安眠と暗雲
”果てに”
心臓が跳ねるなどという生半可な表現でいい訳が無い。
「貴方が、倒したの?」
青い壁を介して真っ青に染まった彼女が自分に問いて来る。
視覚の中だけで言えば、青一色のパノラマな世界。
しかし、言葉は違う。
彼女の声音は真っすぐで、甘美。
まるで嵐の去った空に伸びる虹のような色彩を放ちながら耳に届き、脳を薄赤い感情で
満たして酷く揺さぶる。
「ああ、俺が、ってか。自分の武器でやられてるんだから自滅の方が正しいかもしんねえ。」
頬が、ほんのりと赤らむのが自分で分かる。
自分が望んで手にした今だ。
確かに想定外の事はいくつか起りはしたものの、それは確かな物。
「どうやって、まさか、毒?でも貴方は元気そのものだし……」
どうやら困惑させてしまっているらしい。
懸念していた青い壁の隔離の領域が高かったのか、はたまたそれとも。
どちらにせよ、“反因子”の毒は今のところ彼女たちに猛威は振るっていない。
「普段の行いが良いとこんな偶然も生まれるんだなあ。俺は相打ちで大金星だと思ってたんだけど。」
当然のように、自分にはこの毒は効かない、と説明しそうになり慌てながらも、
偶然に置き換える。
焦りを隠しきれずに挙動は不振だが、恐らく大丈夫だ。
――俺には既知の事実でも、他人からしてみれば只の妄想でしかないもんな。
「二度と同じ轍は踏まない、だったっけ。」
記憶が多少怪しいが、同じ失敗を繰り返さない、という意味で間違ってはいない。
ーー信用、されたかな。
不安が、勝利で晴れたレイの心に怪しい雲行きを立てる。
レイにとっては違っても、彼女たちからすれば赤の他人同然の存在。
それに相違はない以上、得体の知れない他人が善意で障害を打ち倒した、と言っても
理由そのものですら、受け入れられないのではないか。
「お兄さん、それでこそ男だよ。」
そんな心配は突風のような店長の一言で吹き飛ばされた。
まるで、心を読まれたかのような感覚に唖然とするレイを置いて店長はにかっと笑って
こう続ける。
「お兄さんがそこの小娘に近付いた時は正直、死んじまったと思ったよ。」
「そりゃあ、まぁ。そうだけども。」
実際、本当に危ない賭けだった。
アズ・ギフトがレイの事を敵だと認識していれば近づく前に葬られていただろう。
結果論ではあるが、勝ったのだ。
「でも。」
それが例え信じられないような可能性の話だとしても実在する今は覆らない。
「命を賭して、勝った。これはアタシの持論だが。いざっていうときに自分より他人を優先するやつに悪いやつは居ない。これは騎士団に居た時と何も変わらないね。」
片目を閉じて青い壁の向こうからそういう店長。
掛けられた評価と言葉の意味を自分の中で解釈し、確認のために恐る恐る言葉を吐き出す。
「信用、されたってこと、か?」
「信用なんてそんなもんじゃないよ。」
やはり、そう簡単には行かせてもらえないらしい。
落胆に思わず地面とにらめっこをしようとするが、足元にはアズ・ギフトの亡骸が。
仕方なく、上を見上げて空虚に浸った。
――そう、だよな。そう簡単に信用されてたら元の世界でもボッチ極めてなんていねえ。
「あのまま、この小娘と戦ってたら二人とも、死んでただろうねぇ。」
「え?」
「ん、伝わってなかったのかい?」
「ああ、意味がよくわからない。」
これ以上文句の付け所がどこにある。
「命の恩人に値するね。私より弱い男に助けられたのはこれが初めてだよ。」
あっけかんらんと店長はそう言った。
「命の、恩人?俺が?」
一度、後ろを振り返るが誰もいない。そのことを確認し、自分を指さしながらもう一度
確認を取る。
「ああ、少し悔しいがそう言ってるじゃないか。」
言われれば、だ。
幾度となく、店長や“あの子”に命を救われてきた。それ故に失念、いや、考えにもなかった。
レイはその善意を、いわば借りたものを返しただけ。
回数で言えば、まだまだ全然返しきれていないくらいだ。
でも。
「そっか。命の恩人なのか。」
温かいものと一緒に再度、実感が湧いてくる。
「あれだけ、信用には程遠かったのに、それすっ飛ばして命の恩人、かよ。過大評価もほどがあるっての。」
店長は、嬉しさに頬を緩ませるレイを見て、隣でわなわなといった表情を浮かべるティトにこう言った。
「あとは若いお二人に任せることにするよ。ティトちゃん、大丈夫。このお兄さんはアンタを見た目で判断なんかしないよ。それよりも……」
顎に手を当ててレイをまじまじと見つめてその先は言わなかった。
「もうエリさん。それより、何?」
「自分で確かめな!」
一つ、大笑いを上げると荒々しく、重厚感をありありと放つ大剣をひょいと担ぎ、
道の向こう側へと走っていった。
「は、はやっ。あの大剣俺の目利きじゃ五十キロはあるぞ……」
大剣を置いて走れば世界記録も夢ではないのではないか。
そんなくだらない思考を回したのには訳がある。
青い壁を隔ててはいるものの、今この場に居るのはレイと“あの子”だけ。
女性経験皆無のレイにとってはこっぱずかしいったらない。
「いや、なんか違う。」
レイは上に来ていたローブを脱ぐと死体の上に被せた。違和感を無理やり排除する。
「なあ、君の魔法って毒消せたりとかってできたりしないよね……」
今、気が付いた。
“反因子”が青い壁を越えられない事には大いに結構。
しかし、出られない。その致命的な欠陥に気が付いた。
「できるわよ?」
「マジで?」
「本当に、本当。心配しなくても命の恩人なんだからやってあげる。」
彼女はそう言うと青い壁に手を当てる。
すると、それに呼応するように壁が青白い光を放ちだした。
「なんかデジャヴだな。コレ、夢じゃねえよな。」
運の巡りが良すぎて自分の頬をつねる。
古風なやり方だが、セオリー道理なら……
「いはい。」
「ふふっ、なにしてるのよ。」
レイの様子を見ながら毒消しを継続する彼女が噴き出した。
世界に、花が咲いた。レイは冗談抜きにそう思った。
「あれ?」
「どうしたの?」
「毒、無いわよ?」
頭を傾け、彼女がそう言った。
その言葉に心当たりがあり、レイは自分の体の奥に意識を向ける。
「やっぱり、か。」
今や体の奥確で確かに存在を主張する“詰み直し”。
「体の一部、みたいだな。」
目は視界を写し、手足は物を動かし、耳は音を聞き取るように。
まるで生まれたときから当然のようにあったと言わんばかりに感覚で判る。
「食べたのかよ、この毒。」
一番、近しい表現を選んで言葉に出す。
レイの体に新たに宿った“詰み直し”は確かに毒を食らっている。
「なに、言ってるの?」
「あ、ああ。何でもない。」
慌てて意識を目の前の彼女に戻した。
「毒、無くなったんだよな?」
「うん、そうみたい。まるで最初からなかったみたいな……」
不思議そうに頭を傾ける彼女にレイは頭を掻きながらこう言った。
「コレ、もういいんじゃねえの?」
青い壁に触れながらそう告げる。
ひんやりと気持ちのいい感覚が手の平から伝わってくる。
「あ、うん。そうね。」
彼女がそう言うと同時に一瞬で青い壁は消失。
「えっ、」
寄りかかっていたレイは支えを失くして無様に体制を崩した。
――やべ、
瞬間、なにが起こったのか分からなかった。
体を包んだのは地面の固い感覚でもない。
「だい、じょうぶ?」
痛みに備えて瞑っていた目をゆっくりと開く。
「普通、立場逆な気が……」
倒れかけたレイを支えていたのは彼女の華奢な腕。
起き上がらなければ、と体に命令を出すが、応じようとしない。
――俺、毒浴びたんだぞ。
そんなことは関係ない、と言わんばかりに迷いなくレイの体を支えた彼女。
その安心感に包まれ、レイの意識は遠のいてゆく。
――ああ、ファンタジーはこうでなくっちゃ。
視界に映るのは彼女の慌てた顔、すぐさま、彼女の手の平から放たれた白い光が暖かい。
いつの間にか日も落ちて月明かりが彼女を照らす。
まるで、イブに降る雪のような特別が胸中を満たしてゆく。
――ああ、悪くねえ。
ゆっくりと、あたたかな光を放ちながら、ゆっくりと意識は沈んでゆく。
「寝て、る?」
スー、スー、と寝息を立てるレイにティトは安堵の表情を浮かべる。
「もう、聞きたいこともいっぱいあったのに。でも。」
「気持ちよさそう。」
そう言ってレイの髪をなでるように整える。
「ゆっくり、休んでね。」
ティトの優しさに抱擁されながらレイは初めて優しく眠りに付いた。
「あれれ?なんで気づいたのカナ?」
その人物は背後を取られたことにいち早く気取り、少女は八重歯を光らせながら振り返る。
「街中だってのに人がいない事に気が付かない訳が無いだろう?これでも、町の酒場の主でもあるんだ。」
肩に重厚感のある大剣をかかえ、店長、エリザベスは目の前の人物に“危険”だという感情を
抱いた。
「わあ、さすが元王国騎士団団長、エリザベス・シャーロットだネ。」
少女はけらけらとまるで幼子の様に手を叩きながら笑う。
「その名は捨てたよ。私には重すぎる名だ。それより、町の住人たちをどこへやったんだい?」
過去の名前を持ち出され、僅かに眉が上がる。
それを少女は見逃さず、指をさして笑いだす。
その問いに、けらけらと笑っていた少女はピタッとそれを辞める。
その直後、暖かさをまるで知らないような瞳がじっと店長を見つめた。
「ちょっと空間をイジっただけサ。戻そうと思えばすぐだけど……」
――空間魔法が使えるのかい?この子、何者?
「こっちはアズちゃんが殺されてるからサ。そういうわけにもいかないんだよネ……味方の仇を取らずには帰るに帰れないんだよネ。」
――事後処理は任せとけと言ったものの、これはヤバいかもしれないね。
相まみえる少女は小柄で、見た目から判断すれば10歳くらいに見える。
無造作に右から切り上げられた前髪から除く瞳は年相応の無垢そのもの。
服装は黒い法衣の様なものに身を包んでいるが、
笑うと八重歯が可愛らしく姿を見せる。街中に居ても違和感など無いだろう。
何処にでもいる、普通の少女だ。
しかし、少女を包む違和感。
それが何なのか、その違和感が危険だ、と訴えているのに原因が全く見当が付かない。
「私たちをどうする気だい?」
僅かに姿勢を低くする。
――魔術師なら、詠唱中に生じる隙、それを叩くしかないね。
「元団長さん、」
少女はにこにこしながら声を掛けた。
「どうしたんだい?」
「後ろだヨ。」
その瞬間、背後から襲うのは二匹の魔獣だった。
よだれを周囲にまき散らしながら、魔力の豊富な人間を食らう、そんな自然な考えで
自分に目掛けて牙を突き立てようとしている。
「舐められたものだね。」
不意の一撃、二匹の魔獣の威圧も重なって、常人ならば避けられないのは確実。
しかし、腐っても元騎士団長。
動じることなく素早く足を組み替え、大剣を横に一薙。
「風の剣、突風。くらいな!!」
その太刀筋が視界を二つに分った。
二匹の魔獣の牙は届くことなくその体を半分にし、紫色の濁った血潮を振りまきながら
落ち、最後にか細く呻き声を上げて絶命した。
「すごいすご~い。さすが元団長さま!」
少女は惜しげも無く手を鳴らしてそう褒めた。
――今の一撃を見てもひるまないのかい。
「次はお嬢ちゃんの番だよ。」
血一つ付いては居ないが、剣を払うように下に振り下ろす。
「ん~、いいや。これで一応仇は取ろうとしたよネ。」
少女は顎に指を当て、何かを考えるようにしてそう言った。
「良いのかい?」
言葉ではそう言いつつも気を抜かない。
「だって汗かくのも嫌だしネ。それにあの少年の事教えてあげればそんなこと関係なくなるだろうしネ。」
そう言って少女は指笛を一度鳴らした。
その直後、黒々とした竜が少女の傍らに降り立った。
――竜だって?これはまた……
「最後に一つ、いいかい?」
「よいしょ」と竜の背によじ登る少女に声を掛ける。
すぐさま、瞳が店長を見つめるがけろっと表情が明るくなる。
「しょうがないネ。」
少女は手を広げ、やれやれといった表情。
「あんたたちは、何者なんだい?」
その問いに頬を尖らせ、高笑いを上げながら少女は言った。
「正式な名前はまだないんだけど、う~ん、そうだネ」
「テスカトリポカ、と名乗っておくネ。」
そう言った瞬間、黒竜が翼を大きくはためかす。
一際強い風が届くころには、はるか上空へ。
「テスカトリポカ、ねえ。」
考えに耽る店長の耳に甲高い悲鳴が耳に届く。
振り返ると、魔獣の死体に驚いた女性が。
「戻してくれたのかい。」
先の不安を後回しに今は魔獣の死体を片付けるため、声の方へと走り出した。




