07
ほんたうのこと、とは、何をさすのだらふ
数多あるweb上の小説投稿サイト。
無数の物語が交錯する広場においても、私は私のままでいられなかった。
そこには三人の「私」が、互いに目を合わさないまま座っている。
投稿一覧に並ぶ過去作を、まるで他人が駅のホームに落としていった忘れ物のように眺めている「私」。
評価数や閲覧数の推移をグラフとして眺め、冷徹な分析を試みる「私」。
それらすべてを薄暗い部屋の隅から、何の期待も抱かずに見つめている「私」だ。
「書き手」としての「私」は必死に一文をひねり出す。
背中を丸め、眉間にしわを寄せながら、薄暗い部屋の中でPCのモニタ画面だけがいやに明るく光っている。
熱を失った指先で、どのような作風を「選ぶ」べきかを選別している。
―暗くすれば、深いと思われるだろうか。
―ここを曖昧にぼかせば、思索的な深淵に見えるだろうか。
―いっそ説明を放棄すれば、読者はそれを『高潔な余白』だと勝手に解釈してくれるだろうか。
そこにあるのは表現の苦悩ではなく、偽造通貨をいかに本物らしく見せるかという、卑俗な計算だ。
私は、読者の脳内に「深遠な思索者としての私」をバグのように発生させるための、精巧なコードを書き連ねているに過ぎない。
その背後で、「編集者」が公開後のPV推移をグラフとして眺めている。
すっかり冷え切った右手人差し指でこつこつと机の空間を叩きながら、その目は、書き手の紡いだ言葉の温度など一顧だにせず、冷徹に市場との適合率を弾き出す。
―タイトルに引きがない。もっと強いフックが必要。
―冒頭三行。ここで指を止めさせなければ、読者は一秒後には別の物語へ去る。
―タグが適切ではない。ジャンルの隙間を狙いすぎている。
―前日よりもPVが半分近くも減っている。やはり連日更新しなければならないな。
この「私」にとって、文章は「刺さるか、刺さらないか」の二択でしかない。
「私」は、書き手が心血を注いだはずの一文を「冗長」という一言で切り捨て、より効率的に、より消費されやすい形へと、私という現象を加工し続ける。
そして、それらすべてを薄暗い部屋の隅から眺めているのが、「幽霊」としての私だ。
この「私」は評価数が増えても、あるいは期待外れの数字に終わっても、氷のように同じ顔をしている。
視線を注いでいるのは、物語の中身でも、その成果でもない。
ただ、スクロールバーの微かな動きや、読み込み中に虚しく回り続けるロードの円形アイコンだ。
―この作業に、一体何の意味があるというのか。
「私」は、書き手の計算も、編集者の分析も、最初からすべて否定している。
この世に放たれた言葉は、一瞬の電気信号として消費され、やがて巨大なサーバーの墓場に沈むゴミに過ぎないことを知っている。
それなのに。
冷笑しているはずの「私」が、いちばん執着して画面を更新し続けている。
三十分おきに、五分おきに、あるいは数秒おきに。
何の意味もないと嘲笑いながら、自分の命がアクセス数という名の「削りカス」になっていくのを、誰よりも熱心に観測しているのだ。
マウスをクリックする時に、冷えた指先を気にして、温かいお茶の入ったマグカップに触れる。
これらの「私」を一人がすべてを演じているという事実。
書き手が言葉を盛り。
編集者がそれを削り。
幽霊がその全てを虚無の海へ流し去る。
この滑稽な自作自演を、無機質なシステムだけが等しく回収していく。
なんという道化。
かつて万年筆で綴ったあの「サリ、サリ」という実存の音は、いまやマウスのクリック音と、ファンが唸りを上げる熱風の中に霧散していく。
画面に並ぶ文字列を、自らが紡いだはずのものとして愛でることはできない。
公開ボタンを押す指先は、いつも実体を持たない影のように透けて見えた。
読者からの反応を求めながら、一方で「これは私の書いたものではない」と、心のどこかで自分を切り離している。
自らの創作を、自らの血肉として認めることを、私の内側にある何かが、あと一歩のところで拒んでいるのだ。
誰かに見つけてほしい。
けれど、見つけられた瞬間に、その「私」は定義され、固定され、決定的な「偽物」になってしまう。
ブックマークが一つ増えるたび、私は形容しがたい居心地の悪さに襲われる。
自分の名前を呼ばれた気がして振り向いたら、すぐ後ろの別の誰かに向けられた声だった、あの感じに近い。
あるいは、自分の隠れ場所を見つけられたような、微かな侵害の感覚。
読者の顔は見えない。
彼らもまた「青い照明」に過ぎないのだ。
実体を持たない者同士が、互いを照らしているつもりで、実際には網膜に焼き付いた光の残像だけを追いかけている。
見えないからこそ、私は彼らを、自分と同じ「同質の現象」として感じてしまう。
彼らもまた、何者でもない自分を埋めるために、誰かの嘘を摂取し、束の間の実存を模索しているのではないか。
その滑稽な共鳴を、無機質なシステムが容赦なく回収していく。
私が自分を隠すために被った仮面、幽霊であることを保つために丁寧に編み上げた「霧」。
それらが「あなたへのおすすめ」や「この作品を読んだ人は、こちらも読んでいます」という、アルゴリズムの光に晒される。
そこには怒りも嘆きもない。
ただ、乾燥した事実だけが横たわっている。
匿名性の海に潜っていたはずなのに、私の自作は、驚くほど的確な「隣人」の横に並べられる。
自分でも意図していなかった私の“属性”が、数字と傾向によって、残酷なまでに明晰な言葉で分類されていく。
「あなたが書いたこの”嘘”は、統計学的にはこのカテゴリーに属します」
そう宣告された時、私の孤独な叫びは、ただの「嗜好データ」へと成り下がる。
私の内側にある、誰にも触れさせたくなかった澱でさえも、システムにとっては処理すべき情報の断片に過ぎないのだ。
結局のところ、私は私という現象を定義することに失敗し続けている。
異世界のモブを演じ、既知の物語を英語でなぞり、読書家というラベルを貼り付けても、そこに残るのはいつだって「何者でもない自分」という空虚な輪郭だけだ。
なら、なぜ私はまだ書いているのか。
なぜ、この無意味な明滅を止められないのか。
そこに高潔な理由など、欠片もありはしない。
ただ、やめられないのだ。
自分という存在が、あまりにも希薄で、何かに書き留めておかなければ、この世界の重力に耐えきれず霧散してしまいそうだから。
かといって、すべてを捨てて消えてしまう勇気もない。
自分を曝け出すのが怖いと言いながら、誰にも一顧だにされないことには、もっと耐えられない。
そんな中途半端な自意識の檻の中で、私は今日も同じ場所をぐるぐると回り続けている。
希望も救いも、ここにはない。
ただ、書き続けることで、自分が「まだ消えていない」ことを確認するだけの、不毛な反芻作業。
それは、インクの切れた万年筆で紙をなぞり続けるような。
あるいは音の出ないオルガンのペダルを懸命に踏みながら鍵盤に指を叩きつけているような。
終わりのない、そして実りのない、滑稽な儀式だ。
けれども、それでいいのだと思う。
ひとつの青い照明が、せはしく明滅しながら、風景やみんなと一緒に灯り続けている。
その明滅の合間に生じる「嘘」や「虚飾」、そして「いつまでもやめることのできない事実」こそが、私がこの世界に確かに存在しているという、唯一の証明なのかもしれない。
……長々と語ってきたせいか、思考の明滅が、だんだんと不規則になってきた。
同じ言葉を何度も撫で回し、もう先へ進めていないことだけが、指先に残っている。
今日はここで筆を置こう。
画面の向こうで、観測者である私の顔が、黒い鏡となってこちらを見返している。
その鏡の中に映る私は、かつて自由帳に名もなき脇役を書いていた子供のまま、少しだけ老け、少しだけ言葉の扱いが上手くなっただけの、相変わらずの幽霊だ。
このエッセイは本当の事を言わず綴ってきた。
だが、幾ばくか、私の「本当」が描かれているのかもしれない。
そうして、この文章のどこかには、あの透明な幽霊の複合体が、今も静かに息を潜めているのだ。
逃迷奈ユフレヰ@複合体 記す
―了―




