魔女の帽子に棲む魔物
ヘルズホルンの三峰の頂きに囲まれる魔女の帽子は、外周に突き出る岩壁が魔獣の登頂をも困難にし、森林限界手前にある岩清水の流れる平原の台地は安息の地とすら思える程に静穏だ。
いつからか平原の東方にログハウスのような小屋が建てられ、釘の代わりに動物の爪や角や肋骨を用い、屋根には雨除けなのか瓦の如くに並ぶ頭蓋骨。
少し離れた所にも何かの畑と隣合わせに小屋があり、そちらの小屋は石組みの壁に木組みの屋根を乗せただけの簡素な造りで、家畜小屋になっているのか雨漏りも飲み水にしろとばかりの状態だ。
家畜小屋の中では兎や鳥類が飼われているようだが、外では囲いの柵に茨を配し、猪だろう獣を家畜にしようと前脚を縛って牙を折る男の姿。
背丈は180cm程で黒髪黒目に肌の色は薄い茶褐色、獣の皮を剥ぎ取り鞣したような服を身に纏い、痩せてはいるが猪を制する動きは無骨で強靭な身体と判らせる。
山での暮らしで培われた知識のみで生きて来た事を物語る風貌だが、歳はまだ十七になったばかり。
男の名はランディ・ジェット、退魔の力を持っていた。
ランディは如何なる魔法も打ち消してしまうが為に人里を離れ、この魔女の帽子で畑と家畜を育て、一人細々と暮らしている。
魔力を有する何かが峰の岩場からランディの様子を窺い眼下を望む、筋肉質な脚や胴体に邪気を放つ異様な姿も元を正せば山羊の類に思えるが、魔の力に目覚めた獣がこの峰に現れる事自体が珍しい。
妙な不快感に小屋へと急いだランディは、端にある農具を置く倉庫部屋の扉を開き、鎌とナタを改良しただけの武器を両手に身構え周囲に気を配す。
防御姿勢に屈みつつも全身の感覚を研ぎ澄まし、間違い探しでもするかに目を凝らしつつ、風上に鼻を利かせては巻く風の音に異物を探す。
「……!」
ランディの耳が捕らえた僅かな音は、峰の岩場で蹄が石と擦れただけのものだが、この地で異物の位置を知るにはそれで十分。
この森林限界手前の平原を囲む三方の岩峰、その峰と峰との間を巻いて通る風の流れに異物があれば位置も知れる。
右前方の峰上部に視線を移し、魔獣の姿を視界に捕らえたランディは、武器を捨て置きゆっくりと顔を上げて立ち上がると、身体の彼方此方を伸ばしては力みに骨を鳴らして関節のコリを解放する。
準備運動を終えると置き捨てた武器を手に取るランディ、笑みを浮かべたかと思えば目を見開いて息を吸い込み、魔獣の居る峰に向けて言葉にならない咆哮を上げた。
――GRAAAAAAAAAAB――
呼応するかにランディに睨みを向けた魔獣は眼を見開き、力みに顎を震わせ髭を揺らす、髭で発生した静電気が角を青白く光らせ電気を帯びる。
その光はランディからも視認出来、その獣が魔の力により電気的な何かを向けて来る事だけは理解した。
魔獣の元が山羊故か、数百メートルはあろう眼下のランディへと向きを整え、峰に立つ足下の岩を蹴って弾丸のように跳びかかる。
吠えるでもなく無言で襲い来る山羊の魔獣は、猪突猛進の猪よりもキレがあり、電気が帯びて青白く光る角からして電光石火とでも言うべきか。
迫りくる速度に衝撃波の影響を考えたランディは、受けて立つをやめ着底地を考え、家畜小屋と畑の無い草原地帯に視線を向ける。
草原へ受け流そうとするランディは武器を捨て置きかけたが、魔獣は跳びかかる弾丸の速度を利用し、頭を振り被って角に帯びた電気を放出、それは雷ではなくプラズマ弾と呼ぶに相応しいモノだった。
「なっ!」
ランディは少しの焦りに武器を持ち直すと、そのプラズマ弾を鎌で斬り裂いた。
すると、衝撃や感電はおろか電気の塊であるプラズマ自体も消滅し、ランディの身体も何の影響も無いようで、次のプラズマ弾を撃つより先に到達するだろう魔獣を迎え撃つかに武器を捨て置き身構える。
けれど魔獣の角は電気を帯びたまま、至近距離からプラズマ弾を放たれればただでは済まない事は百も承知で素手を前に出し、斜に構えて迎え撃つ。
――KABUUUN――
ランディが電気を帯びた魔獣の角を掴むと一瞬にして光は消え失せ電気も消滅、その事実を認識する間もなく受け流された勢いはそのままに、回転を付け非ぬ方へと飛ばされて行く山羊。
魔獣となり、ここへ至るまでに培われた魔の力を用いる術が使えない事に焦りを感じているが、既に筋肉質な体を形成していた魔の力は消え失せ、ただの山羊である自覚を持つまでに時間はかからない。
なにせ数百メートルの高さを弾丸のような速度で落下した野生の山羊が、どうなるかなど考えるまでもない。
「出来れば、乳は欲しかったんだけどな……」
獣に歩み寄ったランディが何処を見て言っているのかを物語る台詞だが、死した獣の姿は魔獣ではなく山羊そのものに戻っている。
けれど元の山羊の姿に戻ったが為、ランディに受け流されるも岩盤層に被さる薄い土壌の草原を転げ回った体は骨が折れて砕けた上に、頭を幾度となく打ち付けられて意識もなく、内臓を取り出すのも困難な程に見るも無残な姿であった。
「こうも砕けちゃ吊るせねえか……」
そう言うと山羊の脚をまとめ掴んで持ち上げ、小屋と家畜小屋の間にある血が黒く変色した石テーブルまで運び置き、小屋の倉庫部屋から三つの樽を取り出し内一つは石樽で、小さな樽には水を入れてテーブルへと向かう。
「まあ、何とか肉として食ってやるから、オマエも山羊としてあの世に逝ってくれ」
骨折り損のくたびれ儲けとはしないぞ! とでも言いた気に、直ぐ様ナタで山羊の首を切り落とすと腹を切り割り内臓を取り除くランディ。
皮を剥ぎ取り肉を洗い、砕けた骨を取り除いて凡その部位ごとに切り分け、小さな肉は串に通して紐で括り、陽が落ちる前にと急ぎ肉の保全処理を進めて行く。
よくよく見れば、農具も武器も獣の爪や角や骨やから出来ており、金属部分は野鳥が何処からか巣に使おうと拾って来た物らしく微々たる量で、小屋の中に見える金属製の剣とて凡そ魔獣となった鳥の拾い物なのだろう。
乾肉に適さない部位は中樽に入れ、直ぐに傷む部位から食す事にし、皮下脂肪を石樽に入れて凍らせる為か地下に置き、皮から絞り出した油脂をランプに注ぎ、後は小屋の中で薪に火を点け夜を明かすだけ。
樽の汚れた水を石テーブルの周囲に撒き捨てると脂に火を点け、流れる岩清水を汲み手を洗い、小屋に入ろうと扉を開けたランディは、石テーブルの炎の向こうに魔獣と対峙していた折から気付いてはいた遠巻きにこちらを覗き見ている二つの視線。
魔獣のような不快さも殺意も感じられない事から敢えて確認しようとは思わないが、襲って来たなら返り討ちにする覚悟を持って扉を閉めた。




