第四章 音の向こうに
午後、雨上がりの街に湿った風が流れていた。サチはふと足を向けるようにして、あのCDショップへと入っていった。ガラス越しに差し込む光が店内を淡く照らし、棚に並ぶアルバムの背表紙が静かに輝いている。
「こんにちは」
声に振り向くと、エプロン姿の青年が笑顔を見せていた。その笑顔に、又胸がキュンと熱くなる。
「また来てくれたんだね」
自然な一言。けれどサチにとっては、心を掴まれるほど嬉しい言葉だった。
その時、店長が棚の奥から出てきて、にこやかにサチを見た。
「いらっしゃい、今日も楽しんでいってね」
ふと、店の奥のカウンターには、バンド仲間の一人がアルバム整理をしている姿が見える。
「お疲れ、今日の練習どうだった?」
と声をかけると、彼も笑顔で答えていた。
青年は少し躊躇うようにポケットを探り、一枚の小さなチラシを取り出した。そこにはライブハウスの名前と、バンドの出演情報が印刷されている。
「今度、ここで演奏するんだ。……よかったら来てみない?」
ほんのさりげなく渡されたチラシを、サチは両手で受け取った。その瞬間、指先がかすかに触れ合う。心臓が跳ね、鼓動が耳に届くほどに早くなる。
「……行ってもいいんですか?」
自分でも驚くくらい、声が小さく震えた。
「もちろん。来てくれたら嬉しい」
そう言って彼は、少し照れたように笑った。その笑みは、店内の音楽よりもずっと優しく、サチの胸に深く染み込んでいった。
――その日から、チラシはサチの小さな宝物になった。
⸻
ライブ当日。
サチは少し早めにライブハウスに着いた。
扉を開けると、熱気を帯びた空気と、観客のざわめきが一気に押し寄せてくる。
調整中のアンプから漏れる低音が胸に響き、心臓の鼓動と重なる。
そして、照明が落ちた。
ざわめきが静まり、光がステージに集まる。
そこに立つ青年は、CDショップで見た姿とはまるで別人だった。
ギターを抱え、強い眼差しで前を見据え、音に全身を委ねて歌っている。
――こんなにも熱く、まぶしい人だったなんて。
演奏が始まると、サチの胸は一気に震えた。
彼の指先が奏でる音、声に乗せられる想い。
そのすべてが、まるでサチにだけ語りかけているように響いてくる。
ふと、彼の視線が客席に向けられた。
ほんの一瞬、サチと目が合う。
照明に照らされたその瞳は、確かにサチを見つけて微笑んでいた。
心臓が高鳴り、頬が熱を帯びる。
音楽と胸の鼓動が重なり合い、世界が揺れる。
ライブが終わる頃には、サチの胸にはひとつの想いがはっきりと芽生えていた。
――もっと、彼を知りたい。
CDショップの青年ではなく、ステージの上で夢を抱く彼を。
その存在は偶然の出会いから、確かな「特別」へと変わり始めていた。
「5・6章では、いよいよ二人がしっかり言葉を交わします。二人の距離が少しずつ近づいていく瞬間をぜひ…✨」