海を渡る風
終章
然る吉日。南国らしくからりと晴れ渡った蒼天と白雲の下。
パレルモ大聖堂にてコンスタンティアはオートヴィル王朝の第代四君主として正式に即位した。
オートヴィル朝シチリア王国における、最初で最後の女王の誕生である。
タンクレーディと結託して奴隷貿易で暴利を貪っていたヴェネツィアの商人らは全員逮捕され、処罰を待つ身となった。
同じくタンクレーディと共謀し、宮廷内での実権を握ろうと画策していた造反貴族や悪徳聖職者たちも、厳しい追及を受けた。
特にローマ教皇から密命を受けてシチリア王国の政治に陰から介入しようとしていた汚職聖職者たちをコンスタンティアは弾劾し、代理教皇特使の権限で彼らの聖職特権を剥奪した上、特別待遇はいっさい無しの収監刑に処した。
「奴らは結局、枝葉にすぎない存在だ。根元をどうにかしないと、雑草みたいに後からいくらでもはびこってくる」
ハインリヒの意見にコンスタンティアも深く同意する。
「そうね、あなたの言う通りかも。ああいう連中は見えないところでいつのまにか種を播き、どんどん根付いて、勝手に生い茂ってくるんだわ」
宗教というやつは、純粋に神を信じる民衆に「教義」と「信仰」を振りかざし、実に都合よく利用する。聖職者が自分自身の欲を満たそうとして信者を使って扇動すると、始末に負えなくなる。
現状、教皇がローマからシチリアに影響を及ぼそうとして伸ばす手は、多少緩む時はあっても引っ込みはしないだろう。切っても切っても纏いつき、幹をきつく絞めつけていずれは大樹を枯らす、性質の悪い蔓草のようなものだ。
「かといって絶縁するわけにもいかないし。面倒な相手よね、本当に」
どうしてこうも他国の政治に絡まろうとしてくるのだか。鬱陶しいことこの上ない。
「厳密に言えば問題は教皇じゃなくて枢機卿団だろう。しょせん教皇なんて、誰がその地位に就いても、結局は奴らの操り人形だからな」
横からひょっこり話に割り込んできた男に、コンスタンティアはため息をつく。
「あなたまだいたの。リチャード」
「おいおい、言うに事欠いて失礼しちゃうね! せっかくだから、お前らがきっちりと結婚式を挙げるまでは、見届けることにした。教皇と枢機卿団をどやしつけにローマへ殴り込みにいくなら、俺も付き合うぜ?」
ハインリヒには、元パレルモ大司教だったイオ・サルヴァートがシュヴァーベン大公フリードリヒ暗殺事件の犯人だったとすでに話してある。だがサルヴァートはあくまで単なる実行犯にすぎず、暗殺を命じた首謀者は別にいると、ハインリヒは考えていた。コンスタンティアもそれには同意する。
教皇の代替わりは早い。当代の教皇ルキウス三世も、つい二年前に就任したばかりでその時の詳しい事情は知るまい。暗殺事件当時の教皇アレクサンデル三世は、二年前に亡くなっている。彼が暗殺を命じたのか、それとも当時有力だった枢機卿の誰かが主犯なのか。今さら追求しても、教皇庁は全面的に事件への関与を否定するだろう。
だからと言って、このままうやむやにするつもりはない。
神聖ローマ皇帝フリードリヒも、長男の暗殺について新情報を得たのを機に、事件の再調査を命じた。現在の教皇庁内部に暗殺事件に関わった者がいるいないに関わらず、サルヴァートの行為を非難し、全容が究明されねば対決するも辞さない構えだ。
コンスタンティアも同じ思いだ。この事件の首謀者をいつか必ず見つけ出し、責任を取らせるまで、教皇庁を追求する手を緩める気はない。
とはいえ相手は伏魔殿。ことは慎重に運ばねばならない。
「いきなりどやしつけたりはしないけど、これ以上シチリア王国に手を出すなと、釘を刺しに行く必要はあるわね」
「そういうのを、俗に『お礼参り』って言うんだよ」
とリチャードは、悪い男の顔で笑った。
「どっちにしても、赤髭王――、あなたのお父様には、きちんとご挨拶にいかなくちゃならないもの。途中でローマに寄り道して、それからでもいいかしら?」
「別に気を使う必要はない。親父をこっちに呼びつけてやればいい。うちの親父は君のお呼びなら、喜び勇んでミラノあたりまですっ飛んでくるだろう」
「あらだめよ、そんなの失礼でしょ? あなたと私が結婚するお許しをもらわなくちゃいけないのに、わざわざこっちに呼び出すだなんて」
「不詳の息子を、熨斗つけてくれてやるって言うと思うよ。親父は昔からずっと、君を義理の娘にしたかったのにと言ってたから」
「光栄だわ」
嬉しそうに笑うコンスタンティアに、ハインリヒも微笑む。
実を言うと、ハインリヒをシチリア女王の夫に迎えるという話に不満を示すシチリア貴族は少なくない。神聖ローマ帝国の影響力が強くなりすぎるし、将来的にドイツ人の婿が王国全体を乗っ取るのではないかと危惧する民衆の声もある。
ハインリヒは、将来自分はイタリア王にはなってもシチリア王にはならないし、今後神聖ローマ帝国の皇帝になってもシチリアを帝国に組み込む気はないと表明している。
そこまで言っても彼の誠意を疑い、煙たがる貴族は多いのだ。
二人の恋は、まだまだ前途多難であった。
それでもコンスタンティアはハインリヒを生涯の夫にし、二人で愛を貫くつもりだ。彼の手を握り、万感の思いを込めて見つめあう。
「おいそこの男女。お客様を無視してイチャつくの禁止な」
「「カルロス、うるさい」」
また二人から同時に言われた。そんな塩対応にも、リチャードはとっくに慣れた。
「それよりもさー。次回はお前も行こうぜ、十字軍! 赤髭王とは前回の戦場でタッグ組んだけど、お前の親父さんマジで面白い男だな! 今度は絶対お前も来いよ!」
「いやだ、十字軍とか面倒くさい。教皇の命令で戦場に行くとか、全然趣味じゃない。俺は一抜け」
「張り合いのない野郎だな! まあ、ローマ行きの船については俺に任しとけ。快適な海の旅を提供するぜ!」
ローマ行きの旅程はイングランド軍が航海の世話をしてくれることになった。船長はリチャードである。
そして後日、一行はシチリア港から出発した。まずはローマ方面へ向かい、それからハインリヒの父親、皇帝フリードリヒが待つミラノへと旅する。
留守中はロレンツォとメルト子爵を国内に残し、宮廷を監督してもらうことにした。彼らなら手を抜かずに女王の留守居役を務めてくれるだろう。
港まで見送りに来てくれた彼らと別れ、イングランド軍の船に乗り込む。
「なんだい、まだそんな恰好してるのかい女王様。特注のドレスはどうした?」
甲板まで乗り込んできたコンスタンティアの姿を見、リチャードは片頬だけを歪める笑い方をした。彼女は女王になっても相変わらず身軽な男物の服装で腰には剣を佩いている。戴冠式の時の衣装も、貴婦人がまとうドレスではなく高位聖職者の装束と同じ、ゆるやかな長衣だった。
「だってドレスは動きづらいんだもの。それに、ハインリヒもこのほうがいいって」
「おまえ、そういう趣味なわけ?」
半眼で眺められたハインリヒは、軽く首をすくめた。
「服装なんかなんだっていいさ。彼女に似合ってさえいれば別に」
コンスタンティアは自分の短い髪をいじり、苦笑する。
「もうちょっと髪が伸びないと、やっぱりドレスは似合わないわよ。修道女の格好ならまだしも」
「いいね! 修道女の扮装ならまたしてくれ。俺も見たい」
「コスプレって言うのやめて」
手を振り上げて殴る素振りをすると、リチャードは慌てて逃げ去った。彼はそのままぶらぶらと船尾の船橋へ移動する。
「でも、さすがに赤髭王とお会いする時にはまずいかしら? この格好じゃ」
「いいんじゃないか? 親父は特に気にしないと思うけど」
ハインリヒは彼女の明るい栗色の髪に触ると、首の後ろあたりで軽くまとめてみる。
「もしドレスを着るつもりなら、こうやって後ろでまとめて花で飾るといい。似合うと思うよ」
「ドレスなんか、もう十年以上着てない」
「俺のために、花嫁衣裳を着てくれるんだろ?」
照れ隠しで俯きながらもコンスタンティアが小さく頷くと、ハインリヒは嬉しそうに笑った。彼女のうなじが赤くなっている。
ハインリヒがそっと促し、二人は船首のほうへ歩いていった。バウデッキの手すりに凭れ、青く広がる海を見下ろす。
船尾楼の操舵席では、舵を取るリチャードが甲板の水兵たちに帆綱を緩めろと命じていた。すべての帆が下ろされて風をはらむ。大型帆船がゆっくりと港を離れていく。
「主舵二点、ようそろ!」
軽妙に響くリチャードの声が、風に乗って船首楼にまで届く。
海は追い風だ。船長の陽気な声や、忙しく立ち働く水夫たちのざわめきを背中で聞き流しながら、コンスタンティアは言った。
「できるなら、シュヴァーベン大公領にも足を伸ばしたいわ。一番に、フリードリヒのお墓へお参りしたいの。一緒に行ってくれる?」
「もちろん」
「私ね、今朝ふしぎな夢を見たのよ」
「もしかして、礼拝堂にいる夢じゃないか?」
「え?」
コンスタンティアが驚くと、ハインリヒも実はと打ち明ける。今朝方、ひさしぶりに兄フリードリヒの夢を見たのだと。
フリードリヒは、亡くなった当時と同じ年齢でハインリヒの前に現れた。自分よりもはるかに年上になってしまった弟の手を引いて、どこかの美しい礼拝堂の身廊を内陣に向かって歩いて行った。
赤い絨毯が敷かれた長い通路の先には、コンスタンティアがいた。
フリードリヒは二人を引き合わせ、それぞれの手を取って重ね、そっと握りしめた。
彼は二人に逢えてとても嬉しそうだった。目元に浮かぶ微笑みがひどく優しかった。
「――私たち、同じ夢を見ていたのね……」
「兄はきっと、俺たちを祝福してくれたんだと思う」
「そうだといい。本当に……」
コンスタンティアの声が、涙を含んで微かに震えた。
「彼のお墓に、いろいろ報告しなくちゃね」
ハインリヒは彼女を背中から抱きしめ、海風に揺れる栗色の髪に唇をあてた。
風は、南から北へと吹き抜ける。追い風を受けて船が走る。
「今日は絶好の航海日和だ! ――みんな見ろよ、この青い海の果てで、世界が俺達を待ってるぜ!」
イングランドのリチャード。後の世で獅子心王と呼ばれた男が、海を駆けめぐる風を抱くように両腕を広げた。
コンスタンティアは、胸いっぱいに清々(すがすが)しい海風を吸いこむと、大きく息を吐いた。
この後、コンスタンティア・ダルタヴィッラはシチリアの女王であると同時に、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ六世の皇后となる。
彼女が『世界の脅威』と呼ばれることになる息子、フレデリクスを産むのは、これより十年後のことである。
(了)
最後までお読み下さいましてありがとうございました。
この物語は実在の人物を主要キャラクターとして配し、シチリアの歴史をベースに構築してはおりますが、史実と異なる部分が随所にございます。その当時の文化、風習や、事件が起こった年代や登場人物の出生年などで、本来の史実と一致しないところも多々ありますので、あくまでも本作はフィクション、「作り話」としてお読みください。
こちらは娯楽目的で執筆したエンタメ・ファンタジー小説であって歴史の参考書ではありませんので、「ここ、実際の史実と全然違うよ」という鋭いツッコミは無しの方向でよろしくお願いいたします。
リチャードの十字軍遠征って第何次のそれだよ、って思いますよね。2.5回目かな? というわけで、この物語の時間軸展開は平行世界です(呪文)
とはいえど、タンクレーディを悪役にしてしまってすみませんでした。もし歴史上のタンクレーディ氏のファンの方がいらしたら、小説上の彼と史実の彼とは別物とお考え下さい。どっちかっていうと、史実じゃハインリヒのほうが、わりかしエグいことしてますね、とは作者も思います。暗黒の中世時代、戦争は悲惨なものです。情けは無用、容赦なしという姿勢でないとよそもの(ドイツ人)のハインリヒがシチリア国内で彼に反抗する諸侯に勝つことはできなかったんだろうと思います。
でも、彼のコンスタンティアへの愛情は本物だったと思いたい。
今は二人とも、夫婦仲良くパレルモ大聖堂で棺を並べて眠っています。
それでは、ここまでお読みくださいましてありがとうございました。
またいつか、別の作品でお会いできますことを願いつつ。




