【四】
塾の門は柱が黒く太く、なんとも威厳のあるものだった。
中をゆっくりとくぐり抜けると、庭が広がっており、同じ歳くらいの子供たちがキャッキャッと駆け回っている。
それを縁側で微笑みながら眺めているのが、おそらく先生なのだろう。
滋宇は眉を寄せて掌で口元を抑えた。
「…………うーん。居ないなぁ」
「誰か探しているの?」
小首を傾げると、滋宇は真顔で「良い男よ」と言った。
どうやらこの幼なじみは、伴侶を探しに塾へ通うつもりらしい。
「まったく……滋宇ったら」
紅子が呆れて溜息を吐くと、滋宇はびっと人差し指を紅子の鼻先に向かって突き出した。
「こっちからすれば、お紅ちゃんのほうが変わってるわ。この歳とこの美貌で男目当てじゃない塾通いだなんて。見てみなさい」
ぐるっと首を回され、日陰でぺちゃくちゃと喋る女子たちがいる方を向けさせられる。
「あの子たちのところへ行ってみましょ」
紅子の反論は受け付けず、グイグイと手を引いて輪の中へと入れられる。
「あら、あなたたちも塾に通うのね。私は呉服屋の娘の、酒井明菜よ」
と、輪に加えてくれた少女は人の良さそうな笑みを浮かべた。
「私はすぐそこの宿屋で働く滋宇」
「同じ宿屋の紅子です。お紅ちゃんて呼んでくれると嬉しいです」
二人が挨拶すると、皆がきゃあと歓声を上げた。
「えっ!えっ!?だってあの宿屋って、例の格好良い踊り子さんたちがいるんでしょう?しかも、年中花が咲き誇ってるっていう、有名な庭のあるところ!!」
ああ、と滋宇はニヤリと笑う。
「その踊り子、何を隠そうこの私よ。私と、先輩の梅さんと桃さん」
「そうそうそう!梅様と桃様と雨季様!私一回見に行ってファンになって……っ!!」
「いいなぁ!私も見たいわ!」
と女子たちは滋宇に群がる。
「あ、ええと……紅子ちゃん、も芸を……?」
後ろの方に居た、艶のある黒髪をおさげにした女子がそっと声をかけてきた。
「私は給仕なの」
「勿体ないなぁ。絶対人気出ると思うんだけど」
おさげの女子は頬に手を当てながら言った。
「あ、うちは陽茉。よろしく」
「ええ、こちらこそ」
と紅子は笑った。
「……にしても、赤い髪ほんまに似合うなぁ」
と、毛先がはみ出た紅子の髪をちょいと耳にかけてやる。
「ちょっと珍しい色よね」
と、いつの間に近くに来ていたのか、明菜も首肯した。
「茶髪がここまで紅いのは、私は初めて見たわ」
かく言う明菜の髪色も茶色だ。ただ、彼女の髪は金に近い色の茶色だった。
「お紅ちゃん、でいいんよね。ね、お紅ちゃんと陽茉ちゃんは誰が良いと思う?」
ちら、と視線を庭へと向けた。
「私は落ち着いている人がいいな。眼鏡かけて読書する人。先生でも構わないわ」
「陽茉ちゃんは歳を気にしないのね。私はやんちゃでもいいわ。言うことを聞いてくれるなら、ね。あとなんだかんだで手を引いてくれるような人がいいわ」
と、二人はペラペラと理想を語る。
「お紅ちゃんは?」
と言う二人に、紅子は「私は……」と目を泳がせる。
「……可愛い人?」
苦しいかな、と二人を上目遣いに見ると、
「あー!弟みたいな人ね。その人から強引に迫られるとキュンてするかも」
「うちは年上のがいいなぁ」
と二人で盛り上がってくれた。
「私、ちょっと…………」
と腰を上げると、
「ああ、行ってらっしゃい」
と手を振られた。
本当は別に厠に行きたいわけではなかったのだけど。
紅子は建物の中に入ってから溜息を吐いた。
中は思ったより薄暗く、空気もひんやりとしていた。
下を向いていたため視野の狭かった彼女は、ゴン、と何かにぶつかった。
「きゃっ……」
「うわっ」
ぶつかったものから声が発せられた。
だが蓋の着いたただのゴミ箱にしか見えない。
その箱が急にカコンと音を出して開いた。
「ひゃ!」
と紅子は驚いて尻もちをついてしまった。
「うぅ……痛た……あっごめんごめん、驚いたよね」
ゴミ箱から人がにゅっと出てきた。
「……あ!あなた」
「あ、ハンカチくれた人」
と少年は屈託なく笑った。
その笑顔に、紅子の胸がきゅうと締まる。
なにかしら、と首を傾げる紅子に、少年は手を差し伸べた。
「俺、生田昭平。昭平って呼んで」
「……私は、そこの宿屋の紅子」
差し出された手に自身の手を重ねて立ち上がる。
「紅子ちゃんでいい?」
と彼は手を繋いだまま廊下を歩いていく。
「いいですけど……どこへ行くのですか?」
「いいからー」
と昭平は笑ってはぐらかした。
「ほら、ここ」
連れてこられたのは、もう一つの庭のようだった。
大きな樹が、風に吹かれて揺れる葉もなくそびえている。
「……桜」
「幹だけで分かるのか」
すごいな、と昭平は目を丸くした。
その桜の木は、幹に大きな傷跡をつけていた。
「雷でやられちゃったんだけど」
昭平は庭に降りて幹に触れる。
「俺はこの木、結構気に入ってたんだけどなぁ」
慈しむように、彼はそっと幹を撫でた。
「紅子ちゃんもおいでよ」
紅子は躊躇った。
「大丈夫だよ。まだ毛虫の出る時期じゃないから」
そう言って、昭平は紅子を強引に庭へと引き入れた。
「いや、私は……」
紅子は眉を寄せて踏みとどまった。
「ここ。この部分すべすべしてるんだよ」
昭平は紅子の手を幹に触れさせた。
「!駄目っ」
紅子はドン、と昭平を押した。
昭平はぽかんと口を開けた。
それは、紅子に押されたから、というわけではなかった。
「夢でも、見てるんかな」
仰向けになった昭平の目には、淡い桃色の桜が見事に咲き誇っている光景が映った。
「…………誰にも、言わないでください」
ふと声のするほうを見やると、紅子が目に涙を浮かべていた。
昭平は慌てて起き上がって、
「な、なんで泣くんだ」
と自分のハンカチを貸してやる。
「凄いじゃんか。すごく綺麗だよ。自慢すればいいのに」
笑みを張り付けながら彼は励ました。
紅子は首を何度も振り、
「お願い……お願い……」
と繰り返した。
「わ、わかったよ」
と狼狽えながらも彼は承諾した。
涙をポロポロと流し続ける彼女に、昭平はおろおろとするばかりだ。
小さく震える肩を見て、彼はぎこちない手つきでそっと抱き寄せた。
ちょうど、彼女の頭が肩に持たれる身長差だった。
「あの、生田さ…………」
慌てて引き剥がそうとする紅子に、「誰も見てないよ」と昭平は言った。
甘い香りが昭平の鼻をくすぐる。
「いえ、あの……私が、恥ずかしいので」
そう言われて手を離すと、紅子の涙は止まり、顔がぽっぽと照っていた。
恥ずかしそうに、視線を斜め下へと送る彼女のまつ毛が光に照らされてキラキラと光った。
咲いていた桜は、いつの間にか全て散り、また元の痛々しい姿に戻っていた。
宿屋の子たちはみんな名前とは別に芸名があります。名前から一文字とって芸名にする子が多いですが、慈宇のようにもともと二音だったり呼びずらかったりすると、「雨季」といった具合に名前をすこしだけ変えて芸名にする子もいます。




