい沈黙が流れた。
やがて、アレフが小さく笑う。
「旦那様はいつもあんな感じなんだ。」
「説明は最低限しかしないけど、困ったことがあればちゃんと答えてくれる。」
「だから安心して。」
その言葉に、フィオナの肩から少しだけ力が抜けた。
「俺はアレフ。」
「十六歳。」
「研究奴隷として、この研究室で旦那様のお手伝いをしてる。」
「よろしく。」
フィオナは頭を下げる。
「……フィオナです。」
「よろしくお願いします。」
アレフは穏やかに頷いた。
「じゃあ、早速始めようか。」
そう言って机の上に置かれた一冊の本を手に取る。
「まずは魔法の基本から。」
「一週間しかないからね。」
フィオナは静かに頷いた。
その日、少女は初めて研究室の扉をくぐり、
魔法という未知の世界へ、その小さな一歩を踏み出した。




