贄姫と天狗攫い
「まいったわ。この国、宣教の墓場だわ」
ジェイクは、青い顔をしながらつぶやいた。目の下には、クマが出来、頬もコケてしまった。酷い有り様だった。
「もう偶像だらけの日本嫌だわ。さっさと国に帰りたい。この国の食べ物や飲み物は美味しいけどさ」
そうは言っても国に帰るわけにはいかない。母教会からは、宣教師として盛大に送り出されてしまったし、神様からも今は帰るなと言われていた。
ジェイクは、宣教師として日本に来ているわけだが、まだ誰一人として神様を信じるものは生まれていなかった。
日本人にとって宣教の躓きになるのは、先祖である。先祖が地獄に行っていると言ったら、「なんて偏狭な神様なんだ」と逆に責められた。
こうして宣教活動は全く上手くいっていなかった。「先祖を拝むのは、偶像崇拝であり、まず自分の死後の行き先を考えてください」等と正論を言っても伝わるわけもない。
日本に来てから、身体や心も重い。やはり祈りと信仰、賛美がある国の方が、周波数が合うと言うか、偶像の多い日本の空気は重かった。
5つの村を回ったが、宣教は全部失敗している。
6回目の正直として、火因村という農村に向かっていた。
神社、寺、祠、地蔵などの、ジェイクにとって異教の神々が祀られていて、さっそく空気が重くなった。
村の中心部には、綺麗な川が流れているが、ジェイクの目からは薄暗く見えてしまった。
野菜畑が広がる長閑な村ではあるが、あまり希望は持てない。先祖、先祖と村人から責められるのが安易に想像できた。
「天狗さま……?」
そこに一人の少女から話しかけられた。
天狗と誤解された。
日本に宣教するにあたり、ジェイクも日本文化を勉強していた。天狗は鼻が高く、赤い顔の伝説上の大きな生き物だ。
ジェイクは日本人とは違い、鼻が高く金髪碧眼だった。体格も良い。確かに天狗の特徴と少し共通点はある。
かつてユダヤ人が日本が来ていたという説もある。天狗のルーツはユダヤ人とも言われているらしい。天狗の山伏姿は、ユダヤ人の修験者と似ていた。ジェイクはユダヤ人ではないが、島国の日本人からしたら、そんな区別もつかないだろう。
ジェイクは背をかがめ、少女に視線をあわせた。よく見ると15歳ぐらいの若い娘だった。日本人は若く見えるので、少女だと誤解してしまった。
再びよく見ると、美しい娘だった。髪は黒く、目も力強く、全体的に生命力が宿っていた。肌も綺麗で新鮮な桃のよう。何となく良い香りもする。粗末な木綿の着物を着ているのが、勿体無いと思った。ジェイクの国の娘が着るようなヒラヒラとしたドレスも似合う気がした。
「天狗じゃないよ。僕は宣教師だ」
「へぇ」
「あなたは神様を信じますか?」
しばらく川辺に二人で座り、ジェイクは宣教を試みた。
福音を語り、神様が人類の身代わりになって生贄になった事を語る。
「そんな、神様が。なぜ……」
てっきり日本人らしく先祖の話を持ち出すと思ったが、娘はポロポロと涙をこぼしはじめた。
「おぉ、泣かないでくれよ。確かに福音は素晴らしいが」
「いいえ。感動してしまって」
ジェイクは、黒いガウンからハンカチを取り出す。少し迷ったが、娘の涙を拭ってやった。
娘は衣子という名前だった。
農家の娘だが、この村には奇妙な習慣があった。
それは年に一度、神に捧げる生贄を選び、儀式をするというものだった。生贄は「贄姫」と呼ばれて、一瞬は大事にされるが、儀式では村人達に殺される。最終的には肉も骨も食べられてしまう。
おそらく自分が、そんな残酷な生贄に選ばれるんだろう。
衣子は絶望し、わんわん泣きはじめた。
可哀想だった。ジェイクは旧約聖書を開き、愚かな人々が悪魔に生贄を捧げている箇所などを読んで聞かせた。
「いいか。人間の命を要求するなんて神様ではないぞ。旧約聖書の時代は子羊を生贄として捧げてたが、イエス様が罪の身代わりになってくれたから生贄は必要無くなったんだ」
「うっ……」
「確かにイサクの生贄はあったが、あんな試練は滅多にない。と言うか神になりたがってるルシファー、悪魔サタンが神様の真似して生贄儀式ごっこやってるんだろう。村にいる神っぽい何かは悪魔だろう。本当の神様はそんな事はしない」
ジェイクの言葉に、衣子が泣き続けた。
初対面の異国の娘だが、ジェイクの心が動いていた。この娘を助けたい。
できれば国に攫ってしまいたいなどと考えていた。一言で言えば結婚したい。
こんな事を頭で考えるのも罪である。聖書に書いてある。
ジェイクは自分の本心をすぐに打ち明けた。
「私の事を守ってくれる?」
「わかった! 君を助けよう」
意外な事の衣子は、ジェイクの告白を否定しなかった。
それどころか、ジェイクの胸に飛び込んで泣いていた。
一瞬の出来事だったが、運命の出会いだったのかもしれない。
おそらく日本での宣教は、大失敗だが、一人の娘だけは助けたいと考えた。
「君の為に祈ろう。神様が守ってくれますよう」
「ありがとう、天狗さま」
「いや、僕は天狗ではないんだがな」
衣子は誤解をしていたが、その誤解を解くのも面倒になってしまった。
その夜、ジェイクは衣子の家まで迎えにいった。昼間は村人の人目があり、衣子を連れて行くのは難しいと考えた。
衣子の家、白羽の矢が立てられていた。
これは、まずい。ジェイクは焦った。
白羽の矢は、生贄に決まった事を示すサインだった。
まさに衣子が、村人達に連れ去りそうになる瞬間だった。
手足を縛られ、台車に無理矢理乗せられそうになっていた。
「諦めろ! お前は生贄なんだ!」
村人達は、依子を怒鳴りつけていた。村人達は、何人もいた。ジェイクは一瞬怯むが、衣子を助ける為に突進していった。
人数は多いが、体格が小柄な日本人だ。ジェイクは襲い掛かる村人達を軽々となぎ倒し、ついに衣子を助けた。
衣子の縛られていた縄を解き、彼女を背負って逃げた。
「どこに行くの?」
走るジェイクの背中にしがみつき、衣子が問う。
「僕の国に逃げよう」
「いいの?」
「ああ。大丈夫、きっと逃げられるよ」
こうしてジェイクは、衣子を生贄の身分から助け出し、国に連れ帰って結婚した。
依子がいなくなった火因村では、天狗攫いの言い伝えが残っていた。
生贄にされそうになった娘が、天狗に攫われたという言い伝えだった。
噂に尾鰭がつき、ジェイクの事がいつの間にか天狗とされてしまったらしい。
本当の事など、村人は誰も知らなかった。