第1話《かつての友達の後悔と怨念》
『幼馴染み』――
それは、幼少期を共に過ごし、互いの存在が日常の一部として溶け込んだ関係。
笑い、泣き、喧嘩をしても、気づけば隣にいる。
長所も短所も知り尽くし、言葉を交わさずとも通じ合う絆。
人はその言葉に、
純粋で、壊れることのない理想の関係を重ねる。
だが、現実はいつも理想通りには進まない――。
とある町に、一組の幼馴染みがいた。
活発で勝気な少女と、内気で優しすぎる少年。
幼い頃から常に一緒だった二人は、
「大人になったら結婚しよう」と、無邪気に笑い合って約束を交わしていた。
しかし高校生になった頃から、二人の関係はゆっくりと狂い始める。
少女は新しい環境の中で人気者となり、
少年は内向的な性格ゆえに次第に孤立していった。
少女はいつしか、少年に対して“退屈”という感情を抱くようになる。
そして皮肉にも、二人の間に決定的な溝を生んだのは――
少女が、少年をいじめていた主犯格の男子と付き合ってしまったことだった。
裏切り。
孤独。
そして絶望。
すべてを失った少年は、学校から姿を消す。
やがて彼が足を踏み入れたのは、プロレスの世界だった。
そこで彼は、憎しみを力へと変え、
“ヒールレスラー”としてリングに君臨する。
他者の血で己の手を染め、リング外でもトラブルを繰り返す日々。
誰にも愛されず、誰にも理解されない。
ただ、憎まれることでしか生きられない男へ――
少年は、冷酷無慈悲な“悪魔”へと変貌していた。
一方、数日後。
少年との思い出の品をきっかけに、少女は自らの過ちに気づく。
失って初めて、彼の存在の大きさを知ったのだ。
彼を探し続ける少女。
だが、時はすでに遅かった。
冷酷な悪魔と化した少年を前に、
少女は絶望と罪悪感に打ちひしがれる。
「全部……私のせいだ……」
そんな彼女に、ある者が告げる。
――「ああいう奴を止めるには、
リングの上で完膚なきまでに叩き潰し、
戦意そのものをへし折るしかない」
その言葉を聞いた瞬間、少女は立ち上がる。
「私が……彼を止める」
そう誓い、彼女もまたプロレスの世界へと身を投じる。
かつて誓い合った“永遠の絆”は、
今や“宿命の対決”として再び交差する。
これは、
過去の過ちを悔いながら拳を振るう少女と、
過去の傷により心を闇に染めた少年――
二人の幼馴染みが、プロレスのリングで愛と憎しみをぶつけ合う物語。
憎愛のゴングが、今――鳴り響く。
─────────────────────────────
某プロレス会場。
照明が落ち、歓声が渦を巻く。
スポットライトの中心、リング上で二人の女子レスラーが向かい合っていた。
赤いコスチュームに身を包んだ若きファイター――
相良ユキ。
その瞳に迷いはない。
映っているのは、ただ一つ。
目の前の敵を倒すこと。
対するはベテラン、シルフィー田中。
経験と技巧で数多の新人を退けてきた強敵だ。
ゴングが鳴る。
序盤、田中は巧みに距離を取り、関節を狙う。
手首を極め、肘を締め上げ、足を刈る。
だがユキは引かない。
踏み込み、組み合い、真正面から受け止める。
ロックアップ。
力比べ。
観客がどよめく。
年齢もキャリアも上の相手を、ユキはじわりと押し返していく。
実況者
「さぁロックアップから力比べ! おおっと、相良ユキが押し込んでいく! このフィジカル、伊達ではありません!」
田中が体を切り、ロープへ逃れる。
その瞬間――
バチンッ!
乾いた音が会場を裂いた。
ユキの鋭いチョップが、田中の胸板を打ち抜く。
実況者
「強烈なチョップ! 相良ユキ、迷いがない!」
田中の顔が歪む。
だがすぐに反撃。
ミドルキック。
さらにローキック。
ユキの足が揺れる。
会場が息を呑む。
――それでも。
ユキは、笑った。
ユキ
「……効かねぇよ」
踏み込む。
助走からのタックル。
田中をマットへ叩きつける。
実況者
「出ました! 相良ユキの豪快なタックル! 会場が沸いています!」
立ち上がろうとする田中に、容赦なく蹴りを叩き込む。
そして――
渾身のソバット。
実況者
「決まったァッ! ソバット直撃!!」
田中の体がくの字に折れ、膝をつく。
ユキ
「来いよオラァッ!!」
両腕を広げ、挑発する。
観客が総立ちになる。
田中は歯を食いしばり、再び立ち上がる。
意地のラリアット。
――直撃。
ユキがマットに沈む。
実況者
「おっとここでシルフィー田中のラリアット! 相良ユキ、倒れました!」
カウントが入る。
ワン……
ツー……
ユキの指が、マットを掴む。
ユキ
「……まだだ」
跳ね起きる。
観客
「ユキ! ユキ! ユキ!」
その声が、背中を押す。
田中が突っ込む。
だが――
ユキは一歩横にずれ、背後へ回り込む。
ジャーマンスープレックス。
マットが震える。
実況者
「ジャーマン! 美しい! 完璧なブリッジ!」
しかしユキはフォールに行かない。
立ち上がり、深く息を吸う。
田中がふらつきながら立ち上がる。
次の瞬間――
ユキは全力で走り込んだ。
フィニッシャー。
強烈な一撃が、田中を完全に沈める。
実況者
「決まったァァァ!! これはもう逃げ場がありません!」
ユキが覆い被さる。
レフェリー
「ワン!」
観客
「ワン!」
「ツー!」
「スリーッ!!」
ゴングが鳴り響いた。
実況者
「スリーカウント!! 勝者、相良ユキ!!」
ユキは仰向けになり、大きく息を吐く。
荒い呼吸。
汗に濡れた前髪。
そして――
ファンに向けた、くしゃくしゃの笑顔。
歓声が降り注ぐ。
立ち上がり、両腕を突き上げる。
実況者
「突如プロレス界に彗星の如く現れ、デビューからわずか二年! 今、最も注目されるレスラー――相良ユキが、また一つ結果を残しました!」
リング中央。
ユキは、ほんの一瞬だけ――
遠くを見るような目をした。
歓声の向こう。
光の向こう。
誰かを探すように。
だがすぐに、強気な笑顔に戻る。
ユキ
「……よしっ。この調子で頑張らなきゃ」
その声は小さい。
だが確かに、
リングの中心から、未来へ向けて響いていた。
そして、とある日。
ここにも、もう一人の若きファイターがいた。
その名は――
マチェット合川。
本名、合川充。
相良ユキの幼馴染み。
かつては肩を並べ、笑い合い、未来を語った元親友。
だが今、その心は闇に沈みきっている。
会場は異様な空気に包まれていた。
歓声ではない。
期待と嫌悪が入り混じった、ざわめき。
リング中央。
黒を基調としたコスチューム。
血に染まったマットの上に、マチェットは立っていた。
対戦相手――房ヒカル。
顔面は既に赤く腫れ上がり、額から流れ落ちる血が視界を奪っている。
実況者
「大流血! 房ヒカルが大流血! 本日も悪の限りを尽くしております、マチェット合川!!」
マチェット
「……おら、立てよ」
低く、温度のない声。
マチェットは房の髪を鷲掴みにする。
まるで壊れた人形を扱うかのように、無造作に引きずり起こす。
房の足がマットを擦る。
実況者
「これは……もはや試合というより制裁です! レフェリー、止めるべきでは――」
レフェリーが近づく。
だがマチェットは一瞥もしない。
次の瞬間――
膝が、房の腹部に深々と突き刺さる。
房
「ぐっ……!」
体が折れる。
さらに、容赦のないエルボー。
顔面。
血が弧を描いて飛び散る。
実況者
「エルボー直撃! 顔面を狙っていく! この男に、ためらいという言葉はありません!」
観客席からはブーイング。
しかし、その中に混ざる、わずかな歓声。
「やめろ!」
「もう十分だ!」
「でも……もっと見せろ……!」
マチェットは倒れた房を見下ろす。
怒りでもない。
興奮でもない。
ただ――空っぽ。
マチェット
「……つまんねぇな」
再び髪を掴み、無理やり立たせる。
房の膝は笑い、焦点の合わない瞳が揺れる。
マチェットはあえてロープへ振る。
戻ってきた瞬間――
全力のラリアット。
首が刈り取られたかのように、房が宙を舞う。
実況者
「ラリアットォォ!! 完全に意識が飛んだか!?」
それでもフォールに行かない。
代わりに。
マチェットは房の顔を踏みつけた。
ギリ、と体重を乗せる。
実況者
「顔面踏みつけ! これは完全なヒールファイト!」
レフェリー
「やめろ! 反則だ!」
マチェットはゆっくりと足を離し、レフェリーを睨む。
その視線に、会場の空気が凍る。
だが何も言わない。
背を向ける。
そして、再び房を引き起こす。
最後は――
渾身の一撃。
房の体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
今度は、迷わず覆い被さる。
レフェリー
「ワン……」
「ツー……」
「スリー!」
ゴングが鳴る。
実況者
「試合終了……勝者、マチェット合川……!」
だが、勝利の余韻はない。
歓喜も、ポーズもない。
マチェットはすぐに立ち上がる。
倒れた房を一瞥。
鼻で笑う。
マチェット
「……雑魚が」
ブーイングが会場を包む。
マチェットはそれを浴びながら、ゆっくりとリングを降りる。
罵声も、拍手も、怒号も。
何一つ、彼の背中には届かない。
ただ一つ――
遠い日の記憶。
夕暮れの帰り道。
並んで歩いた影。
「将来さ、俺たち――」
その声が、胸の奥で鈍く疼く。
だがマチェットは振り払う。
感情を殺し、表情を消す。
闇の中へと、歩いていく。
ユキはホールの部室で、モニター越しにその試合を見ていた。
画面の中――
血に濡れたマットの上で勝利したマチェットが、
房の返り血を舐め取っている。
その仕草に、観客席から悲鳴と歓声が混じる。
ユキは目を逸らさない。
ユキ
「……目、背けちゃダメだよね。
全部、私が蒔いた種だから……」
声は震えていない。
だが、その奥には確かな痛みが滲んでいた。
哀しみを湛えながらも、
まばたきすら忘れて見つめ続ける。
やがてモニターが暗転する。
部屋の静寂が、急に重くなる。
ユキ
「なんだか……喉、渇いちゃったな。」
立ち上がる。
廊下へ出る。
自販機へ向かう足取りは、思いのほか重い。
――角を曲がった瞬間。
そこにいた。
黒い影。
ユキ
「……みっちゃん。」
呼ばれた男は、一瞬だけわずかな戸惑いを見せる。
だがそれは瞬時に消え、
氷のようなヒールの仮面が張り付く。
マチェット
「これはこれは。
万人受愛の相良選手じゃありませんか。
学生時代はクラスの太陽。
今やメディアの寵児。
どこへ行っても拍手喝采。金銭もガッポリ。
さぞかし、順風満帆で幸福な人生でしょうなぁ?」
声は甘い。
だが、その奥には刃が潜んでいる。
ユキは、静かに息を吐いた。
ユキ
「本当に……バカだね、みっちゃん。」
マチェット
「あ?」
ユキ
「お金が入る? 月収が何百万?
そんな数字が命の保証になると思ってるの?
この業界はね、
次の一歩で間違えれば取り返しの付かない怪我をする場所なんだよ。
順風満帆?
笑わせないで。
ここに立ってる時点で、全員が崖の上にいるの。私より先に身を置いてるみっちゃんならその事を分かってるとおもってたんだけどね。」
一歩、近づく。
距離が縮まる。
ユキ
「にしてもさ難儀だよね。泣き虫で、人の痛みにすぐ気づいて、
自分のことより他人を優先してた男の子が――
たった一人の、どうしようもなく愚かな女の裏切りで壊れちゃって、
今は血と凶器で心を塗り潰してる。
それで“稼げる”から幸せ?
それが、生き甲斐?」
マチェットの瞳に、黒い火が灯る。
マチェット
「何が言いたい?」
ユキ
「それが、本当にみっちゃんの望んだ人生なのかって聞いてるの。」
マチェット
「裏切った張本人が説教とはな。
道徳の教科書でも出版する気か?
吐き気がする。」
ユキの目は逸れない。
マチェットは嗤う。
マチェット
「そういや、お前のダーリンのゲス王子はどうした?
虐めの国のプリンスと、随分お似合いだったぜ?」
ユキ
「別れたよ。
私から振った。
みっちゃんが学校に来なくなって、
部屋を整理してた時にね――
あのお守りを見つけたの。
子どもの頃、みっちゃんがくれたやつ。
あの瞬間、気づいた。
私が守るべきだったのは誰だったか。
……でも、もう遅かった。
その時には既にみっちゃんは、もう今みたいなってたから。」
廊下の蛍光灯が、白く二人を照らす。
マチェット
「心理戦か?
罪悪感を餌に俺を揺らすつもりか?
清廉潔白なベビーフェイス様のくせに随分とえげつない手をつかうじゃねーか。」
ユキ
「違う。
ただ、自分の罪を認めただけ。」
マチェット
「認めて何になる?
俺は戻らない。
戻る場所も、作る気もない。
壊れたままで十分だ。」
ユキ
「……ねぇ、みっちゃん。」
マチェット
「その名で呼ぶな。」
ユキ
「やだ」
マチェット
「は?」
ユキ
「呼ぶよ。
何度でも。
だって、どんな仮面を被っても、
みっちゃんはみっちゃんだから。」
マチェットの眉が、わずかに動く。
マチェット
「ご立派な名台詞だな。感動しすぎて涙が出てくるぜ。
だがな、お前の友達の“みっちゃん”はもう死んだ。
あの日、確かに殺されたんだよ。
犯人は誰だ?
言ってみろ。」
ユキは、目を逸らさない。
沈黙が流れる。
マチェットは、わずかに視線を外し、話題を変える。
マチェット
「後、聞いたところ俺とのブック無しのシングルマッチを望んでるらしいな。
昨日の夕方、長与のババアが新日の事務所に来ててな。棚橋社長と熱心に話してたよ。」
ユキ
「うん。
それが、私がプロレスラーになった一番の理由だからね。」
マチェット
「そんで俺をボコボコにして救済劇ってか?
フッ……寝言は寝て言え。
後、お前さっき俺に言ったよな?
この世界は、一歩間違えれば一瞬で取り返しのつかない怪我をする場所だって。
俺とのカードが決まった瞬間、
その“取り返しのつかなさ”がお前に降りかかるかもな。」
ユキ
「それ、みっちゃんにも言えるよ。」
マチェット
「あ?」
ユキ
「もし私とのシングルでそうなったのがみっちゃんだったら?
その時、どうするの?」
沈黙。
空気が張り詰める。
マチェット
「くだらねぇ。」
ユキ
「質問に答えられない?じゃあ私が決めるね。
もしそうなったら――
私が一生、みっちゃんを養ってあげる。
オムツも替える。
お風呂も入れる。
ご飯も食べさせる。
着替えも、全部。
嫌って言われても、絶対に離れない。」
空気が凍る。
マチェットの瞳に怒気が宿る。
マチェット
「そうやってまた無責任な事をほざきやがってクソアマ!!……
仮に本気だとしても――
お前みたいな裏切り女に世話されて生き延びるなんてまっぴらごめんだぜ。
俺がお前の手で壊れた時は、首を吊って死んでやる。」
ユキ
「“死んでやる”ってさ。
みっちゃんが言うと、薄っぺらいね。」
マチェット
「んだとコノヤロー……」
二人の間に、目に見えない火花が散る。
その時――
スタッフ
「マチェットさん! もうすぐ取材です!」
マチェット
「……了解。」
歩き出しかけ、立ち止まる。
振り向く。
マチェット
「カードが決まったその時は、お前の救済ストーリーとやらを力でねじ伏せて、この世界に足を踏み入れたことを骨の髄まで後悔させてやる。覚悟しておけ。」
彼は去っていく。
黒い背中が、廊下の奥へ消えていく。
ユキはその背中を見つめたまま、動けない。
ユキ
「後悔なんて、しないよ。
どんな終わりでも受け止める。
それが、私の選んだ道だから。」
小さく、しかし確かに。
ユキ
「……みっちゃん。」
蛍光灯の白い光の下、
彼女の拳は、静かに握られていた。
数日後。
Marvelousの練習場。
ロープを叩く音。
マットに体が落ちる鈍い衝撃。
荒い息遣い。
相良ユキは、一人黙々と体を動かしていた。
汗が額から頬を伝い、床に落ちる。
Tシャツはすでに色が変わり、呼吸は明らかに限界に近い。
それでも、止まらない。
ロープに走り、
ターンバックルへ跳び、
着地。
もう一度。
さらに、もう一度。
「……っ!」
着地の瞬間、わずかにバランスを崩す。
膝が沈む。
だが、歯を食いしばり、立ち上がろうとしたその時――
「ユキ」
低く、落ち着いた声。
顔を上げると、
そこにはトレーナーの長与千種が立っていた。
腕を組み、真剣な眼差しでユキを見つめている。
千種
「……最近、睡眠不足じゃない?」
ユキは一瞬、言葉に詰まる。
千種
「動きが雑になってきてる。
集中力も、いつものユキじゃない」
ユキ
「……」
千種
「少し休みなよ」
静かだが、命令に近い口調。
ユキはタオルで顔を拭きながら、視線を落とした。
ユキ
「……チコさん」
呼び慣れた、少し甘えの混じった声。
ユキ
「休んでたら……置いていかれそうで」
千種の眉がわずかに動く。
ユキ
「みんな、前に進んでるのに……
私だけ、立ち止まってる気がして」
千種は、言葉の奥にある名前を察していた。
千種
「……あの子のこと?」
ユキは答えない。
否定もしない。
ユキ
「……みっちゃん」
小さく零れた名前。
練習場の空気が、わずかに重くなる。
千種はゆっくり息を吐いた。
千種
「ユキ」
視線を合わせる。
千種
「プロレスはね、逃げ場じゃない」
ユキの肩がわずかに揺れる。
千種
「償いの場所でもないし、
誰かを取り戻す道具でもない」
一歩、近づく。
千種
「リングは、今の自分を晒す場所だよ」
ユキ
「……」
千種
「今のままリングに立ったら、
あんた、自分を壊す」
ユキは唇を噛みしめる。
ユキ
「……でも」
千種
「でも、じゃない」
ぴしゃりと言い切る。
千種
「休むのも、強さだよ」
声が、少し柔らぐ。
千種
「ユキは、責任感が強すぎる」
千種
「全部、自分のせいにする癖がある」
ユキ
「……だって……」
ユキ
「実際……私が、間違えたから」
千種はしばらくユキを見つめ、
ぽん、と軽く肩を叩いた。
千種
「間違えたことと、
一生罰を背負うことは、違う」
ユキの目が、わずかに揺れる。
千種
「それを履き違えるとね、
プロレスも、人間関係も、全部壊れる」
ユキ
「……」
千種
「今日は、ここまで」
有無を言わせぬ口調。
千種
「シャワー浴びて、帰りな」
ユキは少し迷った後、深く頭を下げた。
ユキ
「……ありがとうございます」
バッグを手に取る。
その背中に、千種が声をかける。
千種
「ユキ」
振り返る。
千種
「もし……リングで、また彼と向き合うことになったら」
一瞬、間を置く。
千種
「その時は、“救う”なんて考えないで」
ユキ
「……え?」
千種
「自分が、どうしたいかだけを考えな」
ユキは静かに頷く。
練習場を出るユキの背中を、千種は黙って見送った。
千種
(……大丈夫かねぇ……)
静まり返ったリングを見つめる。
ロープは揺れていない。
マットも動かない。
だが、その上で交わされる感情だけは、
いつだって静かではいられない。
リングの上でしか、答えが出ないこともある。
それを、誰よりも知っているからこそ――
千種は、それ以上何も言わなかった。
Marvelousの練習場を後にしたユキは、夕暮れの道を歩いていた。
空はオレンジ色に染まり、昼間の熱がまだアスファルトに残っている。
背中に疲労が張りつき、足取りは少し重い。
千種の言葉が、何度も頭の中で反芻される。
――休むのも、強さ。
分かっている。
理屈では、ちゃんと理解している。
それでも、心は簡単に言うことを聞いてくれない。
その時だった。
「ユキさーん!!」
聞き覚えのある、よく通る声。
ユキが顔を上げると、
制服姿のライトニング哲也が裏路地階段の上に立っていた。
ブレザーのボタンは一つ外れ、
ネクタイは少し緩んでいる。
どこか“今さっきまで走っていました”と言わんばかりの姿だ。
ユキ
「テツ!」
思わず笑みがこぼれる。
次の瞬間、哲也は階段から跳躍。
空中で一回転し、軽やかに着地した。
その動きは見事だったが――
ユキは少し困った顔をする。
ユキ
「も~そんなことしたら危ないでしょ!怪我でもしたらどうするの?」
哲也
「ごめんなさい...こうでもしないと体が鈍っちゃいそうで!」
頭をポリポリとかく哲也。
緊張感が、少しだけ和らぐ。
ユキ
「あ、そういえば今日、期末テストの結果発表だったんだよね?
どうだったの?」
哲也は立ち止まり、胸に手を当てて一度深呼吸。
そして、ニッと笑う。
哲也
「聞いてくださいよ!」
少し間を置き、指を立てる。
哲也
「……ギリギリ、全部赤点回避です!」
ユキ
「ちょっと、それ自慢にならないでしょ」
呆れたように言いながらも、どこか安心した表情。
哲也
「いやー、マジで危なかったっす。
昨日なんて徹夜で……」
言いかけて、ユキの顔を見る。
哲也
「……あ」
ユキ
「……徹夜?」
哲也
「い、いや、その……」
慌てて手を振る。
哲也
「ほら、俺は若いんで! 回復力ありますから!」
ユキは苦笑し、ため息をつく。
ユキ
「テツまで無理してどうするの。
身体壊したら、元も子もないよ」
哲也
「それ、さっきチコさんにも言われました?」
ユキ
「……うん」
短い返事。
夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばす。
哲也は、少しだけ真剣な顔になる。
哲也
「……やっぱり、最近あんまり眠れてないんですね」
ユキ
「……バレバレ?」
哲也
「分かりますよ」
即答だった。
哲也
「ユキさん、無理してる時ほど、
笑い方がちょっとだけ硬くなるんで」
ユキは言葉を失う。
そこまで見られているとは、思っていなかった。
哲也
「……あの人のこと、ですよね」
ユキ
「……」
否定はしない。
ユキ
「……廊下で、会っちゃってさ」
ユキ
「変わってた。
私の知ってる“みっちゃん”じゃ、もう……」
声が、かすかに震える。
哲也は少し考えてから、口を開いた。
哲也
「俺、正直言うと……」
ユキを見る。
哲也
「マチェットさん、怖いです」
ユキ
「……」
哲也
「でも」
一拍置く。
哲也
「怖いだけの人なら、
あんな言い方、しない気もするんですよね」
ユキ
「どういう意味?」
哲也
「彼、前に見たインタビュー動画で他の選手には眼中に入れてない素振りでしたがユキさんにだけ、
ちゃんと棘のある言葉、投げてました」
哲也
「無視するなら、もっと楽な言い方、ありますから」
ユキは、歩みを止める。
胸の奥が、わずかに揺れる。
哲也
「だから……」
少し照れたように笑う。
哲也
「俺は、ユキさんが間違ってるとは思わないです」
哲也
「元に戻したいって思うのも、
止めたいって思うのも」
ユキ
「……でも」
哲也
「ただし」
きっぱりと言う。
哲也
「無理は、ダメです」
哲也
「ユキさんが壊れたら、
それこそ誰も救われない」
夕暮れの風が、少しだけ涼しくなる。
ユキは、ゆっくりと息を吐いた。
ユキ
「……ありがとう、テツ」
ユキ
「本当に、優しいね」
哲也
「いえいえ、そんなことは………ところでユキさん最近すこしゴツくなりました?」
空気が、止まる。
ユキは満面の笑みで。
ユキ
「今、なんて言った?♡」
次の瞬間――
ユキの腕が哲也の首と腰を絡め取る。
コブラツイスト。
哲也
「イタタタタタ!!ギブです!ギブ~!!」
ユキ
「オラァーッ!女の子にデリカシーの無いこと言ってんじゃねーっ!」
夕焼けの下、
悲鳴と笑い声が響く。
ほんの一瞬だけ。
ユキの笑いは、
さっきより少しだけ、柔らかかった。
一方、新日本プロレスの事務所で帰宅の準備を済ませた後、
マチェット合川――合川充は、スターダムの事務所を訪れていた。
夜の事務所は静かだった。
昼間の喧騒が嘘のように、空気が澄んでいる。
蛍光灯の白い光が、無機質な床を照らしていた。
充はロッカーの前で立ち止まり、
中を探ってから、小さく舌打ちをする。
マチェット
「……あった」
手に取ったのは、使い込まれたヘッドホン。
コードの癖、擦れたパッド。
それなりに長い時間を共にしてきた証だ。
その時だった。
「――あれ?」
背後から、低く太い声が響く。
振り返ると、
そこにいたのはダンプ松本だった。
腕を組み、こちらを見下ろしている。
ダンプ
「それ、充のだったの?」
マチェット
「あ……はい……」
少し間の抜けた返事。
リング上では見せない素の反応。
ダンプは鼻を鳴らし、ヘッドホンを指差す。
ダンプ
「忘れ物するほど、余裕ない顔してるだけあるね……」
マチェットは何も言わず、
ヘッドホンをバッグにしまう。
ダンプ
「それはそうと、あんたさぁ……」
声のトーンが変わる。
ダンプ
「また、近所の柄の悪いのと揉めたんだって?」
マチェットの肩が、わずかに強張る。
ダンプ
「まったく……どうしようもない子だねぇ……」
ため息混じりに続ける。
ダンプ
「見方を変えれば、ヒールとしてはリアリティーあるんだろうけどさ」
視線が鋭くなる。
ダンプ
「ほどほどにしないと、
団体の上役が黙ってないよ?棚橋くんがなんとか大事になら無いようにしてるくれてるんだからね?」
マチェット
「……いや……」
視線を逸らす。
マチェット
「あれは……
あっちから喧嘩を吹っ掛けてきて……」
言い訳とも説明ともつかない言葉。
ダンプは一歩、距離を詰める。
ダンプ
「だとしても、だよ」
低く、重い声。
ダンプ
「あんたの力はもう、
一般人を遥かに凌駕してるんだよ?」
マチェットの喉が鳴る。
ダンプ
「分かってる?」
沈黙。
しばらくして、マチェットは小さく答えた。
マチェット
「……分かってます」
ダンプ
「分かってる“つもり”でしょ」
即座に切り返す。
ダンプ
「あんた、怒りを吐き出す場所を間違えてる」
マチェット
「……」
拳が、わずかに握られる。
ダンプ
「リングの上なら、
誰も文句言わない」
ダンプ
「むしろ、金を払ってでも見たいって奴らがいる」
一拍置く。
ダンプ
「でも、外でやったらただの暴力だ」
マチェットは拳を強く握りしめる。
マチェット
「……抑えられない時があるんです」
ダンプ
「知ってるよ」
即答だった。
ダンプ
「だから、あたしがここにいるんだ」
マチェットが、ゆっくり顔を上げる。
ダンプ
「いいかい、充」
珍しく、名前で呼ぶ。
ダンプ
「壊れるなら、
リングの上で壊れな」
ダンプ
「それ以外の場所で壊れたら、
誰も拾ってくれないよ」
その言葉は叱責であり、
同時に警告だった。
マチェット
「……」
ダンプ
「あと一つ」
マチェットを見る目が、少しだけ柔らぐ。
ダンプ
「あんたは、もう一人で強がる必要はない」
ダンプ
「弟子なんだから」
その言葉に、
マチェットの指がわずかに震える。
マチェット
「……すみません」
小さな、だが本音の謝罪。
ダンプ
「謝る相手は、あたしじゃない」
背を向けながら言う。
ダンプ
「自分の身体と、
棚橋くんを含めたあんたを見てる人間にだよ」
マチェットは深く息を吐く。
マチェット
「……分かりました」
ダンプ
「よし」
短く言い切る。
ダンプ
「帰って休みな。
明日も、練習だから」
マチェットは軽く会釈し、事務所を後にする。
ドアが閉まる。
足音が、廊下の奥へと遠ざかる。
ダンプは一人、ぽつりと呟いた。
ダンプ
「……まったく」
「面倒な子ほど、
放っとけないんだからさ」
夜の静寂の中、
残るのは蛍光灯の微かな唸りと、
消えかけた足音の余韻だけだった。
帰路に付いたマチェットは、家でゲームをしていた。
薄暗い部屋。
テレビ画面の光だけが、彼の横顔を照らしている。
コントローラーを握る指は無駄なく動き、
画面の中では敵キャラが次々と倒れていく。
無表情。
無音。
その静寂を破る音が鳴った。
ピーンポーン
一瞬で、空気が変わる。
マチェットはコントローラーを置き、
反射的に立ち上がる。
視線が鋭くなる。
アンチの多い彼にとって、
訪問者は歓迎される存在ではない。
インターホンを確認する前に、
一度息を止める。
足音を殺し、玄関へ向かう。
ドアスコープを覗く。
――小柄な影。
警戒を解かないまま、ゆっくりと鍵を回す。
扉を開ける。
そこには――
ショートカットの美少女が立っていた。
黒と赤を基調とした私服。
夜風に揺れる髪。
サキュバス楪。
楪
「先輩っ♡」
弾む声。
マチェットの肩から、わずかに緊張が抜ける。
マチェット
「ユズ……こんな夜遅くに出歩くなよ。ベビーのファンから襲撃食らったらどうすんだバカ……」
楪は、にやりと笑う。
楪
「大丈夫ですよぉ。
ちゃんと帽子もマスクもしてきましたし」
そう言いながら、紙袋を掲げる。
楪
「それより、これ。差し入れです」
甘い香りが、夜の空気に溶ける。
楪
「スターダムのスポンサーさんから貰ったやつ、
先輩に似合いそうだったんで」
“似合いそう”という言葉に、
マチェットの眉がわずかに動く。
マチェット
「俺に似合うもんなんか、ロープか鎖だろ」
楪
「もー、またそういうこと言う」
くすりと笑う。
だが、その目は一瞬だけ、
彼の顔色を確かめるように揺れた。
楪
「今日も、暴れてましたね」
マチェット
「見てたのか」
楪
「もちろんです。
先輩の試合は、全部チェックしてます」
誇らしげに言う。
マチェットは視線を逸らす。
楪は一歩、距離を詰める。
楪
「……でも」
少しだけ声が落ちる。
楪
「顔、ちょっとだけ疲れてます」
マチェット
「余計なお世話だ」
即答。
だが、否定しきれていない。
楪は、じっと彼を見上げる。
楪
「先輩は、無理してる時ほど、
目が冷たくなるんですよ」
一瞬、沈黙。
夜の風が、二人の間をすり抜ける。
マチェットは小さく舌打ちする。
マチェット
「お前は人の顔色見る前に、自分の心配しろ」
楪
「してますよ」
即答。
楪
「だって、先輩に何かあったら嫌ですもん」
その言葉は、軽くない。
だが楪は、すぐに笑顔を作る。
楪
「……入ってもいいですか?」
マチェットは一瞬迷い、
やれやれと肩を落とす。
マチェット
「五分だけだ」
楪の顔がぱっと明るくなる。
楪
「やった♡」
彼女が玄関をまたぐ瞬間。
マチェットの視線が、
ほんのわずかに柔らいだ。
それは――
妹を見るような、
守るべき存在を見るような目。
だが楪は気づかない。
気づいていたとしても、
きっと気づかないふりをする。
夜は、まだ深い。
一方、ここは銀座にある会員制スナック gangs。
落ち着いた照明。
グラスの氷が静かに溶ける音。
低く流れるジャズ。
店内には、長年リングで生き抜いてきた者にしか出せない空気が漂っている。
この店の経営者は、
千種のかつての相方であり、クラッシュギャルズの片割れだった
ライオネス飛鳥。
カウンターの奥でグラスを磨きながら、
二人の来店を待っていた。
千種はハイボールを一口飲み、氷を揺らす。
千種
「ところでさぁ香、あんたの所の男の子、どんな感じよ?」
ダンプは焼酎のロックをぐいっと煽り、肩を落とす。
ダンプ
「いや、もうね………本当に言うこと聞きやしないし手が焼けるよ………この前もさぁ酒場で喧嘩して帰ってきたりするしさ。」
苦笑いではない。
本気で頭を抱えている顔だ。
千種
「全女全盛期に悪名を轟かせていたダンプ松本にそこまで言わせるなんてね……」
ダンプ
「だから言ってんだよ。あたしが言うのも何だけど、あいつは“質”が違う。暴れる理由がリング外に残ってる。」
飛鳥が静かにグラスを置く。
飛鳥
「棚橋くんは彼に関しては何て言ってるの?」
ダンプは鼻を鳴らす。
ダンプ
「まぁ………危なっかしいなとは感じてるみたいだけどレスラーのセンス等を垣間見て、切るに切れない感じだね……棚橋くん優しいからほっとけないんだろうな……で、千種の所の可愛い子はどんな感じよ?」
千種は少しだけ目を細める。
千種
「ああユキの事?とにかく優しくて頑張り屋で良い子だよ。ただね一人で抱え込み過ぎるなとは思う。」
氷がカランと鳴る。
千種は続ける。
千種
「強い子なんだけどね。“強くあろうとし過ぎる”んだよ。」
ダンプが静かに頷く。
ダンプ
「なるほどねぇ……充の荒れた性格の事をよっぽど気にしてるんだろうな……」
飛鳥はグラスを拭きながら、二人を見渡す。
飛鳥
「若い子ってのは、どうしても“自分がなんとかしなきゃ”って思うからね。あたしたちもそうだった。」
一瞬、三人の間に昔の記憶がよぎる。
千種
「で、問題はだよ。その二人のカードが決まるか否かだよね。まだ時間かかりそうかね。」
飛鳥は少しだけ声を落とす。
飛鳥
「実はここだけの話ね?ここの常連にプロレス協会の役員がいてさ、その人曰く、それに関する結論が出るのに後2ヶ月はかかるかもしれないらしい。やっぱりなかなか難儀なカードだから直ぐには答えは出せないんだってさ。だから話を持ちかけてくれた千種と香には本当に申し訳なく思ってるみたいよ?。」
ダンプ
「二ヶ月、か……」
千種
「長いようで短いね。」
飛鳥
「世間的にも“男女シングルで因縁決着”は刺激が強すぎる。しかも背景が背景でしょ。」
ダンプ
「暴発する可能性もある。」
千種
「でも、やらせなきゃ終わらない。」
三人の視線が交差する。
飛鳥が静かに言う。
飛鳥
「リングは感情を燃やす場所だけど、同時に守る場所でもある。あの二人をぶつけるなら、守れる準備が整ってから。」
ダンプはグラスを置く。
ダンプ
「あたしは、あいつがリングで壊れるならまだいいと思ってる。」
千種
「外で壊れるよりはね。」
飛鳥は微笑む。
飛鳥
「結局、あたしたちの役目は同じってことか。」
千種
「若いのが勝手に燃え尽きないように、風向きを読む。」
ダンプ
「火は止めない。ただ、燃え広がらせない。」
ジャズが一曲終わる。
銀座の夜は静かだが、
水面下では確実に火が回り始めていた。
二ヶ月。
それは猶予であり、
同時に――導火線でもあった。
その頃都内某所。
重厚な扉の奥、プロレス協会の役員会議室。
長机の上には資料の束。
モニターには二人の試合映像の静止画が映し出されている。
赤いコスチュームの相良ユキ。
血に濡れたマチェット合川。
空気は静まり返っていた。
役員Aが眼鏡を押し上げ、ゆっくり口を開く。
役員A
「このような背景が私情のもつれにかられまくったカードを執行するのは悩ましいな……」
資料をめくる音だけが響く。
役員B
「場合によっては試合ではすまない展開が待ち受けるかもしれん。」
役員Bは腕を組み、映像を睨む。
役員B
「リング外乱闘、収拾不能、放送事故……最悪、選手生命に関わる事態も想定すべきだ。」
役員Cが椅子に深く腰掛け、指を組む。
役員C
「しかし、客受けはしないとは言いきれないからな………」
わずかに口元を歪める。
役員C
「因縁、裏切り、再会。物語性としては、これ以上ない。」
役員Dが低く言う。
役員D
「いや、まずあの二人の個人的な過去の因縁を世間に晒すのはいかがなものか……」
役員D
「今はSNSの時代だ。少しでも漏れれば、炎上は避けられん。」
役員Eが頷く。
役員E
「確かに……どちらにせよ二人の関係性は世間やマスコミにはバレないようにしなければならないですな。」
役員E
「“偶然の因縁”として演出するならまだしも、実話として拡散されれば収拾がつかない。」
沈黙。
役員Aが資料を閉じる。
役員A
「問題は、感情だ。」
役員B
「どちらが暴発するか、読めん。」
役員C
「マチェットは制御不能の可能性がある。だがユキも……」
役員D
「“救うつもり”で来られても困る。リングはカウンセリングルームではない。」
役員E
「仮に組むとしても、段階を踏む必要があるでしょう。」
役員A
「タッグで様子を見るか。」
役員B
「世間の反応を見つつ、徐々に煽る。」
役員C
「双方の団体の責任問題もある。棚橋社長も慎重だ。」
役員D
「感情は売れる。しかし、壊れた選手は売れない。」
役員E
「……二ヶ月、でしょうな。」
部屋に重い空気が落ちる。
役員Aが最後に言う。
役員A
「結論は急がない。ただし、水面下での準備は進める。」
役員B
「情報統制は徹底する。」
役員C
「両団体のトレーナーとも連携を。」
役員D
「選手本人たちには、まだ何も伝えるな。」
役員E
「感情が燃え尽きる前に、火力を見極める。」
会議室の照明が静かに落とされる。
モニターに残るのは、
対峙する二人の静止画。
まだ交わっていない視線。
だが――
確実に、
何かが動き始めていた。




