失恋
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新しい階層へトウジ隊長を先頭に一行は降りていく。
進みだしてから数分、3つの分かれ道に遭遇した。
「……くそ、いきなり3つの分かれ道か、間違った道にお嬢様を運ぶわけにはいかん、第2部隊はここで待機だ。
第1部隊は3つの部隊に分かれて全速力で先を確認、この階層のモンスターなど我々には何の脅威でもない。
向かった先にまた分岐があれば一人は一度ここまで戻って報告……ん?」
トウジ隊長が最短最速でアウフを温泉まで運ぶことを考え、指示を飛ばしていた時である。
ダンジョンの分岐の奥から、岩をもった白く大きな猿がゆっくりと現れた。
それも3つの分岐全てからである。
「……あの岩、投石してくるタイプのモンスターか? 護衛には嫌な敵だな」
アウフを背負ったヴィヒタもゆっくりと距離を取り、盾を持った第1部隊の後ろに移動して、敵の挙動を鋭く見つめる。
しかし様子がおかしい、モンスターがゆっくりと現れるのもあまり見かけない挙動だが、なによりこちらを見かけてすぐに襲い掛かってくる様子がない。
匂いが付く泡の温泉に入って以来、モンスターの襲ってくるタイミングがワンテンポ遅れるようなことは多々あったが。
はっきりと、こちらの姿を視認された状況で、すぐに襲いかかられないのは初めてである。
それどころか、猿たちは岩を地面に置き、2匹は胸元で×印を示すような形で手を交差させ、首を左右に振りながらそこで座り込んでしまった。
「なんだ? 何をしているんだ?」
トウジ隊長が困惑する。
これまで何十年とダンジョンの中で育ち、ダンジョンの中で生きてきた人生で、モンスターがこのような挙動をすることなどただの一度も見たことがなかったからである。
そしてあろうことか、3匹の猿のうち一匹は手招きをしてこちらに来いといったような動作までしているのである。
「まさか、これは……正解の道と間違った道を教えてくれているのですか?? モンスターが???」
ヴィヒタが困惑したような声で言う。
後ろから、か細い声がした。
「ついて……いって」
アウフがそう言って、手招きしている猿についていくように指示をする。
その表情は、今にも死にそうなほどに苦し気でありながらも、目には強烈な歓喜の笑みが浮かんでいた。
これまでは、新しい湯が病気を治してくれる湯じゃないとどうしようもないから、みんなヴィヒタの願いをダンジョンが聞いてくれたと無理やり信じ込んでいただけにすぎない。
新しい階層ができたことも、ただの偶然に過ぎない可能性のほうがはるかに高かった。
しかし今は間違いなく、温泉ダンジョンの意思が、自分を救おうと動いてくれているのだとアウフは確信することができた。
体調が万全なら、今すぐ風呂から飛び出して全裸でごろごろ身もだえながらダンジョンの床にキスしそうなほどに、アウフの心は喜びに満ち溢れていた。
その心情は、ああ、これで命が助かる、などではなく。温泉ダンジョンに特別視されているというその事実がもう死んでもいいと思えるほどに嬉しかった。
手招きしていた猿が、ゆっくりと奥へと進んで行く。
トウジ隊長たちも、困惑しつつもそれについていく。
本来ならばモンスターの手引きにつられて、初見のダンジョンの奥に進んで行くなどありえない行動である。
だがしかし今は、それ以外に何も頼れるものがない。
なにしろついていった先には、ずいぶんと広く、そして立体的な迷宮が広がっている。
温泉を見つけるには数日、下手すれば10日以上はかかりそうな雰囲気を感じた。
部隊を分けて探索して~などといった正攻法の探索をやっていたら、到底間に合いそうにもない。
数多くの分岐点が広がる迷宮を、猿はよどみなく騎士たちを案内するように先へ先へと進んでいく。
道中、周囲にモンスターも数多く見かけたが、どれも遠巻きにこちらの様子を見ているだけで襲い掛かってくる気配もない。
そんな猿にひたすらついて行くこと、7時間。
一行は新階層の温泉へとたどり着いた。
「な……なんですかここは?」
そこにあったものは壁一面に文字の装飾が施された不気味な部屋。床、壁、天井、ありとあらゆるところに、文字が彫り込まれていた。
これが、まったく読めない謎の古代文字とかで書かれているのならば、そういう遺跡みたいな目線で見ることもできるのだが。
それらの文字は、なじみ深いセパンス王国で使われている言語で書きこまれているため、なんとも違和感がすさまじい。
「おい、早くアウフ様を湯に入れろ!」
ヴィヒタが壁一面の文字の部屋に目を奪われていたら、トウジ隊長が怒鳴った。
アウフはもう生きているのがやっとといった様子であった。
体力全快の湯に漬かった状態でこれなのだから、このお湯から出した瞬間に死んでしまいそうだとヴィヒタは感じた。
そう考えたヴィヒタは、アウフの入った樽を背負ったまま温泉の中に入り込み、樽を傾けて体力回復の湯から新しい浴槽へと、アウフを抜き取るように取り出す。
鎧を着こんだまま、新しい浴槽に入ったアウフにヴィヒタは声をかける。
「お願いです、お嬢様! 良くなってください! お願いです!」
「グギャアアアアアアアアアア!!」
突然、ここまで道案内をしてきた猿が吠え、トウジ隊長に襲いかかってきた。
トウジ隊長は、案内してきた猿が突如襲いかかってくることなど、初めから想定していたと言わんばかりに、攻撃をこともなげに躱して一刀のもとに切り伏せる。
「「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」」
それと同時に、これまで歩いてきた通路の方から、大量のモンスターの咆哮が響いてくる。
「ト……トウジ隊長! 先ほどまで静観していたモンスターが、一斉にこちらに向かってきます!」
「……フン、いつものモンスターに戻ったか? いいだろう相手してやる、迎え撃つぞ!」
「はいっ!」
群れとなってかかってくるモンスターを迎撃するべく、トウジ隊長と第1部隊は温泉の部屋から飛び出していく。
第2部隊は温泉の部屋にモンスターが入り込まないかを警戒するように、武器を構えて通路に集中する。
外からはものすごい数のモンスターと、第1部隊が戦っている音がした。
7時間もの間歩いてきていた時に、こちらを黙って見ていたモンスターがまとめて突っ込んできている今の状況は戦闘などという生ぬるい状況ではない、まるで戦争のような規模の争いである。
温泉の部屋で警戒している第2部隊の面々は、全員少し腰が引けていた。
加勢に行ったら逆に邪魔になるかな……? ここを守護している方が正解よね? 加勢に行かなくても怒られないわよね? というか第1部隊がいなければ今の状況は全員死んでいたのでは?
などなど腰が引けている理由は様々である。
「ヴィヒ……タ、!? な、なに? この音」
「お嬢様!? お嬢様!!! 良くなられたのですか!?」
「うう……猿が道案内してくれてたところは、うっすら記憶にあるんだけど、前後の記憶があいまいなのよ……今なにがどうなって……!?」
アウフの目が大きく見開く、壁や天井にびっしりと書き込まれている文字を少し読んでしまったからである。
そこには大量の病名が書かれていた、しかも、まったく知らない医療の概念を添えられてである。
外からは、巨大な猛獣が何百と襲い掛かってきている地響きのような足音、それを迎え撃つ第1部隊との争いの音が絶え間なく響いていた。
ヴィヒタもアウフお嬢様の病状回復という感動に浸る間もなく、外の戦いがアウフに飛び火しないよう、温泉の中で剣を構え全力で警戒していた。
「細菌……? ウイルス? 細胞? 免疫? 遺伝子? え? なに……それ?」
第2部隊がすっかり震え上がっている、そんな合戦の音などまるで意に介さぬような集中力で、アウフは壁に刻みこまれた未来の医療概念に目を奪われる。
第2部隊の緊張した面持ちとは反対に、アウフの顔はどんどんと締まりのないデレデレした顔になっていく。
「噓でしょ? 私を……私を治療するためにここまでしてくれたの? 温泉ダンジョンの意思さん」
温泉から出て、裸でダンジョンの床や壁を舐めるように読み込みながらアウフは思う。
病気が治る湯が用意されていたこと、治すべき病気に関する説明を大量に用意してくれていること。
そしてなにより確定的なことは、モンスターを操ってここまで導いてくれたこと。
間違いない、間違いなく温泉ダンジョンの意思は、これまでの私の活動を高く評価してくれている!
私という存在を、特別な存在だと思ってくれている。
そう確信に至ったアウフは、心の底から感動し、温泉ダンジョンに対するひとつの感情があふれ出し、その思いが声に漏れ出た。
「好きです、温泉ダンジョンの意思さん、愛しています!」
両手を広げ、天を仰ぐようにしてアウフはどこか遠くの意思に向かって愛の告白する。
こんな状況で何を言っているのですかお嬢様は、といった様子でヴィヒタがアウフの方を見ると、部屋の奥に一人の少女が立っていた。
アウフと同じくらいの小ぶりな背丈と、細身の身体。
普通の人間ではありえない、体格よりも多い量の髪をたずさえた、小さな羽と小さな尻尾を生やした少女。
「お……温泉ダンジョンの、悪魔!?」
ヴィヒタがそう叫ぶと、ほかの第2部隊の面々も温泉ダンジョンの悪魔の存在に目を向ける。
一度、その存在をその目で確認したことのあるニコも、あいつだ……。と口にする。
ヴィヒタは素早くアウフの元に駆け寄り、温泉ダンジョンの悪魔との間に割り込んでいく。
この少女は、もしかするとお嬢様の命を救ってくれた恩人なのかもしれない。
しかし、慌ててお嬢様の間に割り込んだ理由は、温泉ダンジョンの悪魔が温泉ダンジョンの意思とは限らないということ。
なにより温泉ダンジョンの悪魔の表情が、怒りに満ちているような表情だったからだ。
「お、温泉ダンジョンの意思……なのですか? お嬢様の命を助けてくれたのは、あなた……なのですか?」
そんなヴィヒタの言葉など聞こえてもいないかのように、温泉ダンジョンの悪魔はアウフへと近づいていく。
「お待ちください、それ以上お嬢様に近寄らないで……」
そうヴィヒタが言った時には、すでに温泉ダンジョンの悪魔はアウフの目の前にいた。
まるで瞬間移動でもしたかのような速度で、ヴィヒタの目にはその移動を全く捉える事ができなかった。
「 隱ソ蟄舌↓荵励k縺ェ繝槭せ繧ソ繝シ縺ッ繝ッ繧ソ繧キ縺ョ繝「繝弱□ 」
温泉ダンジョンの悪魔はおでこが引っ付きそうな距離でアウフを睨みつけながら、全く聞き取れない言葉を放つ。
ヴィヒタが慌てて引き離そうと掴みかかるも、その手は温泉ダンジョンの悪魔の身体をすり抜けた。
少女の身体はまるで蜃気楼のように、実体がなかった。
温泉ダンジョンの悪魔は、そんなヴィヒタを軽く一瞥すると。
ダンジョンの壁の方に向かって歩いて行き、そのまま壁に吸い込まれるように消えていった。
「アウフ様! ヴィヒタ副隊長! 大丈夫ですか?」
「え、ええ……ニコ。特に何かされたわけでもないようです。あの少女がお嬢様に何を言っていたのかもわかりませんでしたし、いったい何をしに来たのでしょう?
? え? お……お嬢さま?」
アウフは無表情のまま、目から涙を流して泣いていた。
あの悪魔の怒りの表情、声に込められていた感情。
そこからあの悪魔が何を言っていたのか、あの悪魔が何者なのかおおよそ理解できてしまったからである。
温泉ダンジョンの資料館に掲げられた少女の絵を見ていた時から、ずっとおぼろげに思っていた仮説が確信に変わる。
あの悪魔は、やはり飯困らずダンジョンの方の意思なのだ。
そして、温泉ダンジョンの意思に特別視されて、その意思に対して好きですと言い放った私に、彼女は強い反抗心を示したのだ。
あれは、嫉妬の感情だった。
飯困らずダンジョンの意思、あなたは……あなたも温泉ダンジョンの意思のことが好きなのね。
そして、その思いを成就させることができる立場に、自分はいない。
アウフは、そう同時に理解したのだ。







