89 蒲桃ー2
学院や社交界で噂が流れる中、特に大々的なお披露目もなくバスキ伯爵家の当主は交代した。
噂が広がっていることから、当主が交代したというのに社交行事への招待はあまりないようだが、それは女性による社交が行えていないことも関係している。
本来なら新しく伯爵夫人になったアナシア様が率先してお茶会などに参加し、当主交代後も変わらず家は安泰だと評判を広める必要があるのだが、それが出来ないのは痛手だろう。
バスキ伯爵家としては、ロクサーナ様が家に戻り新年祭で社交界デビューをした後に女主人の代理として社交をしてもらう予定のようだが、学院内では既にロクサーナ様は要注意人物とされているので難しいかもしれない。
男子生徒に対してどのぐらい取り入ることが出来るかはわからないが、女子生徒は古典恋愛小説の主人公のようなロクサーナ様とは距離を置きたいと思っている人が多い。
下手に仲良くなって巻き込まれるのも嫌だし、自分の恋人や婚約者に絡まれて関係を壊されるのも嫌なのだ。
特に貴族の子女にとって学院生活は本格的に貴族として社交界を生き抜いていく前の最後の息抜きの時間。
望まない結婚を控えている人も多くいるため、自分の学院生活を邪魔されたくないのだ。
「もうすぐ新年祭だけど、ベアトリーチェ嬢をエスコートするのはやっぱりグレビールの予定なのか?」
ティオル殿下に昼食の席に誘われたため、王族専用のスペースで食事をしている時に、2週間後に迫った新年祭の話題を振られた。
「はい。とはいえ家族全員で参加しますのでファーストダンスを踊るのがグレビールになるだけですわ」
「相変わらずシャルトレッド公爵家は仲がいいな。リゼン総帥も今回は警備側ではなく参加者として出席だったな」
「ええ」
そう、叔父が新年祭に参加者として出るため、もちろん我がシャルトレッド公爵家の一員として一緒に会場に入る事になっている。
両親としては今回こそ叔父の伴侶を見つけたいと意気込んでいるのだが、叔父にはやはりその気はないようで、最後までわたくしのファーストダンスの相手になりたいと義兄や弟と言い合っていた。
最終的には不公平にならないよう、お母様がくじを作成して運任せで決着をつけていた。
うん、本当に叔父がファーストダンスの相手にならなくてよかった。
最悪そのまま傍から離さずに周囲に圧力をかけた可能性がある。
その点弟であればファーストダンスを踊ってさえしまえば、あとはわたくしの自由に行動をさせてくれる。
一応家族で行動をする予定ではあるが、両親は当主としてのあいさつ回りがあるので別行動になるだろう。
わたくしも友人の時間が空いていたら一緒に行動したいと思っているし、暫定ヒロインがどのように動くのかを観察したい。
暫定ヒロインのロクサーナ嬢は現在神殿預かりになっているが、近いうちにバスキ伯爵家に戻り、新年祭で社交界デビューをすることに決定した。
神殿預かりになったことで精霊喰いの結界に関しては解除され、わたくしも直接監視できるように戻ったが、神殿では以前監視していた時のように従順に再教育を受けているようだ。
そうした姿は立派な令嬢なのだが、神殿側としては養父と義兄と肉体関係を持った挙句に子供まで産んだ非常識な存在であり、精霊喰いの結界を発動しても何の疑念も抱かない要注意人物となっているため、常に女神官が傍で監視をしている状況だ。
だが、わがままな振舞をするわけでもなく、横暴なことを言うわけでもない、淑女教育も伯爵家の令嬢としては問題ない程度には出来ており、教養の面でもさして支障はない。
頭のネジがどこかおかしいことを除けば、いたって普通の伯爵令嬢だ。
『誘惑のサイケデリック』のヒロインは確かに天真爛漫で、相手がだれであっても自分の意思を曲げない強い少女だったし、気づかいの出来る優しい性格として描かれていた。
悪役令嬢になるかもしれないわたくしとしては、気づかいの出来る優しい性格なら空気を読んで攻略対象に近づくなよ、と思わなくもない。
そんなことを言ったら乙女ゲームが始まらないので仕方がないのだろうが、影響を受けたり巻き込まれる可能性があるこちらとしてはたまったものじゃない。
わたくしが悪役令嬢にならなくても絡まれて『お友達』なんて言われるかもしれないのだ。
実際にアプリ版では悪役令嬢にならなかったキャラとの友情を育むイベントがいくつも存在した。
世界の強制力で、暫定ヒロインがバスキ伯爵家で精神的に苦労させられたのにそれを表に出さず、健気に振舞う天使のような令嬢。などと攻略対象者やその周辺に誤変換されないかが心配だが、少なくとも攻略対象者の一部と高位の貴族の間ではバスキ伯爵家で起きた真相が伝わっているので、簡単に誑かされないと信じたい。
「新年祭では社交界デビューをする子息令嬢もいる。わきまえない者はどこにでもいるからな、ベアトリーチェ嬢も注意しておくように」
「気にしてくださりありがとうございます。わたくしよりもこういった社交行事では殿下方の方が大変ですのに」
「ああ、僕達とファーストダンスを踊りたいと夢見る令嬢はいるな。婚約者候補でもない分際でそんな戯言を言われても迷惑でしかない」
「兄様、婚約者候補のご令嬢達は立場をわきまえてボク達とファーストダンスを踊りたいなんて言いませんよ」
「当たり前だ。その程度の常識がない令嬢が婚約者候補になれるはずがない」
わたくしが社交行事でティオル殿下達のファーストダンスの相手を出来たのは、王太子の最有力婚約者候補だからだ。
ティオル殿下が最も優勢と言われてはいるものの、候補者の王族男子を平等に扱っていることを強調するために、まだ王太子は決定していないのだと知らしめるために受け入れられている。
通常は婚約者が居れば婚約者と、もしくはエスコートした家族とファーストダンスを踊る。
期間限定の恋人ごっこの相手とファーストダンスを踊ろうとする愚か者はいるが、常識があれば普通はしない。
ティオル殿下が懸念しているのは、そういった常識が通じない、思考回路がお花畑になっているか、頭のネジがどこかにいった者なのだろう。
『誘惑のサイケデリック』でヒロインは攻略対象の誰かを選んでダンスを踊るが、流石にファーストダンスではないだろう。
……いや、新しいバスキ伯爵は暫定ヒロインに夢中だというし、新年祭は間違いなく参加できない妻の代わりに暫定ヒロインをパートナーとするはずだ。
そうなればファーストダンスはその2人で踊る事になるだろう。
しかしながら暫定ヒロインが誰かに目をつけ、義兄に強請ってその人物とファーストダンスを踊ったとしたら、バスキ伯爵家は養女にろくなマナー教育をしていないと吹聴するようなものだ。
流れている噂も相まって、そのような事になればバスキ伯爵家が所属する家門の上の者が動くことになるだろう。
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