後編
「お父様……」
狭い宇宙船の中、王女は窓から暗い海を見つめています。
そして、つい先程のことを思い出していました。
「姫、お前は逃げよ」
ディレイアスの王宮にある祈りの間。そこで、王は王女にそう告げたのです。
「お前は、この星を出るのだ」
「この星には宇宙船を造る技術もありません。どうやってそんなことができるというのです」
「宇宙船ならば、ある」
「え……」
「青い月と友好的な関係にあるうちにと思ってな、彼らから宇宙船造船の技術を教わっていたのだ」
「それは……。それなら、早く民たちに知らせなくては……っ」
「待ちなさい。船は、まだひとつしかないのだ」
「……なら……急いで造らせて……っ」
「無理だ」
「……」
「間に合わない」
長い沈黙がありました。そのあとで、王が再び口を開いたのです。
「お前は、この星を出なさい」
王女は首を振ります。
「……いやです。私は、星の王女です。王女が、民を置いて逃げることなどできません」
「姫よ、聞きなさい」
「いやです! もともと、こうなったのは、私が神官としての責から逃れるためにすべてを忘れていたことが原因なのです。憶えていたなら、星の声に耳を傾けていたなら、この事態を回避することができたかもしれないのに……っ」
「お前が憶えていたとしても、きっと未来は変わらなかっただろう。現状維持を願い、発展の思想をなくし、外に救いを求めるこの星の民は、いずれ滅びる運命にあったのだ」
「それだって、私がもっと早く、民に未来を伝えていたなら……」
「もしもの話は、もうやめなさい」
「お父様……っ」
「姫よ。私は、お前に逃げよと言ったが、お前には再興してもらいたいと思っているのだ」
「……再興?」
「ディレイアスを、再興してもらいたい」
「……」
「この星は、もう間もなく滅ぶ。それは、どうあっても回避できぬことだろう。星の声を聞けるお前になら、きっと素晴らしい星を見つけられるはずだ。そこに、新たなディレイアスを築いてもらいたいのだ」
そう言うと、王は扉に向かって叫びました。
「レオン」
レオンとは、王の近習のひとりの名です。
「お呼びでしょうか、陛下」
祈りの間へ入ることを躊躇っているのか、扉をわずかに開けただけでレオンが答えます。
「レオンよ。祈りの間へ入ることを許す。姫を連れてゆけ」
「……はっ」
命じられたレオンは、歩み寄ると王女に手を差し伸べました。けれども、王女はそれを払いのけ抵抗します。
「いや……っ、いやです! 民を置いて、私ひとりが逃げ出すことなどできません!」
「……」
「お父様! お父様は、いつも私に仰っていたではありませんか。民の暮らしを守ることこそが王の役目。その娘であるお前も、常に民のことを思って行動しなさい、と」
「その通りだ」
「それなら……っ」
「もう、間もなくこの星は滅する。もはや、それはどうすることもできない。私は、民の暮らしを守るという役目を果たせなかった。せめて、私は、最後まで民に寄り添っていようと思う。だが、姫、お前にはまだできることが残っている」
「……ディレイアスの、復興……?」
「逃げるのではない。お前が、私の……、ディレイアスの民の希望となるのだ」
手の中のディレイアスの核を見つめながら、父王との別れを思い出して王女は涙をこぼしました。
その時でした。
突如、なにかに引っ張られるような感覚があり、王女は操縦席に声をかけたのです。
「レオン?」
返事はありません。
王女は、おそるおそる立ち上がると操縦席へと向かいます。
「……レオンっ!」
王女は息を呑みました。
両の眼からは、滴がとどめどなく溢れ出ては王女の頬を濡らしていきます。
王女は、力なくその場に座り込むと、声を上げて泣き出しました。
王女が操縦席で見たものは、銃弾が貫通したような穴と、頭から血を流して動かなくなっているレオンの姿だったのです。
それは、ディレイアスを発ってからほどなくのことでした。
その後、操縦の利かなくなった船は、暗い海を彷徨いました。
どれほど時間が過ぎたのでしょうか。
いつしかディレイアスの浮かぶ銀河を離れ、知らない星々の海を巡っていました。
その星のひとつにぶつかり、船は大破……。
ディレイアスの核を抱いた王女は、暗く冷たい海に放り出されてしまいました。
『王女様』
気を失っていた王女の心に、聞き慣れた声が響いてきます。それは、ディレイアスの声でした。
『着きましたよ』
見れば、そこには一面が灰色の、生物など到底住めそうもないような星がありました。
「……ここは?」
『天の川銀河にある、誕生したばかりの惑星です』
「……こんなところに」
『ここには大気があります。濁りがあるけれども空気もある』
そう言うなり、核は、目を覆いたくなるほどまぶしい輝きに包まれました。その輝きから光の粒が別れ、灰色の星に降り注いだのです。
すると、見る間に灰色の星は緑一色に染め上げられました。
「……ディレイアス……」
そう。それは、懐かしの母星……ディレイアスそのものの姿だったのです。
しかし、そこに、父王はいません。親しかった者たちも、誰ひとりとしていません。
その現実に耐え切れず、王女はまた泣き出しました。
泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて……。
その涙が、緑一色だった星を青く染めたのです。
「どんなに似ていたって、ディレイアスとは違う」
王女は泣きながら言います。
「復興なんて無理よ」
王女の涙は枯れることを知りません。
「この星には誰もいない。誰も住んでないもの」
その時です。
『住んでいますよ』
核が答えました。そして、地上を指し示します。
『私の降らせた光が森を創り、王女様の涙が海を創りました。そこに、ほら。ごらんなさい。生命が息づいていますよ』
なにかが、ひょっこりと海から顔を出したようでした。
『王女様。この星に名をつけるなら、なんと名づけますか?』
少し考えて、王女は答えました。
「ディレイアスと同じ緑、そして私の涙からできた海。その中心には、しっかりとした大地がある。……地球、というのはどうかしら」
『地球。それは、素晴らしい名前ですね』
ディレイアスのこと、父王のこと、民のこと、あるいはこれからのことでしょうか。王女が再び涙を流すと、空には雲がかかり、地表に雨をもたらしました。
こうして、ディレイアスの王女は神となりました。
そして、はるかいにしえの時代からずっと、我らが母なる地球を育み、見守り続けているのです。
――ディレイアスの核とともに。




