第八十八話「プレイボールと勝利の女神様」
本日のメインイベント。
野球観戦。
建物の入り口からライトスタンドの外野席に向かう。
小さな手を逸れないように握り、外周通路を抜け、人混みを抜けて。
辺りには軽食の食欲をそそる匂いが立ち込めていたが、今は一直線に寄り道はしない。
通路口。
奥からは「パンっ」と乾いた音。
けたたましい笛の音もたまに聞こえる。
「この出入り口でいいみたい」
「行きましょっ」
彼女と握る手に湿りを感じる。
多分これは自分のだ……なんて思いながら。
すぐに視界は開けた。
そこには普段テレビの画面越しにたまに見る緑。
今日自分の目に映るのは、鮮やかな新緑のグラウンド。
眩しいくらいにグラウンドを照明が照らしているので、遠目でも美しい芝目を拝むことができた。
「わぁ~~~っ……」
呆気に取られている和栞を横目に、伊織は球場内の雰囲気を味わう。
一周ぐるっと、何万人が座るかわからない客席。
既に賑わいに出遅れているのだろうか。
応援団が音出しをしていたり、ユニフォームに身を包んだ野球ファンたちが、ホットスナックを食べたり、ビールを飲んだり。
選手がウォーミングアップを始めており、観客がスタンドから思い思いの選手へ群がっている。
見たことないほど大きく湾曲したスクリーンがセンタースタンドから、頭上まで伸びてきており、映し出される映像はライブ感を煽る華やかで派手な演出の数々。
「広い……。あんな小さく人が見えますよ?伊織くんっ。すごいなぁ……」
「ね。取りあえず、席行こっか」
「うん!」
明るく返事をしてくれた彼女の手を引いて、遠目に靄がかかったように薄く見える向かいのスタンド客席に衝撃を覚えながら、席を探した。
◇◆◇◆
「一本ずつ交換っこしましょ!」
「それでお揃いの完成というわけだ?」
「そうですっ」
席について一休み……とはならなかった彼女が必死にメガホンの紐を解いている。
「はいどうぞ!」
彼女が元気たっぷりに言う。
こちらからも一本差し出した。
「これで……お揃いですっ!」
器用に新しい結び目をグッズにつけた彼女が、オリジナルの組み合わせを見せてくる。
「思い出だ?」
「思い出ですねぇ……」
穏やかに繰り返してくる彼女とはこれで会話の間が持つ。
居心地の良い彼女の隣で、気の利いたことひとつ言えない自分に嫌気が差すが、感傷に浸っていても何も始まらない。
次は素敵な笑顔でぬいぐるみと遊んでいる和栞を眺め、伊織は客席を見渡し、非日常に感謝した。
◇◆◇◆
『プレイボール!!!!』
遠く離れたバッターボックス。
主審から告げられた声が、ライトスタンドのこの距離、この位置でも肉声で聞こえてきた。
対戦相手は大阪に本拠地を置く、水牛がモチーフのチーム。
スタンドから歓声と、怒号に似た野次が飛び交う。
愛に溢れているからだろう。
『なーんしよんとぉ!!!???寝ちょんか??がーんばらんといけんばいっ!!!!!』
残念ながら四球に終わった投手の背中を引っ叩くような声援。
思わず周囲の観客へ笑いを誘う。
続く投球に力が入っている。エンジンがかかった様だ。
和栞は使い慣れないメガホンを持って、投手がひとつずつ積み重ね始めた好投のたびに、周りのファンに習って打ち付け叩き、試合に見入っている。
こんなに真剣な表情を間近で見るのは久しぶりだった。
どこまでも吸い込まれそうな瞳に、長い睫毛。
一球一球を見守る姿。
彼女が百道浜で教えてくれた通り「憧れの人たち」から何か感じ取ろうとしている積極的な学びの姿勢を感じた。
テスト勉強をしている彼女と同じ顔するんだなと思っている間に、打者が三振に倒れると、にぱっっと笑顔を咲かせてこちらへ喜びを伝えてくれる彼女。
眩しい。
「やりましたねぇ!」
「どうよ? 応援効いてそう?」
「ばっちりです! 誰が応援してると思ってるんですかっ!」
今にも球団監督に就任してしまいそうなえっへん顔で彼女は選手へ激励を向けた。
ぽんぽんとメガホンを叩いて、楽しそうにしている和栞の顔を見て、自分も負けられない。
今日はデートで球場に足を運んだのだ。
(勝ってもらわんと困るよ?)
投手の背中に視線を送り、強くメガホンを叩いた。
◇◆◇◆
二回裏。自軍の攻撃。
「ひっ……、痛そう……」
彼女が顔を顰めて自分事のように唸っている。
何も自分に球が当たったわけでもないのに気持ちが入り過ぎているのが笑えた。
流れが悪いかに見えた攻撃。
ツーアウトからデッドボールにより出塁が許されると突如としてチャンスがやってきた。
続くバッターたちが安打に安打。
瞬く間に満塁となると、球場のボルテージは最高潮になった。
「ここで! 点はいただきますよ~~~っ」
和栞の目が光る。
次の瞬間。
『カンッ!』
『うぉぉぉおおおおお!!!!!!!!』
大歓声に包まれ、打球が低弾道でこちら側。
ライトスタンド方向に飛んできた。
「わああっ!!!」
全身に力を入れていた和栞の口から期待が漏れる。
打球が内野を越え、目の前のグラウンドを跳ね、転がる。
敵軍選手が急いでボールを捕まえるように捕球すると、血相を変えたような球がホームベースに向かって放たれた。
一人、また一人と黄色の選手がホームベースを踏んでいったのと、ほぼ同時。
辺りから今日一番の歓声が聞こえ始めた。
「やったぁ!!!やったぁ!!!」
和栞はぴょんぴょんと喜びを身体いっぱいに表している。
プレーの行く末を見て、伊織は静かな喜びを嚙みしめていると……。
「やったぁ!!!!!」
自制が効いていない和栞が伊織に飛びつく。
客席は広くないというのに、本能の赴くまま、猫じゃらしに刺激を受けた子猫のように。
あやして、落ち着かせるのは到底無理だ。
「二点ゲット!!!! わーい!!!」
胸の前で小さな身体が喜びに満ちた後。
彼女は嬉しそうな笑顔を湛えて、両手を上げる。
喜びを分かち合うポーズ。
伊織も顔の前で両手を用意すると、勢い良く弾けた和栞の感情を受け止めた。
「いえーい!」
君と笑顔でハイタッチ。
「あはははっ!!! やってくれましたよ!!!」
興奮を交えて彼女が何度も何度も。
自分の手に重ねてくる華奢な手は熱を帯びて、勢いと歓喜に満ち溢れていた。
あろうことか、彼女は周りのファンの皆様とも得点を称え、分かち合って嬉しそう。
こんな勝利の女神に応援されていては、今日の自軍の勝利は間違いなさそうだなと思うまでに。
和栞の最高の笑顔をプレゼントしてくれた打者の二点タイムリーヒットに、伊織は心の中で大きな賛辞を贈った。
「負けられない試合がここに在るのですっ!」
和栞は留まることを知らない打線を期待混じる表情で注視する。
追加の一点。
再び喝采に沸く群衆。
早くもライトスタンド全体から勝利の雰囲気漂う追い風を味方に、伊織は思った。
――この勢い。俺も持って帰りたいなぁ…… と。
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