【三】
入塾式当日、いつもの、少し裾の擦り切れた着物を着ている紅子を見咎めた梅夜と桃李は、
「折角なんだから他の服着なさいよ!」
と口を揃えて言った。
経験上、ここで反論しても言いくるめられるのは分かりきっている。
返事をする間もなく梅夜と桃李の部屋に連れ込まれ、紅子は二人の着物を合わせる着せ替え人形と化した。
「──よし、できた」
梅夜が自分の箪笥から引っ張り出して着せた、梅が描かれた淡い桃色の着物は、可愛らしい顔立ちの紅子によく似合っていた。
梅夜は満足気に、紅子に巻いた紅色の帯を丁寧に結んでいく。
やっと終わった、と部屋を出ていこうとする紅子に、
「あら、まだ駄目よ。お化粧もちゃんとなさい」
と、五つ年上の桃李はにこりと微笑んだ。
「さっお紅ちゃん!いつもの倍可愛くしてあげるわ」
頬を引き攣らせる紅子に、桃李は紅筆を片手にニヤリと目を弓なりに細めた。
***
いつもよりも目元をくっきりとさせた紅子を前にして、滋宇は「おつかれ」と肩に手を置いた。
「あぁもう……別におめかしなんてしなくて良かったのに」
テカテカする唇を気にしながら紅子は頬を染めた。
「何言ってるの。そろそろ相手見つけなきゃでしょう」
「それは…………」
滋宇の指摘に紅子は言葉を詰まらせた。
結婚なんて、できないと思うけれど。
その言葉を喉に押し込める。
「さ、行きましょ」
そう言った滋宇の爪がいつもより整っている。
「そうね」
そう呟きながら、紅子は滋宇の爪からそっと目を逸らした。
この街では、塾というのは珍しくはないが通う者は多くはない。理由はたいてい御家のお手伝いが理由だ。農家の子たちは金不足というところも多い。
国の定めた学校は、紅子たちの暮らすところからだいぶ遠い。学校よりも塾のほうが身近な存在となっている。
「塾に、格好いい方いればいいけれど」
滋宇はそう言って紅子を振り向いた。
「お紅ちゃんは、どういう方がいいの?」
まいったな、と紅子は口元に笑みを浮かべながら思う。
そんな人を一度も考えたことがないと言えば嘘になる。だが、義父の監視下にあるこの状況では意中の相手と結ばれるのは難しい。
そんな紅子の考えをお見通しのように滋宇は眉をきつく寄せた。
「お紅ちゃん。本当に好きな人と両想いになれたら、相手の方からお声がかかるわよ。御館様だってきっと……喜ぶんじゃない?塾に通うだけのお金持ちなら、御館様のだぁい好きなお金ががっぽり手に入るんだもの」
大袈裟に手を大きく広げてみせる滋宇の仕草に、紅子は手を口元によせてクスクスと笑った。
「そうかも。ありがとう、滋宇」
笑顔になった紅子に、滋宇は優しい表情を返した。
その時、ドシャッと大きな音がした。
「……なにかしら」
二人が辺りを見回すと、大きな家の塀の近くに渋い緑の着物を着た男子が座り込んでいた。
辺りは砂埃がまっている。
何が起きた、と二人は目を合わせた。
「大丈夫ですか」
紅子が駆け寄ると、それに滋宇もつづいた。
「いてて……平気です。すみません、驚かせて」
「良ろしければ、これ」
そう言って木綿のハンカチをそっと差し出す。
「いや、汚れますし」
「安物ですので、お気になさらず」
紅子は「失礼します」と男子の前髪をさらりと流して泥を拭った。
「あ、やっぱり血が……ちょっと待ってください」
紅子は持っていた鞄から小さな箱を取りだした。
「それは?」
「救急箱です。滋宇……私の友人がよく怪我をするもので」
消毒液をハンカチに染み込ませて額を撫でる。
きゅっと目を瞑る彼の様子に、紅子はクスリと笑った。
「何があったんです」
紅子が心配そうに尋ねると、少年は恥ずかしそうに上を指した。
「猫が木から降りれなくなっていたので」
「まぁ」
と紅子が上を見ると、もう既に猫はいない。
「助けようとした時に、ヤツ、俺のこと踏み台にして降りていったんですよ」
少ししょげてみせる少年の話し方に、紅子は好感を覚えた。
面白いな、この人。
「それは、災難でしたね」
そう言いながらも、思わず笑いが込み上げてきてしまう。
「お紅ちゃん、遅れちゃう」
滋宇に指摘され、紅子は慌てて立ち上がった。
「ごめんなさい。私行かないと」
ジャリッと砂を踏み、滋宇のほうへと体を向ける。
「あの、これ──」
少年は紅子のハンカチを手にして声を上げた。
「差し上げます。要らなかったら、捨ててください」
紅子は肩越しに振り返って応える。
二人並んで塾へ向かう途中、紅子は滋宇との会話にあまり集中できなかった。
「名前、聞いておけばよかったわ」
ポツリと呟いた紅子に、滋宇は一瞬目を丸くしてニヤニヤとした。
「気になるの?」
「そんなんじゃないわよ。ただ……優しい方だなって。あと、話し方がいいなってだけよ」
ふーん、と滋宇は手を口元に当てた。
「案外、それが初恋になるかもね」
まさか、と紅子は笑って返しながら、紅子は首元を少し弛めた。
母親を失ってからの紅子はしばらくふせぎこんでいました。その紅子を元気づけるために、慈宇はいい香りのする花を摘もうとしたのですが崖から落ちてしまいます。そのときに自分を案じてくれる存在がいることに気づかされ、少しずつ日常生活を送れるまでに回復していきました。




